△Episode 45: 告白と誓いと
いつも平和なはるかぜ荘だが、今日は普段に比べると静寂に包まれている。それもそのはず、今日は依織やすずや櫻が家にいないのだ。なんでも、ちょっと遠くへ出かけてくるとか何とか。夜までには戻ってくるらしいけど、それまではここにはわたしと歩夢の二人っきりだ。
いつもなら常に賑やかな笑い声が聞こえてくるリビングも、今日に限ってはがらんとしている。普段人がいるせいか、心なしか広く感じてしまうな。
さて、今の時刻は十二時半。わたしもそろそろお腹が減ってくる頃だ。今日は都合の良い料理係もいないことだし、たまには自分で作らないと、かな。
そんなわけで、わたしは台所の冷蔵庫を物色していた。
「材料、材料……っと」
野菜室を開けてみると、中はすっからかんになってしまっていた。単独で料理に使えそうなものは何ひとつない。おまけに調味料もほとんど足りないことに気が付いた。
「こういう時に限ってカップラーメンもないし……困ったな……」
誰かが買いに行ってくれたら……と思ったが、歩夢以外は誰もいない。その歩夢に任せるのは……わたしの良心が許さない。歩夢ひとりに任せるくらいなら、むしろわたしが着いていくべきだ。
やだなあ、外出たくないなあ。そう思って溜め息を吐くと、不意に腹の鳴る音がした。
「はあ……しょうがないか」
多分、昼食抜きは無理そうかな。結局外に出なきゃダメか……。まあいいや、歩夢も誘っていこう。
そうと決まれば、早速歩夢の部屋へと足を向ける。扉をノックすると、すぐにドアノブが回った。
「どうしましたか、心晴さん?」
「えーっと、あのさ……良ければなんだけど、買い物に付き合ってほしいなって……」
わたしの言葉を聞いた歩夢は、きょとんとした面持ちでこちらを見つめる。やっぱりわがままだっただろうか。おそるおそる彼女と目を合わせると、彼女は不思議そうに言った。
「……どういう風の吹き回しですか……?」
「ひどいなぁ!?」
いくらわたしが引きこもりだからって、外に出るのをそんなクララが立ったみたいな扱いにしなくたって。
「ひどいよ、まったく……」
「あはは、ごめんなさい……。えっと、それで、何を買うんですか?」
「えっとね、実は――」
事情を説明すると、彼女はお安い御用とばかりににっこり笑った。
「なるほどなるほど。それじゃ、他のもいろいろ買っちゃいましょう!」
「あ、ありがとうっ……!」
うぅ、やっぱり歩夢は優しいなあ。優しさが身に沁みていくようだ。
そんな彼女の好意に感謝しつつ、いざスーパーへと出発するのだった。
はるかぜ荘から十数分も歩けば、目的地であるスーパーの姿が見えてくる。足取りは軽く自動ドアをくぐり、中へと足を踏み入れた。
「買い物リスト、ちゃんと持ってますか?」
「うん、大丈夫。えーと、まずは人参……」
今日の昼食で作る予定だったものと、ついでにと歩夢が提案してきたもの。余すことなく全部書き記してある。ともかく、まずは野菜売り場だな。
カートを押して売り場までやってきたのはいいものの、わたしの目には違いがさっぱり分からない。テレビなんかでは「良い○○の見分け方!」なんてやってるけど、生憎そういう知識はないもので。
「……とりあえず、これでいっか」
「ダメですよっ!?」
売り場から適当に人参の袋を拾い上げると、いつになく慌てた様子の歩夢から制止が入った。
「よく見てください、こっちの方が安いですよ?」
「あー……まあ、確かに……」
細かいなあ。まあ、安いというのは大事なことだ。気を取り直して、次の食材を物色する。今度は白菜だ。今度は歩夢に止められぬよう、値札を見て決める。
「んー……じゃあ、これ」
「ダメですってば!?」
わたしの決定も虚しく、またも歩夢によって遮られてしまった。今度はちゃんと一番安いのを選んだはずだったんだけどなあ。
「心晴さんのは二分の一で二八九円ですけど、こっちは一玉で二九八円ですよ!」
「なるほど……」
確かにそうだ。同じ値段でもサイズが違えば価値が変わってくるのは当然の話だ。
それにしても、よく頭が回るなぁ。歩夢がこつこつ勉強してるのは知ってるけれど、ここまで素早いとは。対してわたしはゲームをする時くらいしか計算は使わないし、そもそもその計算だって大方は電卓を使えば済んでしまう。頭の良さで言えば歩夢には完敗だな。
「うぅ……買い物って、考えること多くて疲れる……」
「大丈夫ですよ。心晴さんのために、買い物の極意をばっちり教えてあげますから!」
「お……お手柔らかにお願いします……」
何だろう、買い物の極意って。夕方割引の必勝法とかだろうか。
そんなどうしようもないことを考えつつ、次の売り場に向かってカートを押していく。ふたりの買い物は、もう少しだけ続くのだった。
「よーっし、まずは買い物の極意その一! 『冷えた商品は右から取り出すべし』!」
……本当に大丈夫だろうか。ちょっと先行きが不安だ。
「……ふう、たくさん買い物しちゃいましたね」
「ちょっと休憩しよ……」
