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ビーグル

 祖父母が可愛がっていた犬が死んだ。柴とシェルティと何かのミックスで、茶色でふわふわして、気が強くて、祖父母に懐いていて、なぜか郵便配達の人と宅配便の人には吠えないのに、セールスマンには吠えるので、いい番犬だと自慢されていた。子犬のころから週に一度犬ガムをあげてたおかげか、高齢犬になっても歯がちゃんとそろっていて、毎年フィラリア予防薬をもらいに獣医さんに行くと、立派な歯だと褒めてもらえた。十七歳で、顔が白くて、ひげも白くて、すっかりおばあちゃん犬だったから、覚悟はしていたけど、でもショックだった。たまに会うわたしでさえショックだったのだから、飼い主の祖父母のショックは計り知れない。祖父は黙っているだけだが、祖母は泣いた。涙があとからあとから流れてきて、どうにも止まらないのだと言った。いつの間にか泣いていた、日常のふとした瞬間に、涙が流れているのに気づくのだと。

「胸にあの子の形の穴が開いてるみたいなのよ」

 ずっと犬を飼ってきて、死は初めてではないのに、老齢になってから飼ってきた犬だからか、今回の死はこたえたらしい。

「わたしたちはもう年寄りだから、犬を飼うのはあの子が最後って思ってたからねえ。今から犬を飼ったら、わたしたちのほうが先に逝ってしまって、犬が可哀想だもの」

 祖父母が次の犬を飼って、病気とかで飼えなくなったら、うちで飼うから、と言った。父母とわたしは近くの一軒家で暮らしている。以前飼っていた犬は、わたしが大学生の時に死んでしまい、社会人になってから忙しくなって毎日散歩係をできないので、新たに飼っていないだけだ。元陸上部で散歩の主戦力だった兄が転勤で家を離れたのもある。以前飼っていたのはハスキーのミックスで、毎日五キロから十キロの散歩が必要だったけど、祖父母が飼うような中型や小型の犬なら負担じゃない。おばあちゃんの胸に空いた穴とは形が違うから、穴を全部ふさぐなんてできないけど、ほんの少しでも埋められたらいい。

 いつも祖父母が犬と散歩に行っていた公園や河原で、仲良くなった犬の散歩仲間の人たちに、保護犬を飼っている人がいて、そういう犬を引き取るのはどうかと勧められた。保健所から犬を引き取って、新たな飼い主を捜す活動をしている団体があって、飼い主を募集しているからと。引き取り手がいない犬ならと、祖父母は乗り気になったが、いざその団体と連絡を取ってみると、高齢の飼い主は不可だと言われた。病気や体力の衰えで飼えなくなる高齢者がいるから、という理由だった。祖父母が買えなくなった場合は近所に住む孫娘が引き取るという話をしたのだが、飼い主がころころ変わるのは犬によくないと、やっぱり断られた。勧めてくれた人は、わたしが祖父母と一緒に犬を散歩しているところに会ったこともあるので、団体の態度に怒っていた。「ちゃんと犬が天寿を全うするまで飼えるあてがあるのに、断るなんて! そんなにえり好みしてて、飼い主が見つかるのかしら」

 祖母はしょんぼりしながら、

「縁がなかったんだから、やっぱりこの年になって犬を飼っちゃいけないんだよ」

 自分に言い聞かせるようにつぶやいた。祖父は黙っていた。

 でも、ふとした瞬間に、祖母が足元を見る。いつも犬が散歩のときについていた、左側を。祖父は座っているときに、無意識に隣りに手をやって、そこにもう犬がいないことに気づくようだった。二人は習慣の散歩がなくなって、買い物くらいしか外に出なくなってしまった。


 休日に映画を見て、友達を送っていった帰りに、おかしな自販機を見つけた。そこで、ビーグルをレンタルした。

 犬連れで帰ってきたわたしに、父と母はびっくりした様子で、

「レンタルペットっていうのがあって」

 説明すると、レンタルって、と困惑していたものの、陽気で人懐っこいビーグルに、尻尾を振られるとあっさり陥落した。むっちり身の詰まった、エネルギーの塊みたいな体ごと、尻尾を振ってるんだから、見てるだけで笑顔になっちゃうのは仕方ない。尻尾の先が白いせいで、光を振り回してるみたいに見える。父はいそいそとタオルを持ってきた。

「ちょっと、お父さん、わたしがレンタルした子なんだから」

「いいじゃないか。遊びたいんだよ。お父さんが料金を払うから」

 ビーグルに向かってタオルを振り、遊びに誘って、おお、元気だ、可愛いなあ、とすっかりめろめろだ。母は「お水くらい飲ませてからになさい」と言いながら、自分も遊びたそうだ。元々両親も犬好きだから、ある程度は予想してたけど、ここまでとは。久々の犬のいる時間に、家の中がパッと明るくなった。

 でも、まだ夕方だし、陽のあるうちに外に行きたい。

「散歩に連れていきたいの。おじいちゃんとおばあちゃんのとこに寄りたいのよ」

 父はわたしを見て、「ああ」と真顔になった。

「そうか。ああ、なら、いってらっしゃい」


 祖父母もレンタルペットというものに困惑していたが、ビーグルはそんな二人におかまいなしにじゃれつき、あっさり散歩に連れ出すことに成功した。しばらくはわたしがリードを持っていたのだが、引っ張る子ではないというのがわかって、祖父母がかわるがわるリードを持った。歩きながら、時々人間を見上げて、笑顔を向けるビーグルに、こっちも笑顔になる。祖父母に表情が戻って、ほっとした。

 歩き回って、公園のベンチで休憩すると、祖父母のあいだに座ったビーグルの頭を、皺のある手が両側から撫でていた。

「この子の耳、ビロードみたいな手触りだねえ」

 祖母が微笑み、

「お椀みたいにまん丸な頭だ」

 祖父が目を細める。

 日が沈むまでそうしていた。


 久しぶりに犬のいる生活をしたら、すごく楽しかった。祖父母がどうとかより、うちで犬を飼おう。飼いたい。父母の様子では、世話を協力してくれそうだ。

 前にいた子は大型犬だったから散歩でたくさん歩いたり、走ったりしなきゃならなかったけど、このくらいの大きさの子なら、仕事から帰ってからでも散歩に出られる。


 友人からメールが来た。彼女の近所の一人暮らしの男性が入院して、飼い犬の柴が残されたそうだ。飼い主は脳梗塞だそうで、退院しても後遺症が残るため犬を飼い続けるのは無理だと、民生委員が柴犬を引き取ってくれる人を探しているらしい。それで、以前は犬を飼っていたが今はいない私の家なら飼えるんじゃと思ったそうだ。問題は、その柴犬、主人が入院して以来、すっかり落ち込んで、ろくに餌を食べないらしい。今、面倒を見ている民生委員の家の中には猫がいて、元々室内飼いだったのに外につながれている柴犬のしょぼんとした姿を目にしてるのだが、友人はペット不可の賃貸暮らしだ。

 引き取りたい、とすぐに返信した。

 おじいちゃん、おばあちゃん、縁があったよ。柴犬、うちで引き取るよ。でも、しょぼんとした柴犬を、父母わたしとも仕事に出てしまう家に置き去りにするのはしのびないから、昼間は預かってもらうかも。


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