□Episode 21: 溢れる光に祝福を
「ジングルベ~ル、ジングルベ~ル……♪」
はるかぜ荘のリビング中に、歩夢の鼻歌が聞こえる。今日は一段とご機嫌そうだな。ちょうど踏み台に乗って飾り付けを進めているところだ。
「心晴ー、こんな感じかな?」
「それでいいと思う……多分」
一方では、心晴とすずが飾りをいそいそと作っている。単純作業が好きな人間同士、気が合うのかもな。
今日はクリスマスだ。一年に一回、子どもが誕生日の次に待ち侘びる日。それは、はるかぜ荘にも例外なくやってくる。
そんな楽しい日を迎えるべく、はるかぜ荘のメンバー一同はクリスマスの飾り付けに勤しんでいた。
「――この辺りでいいかしら?」
「そうだな。よっこいしょ、っと……」
あたしはというと、櫻と共に二階の物置からクリスマスツリーを運び出していた。はるかぜ荘は女手ばかりだから、こういう重い荷物は運ぶのには一苦労だ。あたしも腕っ節にはそれなりに自信はあるんだけどな。
「しかし、毎年賑やかになっていくわねえ」
一緒に運んできた箱から飾りを取り出し、ツリーに飾り付けをしながら櫻がそんなことを呟く。
「まあ、櫻のおかげで住人も増えてるしな。賑やかなのはいいことだ」
同じように飾り付けをしながら言葉を返す。
櫻の言うとおり、あたしがここにいた五年間だけでも、クリスマスの日は毎年賑やかになっていった。人が増えて、飾り付けも増えて。
「さて、依織さん。六回目のクリスマスの感想はどうかしら?」
「……ふふ。最高の気分だよ」
十八のまだ尖っていた頃は、クリスマスなんてクソくらえだと思っていた。でも、今はいつの間にか好きになっていた。はるかぜ荘の皆に感謝だな。
「ふう、少し休憩するか」
ツリーの飾り付けを終え、椅子に座って一息つく。すると、その隣に心晴がちょこんと座ってきた。
「ん、どうした?」
「ちょっと、すずの元気に負けちゃって……」
ぐったりした顔で心晴がぼやく。まあ無理はない。この日を一番楽しみにしているのは他でもないすずだからな。
「子どもは元気だね……。サンタとか、信じてるんだもんね」
「まあ、それが子どもが子どもたる所以だからな」
「わたしたちの歳じゃ、もう『サンタさん』とか、言えないもんね……」
そんなことを話していると、櫻と歩夢の会話が聞こえてくる。
「櫻さん、私にもちゃんとサンタさん、来てくれますかね……?」
「大丈夫よ。歩夢ちゃんは良い子だったもの」
「…………」「…………」
思わず心晴と顔を見合わせて黙り込んでしまった。歩夢はたしか十四歳だったよな。学校にいれば中学二年生になる歳だ。それがサンタの存在を信じ込んでいて……。
というか、分かってちゃんと接している櫻も優しいな。歩夢の分のプレゼントも用意してるんだろうか。
「……夢は壊さない方がいいみたいだな」
「うん……」
もう一度心晴の方を見て、お互い頷き合うのだった。
それからしばらく飾り付けの手伝いなんかをして、準備もそろそろ佳境に入るかという頃、櫻があっ、と不意に声を上げた。
「どうしたんですか?」
「いや、そういえばチキンの予約をしたのにまだ取りに行ってないな、って思って……」
なるほど、そういうことか。
「じゃあ、あたしが行くよ」
「いいの? それじゃあ、お願いしちゃおうかしら」
そんなことなら櫻の手を煩わせるまでもない。さっさと取って帰ってこよう。
「すずも一緒に行っていい?」
「分かったよ。行くなら早く準備しな」
「はーいっ!」
自室へ駆け戻るすずを余所目に見つつ、櫻から予約のレシートと、チキンの代金を受け取る。
「うん、確かに渡したわよ。よろしくね」
「ああ。任せなって」
ばっちり着飾ったすずを連れて、家の玄関をくぐるのだった。
