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はるかぜ荘は今日もうららか  作者: 洛葉みかん
25/88

□Episode 25: 一年の計は春にあり(下)

 とある日の朝。誰もいないリビングに、あたしひとりだけがぽつんと座っている。手持ち無沙汰で、ぼーっと意識を中空に向ける。やることもないし、暇だな。

 そもそもどうしてこうなったのかと言えば、珍しく朝早く起きてきた心晴が「話したいことがある」なんて呼び出すからだ。その割には一向にやってこないし、どうしたものか。もう少し待って来なかったら部屋に戻ってやろうかな。


 などとそんなことを考えていると、歩夢がリビングに姿を見せた。


「あれっ? 依織さんも呼び出されたんですか?」

「ああ。その様子だと、歩夢もか」


 心晴の奴、歩夢まで巻き込んで何をするつもりなのだろうか。ロクなことならいいんだが。

 彼女も同じようにしてあたしの対面に座り、二人揃って呼び出した張本人を待つ。


「心晴から何か聞いてないか?」

「いえ……特に何も。『話したいことがある』としか」

「やっぱりか……」


 ますます謎が深まるばかりだな。いったい何を考えているのやら……。

 まあ、いくら考えたところで想像には及ばないか。ここはひとつ、黙って待っていることにしよう。


 そうして数分が過ぎた後。ようやく本日の主役が顔を出した。


「ふ、二人とも……待たせてごめん」

「心晴さん!」

「ようやくお出ましか」


 待ちかねた二人の視線を浴びてやや竦みつつ、彼女はおずおずと前に出る。何だかぎこちないな。どことなく挙動不審というか、緊張気味というか。


「……大丈夫か?」

「へっ!? あ、ああ、うん、大丈夫……」


 大丈夫じゃなさそうだけどな……。まあ、深追いはしない方がいいか。

 ごほん、と咳払いをひとつすると、変わらず緊張した様子で心晴は口を動かし始めた。


「え、ええと……実は、絵が描けるようになりたいなって、思ってて……」


「えっ?」「は……?」


 彼女の唐突な告白に、二人揃って変な声が出た。


「急にどうしたんですか?」

「ああ。どういう風の吹き回しだ?」

「ひっ、ひどいよ……! そんな顔しないで……!」


 ちょっといじめすぎたか。拗ねた表情を見せつつ、彼女は続きを述べる。


「二人を見て、思ったの……。できることを、もっと増やしたいって……」

「なるほどな」


 確かに心晴がこんなことを言い出すのは滅多にないが、逆に言えば良い傾向だとも言える。


「それで、手伝ってほしくて。……ひとりじゃできないことも、みんなとならできるから」


「……!」「心晴さん……!」


 そこまで言われてしまったら、もはや断る理由なんて見つからないな。

 歩夢と顔を見合わせると、彼女はにっと笑って答えを返してくれた。どうやら気持ちは同じみたいだ。


「ああ。協力してやるよ」

「私もお手伝いします!」

「み、みんな……! ありがとう……!」


 かくして、心晴の挑戦が始まったのだった。


 ひとまず心晴の部屋に集まり、彼女が絵を描くのを見届けることにした。


「何か描くものとか持ってるんですか?」

「んっと、スケッチブックはこの前取り寄せた。あとは、鉛筆、消しゴム……」


 意外と仕事が早いんだな。使い古したペンケースから文房具一式を取り出すと、彼女は神妙な面持ちでスケッチブックを開いた。

 ――開いたところで、彼女は固まってしまった。


「止まってたら意味ないじゃんかよ」

「だ、だって、何を描いたらいいか分からなくって……」


 まあ、それもそうか。心晴の静かな抗議に、少しだけ納得してしまう自分がいた。あたしもギター始めたての頃は、何をしていいかさっぱり分からなかったから。そんな過去の記憶を引っ張り出して、彼女にアドバイスを送る。


「そうだな、まずは他人の作品を模写することから始めたらいいんじゃないか?」

「模写?」

「ああ。音楽もそうだけど、最初は他人の技術を真似て吸収するのがいいんだ」


 音楽なら耳コピとか、実際に演奏してみたりとかだな。そうすることで、基礎の習得が早くなるという寸法だ。


「依織がそう言うなら……やってみる」


 心晴が頷いて、携帯にとあるゲームのキャラクターを映し出す。さて、鉛筆を握って今度こそ絵を描き始める。……と思ったのだが、紙に芯先を付けたまま再び彼女は固まってしまった。


