◎Episode 13: ファッションショー・トリオ
はるかぜ荘に、今日も朝がやってくる。朝食を食べ終えると、手早く支度を調えて外に出る。家の角を曲がり、花壇を一望する。それから蛇口を捻ってじょうろに水を入れて、準備完了だ。今日も今日とて、日課の水やりだ。
「ふんふーん……♪」
時間も忘れて、いつもみたいに鼻歌も歌いながら水を撒く。太陽がさんさんと輝いて、今日もいい天気だ。風もそよそよと吹いて、穏やかな気持ちになれる。
それにしてもこの風、少し冷たいような。風が肌を撫でるたび、思わず鳥肌が立って――。
「っ……ふわっくしゅんっ!」
うぅ、大きなくしゃみが出てしまった。寒くて寒くて仕方がない。これはどうしたものか……。
「おーおー、豪快なくしゃみだな」
「はっくしゅんって、ここからでも聞こえてきたよ!」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。そちらの方に目を向けると、依織さんとすずちゃんが立っているのが見えた。
「依織さん、すずちゃん! おはようございます! いやあ、ちょっと肌寒くって……」
聞かれていたことを少し恥ずかしく思いながら、誰のためでもない言い訳をする。だって寒いのは事実だし。
「そりゃあもう、世間ではもうすぐ十一月だぞ。冷えるに決まってんじゃん」
「そっか、もうそんなに……」
はるかぜ荘でのスローライフに慣れてしまうと、ちょっと季節感覚が狂っちゃうな。そういえば、カレンダー剥がしたっけ。多分九月くらいで止まってる気がするんだけど……。
「急に寒くなるし、やってらんないよね。歩夢の服もちょっと寒そうだね」
「そういえば、確かにそうだな……」
そう言われて、自分の服を見回す。お気に入りのTシャツに、学校の制服のスカート。家から持ってきた寄せ集めコーデだ。
「歩夢、冬服着ないのか?」
「冬服、ですか?」
そう言われて、ふと考え込む。冬服……私、冬服持ってたっけ?
「……あ」
考えて考え込んだ末、そこでようやく思い当たった。
「家出たときに全部置いてきたんだった……」
家にあった一番大きなカバンに、今着れる服を詰められるだけ詰め込んだから、冬服は持ってきていなかった。九重歩夢、一生の不覚。
「持ってないならしょうがないな。……よし、買いに行くか」
「えっ? いいんですか?」
わざわざ私のためにそこまでしてくれることもないのに。そう思ったけれど、彼女はにっこりと笑った。
「いいんだよ。人間、衣食住のどれかひとつでも欠けたら生きてけないからな」
「すずも一緒に行くー!」
「二人とも……! ありがとうございますっ!」
やっぱり、はるかぜ荘の人たちはいい人ばかりだ。手早く水やりを終えると、外出の準備をするのだった。
家を出て、三人揃って服屋へと向かう。今度はちゃんとした服に着替えてきた。ブラウスに、ゆったりとしたロングスカート。私の数少ないまともな服だ。
ただ、これでも結構肌寒い。さっきまで平気に思えてたのに。気の持ちようってことなんだろうか。
「歩夢、寒そうだな」
「え? べ、別に、平気ですよっ……くしゅっ、くしゅんっ!」
無駄に心配は掛けたくなくて強がったけれど、身体の方は言うことを全く聞いてくれない。小さなくしゃみを連発した。
「無理すんな。ほら、これ貸してやるよ」
「あっ……ありがとうございます」
ふわり、と肩に温かい感触。依織さんが着ていた上着が私の肩に掛けられた。仄かに服に残った体温が心地よい。温かいなあ……。
「えーっと……すずは……すずは……」
「うん? どうしたの?」
ふと隣を見ると、すずちゃんが何かを呟きながら考えている様子だった。何をしてるのかな。
「すずは……うん、ぎゅってしてあげる!」
「えっ? ……わわっ!?」
そう言ったかと思うと、彼女はラグビーのタックルでもするみたいに私の胸に抱きついた。急なことでびっくりしてしまったけれど、これはこれですごく温かい。子どもの身体ってなんでこんなに温かいんだろう。
「なんだそりゃ。歩夢が歩きづらいだろ」
「えへへ……でもこれ、すっごく温かいですよ。人間カイロみたいです」
