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ケヅメリクガメ(二十センチ)

 経年劣化以外は、原状回復が基本だというのに、わかってない借り主が多すぎる。画鋲の跡一個二個くらいなら、築年数によっては、まあ、目こぼしもする。フックを張りつけた接着剤の跡も、場所によるが、まあ、ほぼ取れる。だが、

「ここに棚があったら便利だろうと、作ったんです、便利なものを作ったんだから、お礼をされてもいいくらいだ」

 って、勝手に壁に釘打ってんじゃねえ# こんな素人DIY丸出しの棚なんて、作った本人以外誰がありがたがるっていうんだ。もちろん原状回復のため、敷金から差っ引く。敷金が返ってこないと文句を言うなら、壁の穴を消せ。金をかけずに消せるもんなら消せ。

 腹の中でさんざんに言い返しているが、口では言葉遣いに気をつけ、丁寧かつ温和な口調で、だが主張は譲らない。

 別に消臭スプレーで清掃代をふんだくろうとしてるんじゃない。あくまで原状回復だ。

 賃貸だぞ、賃貸。ここは家主の財産、それに釘を打って価値を下げたんだから、金がかかるのは当然だ。借りたもんは借りたときの状態で返すもんだ。そういうのがわかってない借り主が多すぎる。

 午前中にそういう借り主と会って、散々やりあって、昼食って、午後から今度は別の物件の大家に会うことになった。

 この大家は大家で困りものだ。とにかく、店子に関わりたがって、関わりたがってしようがない。

 いい婆ちゃんだと思う。近所の婆ちゃんがこんなだったら、毎朝あいさつするとも。しかし、大家がこれじゃ、しんどい。昭和はこれでよかったんだろうし、昔はこういう面倒見のいい大家が結構いたんだろう。だがもう平成も終わろうってときに、築浅物件持ちの大家がこれでは、店子との相性が悪すぎる。前の古アパートを建て直したあとも、店子とのつきあい方を変えないので、店子から度々苦情が出るし、引っ越してしまう人もいる。アパート周辺を掃除するのは別にいい、金で雇った管理人より丁寧だ。店子に「おはよう」とか声をかけるのもいい、声かけは防犯の基本だ。が、「いつも帰り遅いのねえ。食事はちゃんと摂ってるの? そうだ、筑前煮をたくさん作ったから、わけてあげるわ」と、いそいそタッパーを持ってくるのはやり過ぎだ。

「だってねえ、若い人の体が心配だから」

「最近の若い人は、深い人づきあいを敬遠しますので、あいさつ以上のことは遠慮してください」

「でもねえ、母がずっとそうやってたし、店子さんの面倒を見てあげなさいっていつも言われてたから」

 資産家のお嬢様育ちで、代々の地所からの収入で暮らしてる人だから、外で働いたことがない。夫を亡くしたあとは娘夫婦と一緒に住んでいて、娘さんからも言ってもらったが、年寄りに今から変われと求めても無理なのか。アパート周辺の掃除とか、声かけとかが、生活の張りになっているんだろうが、店子から苦情が出るほどのことはやめてほしい。あと、うちのアパート、うちの駐車場、という資産家丸出しの年寄りは、悪いやつに狙われることもあるから心配だ。

 婆ちゃんを説得するはずが、結局世間話につきあうだけになって、若竹煮と家庭菜園の小松菜を持たされて、帰社できたのは夜だった。家主とのつき合いは仕事のうちだからいいんだが。


 仕事の帰り道、変なものを見つけた。

 レンタルペット自販機って、なんだ?

 しかも、ラインナップがケヅメリクガメ、バーニーズマウンテンドッグ、メインクーンって、なんだ?

 その上、ケヅメリクガメをレンタルしてしまった、俺ってなんだ?


