□Episode 46: 思い出のペンダント
今日ははるかぜ荘のメンバー全員で、各自の部屋の掃除をする日だ。やれタンスだ、やれゴミ袋だといつにも増して賑やかな様相を呈している。
あたしはというと、早くも掃除が終わろうとしているところだった。なぜなら、あたしの部屋はパソコンと本棚とクローゼットぐらいしかめぼしいもののない、シンプルな部屋だから。掃除も楽で実にいい。逆に心晴なんかは今頃てんやわんやだろうな。
「よし、これで全部だな」
ゴミ袋の口を縛り、息をつく。これで掃除終了、といったところか。少し休憩でもしようかな。
「どっこい、しょっと……」
椅子にもたれかかり、ぐうっと伸びをする。部屋が綺麗になると心もすっきりするな。
さて、これからどうしようか。歩夢の手伝いにでも行ってやろうかとぼんやり考えていると、ドアを軽くノックする音が聞こえてきた。応じると、ドアが開いてすずが姿を見せた。
「わあ、だいぶ綺麗になったねえ」
「すず。掃除終わったのか?」
「うんっ」
掃除を終わらせて暇になったので遊びに来たらしい。あたしと一緒だな。
すずは整理整頓されたばかりのあたしの部屋を見て回っている。いろいろ物を動かされると困るんだが……まあいいか、放っておこう。
そんな調子ですずを見守っていると、彼女は本棚の隅にあった箱を漁りはじめた。そして、不意にあたしの目の前にペンダントを差し出したのだった。
「ねえねえっ、これ何?」
「えっと……これ、は……?」
何だったっけ、これ。眼前で揺れる赤い輝きが、あたしの眠っていた記憶を次第に呼び覚ましていく。
「ああ、思い出したぞ。それそんな所にあったのか。てっきりなくしちまったかと思ったよ」
それはあたしの過去にまつわる、赤い石のペンダント。ここに来たときに箱に仕舞ったっきり、もう長いこと開けていなかったんだった。今回の掃除でも本棚の中身をいじったわけじゃなかったからな……。
「えっ、依織のなのこれ!?」
存在を忘れかけていたそれを手に取ると、すずは心底驚いたといった表情をした。
「な、なんか意外かも……」
「……んだよ。悪いかよ、あたしがこんなの持ってちゃ」
まあ、あたしはアクセサリーなんてガラじゃないから、すずの気持ちも分かるんだが。そこまで驚かれると、何というか逆に腹が立ってくるな。
「そんなことは言ってないけど……依織もこういうのに興味あるんだ、って思ってさ」
「興味ねぇ……」
実のところ、別にアクセサリーに興味があるわけじゃない。では、なぜあたしがこんなものを持っているかというと――。
「懐かしい……って言ってたし、何かあるんでしょ。聞かせてほしいな」
「ったく……」
ペンダントを眺めていたら、不意にあの日のことを思い出した。仕方ない、暇つぶしがてら少し語ってやるか。
「これはな、高校時代の形見なんだよ」
「形見?」
すずが首をかしげる。
それは、まだあたしが地元にいた頃の話だ。
「あたしには友達がいなくってさ。毎日喧嘩してたから、当たり前っちゃ当たり前だけどさ」
「へえ……意外だなぁ」
あたしと仲良くしようだなんて、相当な物好きか変人だろうと思っていた。
「……でも、あいつはちょっと違ってたんだよ」
今から九年前。あたしが高校二年生だった頃。その日も喧嘩をし、傷を負いながら帰り道を歩いていた。その最中、「あいつ」と鉢合わせる。
「あっ、依織ちゃん! 探したんだよ?」
「……別に頼んだつもりはないけど」
当時のあたしは喧嘩っ早くて、「狂犬」なんてあだ名が付いたりしていた。当然あたしがどんな奴か知らないわけがないのに、彼女はそれでもなおあたしに関わろうとしていたのだった。
「また喧嘩してたの?」
「……あたしのギターをバカにしたから」
「命がいくつあっても足りないねぇ」
あいつはとことん変な奴だった。もはや親とさえまともに口を利いていなかったあたしに、彼女は積極的に話しかけてきた。
……だけどあいつは、あたしのギターを「好きだ」と言ってくれた、最初の人間だった。だからだろうか、あいつを邪険にすることはなぜだかできなかった。
そんな関係の日々が続き、あたしたちも卒業を迎えることになる。卒業式が終わって余韻に浸るムードの中、あたしは彼女に呼び出されていた。
「……何の用だよ」
「えへへっ、じゃじゃーんっ」
彼女が取り出したのは、例の赤い石のペンダントだった。それと同じ物が、彼女のもう一方の手にも握られている。
「何だ、これ?」
「私が買ったんだ。ほら、お揃いだよ」
思わず溜め息が出た。変人は最後まで変人なのか、と。最初に出会ったあの時から、変わらずあたしにべったりくっついてきて。
「これを見たら、いつでも私を思い出せるように、ね?」
けれど、不思議と悪い気はしなかった。だからこそ、捨てられずに今もこうして手元に残っている。……このペンダントを見てそれを思い出すというのは、あいつの狙い通りって感じで少し腹が立つが。
