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はるかぜ荘は今日もうららか  作者: 洛葉みかん
40/88

□Episode 40: 静かな夜を、共に

ギリギリセーフです(アウト)

すみませんまた遅刻です……

 いつも通りの作業中、傍目に見た時計はてっぺんを回っている。歩夢とすずはすっかり寝静まって、心晴もそろそろ寝る準備をする頃。何だかんだ言ってここの住人はみんな規則正しいから、十二時にもなれば皆眠くなるのだ。それはあたしも例外ではない。


「そろそろ寝るとすっかな……」


 眠くなると思考もだいぶ煮詰まってくる。これは明日に回した方が良さそうだな。頑張りすぎると身体に毒なのは、前に一度経験したからな。

 データを確実に保存して、パソコンをシャットダウンする。今日の仕事も無事終了だ。さて、水分補給でもしたら寝るか。

 お茶を求めてリビングに出ると、ソファに人影が座っているのが見えた。


「あれ、櫻?」

「あら依織ちゃん。相変わらず遅いわね」


 櫻が振り向いて、こちらに視線を向ける。彼女がこんな時間まで起きているなんて珍しいな。


「お前もな。ってか、何してんだよ?」

「ちょっと調べ物してただけよ。すぐ寝るわ」


 たしかに、彼女は携帯を片手に佇んでいた。なるほど、なんて口にしつつ、彼女の隣に腰を下ろす。


「……寝ないの?」

「櫻を置いて寝られるかよ」

「……そう」


 あたしが答えると、櫻はぷい、と顔を逸らした。彼女がこうするのは、決まって照れている時だ。普段はしっかりしている櫻だが、こういうところを見ると可愛らしいな、なんて思う。

 まあ、そんな櫻をおちょくるためだけの理由以外にも、ちゃんと歴とした理由はあるのだが。


「それにさ、櫻と話す機会なんてなかなかないしさ」

「そういえば……たしかに」


 片や活動時間の半分くらいは作曲に費やすか、あるいはすずや心晴のお守りをしていたり、そうでなければイベントに出向いているあたし。片や平日の日中は仕事に出かけ、帰ってきてからも忙しなく家事に追われる櫻。二人の自由時間が噛み合うのは、せいぜいこんな夜中くらいのことだった。

 だから、こういう時くらい一緒にいたいのだ。仮にもはるかぜ荘の黎明期を過ごした仲なのだから。


「ふわ……っと」

「…………」


 欠伸が出そうになるのを悟られないように噛み殺し、適当に取り繕う。「眠いなら寝れば?」なんて、櫻に変に気を遣われても困るしな。

 その一方で、櫻は延々と携帯を触っている。何の調べ物をしているのかは分からないが、むやみに詮索することでもないだろう。そうしてあたしは言うべき言葉を失くし、ぼんやりとソファに佇むことになる。


 暇つぶしに何か考えるか。例えば……櫻について。櫻はあたしより六つ年上で、もうアラサーだ。いかにも大人、みたいなオーラを出してはいるけれど、背丈はあたしより低い上、割と童顔気味なのが特徴。あたしが姉で、櫻が妹に間違われたこともあったっけ。

 しかし何よりの特徴は、自分について何も語りたがらない、ということかもしれない。


「櫻ってさ、自分のこと語りたがらないよな」


 櫻について知っていることといえば、どこかの資産家の一人娘だったこと、両親が急逝してからは土地を引き継いで大家業をやっていること、ついでに副業でパートをやっていることくらい。それ以外のことは、長い付き合いのあたしでもほとんど知らない。彼女の個人情報は、最初に出会った時以来アップデートされていないままだ。


「どういうこと……?」

「……あたしにくらい、少しは教えてくれたっていいんじゃないかって、思ってさ」


 あたしがそう言うと、櫻はやや困ったように押し黙る。何か考えているのだろうが、それが何なのかをあたしが悟る術はない。しばし待っていると、彼女はおずおずと口を開いた。


「……私のことを知って、どうするの?」


 その表情と声色は、どこか自嘲を含んでいた。私のことを知ったって何にもならない、だから知るな、知らなくていい――そうとでも言いたげな態度だった。

 突き放すような口調に、あたしは今までで一番遠くに彼女の存在を感じた。


「いいや……別に、どうにもしないさ」


 けれどあたしは、そこではいそうですか、じゃあやめますなんて言うクチじゃない。それは櫻自身も分かっていることだろうに。


「知らないことは悪いことじゃないとは思うけどさ、知ろうとしないことは罪だと思うんだ」


 大切な人のことから目を逸らすこと。それは、きっとその人にとって何よりも失礼なことだと思う。

 櫻が秘している過去は、辛い生い立ちかもしれないし、あるいは人に言えないような暗黒面の歴史かもしれない。だとしても、今までもこれからも家族として過ごしていくのだから、櫻が何を抱えていようと、それを受け止める覚悟はできている。たとえそれが受け止めがたい事実だったとしても、ゆっくりと理解していくだけの時間は十分にあるはずだ。

