◎Episode 23: 朔日、秘める願い
一月一日の朝。ばたばたと階段を駆け上り、部屋の扉を叩く。相手の反応を待たずに扉を開け、中に転がり込む。
「心晴さん、心晴さんっ! 起きてください!」
肝心の相手はちょうどベッドの中でごろごろと転がっている最中だった。入ってよかった、と布団を引き剥がすと、心晴さんは赤ちゃんのようにぐずり始めた。
「んもう……もうちょっと寝かせてよぉ……」
「何言ってるんですか!」
剥がした布団にすがりつくようにして奪い取ろうとしてくる。どこまで寝ることに執着してるんだろうか、この人は。
「そんなに寝てるんだったら、初詣置いていきますよ!」
「はっ……!?」
私の言葉を聞くや否や、心晴さんはさっきの様子が嘘のように飛び起きた。
「わ、忘れてたっ……! ちょっ、待って、準備するからっ……!」
急いで荷物を用意して、寝癖をくしで梳き、すっかりいつもの調子に戻った。
「お、おはよう、歩夢……!」
「ふふっ、おはようございます! さ、下でみんな待ってますよ!」
心晴さんの手を引き、リビングへと降りる。そこでは既に準備を整えた依織さんたちが立っていた。
「おう、おはよう」「おはよ、心晴!」
「あら、えらく遅いお出ましみたいね」
それぞれが色とりどりの着物に身を包み、新たな年の幕開けを祝うにはぴったりの雰囲気だった。
「わあっ……皆さんすっごくきれいです!」
「もちろん歩夢ちゃんの分も用意してあるからね。ささ、早く準備しましょ!」
赤い着物の袖に腕を通し、櫻さんに着付けをしてもらう。着物なんて着るのは初めてだから、すごく楽しみだ。柄もすごく可愛らしいし、心までうきうきしてくる。
「うーん、着物……窮屈だし、あんまり好きじゃないんだけどね……」
「じゃあ心晴ちゃんはお留守番かしら?」
「もっ、もう……! ちゃんと着るから……!」
着付けが終わり、鏡の前に立つ。そこに映った自分の姿を見て、思わず歓喜の声を漏らした。
「わあっ……!」
鮮やかな赤の布地が映えて、私を彩ってくれている。櫻さんが付けてくれた髪飾りも、服と合っていて可愛らしい。これは……テンションが上がる。
「あ、心晴さんも着付け終わったんですね。可愛いです!」
「そ、そう……? ならいいけど……」
心晴さんは照れたような素振りをして顔を背ける。青い着物を身につけていると、いつもと雰囲気が違って可愛らしい。
「ふふ、心晴ちゃんってば照れてるわね」
「う、うるさいっ! 照れてないもん……」
「とは言いつつ、顔真っ赤だけどな」
私にも分かるくらい真っ赤だ。照れてる心晴さんも可愛いなあ。
「も、もう行こう、歩夢っ……!」
「あっ、ちょ、待ってくださいよー!」
みんなにいじられすぎて、心晴さんは怒って玄関から出て行ってしまったのだった。
彼女の不機嫌な様子は、はるかぜ荘を出発してからお寺にやってきてからも変わることはなかった。
「そろそろ機嫌直したらどうだ?」
「みんなが悪いもん……」
なだめるような依織さんの言葉にも、口をつんと尖らせて素っ気ない対応だ。よっぽど恥ずかしかったのかな。
本堂へ続く道にやってくると、奥からおびただしいほどの行列が伸びているのが見えた。
「うわ、すごい人ですね! こんなに並ぶんだ」
「やっぱり初詣だからね。どこも混んでるわね」
心晴さんは行列を見た瞬間にうんざりした表情だ。私はそれほどでもないけれど……いや、やっぱりこれは時間がかかりそうだなあ……。
一行と共に行列の最後尾に加わる。本堂まではまだかなり距離がありそうだ。
「しんどくなったらいつでも言えよ、すず」
「うん、ありがと。でもすず、大丈夫だもん!」
仲の良さげな依織さんとすずちゃんを余所目に、心晴さんはぼんやり遠くを眺めている。何を考えているんだろうか。
それにしても、すごく暇だ。何かをして時間を潰したいところだけど、生憎何も思いつかない。大したことも考えられずに悶えていると、不意に依織さんが口を開いた。
「そうだ歩夢、しりとりでもしないか?」
「しりとり! いいですね!」
たしかにそれならネタの尽きない限りは時間を潰すことができる。