「今度はどうしたんですか?」

「どこから描いていいのか分からない……」


 思わず溜め息を吐きそうになったが、彼女のメンタルのためにすんでのところで堪えた。


「とりあえず顔の輪郭とかから描いていけばいいじゃんか。難しいことを考えるのはその後だ」

「う、うん……」


 心晴自身も決心が付いたのか、ようやく紙面に鉛筆を走らせ始めた。まあ、時間はたっぷりあるんだ。最初のうちはいくらでも時間を掛けていけばいい。

 心晴を見ていると、まだ実家にいた頃の自分を思い出すな。ギターの弦の押さえ方も分からなくて、コード進行なんてひとつも理解していなかった頃。絶対に音楽を極めて、親父を見返してやるんだとずっと考えていた。

 スケッチブックと根比べをする心晴の姿と、音楽理論の教本を読みふけるあたしの姿が重なって、少しだけ懐かしい気持ちになった。


 つい物思いにふけっていると、心晴が鉛筆を机に転がした。どうやら描き上がったようだが、その表情は陰っていた。

 少し気になって、描き上がった絵を見てみる。


「お、よく描けてるじゃないか」

「ほんとだ、ちゃんと可愛いキャラになってます!」


 しっかりとキャラの特徴を捉えられていて、初めてにしては上々の出来だ。だというのに、やはり彼女は浮かない表情を見せる。


「……こんなのじゃ、全然ダメ……」


 溜め息交じりに心晴は呟く。隣で見ていた歩夢は困惑した顔で狼狽しているが、あたしにはその胸の内が痛いほどによく分かっていた。


「理想通りに描けないの……」


 悔しげに唇を噛む心晴。あたしにもそんな時期があったな。耳コピした曲を聴いて、理想とあまりにもかけ離れていることに絶望した時期が。最初のうちは誰でもそんなものだろうが、今の心晴にそれを説いたって意味はないだろう。

 改めて心晴の方を向くと、やっぱりまだ狼狽え気味の歩夢に適当なフォローをされていた。


「言ってなかったと思うけど……わたし、負けず嫌いだから……」

「……知ってますよ?」「知ってる」

「なんでっ!?」


 恨めしそうに言ってみせた心晴に、カウンターパンチが二発ほど入る。「なんで」と言われても、日頃の自分を客観視すれば誰でも分かると思うんだけどな。この前はゲームですず相手にムキになっていたレベルだし。


