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タイハクオウム 2羽目

 これがマリッジブルーってものなのかしら。このまま結婚していいのかしら。きっと結婚前にはみんなこのくらい不安になったりするものなのよね。だって結婚って人生の一大事だもの。自分の選択が正しいのか、迷うのは誰にでもあること。そうよね。……そうよね?


 伯母の紹介で彼に会った。

 父の姉である伯母は押しの強い人で、母は結婚してから一度も逆らえなくて、わたしにも逆らわないことを求めた。父がいないときを狙って伯母は急にうちに来るので、ラインストーンのついたバレッタや、パール以外のイヤリングは、家ではつけないで、出先でつけて出先ではずし、家ではいつも引き出しの一番奥に仕舞うようになった。「そういうのは伯母さんに見せないようにしなさい」と母に言われたから。わたしは背が高くて可愛くないから着飾っても似合わないし、母はすでに結婚しているのだから飾る必要がない、というのが伯母の持論だった。母はいつも黒や茶色のゴムで髪を結んでいるだけだった。それいいわねえ、と母が言うので、わたしの紺色のサテンとビーズのシュシュをあげたことがあったけど、母はそれをパート先に持って行って、職場でだけつけている。

 彼は七歳上で、ちゃんとした勤めをしてる人だし、話が弾むわけではないけど、すごく穏やかな人だ。身長は同じくらいで、彼に会う時はフラットシューズを履いていく。結婚相手にはこういう人がいいのよ、と伯母が言った。浮き沈みの少ない生活を送れるのよ、と。

 結婚を前提にお会いしているので、結婚後のことについて、早いうちから話に上がった。

 お互いに実家に住んでいるが、結婚後は通勤時間が同じくらいになる場所に新居を構えて、家事はわたしにしてほしい、わたしは公務員なので結婚や出産で辞めるのはもったいないとのことだった。彼は家事をしたことがないそうだ。今どきそんな男の人はむしろ珍しいような気がしたが、大学も就職も地元で、実家を出たことがないなら、そういうこともあるのかもしれない。

 ずっと勤めながら家事をわたしがやるのなら、わたしの通勤時間が短くなるところに住みたい、帰宅時間が遅いと夕食を作るのも遅くなってしまうから、とわたしが言ったら彼は黙った。家事をやらない分、生活費は彼が負担して、わたしのお給料は貯金に回したい、父母はそうしていたから、と言ったときも彼は黙った。子供は二人欲しい、と言ったときは彼はうなずいた。

 断る理由が特になかったから、そのまま結婚の話が決まっていった。結納はなし、式や披露宴もなしにして、親戚と友人との食事会をそれぞれする、ということになった。

 友人に結婚が決まったことを伝えた。

「えー! 全然ときめいてないじゃない。それ、結婚して大丈夫? 結婚したあと何かあっても、ときめかない相手だったら耐えられなくならない? 好きなら目をつぶれるかもしれないけど」

 そうかしら。

「何か起こるかしら」

「うーん、相手の親が面倒くさい人たちだったり、実は借金があったり。相手が原因の不妊とか、突然相手が病気やけがで働けなくなったときとか。お見合いは条件で結婚するのに、その条件が変わったら、結婚を続けられる?」

 そうなのかしら。

「だってさー、大学のとき同じ研究室にいた子が、親に反対されたからデキ婚して、しぶしぶ親が認めて、子供が生まれた途端に、夫が病気で入院しちゃってたよ。それも難病で、完治しないって。駆け落ちしてでも結婚するって突っ走った結果がそれで、好きで結婚した相手だから支えるけど、でも生活がきつい、ってこぼしてたもん。病人と乳児抱えて、早々に仕事に復帰するしかなかったから乳腺炎やってたよ。すごく痛いんだって、あれ。夫はもう働けないだろうし、色々詰んでるって言ってた。もしお見合いで結婚した相手がそうなったら、支えられる? まあ、嫌なら別れちゃえばいいだろうけど、離婚って大変だよー。お姉ちゃんは離婚で八キロやせたし」

