◎Episode 4: みんなの役に立ちたくて
午前八時。朝の陽気に包まれるはるかぜ荘に、炒め物をする油の音が響く。野菜とお肉を程よく炒めて、塩コショウで味付けをして。ただひたすら、無心になって菜箸を動かす。作り終えて大皿に盛ったところで、ご飯の炊ける音が聞こえてきた。
「――よし、っと」
今日は櫻さんが仕事で朝早くに出かけてしまったから、私――歩夢が朝食の当番だ。料理を覚えたのははるかぜ荘に来てからだから、まだ簡単な料理しかできないけれど、こうして皆の役に立てるのは嬉しい。
ご飯をよそい、静かな朝食の時間が始まる。
「いただきますっ」
お箸で野菜炒めをつまんで、それを口の中に収める。うん、ちゃんとできてる。我ながらいい出来だ。ただ、ちょっと塩気を効かせすぎたかな? でも、ご飯が進むからこれはこれでありかも。
次々と食べていると、あっという間にご飯がなくなってしまった。
「ごちそうさまでした!」
空になったお茶碗を流しに持って行く。余った野菜炒めは心晴さんと依織さんのためにラップを掛けて取っておこう。それと書き置きも――チンして食べてください、歩夢、と。これでOKだ。
大きな伸びと共に、口から欠伸が漏れ出た。ぐーっと腕を伸ばして、糸が切れたようにぱっと降ろす。さてと、今日も頑張ろう!
玄関から外に出て、さっそく花壇へ向かう。私の一日は、今日もお花の世話から始まる。これが私の日課になっていた。お花は喋らないから気が楽だ。いつも賑やかなはるかぜ荘で、唯一静かな私の時間。それがこの世話をしている間だった。
「ふんふん、ふーん……♪」
いつも通り鼻歌なんか歌いながら、プランターの花々に水をやる。茶色い土が黒に染まっていく様子を見ていると、とても心が落ち着く。
それから、同じようにプランターに植わっている野菜にも水をやる。節約のために始めた自家栽培だったけれど、順調に育ってくれているみたいだ。早く成長して食べるのが楽しみだなぁ。
時間が経つのも忘れて、いくつもあるプランターに水をやり続ける。
「よーし、プランター終わり!」
あっという間にプランターの水やりが終わってしまった。残すところは庭の大きな花壇のみ。いつもよりハイペースだし、ちょっと集中しすぎたかな。
全身を伸ばして、少し休憩する。そんな私の元に、さくさくと土を踏み鳴らす音が近づいてきた。やって来たその影に、私は表情を輝かせる。
「おはよう、歩夢」
「あっ、依織さん! おはようございますっ!」
椿山依織さん。音楽が好きで、作曲で仕事をしているすごい人だ。好きなことで仕事ができるって、すごくかっこいいと思う。それだけでもすごいのに、料理洗濯もお手の物で、貶すところなんてこれっぽっちもない。櫻さんと同じくらい尊敬する人だ。
「朝ご飯おいしかったよ。ごちそうさま」
「ほんとですか!? えへへ、ありがとうございます!」
そんな尊敬する人に褒められたら、否が応でも嬉しくなってしまう。朝から嬉しくて気分が良くなった。
そういえば、依織さんがこんな早くから外に出てるなんて珍しいな。何かあったんだろうか?
「今日は作曲のお仕事しないんですか?」
「ちょっと行き詰まっててね。気分転換ってわけさ」
なるほど。彼女は私の隣に腰を下ろして、ぼんやりと花を眺めている。依織さんも花を見ていると落ち着くのかな?
