レベル8
今回の料理はパンケーキを作るみたいです。
絶対とは言い切れないけど、材料からするとまちがいないかな。
小麦粉と牛乳と卵が用意されてます。
まあ、見た目がそれっぽいだけで、もしかしたら味がぜんぜん違うかもだけど。
粉ものというくくりではまちがっていないと思う。
粉ものってものすごく簡単かつ高エネルギーで、しかも安いですからね。
わたしに与えられた使命は、最初の卵を割るという使命だった。
謹んで割らせていただきます。
持たされた卵のサイズが、普通の卵の四倍くらいの大きさだったけど、まあそれ以外は普通かな。見た目的にはちょっと灰色っぽい色合いだけど、冷蔵庫の中に入れられていたから、ひんやりしてる。
前にも思ったけど、エミューか何かの卵かも。
もしかすると、グリフォンとかドラゴンとか、そういう卵の可能性もあるけれど、胃の中に入るものに意識を向けてもしかたない。食べたらいっしょ。それは異世界でも鉄の掟なのである。
むんっ。
とりあえず、縁のところで卵を一度軽く当てた。
あれ?
おかしいな。ぜんぜん割れないんだけど。
でも、べちゃってなるのは避けたい。
せっかく用意してもらった仕事なんだ。
ミスなく完遂したい。
ちょっとだけ大きいけど、卵は卵なんだ。そんなに難しく考える必要はない。
むんっっ。
ゴッという音を立てて、卵の一部分にひびが入る。
ようし。
ここまでくればあとは簡単だ。
ひびのところに手を立てて、そっと割る。
あっ。
黄身が崩れちゃった……。
『ん。よくできたわね。えらいわ』
クインが褒めてくれてるみたいだけど。
これは、失敗だ。
まちがいなく失敗。
パンケーキとか作るときは、卵黄と卵白をわけたような気がするし、こうやってべちゃっとなったら、もうどうしようもない。覆水盆に返らずという言葉どおり、分かたれた成分を元に戻すことはできないんだ。
なんだかとても寂しい感じ。
いまのわたしの状態を表しているようで。
中途半端だ。
落ちこんでいるわたしを片手で慰めながら、クインはボウルから小さめなボウルへと大部分の卵黄を移したようだ。
だけど、きっと残ってる。
わたしのミスによって、きっと卵黄が少し混ざっちゃった。
ちくせう。
『少しくらいいいのよ』
「むむぅ……」
『あら、ご不満な様子』
「むむむ……」
しかし、うなっていてもしかたない。
さてお次は何をすれば?
『んー。混ぜてみる?』
クインがヘラのようなものを渡してきた。
受け取ってみたが、なにをすればいいんだろう。ボウルを持って、くるくるかきまわす動作。
ああ、混ぜろということですね。
わかります!
「はい!」
わたしは混ぜる。混ぜる機械になるのだ。
クインも同じように混ぜている。わたしは卵黄といくつかの材料が入ったほうを混ぜて、クインは卵白のほうを混ぜている。
案外疲れるが、わたしは混ぜる機械。
機械は余計なことを考えない。
ちらりと横を覗きこんだら、クインは手元が見えないほど高速でかき混ぜていた。
すごい。
手元が見えない。
というか……、たぶんクインって手動でメレンゲ作ろうとしているんだよな。
このくらいの速さじゃないと、時間がかかってしょうがないということなのかも。
一方、わたしのほうはすでに腕がプルプルしてきました。
機械だったらメンテナンスが必要です。
うう。
がんばれわたし。
『ん。ほどほどでいいわよ』
卵白のほうが仕上がったのか、クインはいったんわたしに止めるように指示を出した。
指示には従うのです。
混ぜる機械ですから。
クインはわたしからボウルを受け取って、しゃかしゃかと混ぜる。
数十秒程度で、あっという間に混ざりきったらしい。
もう、クインひとりでいいんじゃないかな……。
などというネガティブな思考が一瞬浮かんだが、こういうのは気持ちの問題なんだよ。
ひとつの試練にふたりで向かうというのが大事。超大事。
それで、わたしの混ぜたやつとクインが混ぜたやつを合わせて、生地が完成。
それを「着火」したフライパンの上にバターをすべらせて、生地をモフンと置いた。
要するに生地は薄くのばしていれるのかなと思っていたらそうではなく、塊のまま置かれたというか。
そんな感じ。
とじ蓋をして、しばらく待つらしい。
前世のように、透明な蓋ではないから、待っていても中の様子は見えない。
たぶん、それは勘で判断するのだろうが、その勘がわからないわたしはあたふたするほかない。
蓋の中はどうなっているのか。
焦げてしまわないのだろうか。
ふわとろなパンケーキは完成するのだろうか。
蓋を開けるまでわからず、いわばシュレディンガーのパンケーキ状態。
わたし、すごく……気になります!