 まあ、負けず嫌いなのはあたしもあまり変わらなかったりするんだけど。それゆえに少しシンパシーを感じるし、頑張る彼女を応援してあげたいとも思う。

 ……ここは、一肌脱ぐとするか。


「心晴は負けず嫌いなんだよな」

「……うん」


 しょげて小さくなる心晴に相対して、すずを諭すときのような口調で言葉を投げかける。なるべく優しく、分かりやすく。相手の奥まですっと届くように。


「だったらさ、これからもっと実力を付けていこうぜ。そこら辺にいる奴なんて、鼻で笑えるくらいにさ」


 あたしと心晴。まったく似ていないけれど、きっと胸の内に抱えている想いは一緒のはずだ。だから、きっとあたしがずっと想ってきたことも届くはず。


「そりゃあ、最初は理想に届かなくて悔しくなるときもあるさ。だけど、練習を続けた先には新しい世界があるんだ」


 理想を目指して、理想に手を伸ばして。理想に追いついて、理想を乗り越えて。何かを目指すというのは、山登りに似ている。


「そうやって、どこまでも遠くを目指して、上り詰めて……。辿り着いた所から見下ろす景色は、きっと良い眺めだと思うんだ」

「…………!」


 ……どうだろうか。あたしの想い、あたしの言葉は、心晴にちゃんと伝わっただろうか。


 心晴は身体の側でぎゅっと拳を握りしめると、全身から力を抜くように手を広げた。


「……そう、だね」


 再び彼女は溜め息交じりに言葉を漏らす。しかし、それはもう愁いを帯びてはいなかったのだった。


「……ごめん、依織、歩夢。ちょっと頭冷やした」

「はは、いいんだよ。あんまり気負いすぎんな」

「私は心晴さんの絵、大好きですからね」


 俯いた視線をゆっくりと上向けて、不慣れな笑顔を見せる心晴。先ほどまでのべそをかいていた彼女の面影は、もうどこにも見当たらなかった。

 心晴は負けず嫌いだからな。これからどんどん成長して、絵もみるみるうちに上手くなっていくだろう。それが楽しみだ。あたしと心晴で、ひとつ何か大きいことがやってみたり――なんて、そんなことを考えてみたりして。


「……ふふっ、ははは」

「依織さん、どうかしました?」


 あんなことやこんなことを空想していたら、思わず笑いが込み上げてきた。


「いや、何でもねえよ。……ふふっ」


 でも、ただの空想じゃないんだよな。時間はかかるだろうが、いつかこの空想は現実になる。その時は、二人で上り詰めた景色を見てやろうじゃないか。誰も見たことがないような、素晴らしい景色を。


 まだ見ぬ未来に思いを馳せ、全身の血がたぎっていくのが自分にもよく分かった。


「……よし、もう一回描いてみる」


 少し冷静になった心晴は、真剣な表情になってもう一度スケッチブックと対峙する。鉛筆を握って、迷いなく線を描画していく。慣れたというのもあるだろうが、きっと今の彼女の中には一欠片の雑念もないのだろう。


「…………」


 真剣そのものといった風な横顔に、我々も思わず息を呑む。歩夢に至っては、もはや息が詰まりそうなくらいに集中して見入っている。

 さあ、どんな作品ができるだろうか。楽しみだな。


「――できた!」


 しばらくして、先ほどより早いペースで心晴は紙を掲げた。


「……見て、歩夢! 依織!」


 出来上がった絵は、先ほどよりも輝いているように見えた。やはり初心者らしく震えた線で、プロと比べれば月とすっぽんみたいな絵だが、何よりそれを掲げる彼女の表情が違う。

 自信に満ちた、みずみずしい表情。二年前に出会ってから、彼女がこんな顔をすることがあっただろうか。それだけでも、この絵には十分すぎるくらいの価値がある。


「わあ……かっこいいです、心晴さん」

「やるじゃんか」

「えへへ……ありがとう」


 そう言って照れる彼女の姿は、いつもより大人びて見える。それは、彼女が間違いなく成長している証左だった。新しいことを始めて、挫折して、考えて、少しでも強くなれたのかもしれないな。


「二人が教えてくれたんだ。ひとりじゃ難しくっても、みんなに応援してもらえればできるんだ、って……」

「…………」


 あたしが前に言ったことを、自分なりの言葉で出力する心晴。あたしのしたことは、ちゃんと心晴に響いているんだな。そう思うと、不思議と笑みが零れてくる。


「……心晴」

「な、何……?」


 彼女の前に歩み寄ると、濡れ羽色の綺麗な髪を優しく梳いてやる。


「よく頑張ったな」


「……っ!」


 あたしが手を退けると、彼女は震えながら顔を紅潮させていた。


「も、もう、急にそんなこと、言わないでよ……っ!」

「わ、悪かったよ……」


 ぷい、と顔を背ける心晴。その表情は、怒っているとも、照れているとも、泣いているとも取れた。


「……でも、ありがとう」

「どういたしまして、ふふ」


 しかし、そこから放たれたセリフは、とても優しい、落ち着いた声色のものなのだった。素直じゃない奴め。まあ、あたしは心晴のそういうところが好きなんだけどな。


「さ、そろそろ昼飯にするか。心晴も腹減ったろ」

「うん……」

「私、あったかいもの食べたいです!」


 そんなことを言い合いながら階下へと降りていく。他愛もない会話の輪の中で、心晴の笑顔はひときわ輝いているのだった。

というわけで、(上)(下)の意味は先週のお話を踏まえた心晴の心境の変化を示したもの、ということなのでした。

歩夢×心晴は何というか甘々のずぶずぶって感じですが、依織×心晴はかなり安定感がありますよね。もうはるかぜ荘はみんなで結婚すればいいと思います(暴論)

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