△Episode 20: 心晴、新たな挑戦
だるい。
今のわたしの状態を一言で言い表すなら、これで十分事足りるレベルだ。とにかくだるい。
ゲームもあらかたやって飽きたし、今日は歩夢もすずも出かけてしまったから、誰かに構ってもらうこともできないし。かと言って、他にすることがあるわけでもなし。八方塞がり、万事休す。
「まずい……一日が無下に終わってしまう……」
今はどうしているかといえば、ベッドに寝っ転がって天井とにらめっこだ。生憎数えるようなシミはないけれど、かれこれもう三十分くらいはこうしているか。
そろそろ考えるのにも飽きてきた頃だ。ぼんやりしていると、思い出したかのように腹の虫が鳴った。
「お腹空いたな……」
気が付いたらもう昼下がりか。しょうがない、冷蔵庫に何か探しに行こう。それで、食べたら少し一眠りしよう。
そんなことを心に決めて、階下へと気怠い身体を運ぶ。そのままキッチンまでやってくると、そこにはよく見慣れた姿があった。
「お、心晴じゃん」
「依織……。何してるの……?」
キッチンに立つ依織は、今から何か始めます、といった様子だった。
「今から昼ご飯作るんだけど、なんか食べたいものあるか? 歩夢もすずもいないし、今なら好きなもの作ってやれるぞ」
「好きなもの……?」
これは好都合。パーフェクトな給仕係がこんなところに。お腹の空いたわたしと、ご飯を作る依織。まさに需要と供給の合致だ。
それにしても、好きなものか。何がいいだろう。少し考えて、答えを出す。
「……じゃあ、オムライス」
「オムライスね。了解了解」
そう言って、彼女は早速冷凍庫を物色し始める。わたしはリビングでのんびり待つとしよう。
そういえば、前にもこうやって依織が料理してるのを見てたっけ。あの時は強引に手伝わされて嫌な感じだったけど、「手伝ってくれて助かった」とか言って、頭を撫でてくるし。
本当に、依織のことはよく分からない。分からないけど……でも、不思議といい気分だった。
「…………」
気が変わった。依織のいるキッチンの入り口に立ち、声を振り絞る。
「あっ……あのさ」
「ん、どうした?」
大丈夫。ちゃんと言えるはず。言葉に詰まってしまわないように、深くは考えずに喋る。
「わたしも、その……て、手伝おうか……?」
何とかわたしがその言葉を絞り出すと、依織はきょとんとした様子でこちらを見た。まるでわたしの言葉を反芻しているみたいな間だ。何か言ってほしいんだけど。
しばらくして、彼女は突然噴き出した。
「ふふっ……ははは、ああ、そういうことか……!」
「わっ、笑わないでよ……!」
ひとりで黙って考え込んだ挙げ句、勝手に笑うなんて。失礼すぎるよ。
「ごめんごめん。またよろしく頼むよ、心晴」
そう言って見せた笑顔は、やっぱり悪い気はしなかったのだけれど。
必要な材料を用意して、いざ調理開始。まずは材料を細かく切るところからだ。依織が包丁をこちらに渡してくれる。
「ちゃんと包丁使えるか? 教えようか?」
「ばっ、バカにしないで……これくらい……できるし……!」
わたしのことを何だと思っているんだろうか。ゲーム以外に能のない奴だと思っているのか。たしかにそれは間違っちゃいないけど……。
「……本当にか?」
「っ……た、多分……大丈夫……」
彼女の視線が、じっとこちらに突き刺さる。これはまったく信頼されていない目だな。
こうなったら、実際にやってみせて実力を示す他ない。材料をまな板の上に用意すると、それを刻んでいく。
「お、なかなかやるじゃんか」
「……ちょっとは見直した?」
「ああ。すげえな、心晴」
褒められてちょっと心が躍りそうになる。ダメだダメだ、こんなのにほだされてどうするんだ……。
ここは集中しないと。ゲームをするときと同じように、意識を刃先と手元に集中する。ピーマンを細かく切り、鶏肉を細かく切り、それらを全部端へ寄せる。だんだん気分が乗ってきたぞ。