何度もクインのほうをちらちら見て、まだなのか確認する。
『うふふ。まだよ。もうしばらくはかかりそうだから、ソファのところで待っていてもいいわよ』
指差されたのはソファのほうだ。
うう。確かにいまのわたしにできることは少ない。
けれど、ここにいたいのです。
「ナイ。ここ!」
『ここにいたいの?』
「ここ好き!」
『わかったわ。じゃあ……、お皿でも用意してもらおうかしら』
クインは戸棚の中から、お皿を取り出してわたしに見せた。
手のひらサイズの小さなお皿。
そして、指で四つを示す。
ああ、なるほど。四枚ですね。わかりました。
もはや、儀礼的な行為のようだが、わたしが手伝いたいのである。
迷惑になっているかもしれないが、いつかは自分ひとりでできるようになるから許してください。
そして、完遂。
終わっちゃいました……。
当然だ。たった四枚のお皿を戸棚から出すだけの仕事だ。
そんなの十秒もあれば終わってしまう。
うう。
とりあえず、クインに抱きつく。
すんすん。
『もう少しかかるからね』
「はい……」
まだといわれたので、待つのです。
わたしは待つ機械。
☆
それから数分後、蓋を開けて、ひっくり返してまた蓋を閉じて、ようやく完成らしい。
一回の作業でできるのは、二枚までだから、あと一回は同じ工程を繰り返さなければならない。
さすがに、二回目にもなると、わたしが手伝うことのほうが負担になると思ったので、再度ソファ行きを促されたときは、素直に従った。
また、まるまって自分の足をぷにぷにするだけの機械になる。
はあ、落ち着く。
と、そこで、扉のほうから声が聞こえた。
『クインいる?』
この声は、知ってる。
「アニー」
クインは料理をしているので、応対するのはわたしの仕事だ。
扉を開けると、そこにはさきほど会ったばかりのアニーと、小さい女の子がたっている。
たぶんミニーという名前の女の子。
アニーに顔つきは似ているが、肌はアニーと違って真っ白だ。
少しだけ外向いた白髪のショートボブと、やっぱり琥珀色をした瞳が印象的な、猫耳少女。
猫耳……尊い。
ライトアーマーを着ているおへそまるだしなアニーと違い、驚くべきことに、彼女が着ているのは着物スカート。太ももの上あたりまでしかない着物部分が途中からスカートみたいになってる。ほとんどパンツみえそうなくらいの短さのスカートからは、かわいらしいおみ足が覗いている。靴は普通に靴。わらじとかではない。紐で縛るタイプのブーツみたいなやつだ。
それで腰に挿しているのは、両刃の剣ではなくて、間違いなく刀。
なんとなくチグハグ。
しかし、日本人的な装いである。
ファンタジィ世界だと思ったら和風でござる。
いわゆるなんちゃって和風だが猫耳にとっても似合っていた。
ただ、そんなことより気になるのは、視線だ。
わたしのコミュ障センサーがビンビンに感じまくっている。
わたしを舐るように見つめ続ける視線。
その幼げな顔つきが、わたしを完全にロックオンしている。
なぜか本能的な恐怖が湧く。
無理もなかった。
はっきり言って、若さとは暴力であると思う。
見た目が小学五年生程度の、つまりわたしと同年代のように見える美少女というのは、もはや禁忌といっても言いすぎではない存在。
見た目がいくら同じになろうとも、心がおっさんであるわたしにとっては、声をかけるだけで、崖から身投げするような勇気が必要なんだ。
アニーくらいがちょうどいい。
アニーのように大人だったら、まだ許されてると思えるから。
『あら、ナイ。クインは中にいるかしら』
「クイン。ここ」
『そう。ありがとう』
軽く頭を撫でてもらう。
クインほどではないが、わたしよりも背は高いので、ちょうど手をおろしたところあたりに頭がくるみたい。まあ撫でやすい身長なんだと思う。
クインの身長がわたしからすれば高すぎるので、なんともいえないが、アニーを170センチくらいだと仮定すれば、わたしはたぶん140センチくらいだろうか。ギリギリ届いてないような気もする。
ちょっと小さいかな。
ミニーはわたしと同じくらいの身長。
『お母さん。この子がナイですか?』
『ん。そうよ』
猫耳少女がアニーさんになにやら聞いた。
そして、それを肯定するアニー。
どうやら、わたしのこと?
