◎Episode 47: 歩夢と心晴とやきもちと
「依織さん、準備オッケーです。いつでもいけます」
「了解。じゃあ……ミュージックスタート!」
今日も今日とて、私は依織さんの部屋で曲の収録をしていた。以前依織さんの曲を歌わせてもらった時以来、私たちはすっかりパートナーのような関係になっていた。
最近は呼び出される回数が増えたけれど、どうやら何かのイベントに出るためにアルバムを作るみたいだ。ということで、こうして歌わせてもらっているのだった。
「よーし、イメージ通りだ。ありがとな、歩夢」
「いえいえ、依織さんの曲もよかったです!」
依織さんの作る曲は、爽やかで、それでいてかっこよさも秘めていて。こんな曲で歌わせてもらえるのは光栄だ。
「いやー、それにしても歩夢に歌ってもらえるとなるとモチベが上がるな。いっそこのままユニットでも組んでみるか? なんてな」
「ふふっ、それいいですね!」
ユニットかあ。そういうのも面白そうだ。そんなことを考えつつ、今日の収録はお開きになったのだった。
「ふー……よいしょっと」
自室に戻り、一息つく。少し休憩でもしてから、次に何するか決めようかな。ベッドに横たわって深呼吸をすると、不意に扉をノックする音が聞こえてきた。
「はーい、どうぞ」
私が応えるのと同時に、扉が開かれる。そこからおずおずと顔を出したのは心晴さんだった。
「あれ、心晴さん?」
心晴さんの方から訪ねてくるなんて珍しいな。何かあったのかな?
当の彼女は、もじもじとしながら判然としない態度でこちらに向き合う。
「ね、ねえ、歩夢。ちょっといいかな……?」
「へ? べ、別にいいですけど……」
何だろう。心晴さんの態度がいつもと違うというのは分かるんだけど、具体的に何が違うのかは全く分からない。多分、何か私に言いづらいことがあるんだと思うんだけれど……。
「どうかしたんですか、心晴さん? 遠慮せずに言ってくださいよ」
「え、えっと、その……」
私が尋ねても、心晴さんはもじもじとするばかりで何も言おうとしない。とりあえず座りましょうかと床に座らせてもなお、彼女は口をつぐんだままだ。
「…………」「…………」
ああダメだ、会話が止まってしまった。こうなったら持久戦だ、心晴さんが何か言う気になるまでこちらも待つとしよう。
とりあえず漫画でも読んで時間を潰そうかな。たしかまだ読み切ってないのがどこかにあったはずだけど……。本棚から漫画を物色して、三冊ほど引き抜いた。
一冊目はあっという間に読み終わってしまった。次の本を手に取ろうとして心晴さんの方を見るが、彼女はまだ何も言おうとしない。まだまだ時間がかかりそうだなあ。
そうして二冊目の漫画も読み終わってしまい、次の本を手に取ろうかと思った瞬間。今まで黙り込んでいた心晴さんが、ようやくその固く閉ざしていた口を開いた。
「えっと、歩夢……」
「心晴さん! どうしましたか?」
私に見つめられると、彼女はまたびくっと身体を震えさせた。緊張しているのが私にも手に取るように分かったが、彼女は深呼吸をひとつすると、ぽつりぽつりと話し始めるのだった。
「……その、最近、よく依織と一緒にいるよね」
「依織さん……? そうですね、歌のレコーディングとかしてますし……」
依織さん曰くあと一曲は収録したいらしいから、明後日あたりにまた依織さんのところへ行く予定だ。言われてみれば、確かに最近は依織さんといることの方が多くなっている。
そんな旨のことを答えると、心晴さんは何も言わずに私の側にもたれかかってきた。べったりとくっつく様子に、まだ何かありそうな気配を感じる。
「どうしたんですか、心晴さん……?」
「…………」
問いかけてみても、彼女はまたえっと、とかあの、と言うばかりで肝心の言葉が出てこない。きっとここから先のことを言うのは、彼女にとって先ほどより勇気がいることなのだろう。
そしてしばらく待った後、彼女はぽつりと呟いた。
「……歩夢……最近、わたしのこと……構ってくれない……」
「……あ……」
気がついたときには、心晴さんの目には大粒の涙が浮かんでいた。それが今にも零れ落ちそうなくらい、彼女は震えていた。
「寂しいんだよ、わたし……!」
心晴さんは嫉妬してるんだ。……いや、嫉妬というより、捨てられることに恐怖心を覚えているような、そんな怯えた目をしていた。
迫ってきた突然の事態に、私の思考回路は一瞬フリーズしてしまった。言葉がうまく出てこないけれど、どうにかして心晴さんを慰めてあげないと。でないと大変なことになってしまいそうなのは、今の私にも分かる。
「心晴さん……」
変わらず心晴さんは雨に濡れた捨て犬のような目で私を見据えている。
どうする、私……。どうしたら心晴さんを慰められる……? 考えろ、考えるんだ私。もはや時間はそんなに残っていない。
