△Episode 11: 依織先生のお料理教室
今日もはるかぜ荘はいい天気。最高の散歩日和――否、最高のゲーム日和というやつだ。何をやろうかな。いつものようにゲームの棚をがさがさと漁る。
「うーん……ラススタもいいけど、他のもいいなぁ」
のんびり鼻歌でも歌いながら、ゲームの背表紙をなぞる。こうやって悩んでいる時間が一番幸せだ。やりたいゲームがたくさんありすぎて決められない、贅沢な悩みだ。
「どれにしようかな……、と」
歌に合わせながら指を動かして、今日やるゲームを決める。そうして指が止まったゲームを取り出す。さあ、今日も楽しい一日が始まるぞ。
――と、その時。
「おーい、心晴。ちょっといいか?」
唐突に扉を開け、依織の声が聞こえてきたのだった。わたしの楽しみを邪魔するだなんて、空気が読めないなあ。
仕方なく振り返り、精一杯の敵意の目を向ける。
「な、何……?」
わたしの顔を見て小さく笑うと、彼女はとんでもないことを口走った。
「ちょっとさ、昼ご飯を作る手伝いしてほしいんだけど」
「はっ……?」
何を言ってるんだろう。わたしに何かをしてもらうなんて、地球が逆立ちしたってありえない話だ。歩夢のお願いならともかく、依織の頼まれごとなんて受ける気はさらさらない。
「え、やだ」
「そう言うと思ったよ」
なら最初から提案しないでほしい。突っ込みどころしかないんですけど。
わたしだって暇じゃないのだ。用事がないならもう帰ってほしい。というかそもそも誰にも構われたくないんだけど。人生はそう甘くないということらしい。
「まあまあ、息抜きだと思って付き合ってくれよ。それくらい良いだろ?」
「全然良くない……」
何を根拠にして良いと思ったのか。あるいは依織にとっては良くても、わたしにとっては一ミリたりとも良くはない。
「…………」「…………」
わたしから返す言葉は何もない。同じように彼女も何かを語ることもなく、お互いの間に心とした空気が流れる。早く帰ってくれないかな。
「……うんって言うまで、帰らない、つもり?」
「もちろん」
思わずはあ、と特大の溜め息が出た。勘弁してほしい。
「……分かったよ、分かったから……。めんどくさいなぁ……」
「お、ありがとな」
なんでわたしがこんなことしなきゃいけないのか。頭が痛くなりそう。
「じゃ、よろしく頼むよ」
だるい身体を引きずって台所まで降りてきた。パスタの束と鍋が置いてある。まあ……そんなに難しい料理でもなさそうか。
水を鍋に入れて、パスタの束を茹でる。わたしの目の前で、麺がしなしなになっていく。そんな様子を眺めながら、ぼんやりと考え事をする。
「……飽きたな……」
代わり映えのしない光景をただひたすらに眺めているだけでは、集中力なんて五分も保てば良い方だった。
ちらりと横を見ると、依織は何やらソースのようなものを作っている最中のようだった。無言なのも疲れるし、何か話でもしようかな……。
「ねえ、依織」「ん、何?」
依織は視線を下ろしたまま応える。
「なんでわざわざ、わたしに手伝わせてるの……?」
わたしが尋ねると、彼女は今度はこちらを向いてきょとんとした。何言ってるんだ、とでも言いたげな顔だ。
「なんでって……。あんた、こうでもしないと滅多に外に出てこないじゃん」
「えぇー……」
別にそんな気遣いいらないんですけど。ましてや依織の心配とくればなおさらだ。ノーサンキュー。
「はあ……」
大きな溜め息がまた出た。なんか見てるだけで疲れたなあ。今度は欠伸が出た。
そんなことを考えながらぼんやりしていると、急に依織の形相が変わり、わたしの目の前を遮った。
「心晴! 吹きこぼれてるって!」
「えっ、あっ……!?」
見ると、鍋がぶくぶくと音を立てて今まさに吹きこぼれんとしていた。急な出来事に思わず動揺してしまう。そんなわたしに構わず、依織は暴走する鍋を止めようとする。 つまみを回して火の勢いを緩め、何とか吹きこぼれは収まったのだった。
