レベル4
いやー。安心感が違いますよ。
この心臓の音。ドキドキ感。
いままでもクインは優しかったが、なんだか、ほっとする感覚が前よりも強いように感じる。
そ、それにしても、いったいいつになったら動くんでしょうか。
ちょっと、長すぎやしませんかね。
あれからかれこれ体感時間で五分以上はこうしているように思える。
も、もしかして、神様の前で子どもの無事を祈っているとか、そういう感じなのだろうか。
目の前にある美少女フィギュアは鎮座している位置からすれば、まちがいなく奉られている感じだし、その像の前で、わたしを抱っこしながら祈るなんて、ちょっとそれぐらいしか考えられない。
よくわからないけれども、嫌な感覚ではないので、されるがままだ。
男は黙って耐える生き物なんだよ。
いくら少女の体になったって、その矜持だけは失ったなんて思いたくはない。
プライドがあるんだ。
だからされるがまま。
子どもっぽく扱われてるし、子どもっぽく反応しちゃってるけど、わたしの精神はまだ男っぽさをかなり有していると思いたい。
『さ。いきましょうか。そろそろおなかもすいたでしょう』
「ん?」
クインが立ち上がり、ようやく状況が動き出す。
祈りの時間は終わりらしい。
行きと同じく手をつないで帰る。
ギィと扉を開けて――、開けて。
開ける前に、自動で扉が開いた。
いや、自動なわけがない。
向こうから勝手にあいたんだ。
つまり、人がいる。
ちょっとだけ身構えてしまうのは許してください。
光の速度でクインの後ろに隠れるのも許して!
『あら。クインじゃない。やっぱりここにいたのね』
わたしのところまで響いた声色はクインのものよりも若い。
そっと覗く。
そして、視界に入る圧倒的猫耳。
圧倒的美女な顔。
とどのつまり、わたしは思いこんでいたのだが、この世界の住民はべつにクインのようにケモ度がのきなみ高いわけではなかった。
クインに気安く話しかけた彼女は、ちょうど、よくラノベとかにあるように、人の顔に単に猫耳がついているだけだったのだ。
年の頃は二十五歳くらいだろうか。
圧倒的美女。
圧倒的。圧倒的な……日焼け肌。
小麦色に焼けた健康的な肌が、なんというか扇情的です。
全体的にシャープな感じで。
機能的な筋肉に覆われていて。
でも、どこまでいっても女性的で。
わたしと違って混じり気のない真っ白な髪と琥珀色の瞳が、褐色の肌に似合っていて、なんだかすごく……エロいです。
そうそう、腰に剣が挿してあるのもポイント高い。
一言で表すと、猫耳剣士って感じで、とってもファンタジィしてる。
で、でも、わたしはクイン一筋ですよ。たとえ犬顔でも安心感が違う。
もはや家族のようなゆるがせない信頼感があると信じている。
ぎゅ。
クインの腰を強く握る。
それは不安感や恐怖心からくるものというより、クインを離したくなかったからだ。
クインはわたしを撫でて、それから声の主に向かう。
『アニー。久しぶりね』
『久しぶり。ところでそこにいる女の子は?』
『この子は、ナイ。わたしの子よ』
『人間、よね?』
『そうよ。たぶん。人間ね』
『ねえ。半年ぶりくらいに会ったばかりにこんなことを言うのもなんだけど、いいの?』
『なにが?』
『まさかとは思うけど、人間を育てようというんじゃないでしょうね』
『悪い?』
『悪いっていうか。あまりにも荒唐無稽というか。うまくやっていけるとも思えないんだけど』
『こんなに小さいのよ。誰かが守ってあげなくちゃ、きっと風邪をひいちゃう』
『クイン。あなたは人間のズルさを知らないからそんなことがいえるのよ。あなたはいままでどれだけの人間にあったことがあるというの?』
『人間がどんなだって、私とこの子の間には関係がないわ。わたしはさっきこの子の家族になるって決めたの。この子もそれでいいって言ってくれたのよ』
『クイン……、あなたは間違ってるわ』
『何が間違ってるというの!』
『人間と私たちは違う。違いすぎる。なにもかも』
『なにが違うというの』
『人間は邪悪な存在よ。そりゃ、中にはいいやつもいるかもしれないけど。人間は悪いやつが多い。生物の種として、悪い性質を数多く持っているの』
『そんなのこの子の魂とは何も関係がないじゃない。いいがかりはよして!』
