△Episode 36: 気まぐれと、ゲームと
世は四月を迎え、外は穏やかな陽気に包まれている。春とは、これからやってくる命の芽吹きに人々が心躍らせる季節だ。無論それははるかぜ荘も例外ではなく、歩夢なんかは春の訪れを喜んでいる。
……だが、だ。今が何月であるかなど、ましてや春がやってきたことなど、このわたし――梅宮心晴には一切関係のない話だ。なぜなら、ゲームに季節など関係ないから。雨が降ろうと雪が降ろうとゲームはできるのだ。ゆえに最強。
というわけで、今日もゲームをやっていこう。ゲーム機の電源を入れ、思いついたゲームを起動する。
「――よし、よしっと、ふぅ……」
数十分後。ボスを倒し、切りの良いところで一息つく。少し休憩でもしようかな。大きな欠伸を噛み殺し、割り箸でポテトチップスを摘まんで食べる。
ぼんやりしていると、また欠伸が出た。ゲームは楽しいけれど、ひとりでやるのは退屈だ。できるゲームも限られてるし。こんな時に歩夢がいてくれたら楽しいのになぁ。
そんなことを思った矢先、扉を叩く音が聞こえた。噂をすれば歩夢だろうか。立ち上がって扉を開けに行く。
「はーい……」
「あ、心晴ちゃん。いたいた」
しかし、姿を確認する前に放たれた声で背筋に悪寒を覚える。
「げっ、櫻……」
そこに立っていたのは歩夢ではなく、よりにもよって櫻の姿だった。これは嫌な予感がする。早急にドアを閉めてご退場願おう。
「あら、閉めちゃうの?」
しかしその刹那、櫻は素早い動作で隙間に自らの足を挟み込んだ。
「はっ、早いっ……!」
セールスマンもびっくりの素早さだ。一瞬判断が遅れたのが仇になったか……!
表情で拒絶の意を示すわたしには構わず、彼女は言葉を続ける。
「何してるかなって思っただけよ。入ってもいいかしら?」
「って言いつつもう入ってるじゃん!?」
少しくらい人の話を聞いてほしいのだけれど、叶わない願いだろうか。
櫻はわたしの部屋に足を踏み入れるなり、くるくると辺りを見回している。ろくなことを言わなさそうだけど、何をしてるんだろうか。
「……相変わらず煩雑としてるわね」
「嫌味言いに来たの!?」
いきなり部屋に入ってきた挙げ句に何を言ってるんだこの人は。流石に失礼でしょうが。
わたしの気持ちなど知ることもなく、櫻はモニターの前に腰を下ろす。てこでも動かないつもりだな……。
「何してたの? ゲーム?」
「……まあ、うん」
わたしが答えると、彼女はにっこりと笑って返す。
「じゃ、私もゲームしていい?」
「…………」
腹が立つな、ほんと!