そして、ない頭を振り絞って、振り絞って、極限まで絞りきって――私はようやくひとつの答えを見いだしたのだった。
「ごめんなさい、心晴さんっ……!」
「えっ……!?」
意を決すると、私は心晴さんの身体を思い切り抱きしめた。腕の中で心晴さんが困惑した声を上げるのが聞こえる。それでも、私は彼女を離そうとはしなかった。
「……今の私には、こんなことくらいしかできません。ごめんなさい」
「…………」
彼女は何も言おうとはしない。きっと返す言葉を考えているんだろう。私はそれを、ただじっと待つばかりだ。
そうしてしばらく時間が経った後、ようやく心晴さんの方からも身体を預けてくれたのだった。
「……わたしこそ……わがまま言って、ごめん……。歩夢、忙しいのに……」
彼女の声が震えているのが分かる。どうにか落ち着かせようと、彼女の背中を撫でさする。
「気にしてないですよ。……ほら、いい子いい子……」
「ん……歩夢……」
甘えるような声を出して、心晴さんは身体を密着させる。どうやらもう大丈夫みたいだ。
それからしばらくして、心晴さんを足の上に乗せて、互いに向き合った状態で見つめ合う。少し照れくさいけれど、こうしていると何だかすぐ近くに心晴さんを感じられて嬉しくなる。
「……それで、今日はどうしたんですか?」
しゅんとした表情を見せる心晴さんの髪を梳きながら、事の子細を尋ねる。一瞬彼女はためらった様子を見せたが、私の顔を見てすぐに観念したような顔をすると、ぽつりと語り始めた。
「……歩夢が、わたしのこと、興味なくなっちゃったのかなって、思って……。そしたら、何だかいても立ってもいられなくなって……」
それでつい私の部屋に押しかけてきた、というわけなのか。そう思うと、どことなくいじらしく感じる。
「……ごめんね」
「ううん、いいんですよ。私も悪かったです、最近忙しかったですから……」
そう言うと、もう一度彼女を抱きしめた。彼女は何も言わなかったが、今度は迷わず身体を預けてくれた。ほんのりとした温かさが、良い香りとともに伝わってくる。
「ありがと……大好きだよ、歩夢」
「私も大好きですよ」
彼女がより一層もたれかかってくるのに合わせて、私も彼女の背中を撫でてあげる。ようやくいつも通りの、私に遠慮なく甘えてくれる心晴さんに戻ったかな。
とはいえ、心晴さんのやきもちを焼いちゃうようなところも私は大好きだ。つまるところ、私は心晴さんの良いところも悪いところも、全てが大好きなのだ。
* * *
「歩夢ー、さっきの曲についてなんだけどさ」
「しーっ……」
それからしばらくして、依織さんが私の部屋を訪ねてきた。派手な音を立てて入ってくる彼女に、私は思わず人差し指を立てて制止する。
私の隣では、心晴さんが静かな寝息を立てて寝ていたのだった。
「おっと失礼……お取り込み中だったか?」
「何ですかその言い方……ほらっ」
「お、呑気な顔して寝てんな……」
依織さんが怪訝な顔をする。たしかに呑気そうな顔だけど、そこまで言わなくたって……。
「それで、どうしたんだよそれ? えらくべったりだけど……」
「心晴さんは寂しがり屋さんなんですよ」
「……?」
首をかしげる依織さんに、事の顛末を語って聞かせる。心晴さんが部屋を訪ねてきたこと、一緒に過ごしたこと、やきもちを焼いていたこと。後で本人に知れたらめちゃくちゃ怒られそうだけど……。
「――というわけなんです」
「そっか……そりゃあ、心晴には悪いことしちまったな」
事情を聞くと、依織さんは申し訳なさそうな顔をした。私も最近はあまり心晴さんのことを考えられていなかったから、これからはちゃんと気をつけないと。
「にしても、ほんとに幸せそうな寝顔だな……」
「ふふ、無邪気ですよね」
「悩みがないとも言うな」
二人がかりで心晴さんの寝顔を拝む。なんか和むなあ。そんな顔を見ているうちに、ふと妙案を閃いた。
「そうだ、今度みんなでいっぱい心晴さんのこと構ってあげましょうよ」
「なんだそりゃ……」
「今日のお詫びもかねて、心晴さんにいっぱい優しくしたら喜んでくれると思うんです」
うーん、我ながら名案。依織さんが変な顔をしていたような気がしたけど気にしない。
「……ま、それもいいかもな。なんか考えるか」
「いいですねっ! せっかくなら櫻さんとかすずちゃんも誘いましょうっ」
いつの間にか依織さんも笑っていて、何だか少し楽しくなってきた。どんなサプライズをしようかな、心晴さんはどんな顔するかな……。考えれば考えるほど想像は膨らんで、楽しい気持ちは留まることを知らない。
そんな私たちの企みなどつゆ知らず、心晴さんは幸せそうに夢を見るのだった。
一生イチャイチャしてそうですねこのふたり。
そういえば前話時点で20万字を超えたようです。とはいえまだまだ続くのでどうかお付き合いください。