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はるかぜ荘は今日もうららか  作者: 洛葉みかん
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◎Episode 1: ここは、はるかぜ荘

 温かな陽光がまぶたを刺激し、私を深い眠りからすくい上げる。覆いかぶさった掛け布団をはがし、眠たい身体を起こす。んぅ、と大きく背筋を伸ばすと、自然と口から欠伸が漏れ出てくる。


「ふわぁ……」


 時計をちらっと見ると、針は午前七時過ぎを指している。よし、いつも通りの時間だ。そんな些細なことを嬉しく思いつつ、パジャマから部屋着へと着替える。パジャマを畳み終わる頃には、もうすっかり眠気はどこかへ行ってしまった。

 頬をぴしゃりと叩いて気合を入れる。よし、今日も頑張るぞ!



 ここははるかぜ荘。どこにでもあるような、ごく普通のシェアハウス。ここが普通じゃないところを挙げるとすれば、ここには身寄りのない女性たちが集まるということ。かくいう私もそんな人間のひとりだ。三ヶ月前のあの日、雨の中ひとりぼっちだった私を導く手に連れられて……。

 ここに住む人たちはみんないい人ばかりだから、ここの生活にももうすっかり慣れてしまった。

 そんなことを考えていると、さっそく奥から誰かが顔を出した。


「あ、おはよう歩夢ちゃん。今日も早いわね」

「櫻さん! おはようございますっ!」


 柔らかな声に名前を呼ばれて、思わず表情が綻ぶ。

 春見櫻さん。はるかぜ荘の管理人にして、私をここに連れてきてくれた恩人だ。優しくて美人で……とにかく素敵な人だ。立ち居振る舞いも立派な大人の女性という感じで、すごく憧れてしまう。


「うん? どうしたの?」

「あっ……いや、何でもないです!」「……?」


 いけないいけない、思わず見とれてしまっていた。櫻さんに怪訝な目を向けられつつ、慌てて取り繕う。


「そ、そろそろ朝ご飯にしませんかっ?」

「ふふ、そうね。紅茶を淹れるから、トーストしてくれない?」

「はい!」


 キッチンから食パンを二枚取り出し、トースターに差し込む。十分もすれば香ばしい匂いと共に焼き上がり、食卓にトーストが二枚と紅茶が二杯並んだ。優雅な朝食の始まりだ。


「今日も良い天気ねえ」

「ですねぇ。最近はお天気が続いて嬉しいです」


 のんびりゆったり、二人の穏やかな時間が続く。櫻さんとこうしている時間が一番好きだ。


「こんな天気なら、花壇のお花もよく育ちそうね」

「あ、そういえば……」


 花壇に水やりしなきゃいけないのを忘れていた。朝食を食べ終わったら外に出よう。花たちも喜んでくれるかな。

 ――そうだ、良いこと思いついた。


「櫻さんも一緒に水やりしますか?」


 水やりをしている時間は楽しいけれど、そこに櫻さんがいたらもっと楽しいはずだ。

 突拍子もない提案だったけれど、彼女はにっこりと笑ってくれた。


「いいわね、行きましょ!」

「ほんとですか!? やったぁ――うっ、けほっ……」

「歩夢ちゃんってば、はしゃぎすぎよ……」


 喜びのあまりパンがのどに詰まってしまった。だって仕方ない。櫻さんと一緒にいられるのだから。紅茶を口に含んでパンごと一気に飲み干すと、急いで朝食を片付けるのだった。



 庭に出ると、穏やかな陽光が私たち二人を照らす。雲ひとつ見当たらない、本当に良い天気だ。気分まで高揚してくるようだ。気持ちよくなって思わず伸びをしてしまう。

 ……さて、と。そろそろ水やり、始めよう。

 隅にある蛇口をひねり、二人分のじょうろに水を汲む。半分くらいになったところで水を止め、櫻さんの所まで持って行く。


「はい、持ってきましたよ!」

「ふふ、ありがとう」


 じょうろの片割れを手渡し、私も花壇の花々に水をやる。夜の間に乾ききった土が綺麗な黒に変わっていくのを見ると、少し嬉しくなる。そんなことが楽しくて、思わず鼻歌なんか歌ってみたりして。水やりの時間は一日の中でもお気に入りの時間だ。


「ふふふん、ふーん……♪」

「あら、やけに楽しそうね?」「はっ……!?」


 しまった、櫻さんがいるのにいつもみたいなテンションでやってしまった……。おそるおそる彼女の方を見てみると、くすくすと口元を押さえて笑っている。ちょっと、いやかなり恥ずかしい……!


「私も歌おうかしら?」

「だっ、駄目です! 忘れてくださいってばぁ!」


 しばらくして全ての花と野菜に水が行き渡り、水やりが終了した。穏やかな風に吹かれながら、たった今水をやったばかりの花たちを眺める。ふわぁ、と欠伸が口から漏れ出た。本当にいい天気だ。ひなたぼっこしたいけれど、日焼けしちゃうかな。

 そんなことを考えながら、櫻さんに話題を振る。


「……なんか、ほんとにここは良い人ばかりですねぇ」


 はるかぜ荘には私を傷つけるような人はいない。平和で安全で、穏やかな場所だ。過酷だらけの外の世界から、唯一私を守ってくれる。


「ここに来てから、だいぶ調子が良くなった気がします!」

「あら、嬉しいわね。そう言ってくれるなら、私も歩夢ちゃんに声を掛けた甲斐があるってものよ」


 うんうん、と頷く。冗談抜きで、櫻さんが私に声を掛けてくれなかったら、今頃私はどうなっていたか……うぅ、想像するだけで身の毛がよだってきた。あまり考えないことにしよう……。