『いいがかりじゃない。冷静に考えなさい。歴史を。過去を。道理を。人間にどれだけ大地を奪われたか。どれだけの命を奪われたか! それをあなたは自らの弁明のために欺こうとしている。自分がそうしたいからという理由で私たちの血の結束を揺るがそうとしている。裏切り行為だ』
『やめて聞きたくないわ』
『それが、”あの子”のためだとでもいうの』
『やめて! アニー 』
鋭すぎる声だった。
絶対零度に匹敵するほどの声色に、わたしは一気に緊張に包まれる。
なんだかよくわからないけれど……。
クインが怒っているような。
わずか数分程度の言葉のやり取りで、猫耳美女との関係が破綻寸前までいっているような。
そんな危機感を覚えた。
もちろん、そんな事態は決して好ましいとも思えない。
わたしのことで争わないで、なんて傲慢なことはいえないが。
クインが怒っているということは、クインの中の幸福度みたいなものが下がっているということで、そんな事態に陥ってほしくなかった。
できれば彼女には笑ってほしい。
それぐらい願ってもいいと思えるくらいには、彼女にはいろいろなことをしてもらった。
わたしにとって大事なヒトなんだ。
たとえ、彼女と会ってから一日も経ってなくても。
時間なんて関係なかった。
ぎゅ。
わたしはまわした腕に力をこめる。
そうすると、少しだけクインの力が抜けるのがわかった。
アニーと呼ばれた女性も、クインが力を抜いたことに気がついて、少し空気を緩めた。
『悪かったわ。ぶしつけすぎた』
『いいのよ。アニー』
とても気まずい空気が流れたような気がした。
ぎこちない空気。
まるで利き腕の反対で字を書いているときのような気持ちの悪さ。
空気を読むということは、生来的に価値がないわたしにとって、生き抜くための最低条件だったから、たとえ、言葉が通じなくても、この場の空気がとても悪いことはすぐに理解した。
クインは、しかし、わたしと違って、それで尻込みするようなコミュ障ではないらしい。
明るい声でなにやら言って、空気の入れ替えをしようとしている。
『アニー、人間の国はどうだったの?』
『まあ、どこもひどいものだわ。争いばっかり。土地が足りない。お金が足りないってそんなことばっかりで。私たちについては亜人と呼ばれて人以下の扱いよ』
『ミニーをつれて旅をするのは危険じゃないの? ここでそろそろ腰を落ち着けたら』
『それもいいかもしれないわね。でも、このままいくといつか人間が私たちの国に攻めてくるかもしれない。わたしはこの国の兵士としてそんな事態にならないようにする義務がある』
『土地の形状から、人間が攻めてくるのは無理なんじゃないの?』
『そうね。物理的には不可能といってもいいわ。でも、そんなの関係ないのよ。侵略したいという欲望、他人を虐げたいという欲望は、そういった物理的な不可能性をいつでも覆しうるのだから。それに、その子もどうやってかは知らないけど、私たちの国に侵入してきてるわけでしょう?』
『侵入だなんて……、そんなことしないわ』
『もちろん、こんな小さな女の子が攻めてきたなんて思わないわ。でも、どうやってかは知らないけど、実際にここにいるわけでしょう。だから、不可能ではないということになる。人間がこの国にせめてくることも物理的に絶対不可能というわけではない。たとえ、生き物を殺しつくす死の谷があっても、敵性生物だらけの迷いの森があっても、欲望だけを糧にそれを超えてくるのが人間よ』
『そうね……』
『この時間も仮初のものなのかもしれない。平和で誰も争わず、誰も傷つかない。そんな世界の裏側では人間どうしが醜い争いをしている。クイン。私はこの国のことが好きなのよ。だから誰にも傷ついてほしくないの。誰かが傷つくくらいなら、私は剣を奮う。誰かが傷つくくらいなら、私は人間を殺すわ』
『それがあなたの使命だものね』
『そう。それが私の使命……。だからはっきりさせる必要があるの。クインがたとえこの子のことをどう思っていようとも。たとえ守りたいと思っても。それが私の譲れない一線なのよ』
猫耳剣士は、わずかにこぶしを握った。
そして、わたしをじっと見ている。
観察するような目。
蛇ににらまれた蛙とはわたしのことだ。
猫耳さんから放たれる威圧感というのかな。
とんでもなく空気が重たいんですけど。
わたし、なにかしたんでしょうか。
ちょっとだけ猫耳触りたいと思っちゃいましたけど。
ちょっとだけ人肌恋しくなっちゃいましたけどぉ!