買い物を済ませ、ふたつになったレジ袋を持って休憩する。店内のベンチに腰掛けると、疲労感からか溜め息が出た。まだまだ外出するには体力が足りないみたいだ。
「量もさることながら、お金も結構かかりましたね……」
レシートを眺めながら歩夢も溜め息を吐く。そういえば歩夢、さっきからずっとお金の話してるよなあ。
「歩夢ってさ」「はい?」
気付いた時には言葉が出ていた。
「歩夢って、ケチなの?」
「へっ!?」
ショックを受けた歩夢の顔を見て、自分が何を口走ってしまったかを自覚した。
「ごっ、ごめんっ! 嫌味ってわけじゃなくて……その……」
慌てて取り繕って、事情を説明する。
わたしは今まで値段にこだわらなかったこと。そんなわたしから見ると、少しでも安い物を買おうとする歩夢の姿が不思議に映ったこと。
そんなことを伝えると、歩夢は困ったように笑った。
「あはは……たしかにそうかもしれませんね」
「……?」
その表情に陰りが見えて、ますますわたしの焦りが強くなる。どうしよう、何か言ってあげた方が良いのかな。仮にそうだったとしても、今のわたしには何も掛けてあげる言葉が見つからない。
軽くパニックになるわたしは気にもせず、歩夢は昔話でも語るかのような口ぶりで話し始めた。
「前の家は……昔から貧乏だったので。母親は口癖みたいに『安い物』って言ってたから。それが移っちゃったのかもしれないですね」
「あっ……ご、ごめんね……」
そこでようやく最大級の地雷を踏み抜いてしまったことに気が付いた。まさかよりにもよってルーツが彼女の生家の話だったとは。己のデリカシーのなさを恥じた。
「な、なんか、あんまり話したくないことだったよね……ほんとにごめん……」
彼女はしばらくキョトンとしていたが、わたしの言葉の意味に気が付いたのか、やがて噴き出したように笑った。
「ふふふっ、別にいいんですよ。今となってはもう昔の話ですから」
そう言うと同時に、歩夢はベンチから元気よく立ち上がる。
「よーし、そろそろ帰りましょっか! 行きましょう、心晴さん!」
「う、うんっ……」
その振る舞いは、どこかわざとらしささえ感じて。彼女が何を考えているのかを、わたしに読み取ることはできなかった。
「ふう、ただいま……」
帰路を急ぎ、無事にはるかぜ荘に帰還する。さて、早速料理再開だ。少しの休憩を挟み台所へ戻ろうとする最中、歩夢がリビングでぼんやりしているのを見かけた。そのせいか、さっき歩夢が語ってくれたことが脳裏に蘇る。
昔の歩夢ってどんな感じだったんだろう。はるかぜ荘に逃げてくるくらいだから、きっと前の家もあんまり良い状況ではなかったんだろうな。
はるかぜ荘の住人は、基本的に問われない限り自分の過去を語ることは少ない。もちろんそれは歩夢もそうだし、わたしだってそうだ。
だけどそれにしたって、わたしは歩夢のことを何にも知らないんだな。
「…………っ」
歩夢はわたしにとって、初めて心から信頼しても良いって思った親友であり、大好きなかけがえのない存在だ。それなのに、わたしは歩夢を知らない。結局のところ上辺を撫でていただけに過ぎない。
それでいいのか、わたしは――。
「あっ、あのさ……!」
気が付いた時には、身体は台所を飛び出して歩夢の元へ、口は意図せぬまま勝手に動いていた。
「歩夢さ、お昼ご飯……もう食べた……?」
「えっ? えっと、まだですけど……」
わたしの勢いはまだ止むことを知らない。何だろう、これ。暴走してしまっている感じなのに、むしろ思考はクリアだ。今わたしがやるべきことに向けて、まっすぐな白い線が引かれているように感じる。
「じゃ、じゃあさっ、わたしにお昼ご飯、作らせてよ……!」
「へっ……?」
興奮冷めやらぬままに、言いたかった言葉を全部吐き出してしまう。
今のわたしの胸の中は「歩夢のために何かしてあげたい」という気持ちでいっぱいだった。そうすれば、少しでも歩夢の本質に近づけると思って。
もちろん、これがわたしの一方的なエゴかもしれないことは分かっている。けれど、それがどうしたと言わんばかりにわたしの気持ちは逸っていた。その衝動が、間髪入れずに次の言葉を生み出す。
「というか、これからずっと、歩夢のためにご飯を作りたい……!」
「えっ……えぇぇっ!?」
今度こそ全部言い切った。……と思ったのだが、正気に戻ってから自分が何を言ったのかを認識してしまう。何言ってるんだ、わたしは……。
何も言えずに目を逸らしたが、当の歩夢は嬉しそうに笑っていた。
「ふふっ……えへへ。嬉しいです」
「そ、そうかな……なら、いいんだけど……っ!?」
その瞬間、全身を温かい感触が包んだ。視界が真っ暗になる中、彼女に抱きしめられているのだと理解する。
「……何だか、心晴さんがそう言ってくれて、すっごく嬉しくなっちゃって」
「……ううん。今の私にできることなんて、これくらいだから」
いつか、もっといろいろなことができるようになって、歩夢の役に立てるように。頑張らなきゃ、もっと。
歩夢の背中を抱きしめ返し、そう誓うのだった。
多分未来では心晴が歩夢に毎日おいしい味噌汁を飲ませてくれるんでしょう(?)