猫耳ちゃんは、すっと前に出て、それから――、
風が起こる。
それくらいしか、認識できなかった。
気づいたら、のど元に刀を突きつけられていました。
はひ?
☆
『ミニー! やめなさい』
『ん? なにをですか?』
『ナイがおびえてるわよ。というか、お母さんが後でクインに殺されるわ』
『いや、こうしてですね。ボクの刀で触ると、いろんな物事の本質といいますか、真実といいますか、核心部分がわかるです』
ストンと腰が落ちちゃった。
なんのことはない。腰が抜けたんだ。
そして、わたしは再び失禁ガールにいたろうとしている。
一日のうちに何回パンツかえるんだって勢いで。
このままでは下半身が緩い女の子だと思われてしまう。
それだけは避けねば。
考えるんだ。
いまは考えるしかない。シンキング……。失禁だけにシンキング。
「フィヒヒ……」
でも、命の危機にさらされているのに、まともなことなんて考えつくはずもない。
『表層のかわいさ。ポイント高しです。ちょっと人間超えてるかわいさです。外の世界で助けた商人の娘さんがジャガイモみたいに思えてくるです』
少しだけ横にずれて、頬のあたりを刀で触られている。
『また、わけのわからないことを』
すごく丁寧に。
しょりしょりされてるんですが。
ひげも何もないつるつるの肌なのに、刀で肌の表面を触られているんですが!?
わたし、なにか気に障ることしましたかぁ!
『あれ? この子はなにかがおかしいです』
『なにが?』
『うーん。人間らしくないです?』
『人間でしょ』
『それは……、生物学的にはそうなんですが、なにかが違うような。魔法的ではないというか。うまく表現できないですが、あえて言うなら反魔的存在というか。そんなふうに思ったです』
『反魔? 言葉を喋るのが苦手だから、神言も使えないってこと?』
『うーん。言葉なんてすぐに覚えると思うですから、それはべつにいいんですが、なんというか、ナイのそれはわたしたちが使っている神言とはプロセスが違うように思うです』
『プロセス?』
『逆転? 抑制? なにかが違う……』
刀のおなかの部分でぺちぺちするのやめてください。
命が削られていく感覚がしちゃいますから。
しちゃいますからぁ。
『まあ、よいです。お母さん。ボクはこの子のことが気に入りました』
『そう。よかったわ。というか、ミニー。この子に謝りなさいよ』
『はい。ごめんなさいです』
すっと、頭を下げる動作。
あ、これ『ごめんなさい』だ。
いいですよ。おかまいなく。
どうして刀でぺちぺちされたのかは謎だが、そういう趣味だったのだろう。
意味わかんにゃいけど、そういうもんだと思うしかない。
他人の心なんて見えないし、他人の心がわかったなんていう人がいたら、そんなの妄想でしかないんだから。
だから、行動するしかない。
わかってようがわかっていまいが、行動することならできる。
わたしがいま求められていることは、彼女の謝罪を受け入れることだ。
それくらいわけなかった。
そもそも自分が謝る場面でないのなら、心安い状況だ。
たとえ、銃を突きつけられようと、刀を突きつけられようと、お人よし成分で半分くらいは構成されているわたしにとっては、それを受け入れるくらい、問題ない。
というか、たぶんこれも防衛反応なんだろうな。
仮に、受け入れないで怒らせたら怖いとか。そういう打算が働いているんだと思う。
それに、小学生女児から謝られたら、そりゃおっさんとしてはね。許すという選択しかないのですよ。
「名前。ナイ」
『はい。はじめましてです。ボクはミニー。ミニー・アルゴノートというです。以後、お見知りおきをです』
「はい」
『その笑顔、ちょっと反則クラスです』
そして、また姿が消えて――。
早すぎる。
この子、生きてる時間が違うんじゃないかっていうぐらい早い。
そして、いつのまにやらわたしの背後に立っていて。
ぺろんって。
ほっぺた舐められちゃった……。
これって、猫耳族の挨拶だったりするんでしょうか。
それとも、単純にミニーが変なだけなんでしょうか。
わたし、わかりません。
ひとつだけ言えるのは、これ前世だったら事案ですよね。たぶん。
☆
覚えた言葉
『ナイ』『クイン』『名前』『はい』『いや』『倒れる』『アニー』『どうしたの』『料理』『着火』『消火』『水』『おいしい』『好き』『ここ』『葉っぱ』『空』『お月様』『卵』『お日様』『あおむし』『おなか』『ぺこぺこ』『りんご』『梨』『すもも』『いちご』『さなぎ』『ちょうちょ』『タルサ』『ミニー』『ごめんなさい』