レベル5
家に帰ると、クインは少し遅めの朝食を作っているようだ。
ようだ、といったのには訳がある。
遠目からはクインの背中しか見えなくて、何をしているのかさっぱりわからない。
し、しかし。わたしはできる男。
できる男とは当然家事だってできるのだ。
独り身だといろいろと自分でやらざるをえないからね……。
特に意識しないでも料理ぐらいはそれなりにはできるようになっていたよ。
しかし、まずはこの世界のことを学ばなければならない。
この世界の科学力を。
いったい何ができて、何ができないのかをわたしは知らなければならない。
驚くべきことに、この家には台所があって、そこにはガスコンロのような黒いプレートが存在感を主張している。クインがそこに近づく前は遠目に見えた。
漆黒の鈍器を思わせるそれは、前世でいうところの鉄板みたいな感じで、ただ鉄板の下は拳大の空間が開いてはいるものの、燃料になるような何かを入れられるほどの、そういった隙間が明らかに足りないように思えた。
これが現代日本であれば、電気の力で、とかガスの力でとか、あるいは蒸気でとか、そういうことが考えつくのだが、ここは明らかにファンタジィな世界なのだ。
科学力で言えば、中世程度。
なのに、中世の科学力では明らかに埋めることのできない隙間。
なにもない空間。
支えているのは、プレートの四隅の足だけ。
だったら――。
その隙間を埋める、エネルギィを通すためのなんらかの『概念』が存在するはずで、もしかするとそれがわたしの知らない未知の領域、ありていに言えば『魔法』なんてものかもしれないのだ。
興奮しないほうがおかしい。
いくらおっさんだろうが、このトキメキばかりはとめようがない。
もしかすると、前世で言うところの30歳を超えた童貞は魔法使いだから、魔法との親和性が高いかもしれないし、わたしにも使えるかもしれないのだ。
知りたい。
ともかく何をしているのか知りたかった。
でも、背がね。
届かないんです。
調理スペースが高すぎて、ギリ顔を乗せられるくらいで。
鉄板の向こう側がまったく見えない。
わたしの身長はクインの腰というか、お尻あたりにしか届かないので、
もう抱きついて、すんすんするくらいしかない。
それではダメなのだ。
わたしはできる男になるんだ!
調理スペースの縁につかまって、腕の力で、なんとか見てみようと試みる。
ふんすっ。ふんすっ。
あああ、懸垂力。懸垂力ぅ。
『あら。見たいの?』
わたしの苦労とはなんだったのか、ひょいっと軽い力で持ち上げられた。
なんだろう。小学五年生なのに、扱いが完全に幼稚園児なんですが。
あ、ちなみに思い出したけれども、クインとアニーの身長差は、やっぱりクインのほうがひとまわり大きかったので、わたしはそんなに小さいってわけではありませんでした。
まあ、まだ比較対象がふたりしかいないのだけれども。
とりあえず、小学五年生の体なのに、この扱いは……。
もしかしてだけど、クインは過保護なのかもしれない。
でもおかげさまで見えました。
どうやらプレートの上には白い線のようなものが刻まれていて、それが不思議な紋様を描いている。
丸い円。
そして円を覆うように、六角形の金属の壁があって、親指くらいの高さを作っている。
たぶんこの六角形の上に鍋やらフライパンを置くのだろう。
まるで、魔法陣。
本当に魔法?
『いいわね。ナイ。よーく見てなさい』
「?」
『着火』
クインが手をかざして、なにやら唱えると……。
「!!」
火がでた。
火がでちゃいました。
やばい。これやばい。本当に魔法だ。
いや、もしかしたら、このプレート自体がなんらかの機械なのかもしれないけれど。
でも、これは明らかに何もないところから火がでたように見える。
体を無理やり伸ばして、プレートの下を覗きこんでみても、やっぱり何もない。
鉄板の中身が空洞になっているということも考えられるけれども、さっきはクインの『言葉』に反応して火がでていたように思える。
音声認識なんて、この世界の科学力では難しそう。
だったら、やっぱり魔法なんだ。
魔法を唱えたんだ!
やばい興奮する。
わたしも使いたい。
「クイン。クイン!」
『ん。どうしたの』
手を伸ばして、いまついている火を指差す。
さっきのやって。
もう一度見せて。
『ああ。神言を使うのが珍しかったのね。もしかして初めて見たの? この子は神言を知らないのかしら。人間ってどんな生物よりも神言を使うのがうまいってアニーが言ってたように思うけど』
「?」
『まあいいわ。とりあえず、このプレートの魔法陣は神言を限定して、その力を固定するようにできているの。料理のときにいきなり火が大きくなったり小さくなったりしてもよくないから。できるだけ長い時間、ずっと同じ調子で燃えている状態を続かせるのよ。火をつけたあとは、ここのつまみを回せば……、って言ってもわからないわね』
「ふぇぇ」
ぜんぜんわからないです。
でも、わたしが知りたがっているのはわかってもらえたようだ。
さっきやった動作をゆっくりと繰り返してくれる。
プレートの魔法陣を指差して、
『いい? 見ているのよ。こう唱えるの』
――『着火』
小さな火がともった。
――『消火』
その火が音もなく消えた。
酸素がなくなったときみたいにシュンと消えていく感じだ。
はえー。
火がついたり、消えたり。
こりゃ、魔法の仕業ですな。
「ん!」
手をあげて、自分もやりたいアピールをする。
『うふふ。いいわ。じゃあ、はい。手を近づけて』
クインに指を持ってもらって、さっきクインが言ったように唱えてみる。
「着火」
お。おう。火がついた。
「消火」
お、おう。火が消えた。
これは……、これは……、ま、魔法なんですかね?