はるかぜ荘が面する住宅街の通りを抜け、街の大通りに出ると、あたしたち二人はほぼ同時に息を呑んだ。
「わあ……!」「おお……」
そこでは、すっかり見慣れた通りの街路樹が全て、色とりどりの電飾によって鮮やかに彩られていた。冬の夜の張り詰めた空気にイルミネーションの光が浮かび上がり、クリスマスという日を彩るにはこの上なくロマンチックだと思えた。
「きれいだね、依織!」
「ああ。すごく綺麗だな……」
興奮気味のすずの手を握りながら、あたしも思わず声を漏らした。が、今はこんなことをしている場合ではない。なるべく早く目的地に着かないとな。手を引いてまた歩き出した。
光溢れる道を歩きながら、すずと他愛もない会話を交わす。
「すずは、サンタさんに何を頼むんだ?」
「えー? どうしよっかな、言おっかなー?」
「もったいぶらずに教えてくれよ」
もじもじと何かをはぐらかす仕草のすずだったが、やがて少し恥ずかしそうにしながら口を開いた。
「……キーボード、頼んだんだ。楽器のね」
「キーボード?」
そりゃあ、またなんでそんなものを。そう思った矢先に、彼女は次の言葉を放つ。
「ちょっとでも、依織に近づきたいなって。……ダメ、かな?」
「っ……」
はにかんだ笑顔が、イルミネーションより眩しくて。思わず目を逸らしてしまった。
……本当に、こいつは。ただただ純粋にあたしの背中を追いかけてきて……ずるい奴だ。
「……いいよ。お前の選んだことだからな」
優しく髪を撫でてやると、すずはえへへ、と小さく笑った。
そうこうしているうちに、目的地の店までやってきていた。代金と引き替えにチキンを受け取り、帰路につく。今年のクリスマスはとてもいい日になりそうな予感がする。
目的も果たしたので、足早にはるかぜ荘までの帰路を急ぐことにした。
「ねえねえ、中身は何なの?」
「えーっと、普通のチキンと、ポテトと、おっ、アップルパイも入ってるみたいだぞ」
「アップルパイ!? やったー!」
子どもらしくはしゃぐすずを宥めていると、どこから湧いてきたのか、急に人の波があたしたち目がけて突っ込んできた。
「おわっ……!?」
何だこれは。何かイベントでもあるのか? そんなことを考える暇もなく、人だかりは進行方向へとあたしたちを押し流そうとしていく。
とりあえず、横へ逃れないと。すずの手を引いて、近くの店の軒下へと避難したのだった。
少しして、人だかりの最後尾が通り過ぎていき、突然のパニックも収束したのだった。
「いやー、びっくりしたな。すず、怪我はないか……えっ?」
あれ? どうしてだ? 突然の出来事に、脳がこの事態を受け入れることを拒絶していた。
さっきまでこの手に握られていたはずの彼女の手が、いつの間にか無くなってしまっている。血の気が引いて行くのが、自分にもよく分かった。落ち着け、落ち着けあたし……。
「きっと、さっきの人だかりだな……」
あの時にうっかり手を離してしまって、そのまま流されていったんだ。くそっ、何てこった……。
とにかく、あたしのやるべきことはひとつだ。よし、と息を整えると、すずを探しに通りを駆け出した。
あの人の波は、どうやら全員が同じ方向に行ったみたいだ。だから、そちらへ向かえば自ずとすずも見つけられるはず。
もっとあたしがしっかりしていれば、こんなことにもならずに済んだのに……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。黙って足を動かすだけだ。
捜索を続けていると、何やら噴水広場に人が集まっているのが見えた。さっきの人だかりはこれが目的だったのか。ならば、ここにすずがいる可能性も……。
果たして、その予想は的中していたのだった。