そんなことを考えながら、しばらく穏やかな時間が流れる。時々髪を揺らすそよ風が気持ち良くて、思わずまた欠伸が漏れてしまう。
「歩夢はまだ眠そうだな」
「べ、別にそんなこと……ふわぁ……あっ」
否定したかったのに、意思に反してまた欠伸が出た。どうして私の身体は言うことを聞いてくれないのか。真赤になった私を見て、依織さんは面白そうに噴き出した。
「ぷっ……ははは、いつもお疲れ」
「もう、からかわないでくださいっ!」
さっさと作業の続きを始めよう。付き合ってたらもっと恥ずかしくなっちゃいそうだ。依織さんをスルーして、その場から逃げるように作業を続けるのだった。
しばらく依織さんは花壇を眺めていたけれど、急に何かを思いついたように立ち上がった。
「そうだ歩夢、あたしに何か手伝えることない?」
「えっ? 依織さんがですか?」
唐突な提案に面食らう。もちろん手伝ってくれるのはありがたいけれど、依織さんの仕事を邪魔してしまったら本末転倒だ。
「いい……んですか?」
おそるおそる尋ねると、彼女はきょとんと何かを考えるように固まってから、栓が開いたみたいに笑い出した。
「あははは、いいんだよ別に! あたしがやりたいと思ってやってるんだから」
「そうですか? えへへ……ありがとうございます」
やっぱり依織さんは頼りになる人だ。ありがたいなあ。
「それじゃ、倉庫から液肥を取ってきてもらっていいですか?」
「液肥ね。了解」
依織さんが倉庫へ向かっている間に、私は液肥を薄めるための水を汲んでくる。持ってきてくれた液肥を水で薄めて、草花たちの根元に撒いてあげる。花壇が大きいから、手分けして作業を進めていく。これですくすく育ってくれるはずだ。
「なんかいいな、こういう作業」
「依織さんにもガーデニングの良さが分かりますか?」
「ああ。こうして花の相手してると無心になれるしな」
まさにその通り、私の思っていることと全く一緒だ。依織さんの口からそんな言葉が聞けるなんて。もしかしたら、依織さんとはガーデニングの良さを共有できるかもしれない。
「依織さんとはいいお酒が飲めそうですね」
「いや未成年だろ! ……ってな、ははは」
そんな冗談を言い合いながら、今度は花壇に水をやるためにじょうろに水を汲む。この前の櫻さんの時と同じくふたつ用意して、と。
「はい、どうぞ」「ありがとね」
これまた手分けして水やりしていく。ひとりでは時間のかかる作業も、ふたりでやるならスムーズだ。
「水はどれくらいあげたらいい?」
「ひたひたにならない程度でお願いします!」
単なる気のせいか、何だか意思疎通も上手く行っている気がする。今までで一番楽しくて、今までで一番充実した水やりかもしれない。依織さんといれば、他愛のないような雑談にも花が咲く。
「そういえば歩夢、最近は料理も頑張ってるんだな」
そんな彼女が、不意に質問を投げかけてきた。
「はいっ。まだまだ、ですけどね……」
「そんなことないっての。今日の朝ご飯だって本当に美味しかったし、歩夢ならあたしより上手くなれるんじゃないか?」
「い、言いすぎですよ……」
後光でも差したかのような笑顔に、不意に顔が赤くなってしまった。依織さんはちょっとかっこいいから、急に笑顔を向けられるとちょっとドキッとしてしまう。
「言いすぎじゃないのにな。謙遜するなって、よしよし」
依織さんが私の頭を撫でたので、思わず私も目を細めてそれに甘んじる。依織さんの手、細くて温かくて気持ちいい。いつまでもこうされていたいな……。
……はっ、いけないいけない。思わずぼんやりしてしまった。
「ん、どうした歩夢?」
「うぅ、あんまり子ども扱いしないでください……」
私だって十四歳なのだ、身の回りのことくらい自分でできるようにならなきゃ。もちろん料理だってそのひとつだ。櫻さんやみんなの役に立ちたいから頑張っているだけ、多分。
……でも、ちょっとやる気が湧いてきた。頑張って水やりを終わらせてしまおう。
「よし……っと、これで終わりか?」
「はいっ! ありがとうございますっ!」
作業のテンポは目に見えて上がり、程なくして全ての株に水をやり終えた。うーん、気分がいい。爽やかな解放感が身体を包む。頑張ると気持ちいいなぁ。
「いやぁ、ちょうどいい気分転換になったよ」
依織さんもすっきりした表情で、すごく気持ちよさそうだ。依織さんとお花のお世話ができて楽しかったな。