「ったく、しっかりしろよな」
「そんなこと言われてもぉ……」
勝手に呼んでおいてしっかりしろと言われても、わたしから返す言葉は何もない。恨むならわたしを呼んだ自分自身を恨んでほしい。
しばらくしてパスタが茹で終わり、あとは皿に盛り付けるだけ、というところまで来た。
「心晴ー、器取って」「ん」
依織に言われるままに手を動かす。椅子に座ったままでもできるし、楽な仕事だ。
「…………」
やることが終われば、またすぐに手持ち無沙汰になる。特に自発的にできるようなこともないだろうし、麺をすくい上げて器に取る依織の背中をずっと見ていた。
彼女の手際の良さを見ていると、どう考えてもわたしが必要だったとは思えない。ひとりでもできるはずなのに、「こうしないと外に出ないから」とか言って手伝わせて……。
「……ほんと、おせっかい」
「うん?」
あっ。
思わず言葉が口に出てしまっていた。彼女は振り返ってこちらを見ると、いつもするような明るい笑みを見せた。
「あたしは、必要だと思ったことをやってるだけなんだけどね」
「えぇ……」
そういうのをおせっかいって言うと思うんだけど。依織にとってはそうでもないらしい。
「……ま、相手がそうは思わなかったらおせっかいになるのかもな。難しいな、こういうの」
そう言ってわたしを見つめ、再び作業へと戻る依織。台に置かれた器に向ける横顔は、どこか複雑そうに見えた。
何を考えてるんだろうか。その瞳からだけでは、何も感じ取ることができなかった。
「――よし、完成!」
盛り付けたパスタの上に、依織特製ソースがかかる。食欲をそそる良い匂いだ。
「あたしはすずと歩夢を呼んでくるから、心晴は皿を並べといてくれ」
「ん……分かった」
キッチンを出る依織を横目に、食器棚を開ける。
パスタの器をふたつ運び、それから取り皿を四枚テーブルに並べる。あとは……箸がいいのかな、それともフォークの方が食べやすいだろうか。困ったときは両方持って行くのが正解か。箸を四膳、フォークを四本。あと、取り分け用のフォークも二本。よし、これで準備完了だ。
「あ、心晴さんっ!」
「わー、おいしそー!」
そうこうしている間に、依織に連れられて歩夢とすずがやってきて、部屋に四人全員が出揃うこととなった。
「今日は心晴さんもお手伝いですか?」
「ま、まあ……うん、そんなところ……」
本当はそんなに手伝っていたわけではないけれど。手伝うというよりは、ただぼんやりとしていたような感じだ。
「すごいです! えへへ、ありがたくいただきますね」
そんなに眩しい笑顔をされると、ちょっと罪悪感が湧き上がってくる。知らぬが花というやつだ、彼女はこのままにしておこう。
皆が席に着き、よく見慣れた食事の光景が始まった。手を合わせたのとほぼ同時くらいに、すずがパスタにフォークを突っ込む。
「こらこら、あんまりがっつくなよ」
すずに続くようにして、銘々が自分の取り皿にパスタを取る。そして、一玉を口に運んだ。
「……美味しいですっ!」
「ほんとだ! すっごく美味しい!」
これはなかなか……行ける。味の濃い依織のソースがうまく麺に絡まって、いい味付けになっている。
「……うん、美味しい」
「そう? ありがとね」
そんなやり取りをしている間にも、すずは次々に麺をすすっている。
「えへ、心晴が作ってくれたから美味しいのかな?」
「そ、そんなこと……」
すずの笑顔に思わず目を背ける。だが、背けた先でも歩夢がにっこり笑っていた。
「美味しいですよ、心晴さん。ありがとうございます」
「う、うぅ、そんな褒めないでぇ……」
歩夢の笑顔が思いきり突き刺さった。わたしは何もやってないんだってば。純粋な目を向けないで。わたしを見ないで。やめて。
「はは、心晴はちゃんと働いてくれたからな」
「い、依織までっ……! やめてよぉ……!」
