□Episode 3: ひとつの楽曲、ふたつの趣味
煌々と光を放つモニターとにらめっこしながら、ヘッドホン越しに流れてくる音楽を流しては止め、流しては止め。同じ曲の同じフレーズを、耳にタコができるほどに聴き返す。そうして納得の行かないところがあれば、メロディに手を加えてそれをもう一度聴き直す。何十分、何時間も掛けて、ようやくワンフレーズ。思うに、作曲とはスクラップ&ビルドの連続だ。
「ふぅ……今日はここまでにするか」
大きく溜め息をつくと、椅子の背もたれに深くもたれこむ。今日は結構な間作業していたからか、身体中に疲労感が溜まり切っている。
とりあえず、何か飲み物でも取りに行こう。そんなことを考えながら外に出ると、ちょうどリビングで何やら携帯のゲームをする心晴の姿を見つけた。イヤホンまで付けて熱心に画面に向き合っている。その様子をぼんやり眺めていると、不意にがっかりした顔を見せた。
「何やってんの?」
ひと段落着いたであろうところで声を掛けると、心晴は驚いて顔を上げた。
「わあっ……!? なんだ、依織か……」
「なんだとはなんだ」
梅宮心晴。重度のゲーマーで引きこもり、ついでにどもりがちの人見知り。社会能力が完璧に欠如しているような彼女だが、まあなんとか良き同居人としてやっていけている。彼女が最初にここに来たときは本当に苦労したけれど。
にしても、普段なら自分の巣――自室にこもっているはずなんだが。リビングにいるのは珍しい。
「んで、何やってんのさ?」
「ん……こ、これ、音ゲー。この曲が難しくって、なかなか¥パーフェクト、取れなくて」
「それでやめられなくなったと」
こくり、と心晴が頷く。そういうところは本当にゲーマーらしいよな……。
そんな中、彼女が見せてくれた画面にふと見覚えのあるものがあった。心晴が音ゲーでさっきまでプレイしていた曲。作曲者名義は「ツバキ」。それはたしかに私が音ゲーに提供した楽曲だった。
あたしの曲が音ゲーに入ると聞いた時はかなりびっくりしたけれど、こうして目の前で曲をプレイしてくれるユーザーがいるというのは良いものだ。少し気分が良くなった。
「ど……どうしたの、依織?」
「ふっふっふ……」
にやりと笑うと、あたしはその画面を指差して言う。
「それ、あたしの作った曲なんだよ」
「…………え?」
心晴は懐疑の目をあたしに向ける。これは全く信用されていないな。
「……ほんとに?」「本当だってば」
何度言っても心晴はじとっとした目をやめようとはしない。あたしが音楽活動をしてるのは知ってるはずなんだけれど。うーん、どうしたものか……。
「い、依織って、道端で路上ライブやってるような、売れないアーティストとかじゃなかったの……?」
「あんたの中であたしはどういう認識だったわけ?」
たしかにイメージとしては分かるけど。たしかにあたしは音楽の道を志してここまで流れ着いてきたけれど。別にあたしはそんなことしてないから。
心晴ともはるかぜ荘で暮らすようになって長いけど、全然理解されていなかったのか。ちょっとショックだな……。
「ってか、心晴の中のアーティスト観はどうなってんのさ。古すぎない?」
今のご時世、路上ライブをしているアーティストを探す方が難しいような気がする。時代の流れというやつだな。
「えー、でも、依織ってそういうの、似合いそうだし……」
「褒めてんのか貶してんのかどっちだよ」
夜八時の駅前、退勤ラッシュでスーツ姿の男女が行き交う前でギターをかき鳴らす椿山依織・二十三歳……うん、ないな。ありかなしかで言ったらない寄りのなしだよ。あたしがそんなことをしている風景、全く想像がつかない。
「だいたい音ゲー以外にもいろいろ提供してるんだって。ツバキって名前、聞いたことないか?」
具体的にはリミックスアルバムとか、コンピレーションとか。同人作品ではあるけれど、きっちりお金が動く案件だっていくつかあった。
「あ、たしかに聞いたことある……ほんと?」
「あたしがここで嘘つくメリットは何だよ」
強情な奴め。……こうなったら最終手段を使うしかないな。
「……なら音源聴かせてやってもいいよ。そしたら分かるだろ?」
携帯経由で、会社に送った楽曲のデモ音源を聴かせてやる。さすがにこれだけやれば心晴も分かってくれるはず――。
「いやいやいや、全部耳コピして、その、あの、えっと……」
「こんだけ完璧に耳コピできたらそいつは作曲始めた方がいいよ……」
まだ引き下がるか。いい加減認めたらどうだ……。というか、最後の方は言葉に詰まって何も言えてないし。
退路をなくし、彼女はついに作曲者があたしであることを認めたのだった。
「うぅ……分かったよ、認めたらいいんでしょ……」
「なんで不満そうなんだ」
何はともあれ、何とか分かってもらえたようだ。若干まだ納得の行っていなさそうな様子が気に入らないが。
「……だって依織も、わたしと同じニートなのかと思って、軽く親近感を――」
「勝手に人を同類扱いするな」
そりゃあアーティストなんて無職すれすれの稼業だろうけれど、それでお金を稼いで帰ってきてるんだから文句はないだろう。少なくともニートではない。絶対にだ。
「ってか、ニートとか心晴にだけは絶対言われたくないっつの。あたしの方がよっぽど働いてるよ、家の中でも外でも」
「うっ……それは……」
腰を据えて引きこもっている時の心晴は、時々食事を摂ることすら忘れていることがあるからな。もちろん家事なんてやらないし、一日一回顔を突き合わせるのがやっとレベルだ。