――卒業してまもなく、あたしは家と地元を捨てることになる。だから、彼女が今どこで何をしているかをあたしが知る術はなかった。
「――ってわけだよ」
「へえ、依織にもそんな時代があったんだねぇ」
「あたしを何だと思ってるんだ」
あたしにだって高校時代があって、自分なりに青春して。一番だったとは言わないけれど、楽しい時間だったな。まあ、どれもこれも今となっては昔の話だ。心の奥には懐かしさのみが残るばかり。
「それで、その人とはどうなったの?」
興味津々、と言った様子ですずが問いかける。何だろうか、いたくあたしの昔話に食いついてくるな……。
「それ以来会ってないよ。今頃どうしてんのか、あたしにも分かんねえ」
「なぁーんだ、そっか……」
それを聞くと、彼女はがっくりと肩を落とした。しかし、気を取り直してといった風に体勢を戻し、またあたしに問いかけてきた。変な奴だ。
「それで、その人はどんな人だったの? もっと詳しく教えてよ」
「どんな人……って言われるとなぁ」
とことん変な奴って印象しかないが。感情が顔に出やすくて、いちいち声も手振りも大きくて、おまけに結構自分勝手なところもあって。けれどその奥には、あたしにも感じられるくらいの大きな優しさがある。あいつの行動はすべて、優しさ故だったのだと今なら分かる。
「そうだなぁ……」
そんな彼女の姿は、いつの間にか目の前の誰かさんと重なって見えていた。
「すずによく似た、やかましい奴だったよ」
「それ、遠回しにすずの悪口言ってるでしょ!?」
些細な一言に腹を立ててぷうっと頬を膨らませるすず。そういうところも、あいつとそっくりなのだった。その様子がおかしくて、つい吹き出してしまう。
「ふふ、そんなに怒らなくてもいいだろ……ははっ」
「もーっ、こっちは本気なんだからね!」
へそを曲げるすずだったが、やがてあたしにつられるようにして吹き出す。
「ふふっ、あははっ、もう、依織ってば……」
一度笑い出すと止まらないもので、しばらく顔を見合わせて笑い続けるのだった。そういえば、あいつとはこんなことはしてなかったっけか。
「あははっ……ふふ、ふう……」
「いやー、つい笑いすぎた……」
なんとか平静を取り戻したあたしの顔を、これまた素に戻ったすずがじっと見つめる。何だろうか、あたしの顔に何か付いているのか?
「どうした、すず? そんなに人の顔じっと見つめて……」
「依織ってさ、その人のことが好きだったの?」
「はっ?」
彼女の口から放たれたあまりにも唐突すぎる言葉に、あたしは二の句を継げなくなってしまう。どうしてそう思ったのかすずに問いかけると、彼女はにっこりと笑い、あっけらかんと答えてみせた。
「だって、その人の話をしてる時の依織、すっごく楽しそうな顔をしてたから」
「…………」
あたし、そんな顔してたのか。確かに高校時代のあの日々は、何物にも代えがたい、二度とは戻れない日々だった。そんな時間をともに過ごしたあいつのことを「好き」か……。もしかすると、ある意味間違ってはいないのかもしれない。
彼女からペンダントを渡されたあの時、胸に芽生えたあの気持ちは何だったのか。今となってはもう知る由もないが、「好き」だったのかもしれないな。
「……さあな。自分で考えてみたらどうだ?」
「あー、逃げた! ずるいよ依織!」
「逃げてねえよ!?」
とはいえ、今更こんな話をしていたってしょうがない。もう八年も昔のことだ。それに、この感情に名前をつけるのも無粋という話だ。
だからこのペンダントは、あの日々の記憶と一緒に箱にしまっておこう。
「……せっかく見つけたのに、またしまっちゃうんだね」
「あいつには悪いけど、今のあたしには必要ないからな」
あたしが生きるべきは過去ではない。櫻やすず、守るべき者がいる今日この日だ。少し名残惜しい気もするが、これでいい。
「とか言いつつ、今度は机の上に置いとくんだね」
「…………」
何だ、思い出の物をなくしてしまうのはあいつにとっても失礼なことだから、しっかり目に見える場所で管理しておかないと……。
「……やっぱり、まだその人のこと好きなんじゃ」
「うるせーな! ほらっ、心晴の片付け手伝いに行くぞ、ほらっ!」
「あからさまに照れ隠しだなぁ……」
そんな会話を繰り返しつつ、はるかぜ荘の片付けは続いていく。
それにしても、久しぶりに昔を思い出してしまった。あまり過去のことは振り返らないようにしようと決めてたんだけどな。
……あいつ、今は何をしてるんだろうか。やっぱり自分の決めた道をひた走ってるんだろうか。
……あたしも頑張らないとな。それが、あたしのギターを好きだと言ってくれた彼女への、精一杯の恩返しだから。
依織、すずのことを例の思い出の女の子と重ね合わせてる節があると思います。