さてそろそろ解散か、というところで、彼女は花壇の前にしゃがみ込んだ。つられて私もその隣に座る。
「もうちょっとだけここにいてもいい?」
「いいですよ。私もちょっとゆっくりします」
作業をする前みたいに、ふたり並んでゆっくりとした時間を過ごす。心地よいとも思える疲れをまとった身体に、平穏な風がゆっくりと染み渡っていく。
そんな最中、不意に依織さんが口を開いた。
「歩夢ってさ、毎日花の世話してるんだよな?」
「はい、そうですけど……」
お花は毎日水をあげないと調子が悪くなっちゃうから、毎日面倒を見続けるのは基本中の基本。日々積み重ねた努力が綺麗な花に変わる、というわけだ。
「んー……花、好きなの?」
唐突に振られた彼女の問いに目を丸くする。何というか、あまりにも率直というか、素直すぎるというか。今さら聞くまでもないような、そんなことを聞かれて一瞬思考がこんがらがった。
「……はいっ。すっごく、好きです!」
ここに来てから、好きなことがたくさん増えた。料理とか、洗濯とか、いろんな勉強とか。でもやっぱり、一番大好きなのはガーデニングだ。お花のことを考えてる時は、時間が経つのだって忘れてしまえるくらいだ。
私の答えを聞くと、依織さんはなぜか嬉しそうに笑った。
「そっか。好きなことに打ち込めるって、いいよね」
「依織さんも音楽でお仕事してて、すごいですっ!」
私も将来は好きなことを仕事にできるといいなぁ。私はお花が好きだから……ガーデニングショップとかかな。想像したら、すごく楽しみになってきた。
「そっか。ありがとね」
「えっ? ……どうしたんですか?」
何か考えるような、そんな含みのある声色で呟いた彼女に思わず反応してしまった。依織さんがそんな声を出すなんてあまりないから、何かまずいことでも言ってしまったかと不安になる。
「いやあ、あたしってニートだと思われてたみたいでさ……。ちゃんと分かってくれてる人がいて安心したよ」
「えええっ!?」
依織さんがニートだなんて、口が裂けても言えない。依織さんと櫻さんが仕事してくれてるから、私たちは生活できていると言っても過言じゃないのに。
「依織さんは立派な大人ですっ、ニートなんかじゃありません!」
「あはは、ありがとう。そう言ってくれると励みになるよ」
そう言って立ち上がる依織さん。手を組んで大きく背筋を伸ばすと、そこにはもういつもの笑顔が戻っていた。
「ごめんね、無駄話に付き合わせちゃって。あたしはそろそろ行くよ」
「私こそお話できて楽しかったですよ!」
何だか私もちょっと気分転換になったかもしれない。人と話すと気分が良くなるっていうのは本当なのかな。
「さて、と。次の曲は歩夢をモチーフにするのもいいかもなぁ」
「そ、そんな、恥ずかしいです……」
私なんかが曲の題材になるなんてそんなまさか、絶対ありえない。こんなちっぽけな私じゃ、いい曲なんて書けそうにもないと思うのに。
いや、ちょっとだけ聴いてみたい気もするけれど。うーん、感情が揺れ動く……。
「……完成したら、聴いてもいいですか?」
それでもやっぱり気になってしまうのは、人間の性というやつなのかな。
「はは、こりゃあしっかりいい曲作らなきゃな」
「あ、あんまり言いふらさないでくださいね、恥ずかしいですから……」
「じゃあ、ふたりだけの秘密な!」
依織さんが小指を差し出すので、それに合わせて私も小指を絡ませる。
「指切りげんまん、っと。んじゃな」
「お仕事頑張ってくださいね!」
彼女は角を曲がり、はるかぜ荘の陰へと消えていくのだった。
「……ふう。私も頑張らなきゃ!」
早く櫻さんや依織さんに追いつきたいな。それで、将来はガーデニングショップとか開いたりして、お金を稼げるようになって……。今はただの夢だ。でも、絶対に実現させたい。
だから、もっといろんなことを学んでもっとみんなの役に立てるようになろう。それが、私を受け入れてくれたはるかぜ荘の人たちへの、せめてもの恩返しだ。
「よし、まずはお昼ご飯から……かな?」
そんなことを考えながら、私も屋内へと戻るのだった。
……そういえば、依織さんをニートって言ったのは誰なんだろう。すずちゃんはありえないだろうし、櫻さんもそんなこと言わないと思うし……。だとしたら心晴さんか。後で文句言っておこうかな……。
いろんな考えを乗せて、はるかぜ荘の一日はまだまだ続く。
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