「すずっ!」
人混みに紛れてぽつんと立っているすずに声をかける。彼女はこちらを向いたかと思うと、堰を切ったように涙を零し始めた。
「依織っ、依織ぃ……! 怖かった……!」
泣きじゃくるすずの背中を優しく抱く。その華奢な身体は、孤独感で小さく震えていた。
「ごめんな、すず。あたしがちゃんと見てなかったせいだ……」
あたしが謝罪の念を伝えると、彼女は涙を流しつつも首を横に振った。
「ううんっ、依織のせいじゃないもん! すずが、ちゃんと手繋いでなかったから……!」
ぼろぼろと大粒の涙を零す彼女を慰める。すずは否定するけれど、こうなった責任は間違いなくあたしにある。あたしのせいで、すずはこんな思いをして……本当に、不甲斐ないばかりだ。
自責の念に駆られていると、広場に集まった人々から歓声が上がるのが聞こえた。それにつられて、顔を上げる。
「わあっ……!」
そこでは、ライトアップされた色とりどりの噴水が、音楽と共に噴き上がっていた。
「……さっきより、すっごく綺麗」
「ああ……」
気が付くと、すずは泣くのも忘れてすっかり噴水に見とれていた。
やがて水勢はさらに強くなり、それに合わせて光もより彩りを増した。まるでそれは、あたしたちの再会を祝っているかのようで。そう思えてしまうくらい、今はロマンチックな空気に包まれていた。
「……ふふっ」
「どうしたの、依織?」
あたしらしくもないことを考えたせいで、思わず変な笑いが零れてしまう。
「なんかさ、すずがいなくなったのはびっくりしたけど、ハプニングがなかったらこんな綺麗な光景は見られなかったな、って思ってさ」
本来ならチキンを買って家に帰るだけだった行程が、ちょっとの出来事であっという間にドラマチックな一日に早変わりだ。運命のいたずらってやつだろうか。もしそうだとしたら、運命に感謝しないといけないみたいだ。
「……そうだね。えへへ、なんかすごいね、そういうの」
「まったくだな」
人生、何があるか分かったもんじゃないな。だからこそ、今こうしてすずや皆と同じように過ごしていても、それぞれが違う形で宝物になるのだけど。
すずの小さな手を握りしめると、呟いた。
「……なあ、すず」
「なあに?」
無邪気な双眸がこちらを見つめる。そんな透き通った瞳を、同じようにして見つめ返す。
「……これからも、一緒だからな」
彼女は固まったまま何も言わない。ほんのちょっとだけ照れたような素振りを見せてから、またすぐ元の笑顔に戻った。
「――うんっ! 約束だよっ!」
やっぱり彼女の笑顔は眩しかったけれど、今度は直視していようと思った。一度しか手に入らないような宝物を、見逃すわけにはいかないから。
穏やかな時間も、噴水が終わってしまうと同時に途切れてしまう。
「……終わっちゃったね」「……ああ」
あれほど煌めいていた音楽も止み、辺りは雑踏の音に包まれる。楽しいことが終わるときは、いつだって寂しいものだ。
「……よし、帰るか」
「うんっ」
そろそろ帰らないと櫻も心配するだろうしな。
手を繋ぎ直すと、寒さに凍えた手にすずの体温が溶けていく。その温かさが愛おしい。
「ねえ、依織」
「どうした?」
すずの呼びかけに応えると、彼女はまたにっと笑った。
「クリスマス、いっぱい楽しもうね!」
「……ああ!」
言われるまでもなく、今年のクリスマスも楽しくなりそうだ。すずと一緒なら、きっと。そんなことを考えながら、帰路を急ぐのだった。
一足早めにクリスマスのお話です。
時々見せるすずの乙女な一面は、住人全員をノックアウトしちゃうみたいです。可愛いから仕方がない。
元気な子がしおらしくなるのはいいですよね。
ところで僕のクリスマスの予定はボランティアです。なんで?(殺意)