とはいえ、それほど嫌な気分ではないのも複雑だ。櫻がこんな風に私の方に近づいてくるのも、なかなかないことだし。ここは素直に乗ってあげてもいいかな。
「まあ……いいけどさ」
「あら、嬉しいわ」
櫻はにっこりと笑った。調子狂うなあ。何だか歩夢を思い出すノリだ。
とりあえず、適当に二人で遊べそうなゲームを見繕ってゲームを立ち上げる。私もコントローラーを握りはするが……まあ、櫻とやるのなら、適度に力を抜いていこう。すずと違って煽られる心配もないしね。
「……よしっ、はっ……」
「……うーん、難しいわね」
わたしの隣で櫻が小首を傾げる。口ではそんなことを言っているが、それとは裏腹に、櫻はかなりゲームが上手い方だと思う。初めてにしては筋がいい方だ。センスってやつなのかな。
そんな旨のことを伝えると、櫻は照れたように笑った。
「そんなことないわよ。心晴ちゃんに比べたら私なんて下手っぴよ」
そりゃそうだ、やってる年数が違うんだもの……とは、口が裂けても言えないか。
そのまま適当に続けて、少し飽きた頃。またモニターの電源を切ってポテチをかじっていると、櫻が不意に口を開いた。
「そういえば心晴ちゃんがここに来たばかりの頃、一緒にやってたゲームあったわよね」
「ああ……あれ?」
二年前の出来事を思い出す。たしか結構古い機種のアクションゲームだったっけ。まだ人見知りが全開だったわたしに寄り添ってくれて、一緒にゲームしていたのを思い出す。
どこにあったかな……。CDケースのボックスを掘り起こして、目当てのものを取り出す。底に埋まっていて、だいぶケースが埃を被ってしまってるな。今度掃除しよう。
「久しぶりにやるなぁ、これ……」
ディスクを入れてゲームを起動すると、まだ櫻のデータが残っていた。進行度はというと、わたしと比べたらウサギとカメもいいところだ。
「全然進んでないわねー」
「だって櫻、飽きっぽいんだもん」
たぶんこれ以外のゲームにも、ちょっと触ってそれで終わりのデータがいっぱい残っていると思う。櫻に黙って整理してやろうかと思ったけれど、なかなか消せないものだなあ。
「ふふ、もう覚えてないわね」
「まあ最初のエリアだし、余裕なんじゃない?」
他愛もない会話を交わしながら、櫻はステージを進んでいく。流石に簡単だったらしく、あっという間に最初のボスまで辿り着いてしまった。
「よーし、やるわよっ」
謎の気炎を上げて櫻はボスへと挑む。その横顔を見ると、とてもアラサーの女性とは思えない表情をしていた。まるで十代半ばの少女のようだ。
何だかこうして見てみると、櫻も魅力ある女性に思えてくる。今まで櫻のことは苦手――一方的に――だったけれど、少し見方が変わったかもしれない。少しだけ。
「よしっ、えいっ……あー、タイミングずれちゃったか……」
当の彼女はと言うと、何やらひとりで盛り上がって楽しそうだ。そうしてわたしが眺めているうちに、彼女はボスを倒してしまったのだった。
「やったあ! 倒したわよ、心晴ちゃん!」
「おおー……おめでと」
何だか櫻が櫻じゃないみたいで、ちょっと不思議な感じだ。でも、こういうのも悪くないな。二年間一緒にいたのに、分からないことがまだまだある。それを知れるのは、すごく面白いと思ったから。
三度ゲームを閉じると、また櫻が口を開いた。
「何だか、すごく懐かしくなっちゃったわ」
「うん、わたしも……」
二年前。まだわたしが十五歳だった頃。今のゲームを通じて、櫻とゲームをしていた時の記憶が蘇ってきた。
「あの頃の心晴ちゃんは、今とは違ってだいぶ警戒心たっぷりだったわよね」
「そりゃ、そうだよ……」
わたしがまだここに来る前の話。人の心が怖くって、ずっとひとりで引きこもっていた。そうしたら、「お前の居場所はここにはない」って勘当されてしまって。
少しの着替えと生活用品、そしてゲームを持っていけるだけ持って、わたしは街中に放り出されたんだ。
もう長い間誰かと話していなかった。声を出すのもままならないのに、ましてや誰かと話すなんて。だから、あの時わたしはこのまま死んでいくんだって、そう思った。それでもいいって、思えてしまった。
けれど、そこに櫻が手を差し伸べてくれて――。
「――でも、櫻はわたしのこと、受け入れてくれたよね」