ちょっと自信がなくなってきましたよ。
確かに、できてるんだけど。
ちゃんと、思ったとおりにできているんだけど。
なんだか、簡単すぎた。
まるで電気のスイッチをつけたり消したりするような気安さで、できてしまえているので、ぜんぜん魔法っぽくないように思った。
もしかして、本当に音声認識で火をつけているだけなのかも。
日本にいたときだって、テレビや電子レンジがどうやって動いているかなんてわからなかったし、自分で作れるはずもなかったから、この鉄板みたいなものが科学的な原理で動いているのか、魔法的な原理で動いているのか、まったくわたしには区別ができない。
魔法だとすれば、定番の設定では精神力、マジックポイントとかを消費して、現象をもたらすものだから、なにかの力を吸われて――とか思ったんだけど。そのような気配はまったくなかった。
わたし、ぴんぴんしてますし。
何百回でもつけたり消したりできそうです。
飽きるという意味では精神力使いそうだけど。
あ、でも、もし魔法だとすれば、念じれば強くなるかもしれない。
試すしかない。
うおおおおおおおおおっ。
闇の炎に抱かれて燃えろぉ!!
「着火ぁ!」
結論から言うと、なんの成果も得られませんでした!
火はさきほどと変わらないサイズで揺らめいてます。
なーんも変わらん。
はぁ。ぐんにゃりする。
なんで、できないんですかね。
これって単にスイッチ押すのと同じじゃないですか。
ちょっと声に出さないといけない分、不便なだけの機械ですよ。
『もういいの?』
「はい……」
クインから、続けないのかというような空気を感じとったので、わたしは頷いた。
でもでも。
べつにお手伝いが嫌とかそんなんじゃないんだからね。
わたしはできる男なのだ!
女性だけを台所に立たせて、自分は居間のソファでぐうたらしているようなダメ夫とは違う。
手伝いたいんです。
あなたの力になりたいんです。
「ん! ん!」
『どうしたの?』
意味を問われているような気がする。
「どゆしてぁの」
んんん。
フランス語とドイツ語をちゃんぽんして中国語をトッピングしたような発音の難しさだ。
でも、あきらめない。
『どうしたの?』
「どしたの?」
『ん? なにか言いたいみたいだけど』
「クイン……、どうしたの?」
わたしは鉄板を指差す。
『ああ……料理よ。りょ・う・り。わかる?』
「クイン。料理?」
『そう。料理をしようとしてるの』
クインが頷いたので、わたしも言われた単語が『料理』だと気づいた。
ついでに『どうしたの』という単語も覚えた。やべ、これってドラクエでいうところの、ホイミ並みに重要じゃないですかね。
もしかすると『料理』より『どうしたの』のほうが重要単語かもしれない。
汎用性が違いすぎる。
どんな場面でも応用がきく。
できれば、『どうも』に相当する単語も覚えたいんですけど、まだ一日も経過していないのに、いっぱい単語を覚えると、たぶんわたしの貧相な頭はパンクしてしまうだろう。
ともかく、いまは料理だ。
料理手伝いたいオーラ全開でいくぞ。うおおおっ。
「ナイ料理」
『もしかして、手伝いたいのかしら』
「クイン料理。ナイ料理」
『手伝いたいのね?』
あ、部屋の隅っこにおいてあった、小さなステップ。
子どもが台所で手伝う際の定番のアレを、クインは指差していた。
間違いない。
これは手伝いますかというサインだ。
「はい! はい!」
わたしは手をあげて肯定のサインを返す。やったぜ。わが国は大勝利です!
『ふふ。なんだか一生懸命でかわいい』
クインはステップを置いてくれた。
たとん。
と、軽やかにステップ。
ステップをステップ。
とりあえず乗りました。
さあて。火をつけている状態なわけですが、わたしはいったい何をすればいいんでしょう。
クインを見る。
皮むきでも、火の番でもなんでもしますよ。
『じゃあ、お願いしようかしら』
クインから渡されたのは、金属製のボウルだ。
その中には、なにやら謎の物体が入っている。見た目はジャガイモのようだけど、色が緑色をしているため、なんなのかは不明だ。それをどうすればいいんだろう。
次に渡されたのは、木の棒?