だから心晴よりは確実に勝っている自信はあるのだ。あたしも時々部屋に引きこもってずっと作曲してる時はあるけれど。
「櫻がいない時の飯はあたしが作ってるんだぞ? そのあたしに向かって『ニート』と?」
「うぅ……いつもありがとうございます……」
「分かればよろしい、分かれば」
「――心晴は紅茶でいい?」
「ん。ミルクと砂糖、いっぱいでね」
会話を止め、自分の分のコーヒーと心晴の紅茶を淹れる。心晴のやつ、紅茶にミルクと砂糖を入れて飲むのは昔から変わらないな。コーヒーはミルクを入れても未だに飲めないらしい。
「相変わらず味覚がおこちゃまだな」「うるさい」
淹れ終わったコーヒーと紅茶を並べて置く。それを啜りながら、会話の続きに興じる。
「にしても、ほんとに依織が音ゲーに曲、出してるなんて……びっくりした」
「マジで信じてなかったんだな……」
しみじみとした声のトーンで心晴が言葉を漏らした。あたしが特に何も言っていないのも悪いけれど、誰も心晴にあたしが無職じゃないって言わなかったんだろうか。
――はっ、もしかしてあたし、心晴だけじゃなくて他のみんなからもニートだと思われてたりするのか……? うう、嫌だな……。
「……ど、どしたの、急に震え出して……」
「いや、何でもない、ちょっと悪い予感がしただけだ……」
仮にそうだとしたら、あたしには急いで誤解を解く義務がある。絶対ニートだなんて言わせない。言わせたくない。
「はぁ……もうちょっと気合入れて仕事しないとダメかもな……」
それこそ、音ゲーの常連作曲家になるとか、色んなイベントに出てみるとか。何でもいいから、とにかくもっと知名度を上げて仕事を増やさないと。背後に迫り来る「ニート」の三文字は、あたしを駆り立てるには十分な威力を持っていたのだった。
ただ、その目標に至るまでの道のりはこの上なく長く険しい。つべこべ言わずに頑張るしかないのは分かってるんだけどな……。
溜め息を吐いて机に突っ伏すと、その後頭部に心晴が話しかけてきた。
「あの、えっとさ、依織……」
「ん、何……?」
顔を上げて心晴の方を向くと、彼女は何やら目を逸らしてどもりながら何かを言おうとしている。傍から見たら完全に挙動不審だが。
「わたし……依織の曲、好き……だよ……」
照れながらも伝えてくれた言葉に、思わず不意打ちを喰らった。
「なっ……」
滅多に聞けない心晴の本音。それが今、あたしの目の前で炸裂したのだった。普段文句を言っている心晴の口から放たれた、驚くほど優しい言葉。これは……ちょっと、破壊力抜群だな。
今あたし、どんな顔をしてるんだろう。情けない顔じゃないといいけれど。
「依織の曲、プレイしてて、楽しい、し……すごく、良かった」
「そ……そっか。ありがと……」
あたしのことをニートだ何だと言っておきながら、結局心晴も素直じゃないだけなんだな。可愛い奴め。照れたのを悟られまいとして、彼女の髪をわしゃわしゃと掻き撫でる。
「よしよし。素直じゃないんだな、心晴も」
「うっ……うるさい……し……」
また文句を言いつつも、その表情はどこか嬉しそうにも見える。
心晴とはそりが合わないことが度々あるけれど、何だかんだ言ってこれからもうまくやっていけそうかな。指で髪を弄びながら、そんなことを考えていた。
「えへへへ……」
これは、もっと頑張って心晴が好きな曲を作らないとな。俄然やる気が湧いてきた。
「よっし、今日はもうちょっとだけ頑張るか!」
んーっと伸びをして、気合を入れ直す。何だか今なら良い曲が書けそうな気がしてきた。やったれ、椿山依織!
「頑張るねえ」
「ま、あたしだってプータローじゃいられないからね。拾ってくれた櫻の為にも、ちゃんと頑張らないとな」
行き倒れかけていたあたしに手を差し伸べてくれた櫻。彼女への恩返しは、もっと有名になること、もっと稼げるようになることだ。
深呼吸をひとつ、そして頬をぴしゃりと叩く。……よし。気合十分!
「――ありがとね心晴! おかげでインスピレーション湧いてきたよ!」
「ん、頑張れ。……あ、そういえば」
自室に戻ろうと席を立つと、心晴が思い出したかのように声を上げた。何か重要なことのようだったので、反射的に振り返る。
「ん? どうした?」
「依織って……たしか、ギター、持ってなかったっけ」
ああ、と肯定の言葉を返す。作曲をする際にはギターが必要になる場面もあるからな。達人レベルとまでは行かないが、一応人並みには弾けるつもりだ。
「で、それがどうしたんだ?」
「……依織、シンガーソングライターになりたいって、昔言ってたような……」
「うっ」
ぎくっ、と効果音が鳴ったような気がした。たしかに、シンガーソングライターを目指そうと思って家出してきたけれど、それはまた別の話だ。今の作曲家・ツバキとは全く関係はない。
「……上手く行ってるの?」
「ノーコメントで……」
それに、そういうのを目指していた時に得たノウハウだって、ちゃんと今の作曲に活かされている。決して無駄なんかじゃない。……と言ったところで、言い訳にしかならないよな……。うぅ、心晴の視線が痛い。
「……まあ、頑張ってね」
「そんな哀れんだ眼で見るな!」
言われなくても頑張ってるんだ、あたしは。ぐぬぬ、悔しいぞなんか……!
はるかぜ荘に風が吹き込む。今日も良い天気だ……けど、あたしの心模様は少しだけ複雑だった。
どうでもいい話なんですけど、書いてて一番楽しいのは心晴だと思います。ネタ要員にしやすいからですね。
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