タイハクオウム
「ゴンドラで降りてくるやつ、あれがやりたいのよー! ね、ここにはあったでしょ、ゴンドラ」
「大変申し訳ございません。当館にはゴンドラはございません」
「ええっ! 前はあったじゃない!」
「はい。以前はございましたが、ゴンドラの演出を希望されるお客さまが少なくなり、設備を撤去したと聞いております」
それも二、三十年前に。わたしが入社する前のことだし、話に聞いただけだが、ゴンドラなんて、バブルの頃の遺産をいつまでも置いておくような結婚式場はない。いくらうちが古株結婚式場だからって、設備は時代に合わせてどんどん入れ替えている。今はハードを使った派手な演出より、ソフト重視のほんわか手作りテイストを希望されるカップルが多い。主に費用を抑えるために。
「そんなあ。ゴンドラをやりたくてこの式場にしたのに」
食い下がっているのは、新郎の母親だ。新郎新婦との打ち合わせのはずなのに、主にしゃべっているのは母親。要望を出すのは母親。ダメ出しをするのも母親。新郎新婦は時々、「ええ…」とか「あ…」とかつぶやくだけ。こちらから新郎新婦に話を振っても、返事をするのは母親。
こういうのは昔に比べたら減った、と先輩が言っていた。昔は結婚式の費用が高額で、親の援助が当たり前で、当然口も出したので、新郎新婦よりその親と打ち合わせをしている状態だったそうだ。でも最近は安い費用で、親の援助なしで、自分たちの意見をはっきり言うカップルが増えたので、親が打ち合わせに来ないことも多い。来たとしても新婦のドレス選びに、「見たい」という理由で新婦の母親が来るとか、口を出すためではない。
結婚披露宴の主役は、基本的に新婦だ。憧れのドレスが着たいとか、お姫様として扱われたいとか、子供のころからの夢をかなえて差し上げるのが、式場スタッフの仕事だ。披露宴での新婦の不満は後々まで影響して、離婚につながるケースだってある。だから新婦の希望を最大限に訊きだす。一方で新郎はあまりそういう希望はない。あえてあるなら、「白いタキシードは嫌だ。白いタキシードは嫌だ。白いタキシードは嫌だ」くらいか。
しかし、実際にはこの母親みたいなことがある。今回の費用は新郎新婦が負担するそうで、本来なら母親が口を出すいわれはないのだが、新郎は母親の言いなり、新婦は気弱で、打ち合わせの席は母親の独壇場と化している。
「わたしのときは、お父さんが高いところが嫌だとか言って、ゴンドラに乗れなかったの。せめて息子には乗ってほしかったのに。ねえ、ゴンドラがあるとこってないの? 借りてきてよ」
「近隣の式場でゴンドラの設備を持つところはないと思います。それに、大掛かりな設備で、簡単に貸し借りができるものではありませんので…、申し訳ございません」
昔の写真を見たことがあるけど、舞台に据えつけの設備で、貸し借りなんてできるわけない。
母親はまさにバブルの披露宴を体験した世代で、スモーク(正直、臭い)がもくもく焚かれたり、シャンペンシャワー(グラスは接着されている)をしたり、高さ数メートルのウエディングケーキ(ハリボテ)の一部に生ケーキがついてて入刀したり、というをやったんだろう。先輩の「昔はよかった。薦めたら薦めただけ披露宴の売り上げが上がった」話を聞かされている。当時でもゴンドラは短時間のわりに結構費用がかかったので、どんどん加算されていく披露宴費用を削るときは、真っ先にゴンドラ、になったらしい。
困った。こんなに新郎の母親の押しが強いケースは、ぎりぎりになって新婦の不満が爆発、披露宴中止、となることがある。