そして、次の材料を手に取って、集中した状態のまま何も考えずに刃を入れる。その瞬間、わたしはそうしたことを後悔するのだった。
「め、め、目がっ……!?」
「だ、大丈夫か!? 映画のラストシーンみたいになってるぞ!?」
わたしが刃を立てたのはタマネギなのだった。目に直撃してしみてしまい、思わずのたうち回る。
「あうぅっ、これだけは絶対にダメなんだよぉ……うぅ……」
「と、とりあえず目洗えって」
言われるがままに水道で目を流しても、なかなか目の痛みは取れない。
「なんか、口呼吸しながら切るといいって昔聞いたことがあるけど……よく分かんねえなあ」
「呑気なこと言ってないで何か考えてよぉ……」
あの手この手で対策法を調べて実践して、それで何とかタマネギという関門をクリアすることができたのだった。
あとは依織に任せよう。油を引いたフライパンで、あっという間に材料を炒めたのだった。
「うぅ……ひどい目に遭った……」
「まあ、こればっかりはしょうがねえな……さて、と」
依織は椅子から立ち上がると、おもむろに米を出してきた。そういえば、オムライスを作るというのにここまでご飯が登場しなかったけれど、いったいどうするつもりなのか。
「……何してるの……?」
「何って、今からケチャップライスを作るんだよ」
「は?」
わたしの想像していた形からかけ離れてるんですけど。ケチャップライスといえば、フライパンで材料とご飯をケチャップで炒めるって感じのものだと思うんだけど。
それに反して、依織は炊飯器の中に米と材料を続々入れ始めていた。傍から見たら完全にやばい人だと思う。
「ケチャップの量は……と、これでオーケーだな。後はこいつをよく混ぜて、炊飯器のスイッチをオンだ」
「炊飯器で、ちゃんとできるの……?」
「おう。意外と簡単だろ?」
思わず普通に感心の声を上げてしまった。最近の炊飯器はすごいんだなぁ。……いや、わたしが何も知らないだけかもしれないけど。
さて、炊けるまで少し暇だな。湯気を噴く炊飯器を余所目に、少し依織と話すことにしたのだった。
「あのね、依織……」
「ん、どした?」
わたしが話しかけると、依織はいつもの笑みを向けてくれる。
「依織って、すごく……料理、上手いよね」
「んー……そうか? そんな気はしないけど」
褒めたつもりなのに、当の依織は何だかピンときていない様子だった。何においてもそうだけど、その分野が上手い人ほど自分が上手いことを自覚してないよね。
「だって……依織、何してても、すごく手慣れてるし」
前に見たときも、さっきのわたしの包丁捌きとは比べものにならないくらい鮮やかに、かつ繊細に食材を切っていた。わたしじゃ到底追いつけそうにもない。
「まあ……そうか。昔から自分のご飯もすずのご飯も作ってたからな」
そう言って、遠い目をする依織。昔のことでも思い出しているのだろうか。
「そういう意味じゃ、かれこれ五年くらいは作り続けてるわけか。そりゃあ慣れもするな。何だかんだ言って最初の頃は失敗ばっかりだったし――」
五年、かあ。わたしがゲームにハマり始めたのと同じくらい前の話だ。わたしも、依織も、それだけの時間を掛けて上手くなっていった。ゲームも料理も、すぐには上手くならない……同じだ。
「――あれ? おーい、聞いてるか、心晴?」
「……ねえ、依織」
「お、おう。何だよ、急に改まった顔して」
自分でもよく分からないけれど、何だか急に、ちゃんと自分の気持ちを伝えた方がいいような気がして。
「依織の料理、すごく美味しいし……わたし、好き……だよ」
「え? あ、ああ……ありがとね」
一度言葉を口にしたら、どんどん気持ちが溢れてきて、あることないこと全部喋ってしまいそうだ。そんな気持ちを精一杯抑えながら、今伝えるべきことをひとつだけ伝える。
「わたしも……美味しい料理、作れるようになりたいな……」
「あたしに教えろってか。ふふっ……お願いされちゃあ断る道理はないな」