依織のこの笑顔は、絶対分かってて言ってるやつだ。性格悪いなぁ。
「心晴さんってば、偉いです! すごいですっ!」
「や、やめてって……! もう知らないっ!」
こんなに恥ずかしくなる食事は初めてだ。ぷい、と視線を逸らすと、黙って麺をすするのだった。
ごちそうさま、と手を合わせると、それぞれが散らばる。すずは自分の部屋へ。歩夢は自分の食器を片付けると、やはり自室へ。
そこにひとりだけ残った依織はというと、何も言うことなく食器を片付け始めたのだった。不平とか不満とかを漏らすこともなく、ただ黙々と。
その時わたしが何を感じたのかは分からない。ただ衝動のままに、気が付いたときには既に椅子からお尻を離していた。
「あっ、あのさっ……!」
精一杯の声を振り絞って、皿を持って行く依織の背中に話しかける。振り向いた視線がまじまじとこちらを見る。
「わ、わたしも、手伝う……」
彼女の表情は一瞬驚きに変わったものの、すぐにまた微笑みを見せた。
「ああ、ありがとね。よろしく頼むよ」
そう言って彼女はまた皿を運んで行く。少しだけわたしの心が温かくなった気がするのは、気のせいか、否か。
残った食器を全部重ねて、皿を洗い始める依織のところまで持って行く。
「……な、何か、できること、ある……?」
「じゃあ、洗い終わったやつを干しといてくれ」
言われるままに、受け取ったフォークや箸を水切りカゴに立てる。ふと依織の横顔を見ると、やはり真剣な顔をしていたのだった。
「…………」
さっき依織に言われたことを思い出す。必要だと思ったことをやってるだけ、か。何も言わずに昼ご飯を作るのも、わたしを呼び出すのも、率先して食器を片付けるのも、全部必要だと思ったから。疑問を抱くこともなく、思い立ったら行動に移す。それが、依織という人間。
「うん? どうした?」
「……すごい、な……」
「えっ?」
わたしならきっと何もしないだろう。面倒くさいとかいろいろ理由を付けて、きっとその場から動かない。それなのに依織は、軽々とその境界線を飛び越えて――。
「何がすごいんだ?」
「……え? わわっ、い、依織っ!?」
いつの間にか、依織がわたしの目の前で怪訝そうな目をしていた。じっと見つめられ、口を開くしかなくなる。
「……依織、何も言わずにいろいろやってて……すごいなって……」
わたしの言葉の意味が掴めないのか、彼女はその表情を崩さない。うぅ、結構言うのは恥ずかしいのに。勇気を出して、次の言葉を口にする。
「お、おせっかいって言って、ごめん……っ!」
その言葉を皮切りに、次々と脊髄反射で感情が流れ出してくる。わたしがわたしだと思えないくらい、言葉が溢れ、口が動く。
「最初はめんどくさいって、思ったけど……依織が真剣だから、わたしも頑張れたし、それに……歩夢に褒められて、ちょっとだけ嬉しかったから……!」
感情を全て叩きつけ、はあはあと肩で息をする。わたしの熱弁を聞き終わると、彼女は突然噴き出したのだった。
「ふふっ……ああ、そんなことか」
「そ、そんなことって……」
にっと笑うと、彼女はわたしの髪に触れた。その指が肌に触れると、優しくなぞるように動かした。
「今日は手伝ってくれてありがとね。あたしも助かったよ」
「っ……!」
思わず顔を逸らした。髪と一緒に、心まで掻き乱されてしまいそうで。
ダメだダメだ、こんなやつにほだされるなんて……。
「はは、またよろしく頼むよ」
「……うん」
結局頷いてしまった。何だか顔が熱い。怖い思いをしたときみたいにけたたましく心臓が鳴るのに、不思議と胸の内には温かな気持ちが満ちていて。こんな感覚、生まれて初めてだ。
「……また、呼んでね」
今日のはるかぜ荘は、まるでわたしの心のようにぽかぽかと暖かい陽気で満ちていた。
心晴はだいぶツンデレです。
でも根は良い子なのでそれじゃダメだって思ってるみたいです。素直になれないだけですね。