△Episode 2: 引きこもりと太陽
「――よし、これで勝ち……うん」
わたしだけの部屋に、カチャカチャとボタンを押す音と、目の前のモニターから流れてくるBGMとキャラクターのボイスだけが鳴り響く。わたしの操作に合わせてキャラクターが軽快な動きを見せ、相対する敵キャラクターに攻撃する。
「……勝った」
わたしの放った技は敵にクリティカルヒット。それは相手の体力ゲージを削り切るには十分すぎる威力で、相手はたまらず地面に叩きつけられた。画面に「WIN」の三文字が浮かび上がる。
ふう、と溜め息をつき、ゲーム機の電源を落とす。部屋にしんとした静寂が満ちる。同時に張り詰めた精神の糸が解け、思わず口から欠伸が漏れ出た。対戦ゲームは楽しいけれど、勝ったり負けたりの連続だから精神的に負担がかかるんだよね。少し休憩でもしようかな。
そんなことを思った、その瞬間だった。
「心晴さん、心晴さん!」
部屋の扉を開けて何者かが飛び込んできた。ぱたぱたと慌ただしい動きに、よく聞き慣れたわたしを呼ぶ声。ぼんやりとした顔で、突然の来訪者を出迎える。
「歩夢……ノックくらい、して……」
九重歩夢。三か月くらい前にはるかぜ荘にやってきたわたしより年下の女の子。何かとわたしに世話を焼いてくれるけれど、ちょっとだけうっとうしいと思ったり。基本的にわたしはおせっかいを焼かれるのが嫌いだ。
……まあ、素は明るくて優しい子なんだけどね。これで放っておいてくれたら言うことなしだ。
「あっ、ごめんなさい……。でも、一緒にお買い物に行こうと思って」
「……えぇ……」
それはわたしを呼ぶ必要があったのかな。わざわざ引きこもりのこのわたしを。ご飯に呼ばれたって出て行きたくないような、このわたしをだ。
「……やだ。外出たくない」
決まり切った言葉を返す。今日はゲームをしたい気分なのだ。何と言われたって外に出るつもりはない。
歩夢もそれは分かっているだろうに、懲りずにむう、と頬を膨らませた。
「でもっ、櫻さんに『一日一回は外に出してあげなさい』って言われてるんですよ」
「え、何それ!?」
わたし、知らないところでそんな言われ方を……? ちょっとショックだ。大抵のことは気にしないスタンスだけど、いくら何でもそれは少し傷つく。
まるで犬を散歩に連れて行くみたいな言い草だ。櫻め、わたしのことを手の掛かるペットと勘違いしてるんじゃないだろうか。それに、わたしはどっちかというと猫だと思うんだ。一生こたつで丸くなっていたいのだ。
なかなか屈辱的な発言だったけれど、それでもわたしは動かない。動きたくない。
「それって、わたし必要……? 依織に頼めばいいのに……」
わたしは非力だし、面倒臭がり屋だし、わたしなんかが一緒に買い物に行ったって足手まといにしかならないんじゃないのかな……。
しかし、歩夢はそんなわたしの主張を一蹴した。
「私は心晴さんとお出かけしたいんです! それじゃ、駄目ですか?」
「うぐっ……」
彼女はわたしの方をじっと見つめる。そんな目で見つめられたら断るに断りきれない。何というか、歩夢の目は純粋で直視できないんだよね……。視線を逸らすわたし。それを見つめ続ける歩夢。うぅ、気まずい。
「……分かった、分かったから、そんな目で見ないでよ……」
「ほんとですか!?」
結局根負けしてしまった。我ながら押しに弱いと思う。溜め息をつくわたしのことなど歯牙にもかけない様子で、歩夢は嬉しそうなそぶりを見せていた。
「そうと決まったら! 早く行きましょうっ!」
「ちょっと待ってよ、まだ着替えも済ませてないのにぃ……」
慌ただしさに押されながら、いつもの部屋着から着慣れない外出用の服へ着替える。財布よし、鍵よし……うん、準備万端だ。多分。
「……準備、できたよ」
「わぁ……! 心晴さんの服、良く似合ってますよ!」
「そ、そうかな……?」
ひとかけらの惜しげもなくそんなことを言われると、わたしは何も言えなくなってしまう。調子狂うなあ……。
ともかく、わたしたち二人は近所のスーパーへと向かうのだった。扉を開けて外に出た瞬間、眩しい太陽の光が全身に降り注ぐ。すごく眩しい……。散歩日和などと言われるような穏やかな陽光でも、外出慣れしていないわたしにとっては殺人光線そのものだ。頭がくらくらする。
「大丈夫ですか、心晴さん?」
そんなわたしを見かねてか、歩夢が声を掛けてくれた。心配するくらいなら最初から外に出さないでほしいんだけれど……まあ、今は黙っておこう。歩夢の機嫌を損ねてしまうのも不本意だし。
「ううん、大丈夫……だと思う」
わたしだって、承諾してしまった以上こんな所で帰るわけにもいかないし。多分まだ、頑張れる――はず。
「あ、そろそろ着きますよ、心晴さん!」
歩夢が指を差した先には、目的地であるスーパーが鎮座していた。よかった、これでしばらくの間は日光を避けられる。
自動ドアをくぐりながら、ふと脳裏に浮かんだことをぶつけてみることにした。
「……それで、今日は、何買うの?」
「えっ? どうしたんですか?」
歩夢がきょとんとした顔でこちらを見つめる。
「せっかく来たんだから、何か手伝った方がいいのかなって、思って……」
お願いされて来たとはいえ、ただくっついて歩いているだけじゃ、個人的にも少し気まずい。特に歩夢は年下だし、歩夢にばかりいろいろさせてちゃいけないと思うから。
「そんなつもりなかったんですけれど……いいんですか?」
「うん」