「ほ、ほんと……!?」
思ったよりすんなりと引き受けてくれて、歓喜の声を上げる。
「ああ。その代わり、あたしは厳しいぞ? ビシバシ指導していくからな」
「よ、よろしく……!」
依織の手がわたしの頭をわしゃわしゃと掻き撫でた。
これを通じて、何か新しいことでも始められたらいいな。今よりちょっとだけ前向きになって、料理を華麗にこなす。そんな未来を想像して、少しだけ胸が躍った。
やっぱりほだされてるな、わたし。まあ、それでもいいや。
程なくして、炊飯器から規則的な電子音が聞こえてくる。ケチャップライスが炊きあがった音だ。
「お、炊けたみたいだな」「うん」
依織は立ち上がると、あらかじめ洗っておいたフライパンに油を引き始める。わたしもそれに合わせて立ち上がり、オムライスを盛り付けるための皿を取り出す。
「じゃ、あたしは卵焼くから、心晴は盛り付けよろしくな」
「分かった。任せて」
炊飯器のボタンを押して蓋を開くと、中からはケチャップの甘酸っぱい香りが漂ってくる。依織の言ったとおり、炊飯器でもこんなに出来のいいケチャップライスが作れるんだな。覚えておこう。
ちゃんとした形に盛り付けられるように気を遣いつつ、皿にご飯の山を作っていく。どれくらい盛ったらいいんだろう。こういうとき、依織ならささっと盛り付けてしまうんだろうけど、生憎わたしには経験がないから。
「依織、これくらいでいい?」
「ん? ああ、それくらいでいいんじゃないかな」
よかった、ちゃんとできてた。ご飯の盛られた皿を机に置くと、同じようにしてもうひとつの皿にもケチャップライスを盛り付ける。
ご飯、余っちゃったな。残りはおにぎりにでもして、歩夢に食べさせてあげよう。
「準備できたよ」
「ん、ありがと。そこに置いといてくれ」
皿を依織の側に置くと、彼女の手つきをまじまじと見つめる。やっぱりすごいな、依織は。動きに迷いがない。
「よーし、できたぞ」
焼き上がった卵をケチャップライスの上に乗せて、さらにケチャップをかけて、と。これでオムライスの完成だ。
「いただきまーす」「いただきます」
ダイニングにて、いざ実食。黄色の服にスプーンを立てて、一欠片を掬い上げる。ごくりと息を呑んでから、意を決してそれを口に運ぶ。
「――ん、美味しい……!」
卵の甘さとケチャップの酸っぱさが調和していて、とても美味しい。わたしの思っていたとおりの味ができた。
「はは、やっぱり自分で作った食事は美味いよな。分かるよ、その気持ち」
「まあ、わたしは材料切るしかしてないけどね……」
半分くらい依織に任せっぱなしになってしまった。もっと料理ができるようにならないとなぁ。
「それでも十分助かったよ。今日はありがとね」
「う、うん……」
そんな思いを覆すような彼女の笑顔と言葉に、少し胸が高鳴ったのが自分でも分かった。なんか少し恥ずかしい。
「さて、次は何を作ろうかな。洋食もいいけど中華もいいな……」
オムライスを頬張りながら依織はそんなことを呟いている。未だにドキドキしながらそれをぼんやり眺めていると、彼女は不意にこちらを向いて言った。
「なあ、心晴は何が食べたい?」
「えっ、わたし……っ!? なんで……?」
急に話題を振られてまごまごしていると、依織は怪訝そうな顔をした。
「なんでって、だって心晴も一緒にやるだろ?」
「…………!」
胸の高鳴りがさらに加速する。ずるいよ、そんな言い方。そんなこと言われたら、嬉しくなるに決まってる。
……やっぱり、依織なんか大っ嫌いだ。
「えっと、じゃあ、わたしは――!」
――でも、嫌いじゃない、この気持ち。
ようやく辿り着きました20話の大台。これからもよろしくお願いします。
今回は心晴が依織と料理する話。11話とゆる~くつながってる感じになってます。
心晴はツンデレなので上手く言えませんが、実は依織にも歩夢と同じくらい依存してます。かわいいね。