ロクに心を開けなかったわたしに、櫻は根気強く付き合ってくれた。その時に、一緒にやったのがこのゲームだった。あの家と違って、櫻はわたしのやっていることに興味を持ってくれた。
「……私はね、困った人は放っておけないからさ」
その気持ちに、どれだけ救われたことか。居場所をくれた櫻には、感謝してもしきれない。普段は恥ずかしくて、あまり口に出して言えていないけれど。
少し押し黙っていると、櫻が小さく漏らし始めた。
「私、依織ちゃんによく『強引だ』ってよく言われるのよね。心晴ちゃんにもそうだし……私、心晴ちゃんに嫌われちゃってるかもね」
「…………」
……それ、は……。どうなんだろう……。
櫻のことは嫌いじゃない。それだけは分かる。けれど、その他にも感情が色々渦巻いて……よく分からなくなってしまう。わたしは櫻のことを、どう思っているんだろう。
櫻の方を横目で見ると、彼女は少し沈んだ表情をしている。このままじゃダメだ。上手く言えないとしても……この気持ちは、ちゃんと言葉にしなきゃ。
「あの……えっと」
咳払いをして、心の準備をする。大丈夫、言えるはず。
「櫻のことは……正直、今も少し苦手だよ」
「心晴ちゃん……?」
最初の言葉を唱えられれば、後は坂道を転がり出したボールのように言葉が続いていく。
「……すぐわたしのこと怒るし、ケチだし……櫻のことなんて大っ嫌いだって、思った時もあった」
正直言って、良い思い出と良くない思い出を比べたら、良くない思い出の方が多くなるような気もする。ゲームを買いすぎて絞られたこともあったし、小さいケンカならいっぱいした。
……けれど、それでも。
「だけどね……櫻は、わたしのことを受け入れてくれた」
全てを諦めかけていたわたしに、櫻は笑いかけてくれた。ここに連れてきてくれて、歩夢や依織たちに出会わせてくれた。
それだけで、彼女を嫌う気にはなれなかった。
「ずっと……ずっと、嬉しかったんだよ。あの日から、ずっと……」
はるかぜ荘で過ごした時間のひとつひとつが、脳裏に蘇ってくる。そういえばここに来てから、思い出を数えるようになった。それはきっと、それだけ安心できるようになったから。後ろを振り返るだけの余裕ができたから。
「櫻が『ここにいてもいい』って言ってくれたから、今わたしは笑えるんだ」
だから、それをくれた櫻のことは……大好きだ。
「……ありがとう、わたしのこと、認めてくれて……。櫻と一緒にいると、楽しいんだ」
「心晴ちゃん……!」
自分の中にある気持ちを全て吐き出したら、少しだけ肩の荷が下りたような気がした。今まで霧の中を歩いていたのが、急に視界が開けて、爽快な気分だ。
こういうの、あんまりわたしらしくないな。素直に、それも櫻に何か言うなんて、わたしのキャラじゃない。けれど、そんな状況を楽しんでしまっている自分が、心のどこかにいた。
「うぅ……心晴ちゃん……! こちらこそありがとう……!」
「わ、わっ!? 櫻っ!?」
意識を外へ向けていると、櫻の腕が突然わたしの背中に回された。気を抜いた瞬間に、あっという間に抱擁されてしまっていたのだった。ほんのりと体温が伝わってきて、少し汗が浮かぶ。
「心晴ちゃんがそんなこと言ってくれるなんて……!」
「も、もう……櫻ってば!」
急な出来事にびっくりしてしまい、思わず櫻の身体を引きはがす。彼女の顔を確認すると、やや名残惜しそうな表情をしていたのだった。
「心晴ちゃんのこと、叱ったこともあったけど……私は、心晴ちゃんが大好きだからね!」
「……知ってる」
好きじゃなかったら、こんなに長くも付き合ってくれないから。
……わたしも、櫻が大好きだよ。
「これからもよろしくね、櫻」
「……ええ。よろしくね、心晴ちゃん」
彼女に向けて手を伸ばす。彼女が手を取る。きっとこの先道に迷ったって、櫻が手を引いて導いてくれる。そうして手を取り合って、どこまでも行ける。
あの日、彼女の手を握った時から、ずっとそんな気がしていた。
2話前で依織をスパダリ呼ばわりしましたが、じゃあ櫻はどうなのかというと。割かし子どもっぽいところがあると思います。何なら依織も心晴も歩夢も引き取られたのは彼女の思い付きですし。
時折三十歳児になるのが彼女の魅力なのです。多分。