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はるかぜ荘は今日もうららか  作者: 洛葉みかん
18/88

□Episode 18: 帰るべき場所

 昼間はうるさいくらいに活気のあるはるかぜ荘も、夜になれば当たり前のように静まりかえる。そんな中で、不規則なクリック音とキーボードを叩く音だけが静かな部屋に響いている。


「……なんか、全然メロディが降りてこないな……」


 もう午前十二時を回り深夜になろうというのに、あたしはディスプレイと向き合いながらずっと作曲にいそしんでいた。キリの良いところでやめようと思ったのだが、思いの外手こずってしまい今に至るというわけだ。

 ふと時計を確認すると、針はあっという間にもう午前一時を指している。少し時間を無駄にしすぎだ。


「ちょっと休憩するか……」


 気分を切り替えれば、何か良いメロディも降りてくることだろう。大きく伸びをすると、キッチンへと向かうのだった。

 頭をスッキリさせるには、とびきり濃いコーヒーをブラックで。黙々と淹れていると、キッチンの外が激しく光った。


「っ!?」


 何事かと思ったが、遅れてやってきた轟音で状況を理解する。雷が鳴っていたのか。作業中はヘッドホンを付けてたし、明るい部屋でカーテンも閉め切っていたから気付かなかった。


「にしても、やけにでかい雷だったな……」


 割と近そうだったな、あれ。停電とかしたらデータが吹き飛ぶよな……。それだけは絶対に勘弁だ。ちゃんとバックアップは取っておかないと。

 そんなことを考えながら淹れたてのコーヒーを飲んでいると、今度はキッチンの外から、ひたひたという音が聞こえてきた。

 雷の夜に、何かを動かすような不気味な音。今度は幽霊かとでも思ったが、「それ」はよく聞き慣れた声であたしの名前を呼んだ。


「……依織、さん……?」

「歩夢?」


 声の正体は、パジャマ姿の歩夢だった。キッチンの明かりに照らされ、その輪郭がはっきりする。そして表情が読み取れるようになると、あたしは少しだけ息を呑んだ。


「……どうしたんだ?」


 彼女は、どこか泣いているように見えた。歩夢のこんな憔悴しきった表情は見たことがない。確信する。間違いなく何かがあった。


「……怖い、夢を見て……それで……眠れなくて」

「そっか。……辛かったな」


 こんな雷の日じゃ、そりゃあ怖い夢も見るだろう。彼女のために椅子をもうひとつ用意してやり、ホットミルクを入れてやる。


「ほら、お待たせ。これ飲めばちょっとは落ち着くだろ」

「……ありがとうございます」


 彼女は温かいミルクをちびちびと飲む。それを他人事のように見つめながら、まるであの時みたいだ、と思った。

 歩夢が初めてここにやってきた日。家を出て、小雨の降る街をさまよっていた頃。櫻に手を引かれていたあの時も、彼女の目には光がなかった。その当時と同じくらい、本当に怖い夢を見たんだな。


「……落ち着いたか?」「…………」


 歩夢は首を横に振る。まあ、そんな簡単には落ち着いたりはしないか。とはいえ、ここでずっとだらだらしているわけにもいかない。


「……あたしの部屋、来るか?」「…………」


 今度は首を縦に振る。かくして、いつもと様子の違う歩夢を部屋に匿うこととなったのだった。


 ベッドの上に腰掛けて、彼女の顔を見る。さっきと同じ、陰のかかった光のない表情だ。いつもニコニコしているだけに、久しぶりに見たその顔は、余計にあたしの胸を揺さぶった。


「よかったらさ、夢のことを聞かせてほしいんだ。話すとスッキリすることもあるだろ」

「えっ……と」


 あたしの言葉を受けて、彼女は明らかに動揺の色を見せる。言うべきか言わぬべきか、そんな二つの間で揺れるような表情。やっぱりすぐに話すのは辛いか、と思ったが、何かを話そうとする素振りをしている。