他愛もない会話を繰り返しているうちに、お目当ての店が見えてきた。結局、扉をくぐるまで、すずちゃんカイロをくっつけたままなのだった。
店内に入ると、依織さんたちはすぐさま冬服のあたりに歩いて行って品定めを始める。すごいスピードだ……。
「見てみてこれ、可愛いよ!」
「こういうのもどうだ?」
そして、あっという間にそれぞれが二着ほど手に取ってこちらに差し出してきた。勢いがすごすぎて、思わず気圧されてしまいそうだ。
「とっ、とりあえず、試着してみますね」
二人が持ってきてくれた服を持って、試着室のカーテンを閉める。着替えると、再びカーテンを開ける。
「ど、どうですか……?」
まずは、すずちゃんが持ってきてくれた服。パステルカラーの色使いと、アクセントの飾りが可愛らしい。
「うんっ、すっごく可愛い!」
「いいじゃん。よく似合ってるぞ」
「えへへ、照れちゃいます……」
手放しに褒められて、少しむず痒い気持ちになった。思わず頭を掻いて誤魔化す。
気を取り直して、次は依織さんが選んだ服だ。こっちはすずちゃんとは対照的に、シックな感じでおしゃれ、という印象の服だ。
「じゃ、じゃーん……」
「あたしの思った通りだな。歩夢はこういうのもよく似合う」
「わあ、今度は大人っぽい……」
また褒められた。嬉しいけれど、その反面すごく恥ずかしい。うぅ、何だか落ち着かないよ……。
でも、やっぱり楽しい。存外ノッてきたかもしれない。
「こういう服も似合うかもな」
「あっ、すっごくいい!」
「私、これ好きです!」
しばらくファッションショーを続ける。いろんな服が着れて楽しいなあ。ずっとこうしていたいかもしれない。
そんなことを繰り返し、依織さんが何着目かの服を持ってくる。
「よし、今度はこっちだ」
依織さんが手にしている服を見ると、すずちゃんは口を尖らせた。
「えー、歩夢にはこっちの方が似合うよ!」
すずちゃんも同じように服を手に取り、よく通る声で主張する。反論されて、依織さんは露骨にむっとした表情になった。
「いーや、こっちの方が断然似合うね」
「むぅ……」
「え、ちょっ、二人とも……?」
お互いがにらみ合いの状態になる。何だか急に険悪なムードになって、私はそれをただ見ていることしかできなかった。
「どうしたんですか急に、あの、えっと……」
何とか制止を試みるものの、私の声が届いている気配は全くない。そうこうしている間にも、どんどん二人の口論はヒートアップしていく一方だ。ああもう、私の手には負えないよ。こんなときに櫻さんがいてくれればいいのに。
「依織ってば、普段おしゃれなんかしないから、何にも分かってないんだよ。センスゼロだ」
「はあ? 今自分が何言ったか分かってんのか?」
またそんな安っぽい挑発に乗って……。依織さんって、怒ると意外と周りが見えなくなるのかもしれない。
「その言葉、そっくりそのままあんたに返してやるよ。全身真っ黄色の服で外出ようとしてたもんな」
「そっ、それは……っ!」
そういえばそれ、私も見たような気がする。たしか全員で止めた記憶がある。普段は何にも頓着しない心晴さんがびっくりしたくらい、衝撃的な話だったっけ。
すずちゃんの嫌な思い出を掘り返して、依織さんはにやにやと笑っている。大人げない、大人げないよ依織さん。
「そんなこと言ったら、依織だってコンビニ行くのに真っ黒のジャージ着てたじゃん! あれめちゃくちゃダサかったからね!」
「いつの話してんだよ!?」
その話は知らないなあ。多分私が来る前の時の話なんだろう。すずちゃんはダサいって言ってるけど、きっと依織さんなら上下真っ黒のジャージでも似合っちゃうんだろうなぁ。そもそも顔がかっこいいし。ずるいなぁ。
「……このままじゃ埒があかないね」
「ああそうだな……ここらではっきり白黒付けておくか」
――って、そんなこと考えてる場合じゃなかった。今は二人を止めないと。口論だけじゃなくて、今にもつかみ合いの喧嘩に発展しそうな空気だ。
誰かが怒っているところを見ると、はるかぜ荘に来る前のことを不意に思い出す。頭に響く怒号も、私を睨む怖い表情も、全部嫌いだ。二人には、そんな風にはなってほしくない。
ちょっと怖いけど、勇気を出さなくっちゃ。がんばれ、歩夢!