こくりと頷くと、歩夢はにっこりと笑ってくれた。
「ありがとうございますっ! ええっと、今日はですね、牛乳と、人参と、じゃがいもと、玉ねぎと、カレールーと、あとすずちゃんからジュースを頼まれてて……あ、そうだ、依織さんからコーヒーの粉を……」
「買い物の量が多すぎる……」
前言撤回していいかな。これをいつも歩夢はやってるんだ……。どう考えても十四歳の女の子がひとりで買う量ではないと思うんだけど。
ちらりと歩夢の方を見たけれど、当の彼女はわたしの心配などつゆ知らず、楽しそうな様子だ。
大丈夫かな、ほんとに……。一抹の不安を胸に抱きつつ、買い物へと向かうのだった。
結論から言うと、全くもって大丈夫ではなかった。主にわたしの身体が。
「うぅ……疲れた……」
あれだけ歩いたのはいつぶりだっただろうか。ふくらはぎがもうガッチガチだ。おまけに全身ダル重だし。こんな身体の弱った十六歳がいてたまるか。
二つに分けた買い物袋を分担して持ちつつ、ぐったりと足を引きずってはるかぜ荘までの道を戻る。
「えへへ、ありがとうございました! 心晴さんのおかげで助かりましたよ!」
「そっか……それはよかった……」
歩夢は相変わらず元気そうだ。わたしはさっさと帰らないと死んでしまいそうだ。
うっかりそんなことを思ってしまった、その時。
「あ――っと――!?」
「心晴さんっ!?」
気が抜けた隙に、私の意識はどこか遠い所へ飛んでしまっていた。それと同時に足がもつれ、顔面と地面との距離が一瞬にして縮まる。
「大丈夫ですか……っ!?」
間一髪で歩夢が身体を受け止めて、その衝撃でわたしも意識を取り戻した。今あった一連の出来事を反芻し、理解する。そしてまた血の気が引いた。
何やってんだ、わたし……!
「だいじょう、ぶ……っ」
その瞬間、また全身の血液が動く感覚。視界が灰色になり、また足がもつれた。久しぶりに外に出たし、おまけに寝不足だったし無理はない。けれど、よりにもよってこんなところで……!
「無理しないでください! そこでちょっと休みましょう」
「ごめん……ありがとう……」
完全にダウンしてしまったわたしを、歩夢は近くのベンチまで連れて行ってくれたのだった。
「うぅ……ごめん、わたしの方が年上なのに……」
「まあまあ、いいんですよ」
その後。自販機で買ってきてくれたお茶を飲みつつ、ベンチで体力を回復する。わたしの身体が貧弱なばかりに迷惑を掛けて……うぅ、情けない。
そんなことをしている間にも、きりきりと締め付けるような頭痛がする。
「ちょっと、横になっていい……?」
「いいですよ、はい」
そう言うと、歩夢は自分の膝をぽん、と叩いた。
「……え?」
「横にならないんですか?」
それは、そこに寝転べということなのか……? いやいや、まさかそんな。しかしいくら彼女の顔を見つめてみても、ただニコニコと笑うだけで動じる様子はない。
「いいの?」「いいですよ?」
そうですか……。
お言葉に甘えて、歩夢の膝にゆっくりと頭を乗せる。柔らかい肌から体温が直に伝わってきて、思わずさらに身体が火照ってしまいそうになる。
ぎこちなく膝枕されるわたしの髪を、彼女はゆっくりと指で梳いてくれた。なんだか気持ちいい……。一回一回梳かれるたびに、全身の緊張が解けていく気がした。
そして、ゆっくりと意識は沈んでいく。微睡へと落ちていく。
次に目を覚ました時には、視界全体に歩夢の顔が映っていた。
「わぁ!?」
「あ、やっと起きましたね!」
急いで起き上がり、微笑む歩夢の顔をまじまじと見つめる。どうやら膝枕をされるうちに、いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。寝顔を見られてしまい、思わず顔中の血管という血管に血が集まってくる。
「ご、ごめんっ、いつの間にか寝てたみたい……」
年下の子に膝枕された上に、あまつさえそこでぐっすり眠ってしまうなんて。うぅ、しばらく歩夢の顔を直視できないかもしれない……。
「えへへ、いいんですよ別に! 心晴さんが元気になってくれてよかったです!」
「なっ……」
歩夢の笑顔がぱあっと輝く。それはまるで、早朝に山の端から顔を出した太陽のようで。突然現れたその太陽は、わたしの心を溶かしてしまうには十分すぎた。
あ、また顔に血が上ってきた。頭がくらくらする。
「うぅ……」
「だ、大丈夫ですかっ!? やっぱりまだ休んでた方が……」
「ううん、だ、大丈夫だよ、今度は……! ほらっ!」
ふらふらするのを堪えて、バッと立ち上がる。これ以上ここで歩夢に看病されていたら、本当にどうにかなってしまいそうだ。危ない危ない。
「大丈夫ならいいですけど……それじゃ、行きましょうか!」
「うん……って、ええっ!?」
続けて歩夢も立ち上がったかと思うと、わたしの手をぎゅっと握り締めた。思わず飛び上がったけれど、彼女はきょとんとするばかりだ。
「何してるんですか? ほら、早く行かないと依織さんに怒られちゃいますよ!」
「うっ……うんっ……!」
腕を引かれ、歩夢の後をぱたぱたと付いて行く。重ねた手と手から感じる熱は、さっき感じた、包み込むようなあの肌の熱と同じで。
歩夢のこと、少しだけ分かったかもしれない。気持ちが、少しずつ動いている。
この日の陽気のように、わたしの心もポカポカと温かくなるのだった。
というわけで第二話でした。評価だったり感想だったりよろしくお願いします。