 友人のお姉さんは元夫の浮気で離婚したと聞いている。

「でも、もうお互いの両親に結婚すると言ってしまったの」

「婚姻届けを出すまでは、結婚してないんだから、よく考えたらいいよ。結婚するのは簡単だったけど、離婚するのは簡単じゃなかった、ってお姉ちゃんが言ってたもん」


 そして、何か、は起こった。

 結婚が決まった途端、彼の母親がありとあらゆることに口を出し始めた。

 披露宴をやりましょう。一生に一度のことだもの。息子の晴れ姿を親戚やお世話になった方々に見せたいわ。あなたもウェディングドレスを着たいでしょう。女性の夢だものね。ご両親やお祖父さんお祖母さんはきっと楽しみにしてらしたわよ。

 伯母みたいだと思った。いいえ、伯母よりも「あなたのためを思って」というのを前面に押し出すので断りにくい。

 彼は母親を止めてくれない。

 いつの間にか披露宴をやることになっていた。費用はそれぞれの側の分を、それぞれが負担するということで。わたしの貯金は費用でほとんどなくなってしまう。彼は貯金では足りないので、一部はローンを組むし、貯金がゼロになって新生活の費用が捻出できないから、結婚後は彼の実家で暮らして欲しいと言われた。でもそれはわたしの両親が反対してくれて、知り合いの不動産屋さんで新居の手配を頼んでくれた。


 仕事の帰りに、レンタルペット自販機というものを見つけた。

 こんなものがあるの?

 そして、タイハクオウムをレンタルしてしまった。


「ただいま、お母さん、このオウムは一晩預かることになったの」

 嘘はつきたくないけど、レンタルしたなんて言えない。

「まあ、大きな鳥ね。おしゃべりするのかしら」

「コンバンワ!」

 すごい、このオウム。


「あなたはとても賢いのね」

 自分の部屋にオウムの籠を運んで、話しかけた。

「カシコーイ!」

「…ちょっと声が大きいわ」

 郊外だから近所の家とは距離があるけど、母に注意されそうだから。

「オオキイ」

 声が小さくなった。言葉がわかるのかしら? 本当にすごく賢い。

「わたしとおしゃべりしてくれる?」

「オシャベリスル」

「わたしね、もうすぐ結婚するの」

「ケッコン、ケッコン」

「でも、マリッジブルーなの」

「ノー、ノー!」

「ときめかずに結婚するのはよくないのかしら」

「ノー、ノー!」

 笑ってしまった。

「駄目ってことね」

 オウムに反対されてしまった。

 それから寝るまでオウムとおしゃべりしていた。



「ゴンドラって、なんですか?」

 お昼休みに職場の先輩に訊いてみた。友人に訊いても知らないと言われたので。ベネチアのものとは違うのはわかってる。

「ゴンドラ?」

「はい。結婚式場にあるものだそうです」

「ああ!」

 先輩が笑いだした。十二歳年上で、仕事を教えてもらったり、お世話になっている。

「あれか! ええ? 何? どうしたの? もうすぐ結婚するんだよね? まさか今どきゴンドラに乗るの?」

「いいえ、乗りません。婚約者のお母さんがゴンドラのことを、ウェディングプランナーさんに話して、そういうものはありませんと言われていたので、何かと思って」

「うわー! ゴンドラに乗る結婚式のことなんて、久しぶりに聞いたわー! バブルの頃にあったんだよね。なんか、装飾のついた籠に新郎新婦が乗って、宙吊りになって、降りてくるの」

「え! そんなものなんですか?」

「うんうん。スポットライトをばーんとあてて、ドライアイスを焚いてさあ。子供のころ、親戚の結婚式で一回だけ見たことがある。子供には面白かったけどね」

 情景を思い出しているのか、先輩は笑いが止まらないようだ。

「婚約者の母親が、何を思ってゴンドラの話なんかしたの?」

「彼を乗せたいそうです」

「うわーーー!!!」

 先輩は机を叩きだした。

「ない、それは、ないわー! なに、その母親。婚約者は断ったんでしょうね?」

「結婚式場にはありませんので、断るまでもありませんでした」

「よかったねー! あれは当時もウェディングハイで頭がお花畑になっちゃってる人が乗るものだったわ。バブルの頃って、おかしなものがたくさんあったみたいね。そのお母さん、バブルの派手婚を経験した世代?」