 学生のころから、融通の利かない人間だと言われるし、自覚もある。

「確かにお前の言ってることは正論なんだよ。でも正論ばっかじゃ息苦しいだろ」

 正論のどこが悪いのだ。「正論」というからには正しいのだ。どうして正論を言ってウザがられるんだ。俺は間違ったことは言ってない。

「感情とか、状況とか色々あるだろ。ほら、殺人だって、人を殺したことは同じでも、厳罰になることもあれば、情状酌量で減刑になったりするだろ。殺人は悪いことだ、だから断罪だ! って単純にはならないだろ」

 そのくらいわかる。刃物を持って襲ってきた相手を返り討ちにしたら、正当防衛だ。殺人の罪は相殺で、なしになるって感じだ。長い間自分をいじめてきた相手に、耐えられなくなって殺したとして、情状酌量が認められるのもわかる。長期間のいじめは毎日少しずつ相手を殺すようなものだから。これだって相殺だ。

「正論が悪いって言ってるんじゃない。正論を押しつけるなって言ってるんだ。車が全然来ない道で、赤信号だからって、お前が待つのはいい。友達や恋人に同じことを強制するなよ」

 ルールは全員が守らなくては、ルールではなくなるじゃないか。守ってる俺が責められて、守らない人間をよしとするのはおかしい。どうしてこんなことになるんだ。

 社会人になったら、さらに正論が通じなくなった。

 わかった、正論ばかりじゃ世の中渡っていけない。仕事で正論を通すのはあきらめた。

 ルールを守らない奴が多すぎるけど、いちいちダメ出ししてては仕事が進まない。

 だけど、毎日毎日、反論されて、否定ばかりされるのに疲れたんだよ。

「あなたといると息苦しい」と彼女に振られたのもしんどかったんだよ。


 カメは丈夫そうだ。経年劣化しそうにない。一番楽そうだ。犬と違って散歩はいらないし、猫と違って猫じゃらしはいらない。リクガメなら水槽も必要ないし、とにかく世話が楽だと思った。第一うちのアパートは犬猫飼育禁止だ。小型魚、小型爬虫類は可。

 盤石。ゆるぎない。

 見てるだけでいい感じだ。

 すごいな、カメ。

 カメってこんないいものだったか。

 甲羅に巻かれたリードをはずし、フローリングに出してやって、俺はローテーブルで、買ってきた弁当と、もらいものの若竹煮を食べた。カメは自販機の下のドアから出てきたとき、餌と水入れの入ったビニール袋がリードにぶら下がってきてたので、それを与えた。あ、もらいものの小松菜も与えてみるか。自炊が面倒くさいから、小松菜をもらっても困ってたんだ。カメに小松菜を与えていいかは、スマホで調べた。

 もっしゃもっしゃと、小松菜を噛んでいる。カメの食事って意外と面白い。

「いい食いっぷりだな」

 いくら一人暮らしだからって、話し相手がカメって。とは思ったが、誰も見てないからいいや。

 食べ終わったカメは俺と目が合った。

「うまかったか? 新鮮だからな」

 こっちが何を言っても、じっと見返してくるから、ちゃんと話を聞いているみたいなんだ。

 ああ、もう、毎日毎日、文句を言われて、ただただ話を聞いてもらえるなんてないんだ。

 いいな、カメ。

 お前、いいやつだなーと言ったら、たまたまだろうけど、なんかうなずいてるみたいに、頭が上下した。そうか、自己肯定か。いいことだ。

 あの借り主、ダメだよなーとか、あの大家は個人的には好きだが、自分ちの大家だったらしんどいなーとか、人目がないのをいいことに、カメに話しかけた。反論されないし、否定されない。

 居眠りしてるウサギをそのままにして、カメが先に進んだのはスポーツマンシップとしてありえないっていう意見はどう思う? レース中に寝るほうがスポーツマンとしてなってないよな?

 カメが子供にいじめられたって、甲羅をぴったり閉じられたら、大丈夫だったはずだよな。そこらへんの改善点はウミガメには難しいのかな?

 何を話しかけても、カメは聞いていた。

 その晩は、なんか妙にリラックスして寝床に入った。


 返却期限はもちろん守る。半日レンタルだと、仕事に行く前に返してこないと間に合わないんだ。十二時間たつ前に返す。いつもより早めに家を出た。

 カメの甲羅にまたリードを巻きつけて、備品を返却するのって可哀想かなあ。重くないかな。すぐはずしてもらえるのかな。

 試しにリードを巻いてみたら、ずるずるビニール袋を引きずりながら、カメが歩く。へこたれない奴だ。偉いな。

 よし、じゃあ自販機から出てきたときと同じに、荷物つきのリードを甲羅に巻いて返す。原状回復だ。



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