麺とかを伸ばすようななんの変哲もない棒だ。
わたしの手には少々大きいものの持てないほどではない。
ああ。わかります。
両の手で中にある謎の物体を潰せばいいんですね。
ぐにぐにって。
「ぐにぐにー」
わたしの行動は当たりだったらしい。
『よくできました』
クインは頭を撫でてくれる。
えへへ。
やったぜ。
クインはわたしがきちんとやっているか見てくれている。
仕事をしている以上、ほどよい緊張感はあるものの、間違いないよう見てくれているというのは安心だ。
クインは横目にわたしのことを見ながら、台所の奥にあった謎のタンスのようなところから、お肉のブロックをだしてきた。見た目は豚か何かのお肉なんだけど、なんのお肉かはわからない。
この世界の精肉技術はかなり高いらしい。
血の一滴もついてなくて、毛の一本もついてなくて、綺麗だった。
それに冷蔵技術も、なにげにすごい。
見た目観音開きな衣装タンスだけど、あれって冷蔵庫だったんだ。
お肉はわずかに靄を出していて冷気を放っている。
たぶん、この謎コンロと同じく、謎な原理で冷蔵庫を作っているのだろう。
エネルギィがなんなのかも謎なので、さっぱりだが、そういうものなんだと思うしかない。
仮に空気中のマナ(謎)とかなにかから力を得ているのだとしたら、資源の問題はほとんど解決しているようなもので、現代科学がかすんでしまうほどの超技術ってことになるんだけど。
それも、まあいいんだ。
わたしにとっては、目の前のジャガイモもどきを潰すことのほうが大事なのですよ。
ぐにぐにー。
どうやら料理の工程はさほど地球と変わらないようだ。
クインは木製のまな板のほうで、さきほどのお肉を薄くスライスして、それをフライパンの上で焼いている。鉄板の手前についていたつまみを回すと、ガチャリと音を立てて、魔法陣が少し配列を変えて、それで火の調子が弱くなったり強くなったりした。
日本のときみたいに、アナログではなくデジタルな切り替えになってるけれど、これで火力を調整しているらしい。
それで、出来上がったのは、見た目的にはまったく前世と同じのカリカリに焼けたベーコンだ。
二つ魔法陣のうちひとつはベーコン焼いていて、もう一方では、これもまた前世と同じような卵を焼いている。ちょっと大きめかなと思うけど、エミューかなにか巨大な鳥の卵だと考えれば、これも変じゃない。
どうやら作ろうとしているのはオムレツのようですね。
ちなみに料理に必須な水ですが、これも魔法的な何かみたいで、壁から象の鼻のような金属の管がそのまま突き出ていて、そこから得ていました。
『水』
というと、そこから水が出る感じです。
壁の中に管が通っているのかもしれないし、もしかしたら、どこかに魔法陣がやっぱり刻まれているのかもしれない。
『ナイもやってみる?』
「はい!」
自分もだしてみるかといわれたような気がしたので、当然試してみますよ。
「水!」
これも簡単に出た。
どういう仕組みになっているのかは気になるが、気にしてもしかたない。
しかし、こっちはどうやって止めるんだろう。
「消火」
火のときのように唱えてみたが変わらず。
シンクについては日本と同じような作りなので、出しっぱなしでも水があふれたりはしないようだけど。
もったいない精神がうずく。
と、しばらくしてたら止まった。
うーむ。
センサー式か何かなのだろうか。
しばらく悩んだものの、わたしはすぐに思考を放棄した。
そうだよ。
べつに考えたって仕方ない。
前世でテレビがどうやって映っているかなんて悩んでなかったじゃないか。
それと同じ。
なにもかわらない。
ともかく、「水」といえば、水がでてきて、しばらくするとそれは止まるので、止まるたびに「水」って言えばいいんだ。水のでている時間はだいたい三十秒程度だけど、たぶんこれも、どこかから無限に発生しているのだとすれば、そんなのにもったいないも何もない。
それこそ湯水のように使えばいいんだ。
『水はね。屋根の上に浄水漕があるの』
クインが上を指差している。
わかります。雨も水だということを言っているのですね。
『浄水漕内に魔法陣とレコーダを置いておいて、こっちの神言をキーワードとして、そこから適量引っ張ってくるってイメージかしら。水をくださいって大きな人に頼んで、分けてもらっているって感じよ。さすがに料理に使う水の量だと、一から創るのは大変だから』
「はい」
『理解したの?』
「はい」
『本当かしら。まあいいわ。ひとつずつ覚えていきましょうね』
「はい!」
また、撫でられました。
わたし、褒められて伸びるタイプなんです!
☆
覚えた言葉
『ナイ』『クイン』『名前』『はい』『いや』『倒れる』『アニー』『どうしたの』『料理』『着火』『消火』『水』