「そうみたいです」

「あー、それは面倒くさいね。披露宴にお金をかけるのが当たり前だと思ってるんでしょ。何時間かのために何百万も使えないよねえ」

「はい」

「今の若者はお金を持ってないんだし、出せないものは出せないって、はっきり言わないと大変だよ」

「やっぱりそうですよね」

「頑張れ。最初に主導権を握られると、結婚したあとも干渉されるよ」

 ゴンドラかあ、と先輩はまだ笑ってる。

 式場に設備がないからでなく、彼がはっきり断ってくれたらよかったのに。

 どんどん、マリッジブルーがひどくなってきたような気がする。


 また、タイハクオウムをレンタルしてしまった。金曜の夜から丸一日。もう、この子を飼えたらいいのに。

 また預かったの、と母に言われて、生返事をしながら自分の部屋に逃げた。

「マリッジブルーがひどいの」

「ヒドイ、ヒドイ」

「結婚ってこんなに不安になったり、迷うものなの?」

「ノー! ノー!」

「彼のお母さんがなんでも決めてしまうのが嫌なの」

「ノー! ノー!」

「彼はとっても穏やかな人なんだけど、もっとはっきり言ってほしいときもあるの」

「ノー! ノー!」

「……ねえ、ノー以外を言って」

「イヤ!」

「お願い」

「マザコン、キモ!」

 ふきだしてしまった。

「どうしてそんな言葉を知ってるの? でもねえ、やっぱり彼はマザコンだと思う? そうなのかしら?」

「マザコン、マザコン、キモ!」

「母親に一切逆らわないんですものね。結婚後はああしたい、こうしたいって、わたしが言っても、黙ってるだけだったし、誰にも反論しない人なのかもしれないわ。自分の意見がなくて、長いものに巻かれる人なのかしら」

「マケー! マケー!」

「わたしが強ければいいのかしら。わたしがあのお母さんより強くなって、彼を引っ張ればいいのかしら」

 言ってからふと思った。

 でも、それって。

 わたしは、そんなことする必要あるのかしら。

 自分より七歳も年上の男性を引っ張るの?

 共働きで家事をしながら?

 なぜ、わたしが、そんなことをしなくてはならないの?

 そもそも、彼はわたしの勤務先近くに住むことを、ちゃんと了解してるのかしら。

 彼のお給料は生活費で、わたしのお給料は将来のための貯金で、了解してるのかしら。

 わたしが意見を言っても、黙ってるばかりで、それでいいとも、それは嫌とも言ってなかった。

 じゃあ、あれは話し合いじゃなかったんだわ。

 話し合いのできない人と結婚するの?

 やりたくもない披露宴を、彼の母親に強制されて、貯金では足りないから借金をするという人と結婚するの?