「ふっ……二人とも、喧嘩なんてやめてくださいっ!」
勇気は十分――だったんだけれど、思いの外大きな声が出てしまった。依織さんとすずちゃんだけでなく、店にいた他の人の視線まで集めてしまい、顔が真っ赤になるのを感じる。
「私は、そのっ……二人が選んでくれた服、どれも好きですよ……? どっちがいいとか、決められないくらい……」
今ここでどちらが優れているか答えろ、なんて言われたら、私は決めかねて逃げ出してしまうかもしれない。それくらい、二人が選んでくれた服が気に入っていた。
「だから……えっと、喧嘩しないでください……」
それに、二人が争ってるところなんて見たくない。はるかぜ荘のみんなには、仲良くしてほしいから。
「…………」
「…………」
私の言葉を聞いて、二人は沈黙する。そしてお互いに顔を見合わせた。
「……悪かったよ。あたしとしたことが、ついムキになっちまった」
「すずこそ、ちょっとムカッとしちゃって……ごめんなさい」
頭を下げて、今度は私の方を向いた。
「恥ずかしいとこ見せたな。さ、いろいろ買って帰るとするか」
「……はいっ!」
何はともあれ、仲直りしてくれて良かった。やっぱり、はるかぜ荘は仲良しが一番だ。
「――ふう、いい買い物しました」
その後、二人が選んでくれた服から特に好きだった物を買い、袋いっぱいに詰め込んで持ち帰る。
こんなに買えたのも、依織さんが冬服を買いに行こうと提案してくれたおかげだ。お礼を言おうと、彼女の方へ向き直る。
「今日は連れてきてくれてありがとうございました。すっごく楽しかったです!」
「どういたしまして。歩夢が喜んでくれるなら、連れてきた甲斐があるってもんさ」
それと、一生懸命服を選んでくれたすずちゃんにも。
「すずちゃんも、今日はありがとうね。すずちゃんのおかげで可愛い服がいっぱい買えちゃった」
「ふふんっ、やっぱりすずの目に狂いはなかったね」
二人ともにっこりと笑う。もうさっきまでの険悪な雰囲気はどこにもない。いつもの仲良し姉妹の依織さんとすずちゃんだ。
「衣替えの季節になったら、また三人で買いに来ましょう!」
何だかちょっと楽しみになってきた。そんな私の心を見透かしたように、せっかちな風が三人の間を通り抜けていくのだった。
「……しかし、あそこまですずが歩夢の服選びに真剣になるなんてな。よほど歩夢のことが大好きなんだな」
「なっ、ちがっ……!」
……あれ? この展開、ついさっき見たような。
「そんなこと言うなら、依織だってめちゃくちゃムキになってたじゃん。歩夢のこと好きで好きでたまらないんだ」
「言ったなおい!?」
「だ、ダメですダメです! 喧嘩はしないでくださいってばぁ!」
ついさっき止めたばかりなのに、この人たちは……。追いかけっこする二人を追いながら、私もはるかぜ荘への帰路につくのだった。
基本的にみんな歩夢が大好き(というかみんながみんなを好き)なので、解釈違いを起こすと喧嘩になります。