「ねえ、心晴さんもやりませんか?」
「えっ? え、えと……わたしは……」
「よし、しりとりの『り』からだな。……じゃあ、りんご」
「ごまっ!」
心晴さんの返答を待たずにしりとりが開始され、依織さん、すずちゃんと手番が回る。次は私の番みたいだ。
「えーと……マント! 次は心晴さんの番ですよ」
「…………」
私が呼びかけると、心晴さんは黙りこくった様子で何かを考えている。少しして、固く閉ざされた口を開いた。
「……トーン」
「終了!?」
依織さんが反射的に突っ込みを入れる。あまりにも唐突な終わり方に、思わず噴き出してしまったのだった。
そんなコントのようなやり取りを繰り返して、ようやく本堂までやってきたのだった。
「ふー、長かったね……」
「うん……ちょっと疲れちゃったな」
でも、ここまでやってくる意味はあったかもしれない。見上げると、古い木造の建物が眼前にそびえ立っている。文字通り生まれて初めて詣でに来た私にとって、それは圧倒されるに十分なものだった。
「わあ……すごいなあ……」
「さ、後がつかえてるわ。行きましょ」
櫻さんに急かされるようにして先へと進む。そこには、お賽銭箱と鰐口……と呼ばれる、小さな銅鑼みたいなもの。すごい、テレビで見たとおりだ。
その前に立つと、これまたテレビで見たのを思い出しつつ見よう見まねで参拝する。お賽銭箱に五円玉を入れて、鰐口を鳴らした。
「…………」
そういえば、まだお願い事を決めてなかったな。うーん、どうしよう。とりあえず、「これからもみんなと幸せに暮らせますように」……と。みんなと過ごせるのなら、それ以上求めることなんてないからね。
お願い事を終えると、五人揃って本堂を後にするのだった。
本堂から戻り、元いた場所に戻ってくると、依織さんがおもむろに口を開いた。
「さて、これからどうする?」
「どうする……って?」
どういう意味なのか分からない、といった風に心晴さんが返す。私も右に同じだ。
「あたしたちはちょっと寄るところがあるんだけど……歩夢たちも付いてくるか?」
「あ、なるほど。そういうことですか」
納得したところで、心晴さんの方を見る。彼女もちょうど同じことを考えていたみたいで、お互いの視線がぴたりとぶつかり合った。
「……わたしは、歩夢と一緒にいるよ」
うーん、どうしようかな。少し考えて、結論を出す。
「じゃあ、別行動にしましょうか。ここで合流ってことで」
「ああ、分かった。じゃ、三十分後くらいにな」
そう言って、依織さんたち三人は踵を返してどこかへと行ってしまった。その場には私と心晴さんの二人が取り残される。
「とりあえず、屋台でも見て回りますか?」
「んー……」
眠そうな返事をする心晴さんを連れて、屋台の通りを歩く。売る人と買う人、両者の声が合わさって、まるでお祭りみたいな雰囲気だ。
「あっ、鯛焼きありますよ!」
「鯛焼き……いいね」
何味にしようか、なんて会話をしつつ、二人分の鯛焼きを買ったのだった。
「はい、つぶあんどうぞ」「ん。ありがと」
人の流れから逃れて、どこか適当な場所でくつろぐことにする。こうしてみると、ものすごい数の人がこのお寺に集まっているのが分かる。大きいお寺だから、というのもあるのかもしれない。
ただ鯛焼きをかじっているだけというのも味気ないので、何の気なしに話題を振ってみる。
「そういえば、心晴さんは何をお願いしたんですか?」
「えっ……!?」
私が尋ねるやいなや、彼女は戸惑うように驚いて、急にしどろもどろになった。
「え、えっと、それは、ちょっと……」
それがどういう意味かは分からないけれど、あまり触れられたくないことであるのはよく分かった。
「ああいや、心晴さんが嫌なら言わなくてもいいですよ。無理に聞いちゃってごめんなさい」
しょうがない、誰しも言いたくないことのひとつやふたつはあるものだしね。
そんなことを思いながらこの話題を切り上げようとすると、心晴さんがくい、と袖を引いた。
「どうしたんですか、心晴さん?」
「え……えっとね、『みんなと一緒にいられますように』って、お願いしたの……」