「まあ、ここに住んでる人はみんな似た者同士だからね。事情は違えど、みんな困ってる人ばっかり」


 引きこもりの人もいれば、行く当てもない根無し草の人だっている。ここはどんな人だって受け入れてくれるのだ。ひとえに櫻さんの度量の広さのおかげだと思う。


「だから気が合うのかもしれないわね。類は友を呼ぶ、ってね」

「えへへ……きっとそうですね」


 もうここに来て三か月になるけれど、ここにいる人たちとはみんな仲良くなれた。今は毎日生活するのが楽しくて仕方がない。窮屈で息の詰まるような、あの監獄ともいえるような生活とは大違いだ。

 しかしその時、脳裏に疑問がひとつ浮かび上がった。その中身を反芻する間もなく、思い出た先からそれを口に出す。


「……櫻さんは、どうして私のことを助けてくれたんですか?」

「えっ……?」


 考えなしに出た言葉を受けて、櫻さんの表情がぴたりと固まった。私、何かまずいことでも言っちゃったかな……?


「どうして、ねぇ……」


 彼女はうんうんと悩むような声を上げて悩んでいる。適当に言ってしまった浅慮をちょっと後悔した。

 でも、あの雨の日に、私に手を差し伸べてくれた彼女の気持ちが知りたかった。


「……どうして、私だったんですか?」


 こんな街にだって、私みたいな女の子はいくらでもいると思う。何ならあの日、私と同じ空を見ていた人だっていたと思う。その中で、なんで『私』だったんだろう……。

 まぶたを閉じて何かを考えている様子の櫻さんだったけれど、ゆっくりと目を開けると、その口を動かした。


「そうね…………『気まぐれ』かもしれない。むしろそう言われたら、私は何にも反論できないわ」

「気まぐれ……?」


 その言葉の意味が分からず、きょとんとした。そんな私に構わず、彼女は言葉を続ける。


「でもね、私は目の前の人を助けるかどうか考えていられるほど、そんなに賢くないのよ」

「…………!」


 にっ、と櫻さんが笑った。その表情は、私のちっぽけな悩みなんて吹き飛ばしてしまうには十分すぎる力だった。


「あの時私は歩夢ちゃんに出会って、歩夢ちゃんが困ってそうだったから私は助けた。それ以上の理由なんてないわ。……これじゃ、駄目かしら?」


 私は首を大きく横に振った。駄目なわけない。むしろ、彼女からその言葉が聞けて、これ以上ないくらい嬉しい。


「やっぱり櫻さんはすごい人です!」

「あら、そんなにおだてたって何も出ないわよ?」

「おだててないです! 本当にすごいって思ってるんですから!」


 優しくて美人な、そんな櫻さんが私は好きだ。心の底から尊敬している。櫻さんは私にとってのヒーローだ!


 そんなことを思っていると、不意に無くなりかけのマヨネーズのチューブのような音がした。会話が途切れた一瞬の隙を突くかのように、ぎゅるる、というはっきりとした音が聞き取れる。


「…………」


 櫻さんがこちらをじっと見る。気のせいには――できないか。私にできることは、ただ愛想笑いを返すことだけだった。


「あ、あはは……お腹空いちゃいました」


 気が付けば太陽もはるか頭上に移動しており、すっかりお昼の時間になっていた。道理でお腹も空くわけだ。


「よし、そろそろお昼ご飯作りましょうか」

「はいっ! 私もお手伝いしますね」


 二人並んで屋内へ戻ると、階上に私たちを迎える影がひとつあった。吹き抜けの廊下の手すりから、こちらを見下ろしている。


「んん……二人とも、早いね……」

「早いねって……心晴ちゃん、もうお昼よ?」


 住人をひとり迎えると、その反対側からさらに住人がやってくる。慌ただしく動く小さな影と、その後ろを付いて歩く大きな影。


「櫻ー! お腹空いたー!」「ちょっと待てすず、楽譜返せって!」

「すずちゃん、依織さん!」


 リビングに五人、はるかぜ荘の住人全員が揃った。これがここのいつもの風景、私がずっと大事にしていたい光景だ。


「よし! 揃ったところでお昼ご飯作りましょうか!」

「はーい! すずも手伝う!」


 すずちゃんを連れて、櫻さんとキッチンへ向かう。何を作ろうかな。考えるだけで、作ってもないのに今からワクワクしてしまう。


「ねえすずちゃん、何食べたい?」

「えーっと、オムライス食べたい!」

「いいね! 櫻さん、私もオムライスが食べたいです!」


 朝の時はあんなに静かだったはるかぜ荘に、一気に笑顔の花が咲く。こんな時間がずっと続いてくれたらいいのにな、なんて考えてみたりして。


「歩夢ちゃん、どうしたの?」

「……ああいえ、何でもないですっ! 早く作りましょう!」

「もう、そんなに焦らなくたって料理は逃げないわよ!」


 根拠はないけれど、確信はしている。この幸せは、きっと毎日続いてくれる。ずっとずっと、私が年老いるその日まで。それまでは、やってくる時間のひとつひとつを大切にしよう。


 はるかぜ荘は今日もうららか。毎日が私にとっての宝物だ!

(定期連載形式では)初投稿です。

頑張って書いておりますので、評価とかいろいろ何卒よろしくお願いします。

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