 振り向いた櫻の目をじっと見据える。彼女もそれに対して目を見てくれるが、やはり何かを話そうとする気配はない。

 さすがにすぐ……というわけにはいかないか。人の心なんて、そう簡単に開けてたまるものか。


「……まあ、櫻が話したくないならそれでもいいさ。でも、あたしは……ずっと待ってるから」


 今すぐじゃなくてもいい。一年後でもいい。櫻が心の最奥に秘めているもの、その荷物を、二人で背負えたならば。それが、彼女に拾われた者としての最大の恩返しだと思った。その日に備えて、あたしは待つばかりだ。


 そうして、二人の会話はまた途切れる。黙り込んでいても不思議と居心地の悪さは感じない、そんな時間だ。そのままあたしが三回目の欠伸を噛み殺す頃、不意に何かがあたしの肩にぶつかるのを感じた。


「ん……?」


 そちらの方を振り向いて、ぶつかったのが櫻の頭であることにすぐ気が付いた。彼女の身体全体が、あたしにもたれかかるような姿勢になっていた。


「どうしたよ、櫻? 眠いのか?」

「…………」


 それに対して彼女は何も言わなかったが、その代わりと言わんばかりに腕に手を回してきた。これは甘えている……と言っても、良いのだろうか。


「依織ちゃんの腕……少し、落ち着く」


 うわごとのように呟く彼女は、安心しきった子どものような表情をしていた。

 櫻のこんな顔、今まで過ごしてきた中で見たことがない。もしかしたら、櫻なりにあたしの気持ちに応えようとしてくれているのかもしれない。

 そんな櫻の表情をぼんやり見つめていると、彼女はまた呟き始めた。


「依織ちゃんがね、私のこと知りたいって言ってくれて……本当は、嬉しかったんだよ」

「…………っ」


 嬉しさのあまり、思わず胸が締め付けられそうな気持ちになる。あたしの思いはちゃんと届いていた。拒絶されてはいなかった。そう思うだけでも嬉しいのに、加えて櫻のこの表情。あたしのことを信頼してくれているんだ。大事な家族として。それが何より嬉しかった。

 櫻の顔を見る度に愛おしさが増してきて、思わずその頭を撫でてやる。


「んん……えへへ……」


 髪に触れられた櫻が、蕩けた声を上げて、あどけないはにかみを見せる。

 その瞬間、あたしの中で何かが切れる音がした。今やあたしには、櫻が普段の一回りも二回りも小さく見える。いつもしっかり者の彼女が見せた無防備な姿は、あたしの心を奪ってしまうには十分すぎるものだったのだ。

 ダメだ、もう我慢が利きそうにない。本能のままに、されど胸の内を悟られぬように。なるべく平静を保った声で提案する。


「あのさ……どうせなら、今日は一緒に寝ないか?」

「……うん」


 彼女の返答は、あたしが思うよりずっと素直なものだった。


「……あったかいね」

「ああ……そうだな」


 あたしの部屋。あたしのために用意されたシングルベッドは、二人でくつろぐには少し手狭だ。だがそれが、逆に二人の身体を密着させる要因になっていた。今確かに、櫻の体温を直に感じている。

 向かい合って横たわった櫻は、なぜだかいつもよりずっと小さく感じた。まるで雨に濡れた仔犬のようだ。暖かい宿を求めて、小さく震えている。


「……依織ちゃん……?」


 あどけない目を向ける彼女に我慢が利かなくなって、思わずその体躯を抱きしめる。引き寄せられた弾みで、彼女はわっ、とか細い声を上げた。

 あたしより少し小さな身体、細い腕、柔らかな髪……。今はただ、彼女を構成する全てが愛おしかった。理性など、今すぐにでも投げ出せてしまいそうだ。


「もう、甘えんぼさんね」

「……仕方ないだろ」


 櫻が困ったような声色で呟き、あたしの背中に手を回す。首元の彼女の表情は分からなかったが、きっと微笑んでいるのだろうと思った。

 それからしばらく、お互いに黙ったまま過ごす。外からは何も聞こえない故に、お互いの息遣いが確かに聞こえてくる。心臓の音さえ聞こえてしまうんじゃないかと思ってしまう。二人を包む熱は、布団のものなのか、自分自身のものなのか。それはもうすっかり分からなくなってしまっていた。


「……あのね、依織ちゃん」


 そんな中、静寂を破って櫻が口を開く。震えた、しかしそれでいてはっきりとした口調で、彼女は言葉を紡いでいく。


「大好き、だよ」

「…………っ」


 その一言を聞くだけで、あたしの心が満たされていくのがよく分かった。「好き」なんて言葉、すずからも歩夢からもたくさん言われてきているのに、櫻のそれだけは何か別の意味を持っているように思えた。

 当たり前だ。あたしにとって櫻は、他にかけがえのない大切な存在なのだから。


「……あたしも、大好きだ。この世で誰より、一番――」


 もう一度、彼女の体躯を強く抱きしめる。櫻もそれに合わせるように、あたしの胸に顔を埋める。シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。


「なあ、櫻……」

「……どうしたの、依織ちゃん?」


 この先もずっと、櫻と一緒にいられたらいいな。いつか彼女の秘密を共に背負える日まで。


「……どんな時でも、あたしは櫻の側にいるからな」


 にこりと笑う櫻。そして彼女は、あたしの頬に小さく口づけをしたのだった。


「うん。……私も、依織ちゃんの側にいるよ。ずっと、ずーっと……」


 あたしたちの夜は、もう少しだけ続く。

エッチなことしたんですね?(ヨシヒコ)

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