衣裳選びも母親主導で、小柄な人に似合いそうなプリンセスタイプのふんわりドレスを選んでしまった。衣裳部の人も困って、止めていたのだが、母親は聞きやしない。「お姫様みたいじゃない。絶対これよ!」多分、母親が若い頃着たかったようなドレスなんだろうが、新婦には明らかに丈があってない。ドレスの前部分はやや短めになっているのだが、長身の新婦では足首までかっつり見えてしまう。プリンセスタイプを着るのは小柄な人が多いため、長身の人向けのサイズは用意してないものが多い。新婦が目を向けていたスレンダーなドレスをこっそり一時押さえしておいたので、後日新婦と連絡が取れたときに話をしようと思う。いざとなったら、こちらの予約ミスで、と泥をかぶる覚悟で。新郎は、白いタキシードは嫌なのかどうか判断がつかなかった。一応「うん…」と言っていたので。とはいえ、黒いタキシードなら数があるから、白は嫌だと言われても変更は難しくない。
式場の上層部の本音は、披露宴をやって費用を払ってくれるところまでカップルがもってくれればそのあとのことはいい、もしも二度三度と披露宴をやってくれたらさらにいい、というものだが、やっぱりウェデイングプランナーとして、新婦には満足のいく披露宴を上げてほしい。この母親つきの男と結婚したら、遠からず離婚になりそうな気もするけど。しまった、脳内とはいえ、忌み言葉を言ってしまった。
仕事帰りにぼーっと車を走らせていたら、いつもとは違う角で曲がってたらしい。ここどこなんだ? とりあえず広い道に出ればわかるだろうと、と標識を頼りに国道に出た。田んぼばかりの中に自販機の灯りが見えて、車を停めたら、なんか、おかしかった。お茶が欲しいな、と思ったんだけど、ドリンクの自販機じゃなくて、レンタルペット自販機って書いてある。
……ええ?
「どうしたの、その鳥」
大きな鳥かごを手に帰ったわたしに、母はびっくりしていた。
「一晩預かったの」
レンタルしたなんて言うと面倒くさいことになりそうで、誤魔化した。自分でも信じられない。あんな怪しい自販機にお金を入れて、しかも、大きなオウムをレンタルしてしまったなんて。
「明日返すから、今晩だけ」
「そう」
そそくさと自分の部屋に上がった。
タイハクオウムは真っ白ですごくきれいだ。そして、思い込みかもしれないけど、すごく賢そうな顔をしている。籠の枠をくちばしで噛んだり、籠についている鈴を鳴らしたりしてる。
「ダシテー」
つい、ふきだした。やっぱり賢いよね、オウムって。状況がわかって言っているのかは判断がつかないけど、そんなことを今言われたら笑ってしまう。
籠から出してもいいのかな? 扉も窓も締めてあるし、逃げ出したりしないよね。
鳥籠と一緒に自販機から出てきた、鳥用のフードの入った袋に、ヒマワリの種もあったから、あげてみた。
言いたいことを全部言えたら、さぞ気持ちがいいだろう。オウムに向かって言ってみた。
「あの母親がうるさい」
「ウルサーイ!」
「新郎新婦の一生に一度のことなのに、なんで母親があんなに口を出すのよ」
「ネー!」
「新郎も新郎よ。なんで母親に言い返さないのよ」
「ヤッチマエ!」
「マザコンなの?」
「マザコン! マザコン! キモ!」
「…ちょっと、あなた、言葉がわかってる?」
「ルー! ルー!」
「…そんなときだけ、わかってないふりをしないでよ」
「ヨー! ヨー!」
「…ラッパーか」
「ヘーイ!」
笑いだしてしまった。なんなの、この鳥。絶対言葉がわかってる。
でも、母親に「ちょっとー! うるさいわよー」と注意されてしまった。一軒家でまだよかったけど、家族には十分うるさい。
「もっと小さい声でね」
この子なら理解しそうだし、言ってみた。
「チイサイ、チイサイ」
実際小さな声で応えてくれた。
毎日、この子に返事してもらいたい…。
調べたら、タイハクオウムは寿命が三十年以上、個体によっては五十年とか。うう。三十年後の自分が想像できない。一生をかけて飼うペットだ。軽々しく、飼いたいなーと言えない。しかもオスは百デシベルの声で雄たけびをあげたりするらしい。百デシベルって…、どのくらいうるさいの? 新幹線が通過するときって何デシベルだっけ? 防音室がいる? 第一、どの子もこんなに賢いとは限らない。きっとこの子が特別で、きちんと世話されてきたんだろう。
うーん、レンタルならいいけど飼うのは難しそう。
寝る時間まで、オウムに話しかけて過ごした。
よし、言いたいことは言いつくした。明日も本音を隠して、建前で頑張ろう。