 わたしの貯金をすっかり使ってまで、結婚するだけの価値のある人なのかしら。

 一度もときめいていないのに。

「ノー!」

「そうよね」

 断る理由なんていくらでもあったのに、流されて結婚することになってしまってた。

 善は急げと、彼にお断りの電話をした。


 土曜の朝、急に伯母が部屋に入ってきて、びっくりした。わたしはオウムに餌をあげていた。

「なんなのその鳥」

「ババア! クソババア!」

 オウムが高らかに叫んだ。

 な、なんてことを言うの! 伯母にそんな失礼な…。おろおろしながらオウムと伯母に視線を左右させた。

「んまっ! …んまあっ!!」

 でも、オウムに悪態をつかれて、伯母が何も言い返せずにいるのを見たら、なんだか、目の前が開けた気がした。

 あ、なぜ伯母の言うことをきいていたんでしょう。そんな必要あったのかしら。母にそう言われたけど、だからといってわたしまで言うことをきく必要はなかったんだわ。

 伯母はわたしを見たけど、わたしが何も言わずにいたら、

「なんなの! …ほんとに、なんなの! 失礼よ! こんな、こんな鳥!」

 と、オウムに叫んだ。

「あんたもすごく失礼じゃない! あたしに何も言わずに婚約を破棄したって、先方のお母さまから電話があって驚かされたのよ!」

「自分の縁談なので、自分で断りました」

「んまあ! な、な、なんなの、生意気な…! あたしにたてつくなんて…」

「クソババア!」

「うるさいわよ、鳥! この鳥はなんなの…」

「預かってます」

「こんな鳥…、ああ、もう! 話が進まない、大女のあんたの縁談はねえ、苦労してあたしが…」

「クソババア!」

「うるさい!」

「ウルサイ!」

「うるさいのはあんたよ!」

「ウルサイノハアンタヨ!」

「あんただって言ってるでしょ!」

「アンタダッテイッテルデショ!」

「なんなのよ、もう!」

「ナンナノヨ、モウ!」

 伯母は、きーっと叫びながら、部屋を飛び出していった。オウムも、キーッと叫び返した。伯母の声そっくりだ。なんて物まねが上手なんだろう。

 あんたはどんな躾をしたのよ、と伯母が父母に怒っているのが聞こえた。

 わたしはオウムと目が合って、笑いだしてしまった。オウムが笑い声をまねしたから、二人で笑ってるみたいだった。


 タイハクオウムについて調べたら、長生きなことや、声がものすごく大きいから、飼うには相応の準備が必要で、簡単に飼えないとわかったから、さらに調べて、セキセイインコを飼おうと思った。セキセイインコもよくおしゃべりをするようだから。鮮やかな羽の色も素敵だ。

 インコを飼うために、独立したい。

 そうしたら、自分の部屋の鏡の前で、好きなアクセサリーをつけてから出かけられる。


「インコを飼いたいの。だから、一人暮らしをしたいの。結婚も、披露宴もなくなったから、貯金で一人暮らしのお金は出せるし」

 父が伯母を送っていったあと、居間で母に言ったら、

「うちで飼えばいいわ。だって、あの大きなオウムは本当に賢かったもの。一軒家のほうがよくない? アパートだと大きな声を出す鳥は飼えないでしょう」

 予想外の返事だった。

「えっ! 大きなオウムを飼ってもいいの? アパートならセキセイインコにしようと思ったのだけれど」

「いいわよ。お母さんもあのオウムが気に入ったわ。実はね、お母さんもオウムが飼いたくなったの。だって、お義姉さんに…」

 母は口を押えたが、耐えきれないという様子で笑い始めた。

「あんな…、あんな……、ふふふっ…」

 こんな母を見たのは初めてだ。

「クソババア、って…、お義姉さんに…」

 つられてわたしも笑ってしまった。だって、あのときの伯母の顔が、思い出しても笑えて。

「居間にいても聞こえたのよ。笑いだしたわたしに、お父さんはびっくりしてたけど、何か察したみたい。お義姉さんが文句を言ったときに、構わず玄関まで押し出して、車に乗せちゃったから。多分、今頃説教してくれてるんじゃないかしら」

 伯母さんはお父さんのいるところでは猫かぶっていたのに、わたしやお母さんにどんな態度かばれちゃったんだわ。

「お母さんは馬鹿ねえ、何十年も我慢するんじゃなかったわ。オウムの声で吹っ切れたわ」

 お母さんはちょっと涙ぐむくらい笑ったみたいだった。

「あんな爽快なことを言ってくれて。あんな子、家にいてくれたらいいなって思ったの。でも、さっき調べたらお母さんより長生きしそうだから、とても飼えないと思ってあきらめたところなのよ」

 お母さんもオウムのことを調べていたの?

「きっと、お義姉さんよけになるわ」

「お母さん…」

 顔を見合わせ、母娘で笑った。



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