「え、ええっ!?」
今度は私の方が素っ頓狂な声を出して驚いてしまった。心晴さんなら「ゲームが上手くなりたい」とかだろう、なんて勝手に思っていて。まさかお願い事が一致するなんて思ってなくて。
不意を突かれて、思わず顔中に血液が集まってくるのが自分でもはっきりと認識できた。
「だ、大丈夫、歩夢……?」
「あの……じ、実は、私もなんです……。『みんなと幸せに暮らせますように』って……」
「えっ……」
紅潮した心晴さんの顔がもう一段階赤くなる。すっかりゆであがってしまい、彼女は力なく私の肩に身体を預けてきた。お互い照れっぱなしで、上がった体温が二人を融かしていく。
「もう……そういうこと言うの、ずるい……」
「あはは……ごめんなさい」
伸ばされた手を握って、私も心晴さんにもたれ返すようにして、肩を寄せる。
温かい。外気がどんなに寒くたって、二人なら関係ない。心晴さんの隣が、私にとって一番安心できる場所だから。一番心の温まる場所だから。
「……ねえ、心晴さん」
「なに、歩夢……?」
とろんと甘えた眼差しをこちらに向ける心晴さん。彼女も私と同じ気持ちなのだろうか。同じだったら……いいな。
「さっそくお願い事、叶っちゃいましたね」
「…………うん」
今こうして、手を繋いで寄り添って、語り合っている時間がこの上なく幸せに感じる。それだけでも、何か御利益があったんじゃないか、なんて気になってしまうけれど。
――今くらい、そう思っててもいいよね。
ふふっ、と笑うと、肩を寄せて、新年最初の幸せを噛み締めるのだった。
しばらくのんびりとした時間を満喫していたけれど、楽しい時間だってそう長くは続かないもの。
「……もうこんな時間ですね。そろそろ行きましょうか」
「うん」
立ち上がって呼びかけると、心晴さんは少し名残惜しそうに答えた。
心晴さんを連れて集合場所までやってくると、ちょうど依織さんたち一行もやってくるところだった。手を振ると、みんなも気前よく手を振り返してくれる。
「おう、ちょうどよかったな。んじゃ、帰るとするか」
「はいっ!」
先陣を切って帰路につく三人をぼんやり眺めながら、心晴さんと並んで歩く。その間にも、ゆっくりと考えごとにふける。
心晴さんが私と同じお願い事をしていたこと。新年から早速幸せなことがあったこと。今日だけでも十分幸せな気持ちになれたけれど、私はこれくらいじゃまだまだ満足しない。
これからこうやって、またいろんな人と仲良くなって、笑い合えるようになって、もっと幸せを紡いでいこう。
去年は悲しいことばかりだった。生まれて初めて家出をして、行く当てもなくずっと彷徨っていた。未来なんてないって、ずっと思っていた。
でも、はるかぜ荘のみんなに出会えたから、今年は違うんだ。私は今、生まれて初めて未来を信じられる。みんなで手を取り歩いて行く、幸せな未来を。
せっかく掴み取ったこのチャンス、絶対無駄にはできない。今年こそは、幸せでいっぱいの一年にするぞ!
「心晴さん」「どうしたの、歩夢?」
呆けた返事の心晴さんの手を取って、強く握りしめる。最初は驚いた表情を見せた彼女だったが、徐々にその表情は柔らかくなり、同じように握り返してくれる。
「……お願い、これからもずっと、叶えていきましょうね」
「…………!」
彼女の目が輝いて、手を握る力が少し強まって。まるで何かを確認するかのように、彼女は強く頷いた。
「うんっ……! ずっと、一緒……!」
二人の視線がぶつかり、にっこりと笑う。指切りなんてしなくたって、二人の間には何者にも切れない、堅い堅い約束が結ばれていたのだった。
「さあっ、行きましょう心晴さん! 私たちの帰る家へっ!」
そう言って、慣れない草履で駆け出す。握りしめた手は離すことなく、依織さんたちさえ追い越して。
変わらない想いと新たな決意を胸に、二人は家路を駆けるのだった。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、新年早々歩夢と心晴の甘々で幸せなお話。こんな感じのゆるい作品を連載していくので、よろしくお願いしますね。