「えっと……あの……」

「焦らなくていいよ。ゆっくり話していけばいいから」

「……はい」


 思い詰めたように下を向きながら、もじもじと指を絡めて何かを考えている。今まさに心を落ち着かせている真っ最中なのだろう。

 しばし待っていると、言葉にする決心ができたのか、歩夢はゆっくりと口を開き始めた。


「……夢の中に、お母さんが出てきたんです」


 お母さん、か。歩夢にとっては、辛い記憶の象徴のような人物なんだろう。彼女に家出を決意させるほどの人物。それが夢の中に出てきたとあっては、怯えるのも無理はない。


「それで……夢で、私のこと、怒るんです。歩夢、歩夢って……怒鳴り声が、頭の中で……」

「…………」


 力なくぶら下がった手はいつの間にか握り拳に変わり、弱々しかった語気も、どこか感情を帯びたものに変化する。きっと今の彼女の中では、言葉にできない思いが渦巻いていて。それを思うと、あたしの胸もざわつくのだった。


「何度も、何度も……頭の中で反響して……。それがずっと消えてくれないんです……!」


 いつしか、彼女の双眸からは大粒の涙が零れ始めていた。今まで詳しい事情を聞くことはなかったけれど、笑顔の裏にはこんなにも辛い記憶を隠していたんだな。知らなかった――否。あたしは彼女の笑顔に甘えて、何も知ろうとしていなかっただけだ。


「……嫌なこと思い出させちまったみたいだな。ごめん、歩夢」


 小さく首を横に振る歩夢だったが、その表情に浮かぶ辛さを隠しきれてはいなかった。

 歩夢がこんなになるまで追い詰められるなんて、そいつの顔を一度見てみたいものだ。会って、一発殴ってやりたい。


「ここは……幸せで、安全で。楽園みたいな場所だって、思います」


 歩夢はゆったりとその華奢な身体を預けてくる。それに合わせるようにして、綺麗な髪を手で掬った。


「でも……何かのきっかけで、急にまたあの生活に戻るんじゃないかって思うと……すごく、怖いんです……!」


 まぶたをきゅっと閉じると、またそこから涙がぽろぽろと零れる。


「歩夢……」


 ……そうだよな。今が楽しくったって、完全に忘れられるわけなんてないもんな。あたしだって未だに実家のことを思い出すのに。あたしたちは皆、消えることのない過去に縛られ続けている。どれだけ忘れようとしたって、記憶は影となり永遠に付きまとう。歩夢は今、それから必死に逃げようとしているんだ。

 雨に濡れた子犬のように震える歩夢を憂いて、その体躯を優しく抱きしめた。


「いっ、依織さんっ……?」


 突然の出来事に落ち込むのも忘れて、驚きの声を上げる歩夢。一瞬だけ身をよじらせたが、その後は全身をあたしの胸に委ねてくれた。

 そしてこれ以上歩夢を怯えさせぬよう、その背中を優しく撫でてやる。


「大丈夫だよ。ここにいる限り、あたしたちが歩夢のことを守ってやる」


 精一杯の言葉で、精一杯の優しい声で。あたしが今本当に思っていることを語りかける。


「歩夢の幸せを邪魔する奴は、あたしが絶対許さない」


 だって、はるかぜ荘はそのためにあるのだから。ここは、世界に溢れる過酷から逃れられる唯一の場所だ。その幸せを守るためなら、あたしはどんなことをしたって構わない。いかなることの矢面に立つとしても、どれだけ傷を負おうとも。


「だから、安心しろ」


 歩夢の潤んだ瞳を見据えて、ささやかな微笑みを向ける。対する彼女は少しの沈黙を挟み、同じように笑い返してくれた。


「……ありがとうございます、依織さん」


 ただし、その笑顔はお世辞にも良い物とは言えなかった。涙を浮かべながら無理に笑うせいで、その口元は苦痛に歪んでいる。見ていてこちらが悲しくなるくらい、痛ましい笑顔だった。


 ……違うだろ、歩夢。今は笑うところじゃないだろ。それなのにどうしてお前は、そうやって周りを心配させまいとして――。


「……もうひとつ聞いてくれ」

「…………?」


 気が付くと、あたしの手は歩夢の肩を掴んでいた。先ほどとは違う、真剣な目で彼女を見つめる。


「辛いときは、無理せずみんなに言ってくれよ。歩夢は優しいから、誰も心配させたくないのかもしれないけど」


 きっと今日みたいなことが今までにもいくらかあったんだろう。その度に涙を流して、次の日には皆に悟られぬように笑顔で隠して……。そんなこと、みすみす見逃しておくわけなんてない。


「困ったらいつだって力になる。あたしたちは、一緒に過ごす家族だろ」

「……っ……!」


 歩夢の目が見開かれ、そこにまた涙が湛えられる。次の瞬間、彼女はあたしの胸に飛び込んできた。


「……依織さんっ……!」


 そして、今までに聞いたことのないような嗚咽を上げて泣き始めた。


「えぐっ……ひっく、依織さんっ……! ありがとう……大好きですっ……!」


 ようやく歩夢の本心を聞くことができてよかった。歩夢には辛い思いをしてほしくないし、それを隠していてほしくないから。


「……あたしは、歩夢の味方だからな」


 彼女が落ち着くまで、その髪を優しく撫でてやる。泣きじゃくる歩夢だったが、その表情はどこか嬉しそうに見えたのだった。


 しばらくして少し落ち着いたのか、歩夢が不意に口を開いた。


「あの、依織さん……」

「どうした?」


 呼びかけに応えると、彼女は少し恥ずかしそうに背中をぎゅっと掴んだ。


「……もう少しだけ、こうしててもいいですか……?」


 そう言って、歩夢は上目遣いでこちらを見る。普段よりしおらしい彼女の様子が可愛らしくて、少し噴き出してしまった。


「ふふっ……ああ、好きなだけこうしてていいぞ」

「……えへへ、ありがとうございます」


 先ほどよりは大分自然な笑顔を見せると、歩夢はまたあたしの胸にすっぽりと収まった。

 熱いくらいの体温を感じながら、背中をさすってゆっくりと子守歌を歌う。


 ……それにしても、ここに暮らす人間はどういうものなのかを改めて感じたな。ある人間は引きこもり、またある人間は根無し草、そして捨て子に家出少女、か。

 皆、人に言えないような事情があって、それでもなお前を向いて今日も生きている。ここは、そんな人間が集まる場所だ。


「……お互い大変だな」


 呟くようにぽつりと漏らしたが、それに対しての歩夢の反応はない。


「歩夢……?」


 見ると、彼女はすでに目を閉じて眠りに落ちてしまっていた。絶対に離すまいといった様子で、あたしの身体に掻きついたまま。


「ふふっ……これじゃ作業に戻れないな」


 あたしも寝ることにしよう。ひっつき虫の歩夢と共にベッドに入り、掛け布団を被る。

 横になった歩夢の寝顔には、もう不安そうな様子は浮かんでいなかった。安心してすやすやと寝息を立てている。

 あたしや櫻がちゃんとしてないと、また歩夢を不安がらせてしまうな。彼女のあんな表情は、そう何度も見ていいものではない。願わくば、もう二度と見たくはない。だからこそ、もっと頑張らないとな。

 だって、ここは皆の家だから。年長者として、この場所を守っていかなければならない。


 ここははるかぜ荘。あたしたちが、本当に帰るべき場所。


「……おやすみ、歩夢」


 もう一度だけ優しく髪を撫でると、部屋の電気を落とした。明日も頑張ろう。絶対に。

普段書きだめしながら連載してるんですが、これが一番載せるのが楽しみでした。

歩夢の一番脆い部分と、それを受け止める依織の覚悟。

実ははるかぜ荘で一番やってて楽しい組み合わせだったりします。二番目は歩夢と心晴。

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