もし、クインがこの場にいなかったら、失禁ガールマークツーになっていただろう。
けれど、く、クインなら。
クインならなんとかしてくれる。(他力本願です)
ややあって、猫耳さんが再度口を開く。
『クイン――』
その口調は先ほどまでの柔らかい、言ってみれば女性的なものと違い、どこか機械じみていた。
海の底に沈んでいくような、ものすごい圧力だ。
風なんか吹いてないのに、彼女の体から放射状に放たれる、何か――”殺気”みたいなものに、私は人知れず震えがとまらない。
どうして。どうして。あばばばばばば。
『人間の国を積極的に攻めない我が王のことを腑抜けと呼ぶやつらもいるが、王が安寧の時代を作り出しているのは紛れもない事実――。それが王の強さだ。敵を侮らず、貶めもせず、ただひたすらに、真摯であろうとしている。自らの矜持によって平和を作ろうとしている。なぜなら平和とは時流によって生じた勢力の均衡を言うのではなく、そうありたいと願う意志の強さだからだ』
猫耳さんが親指をわずかに伸ばすと、鋭い剣刃が見えた。
あ、あの、わたし、三枚おろしにされちゃうんでしょうか。
こわいんですけど。
こわいんですけどぉ。
なにも悪いことしてないんですけどぉ。
『アニー。この子がおびえてる。やめて』
『私は王の剣だ。王の剣の切っ先は鈍くはない。平和を阻むものは切り捨てる。たとえその子がどんなに平和主義者に見えたとしても、人間によって我らが侵犯される危機があれば、私はいちはやく報告しなければならないだろう。いや報告すべきだ。認めるのか?』
『なにを?』
『人間を育てるということは、王の意志に逆らうということだ』
『逆らうつもりなんてないわ』
『匿っているというふうに解釈されるかもしれない』
『言いたければ言えばいい。そのときはエルフの森に行くわよ。場合によっては人間の国にだって!』
『クイン。そうじゃない。そうじゃないんだ。私が言いたいのは、そういうことじゃない』
『じゃあどういうことよ!』
『あなたが、この子を育てるということは、そういう内外の害意にさらされる可能性があるということだ。知ってるでしょう。人間とはこの世界でもっとも恐ろしい怪物だと。畏れられ、忌避され、蔑まれる、そんな醜い生物だと。そんな生き物を育てようとするのも、恐るべき行為なのよ』
『この子はそんなんじゃない』
『なぜそう言いきれる』
『この子は優しいから。誰も傷つけられないくらい小さな手をしているでしょう』
『この世界がまだ生まれて間もない神代の時代、人間とはこの世界で最も非力な存在だったといわれている。しかし、やつらは群れた。数は力とばかりに群れ、蹂躙し、血の歴史を作り出した。何万もの血が流れ、やつらも無事ではすまなかったが、それでも、すがすがしいまでに愚かなやつらは、”自分だけは”死なないと思っている。幾千もの矢が降り注ごうが、たとえ剣刃に刺し貫かれようとも、この宇宙において唯一の、かけがないのない”自分”だけは必ず生き残るだろうと、そう考えているのだ』
『この子はそうじゃない。こんなに華奢で、こんなに弱々しく震えているのよ』
『弱さなんて関係がないさ。私が言いたいのは、この子だって人間である以上、そういった破滅思考、すなわち”世界よ滅べ”と願わずにはいられない存在だということだ』
『そんなの私たちだってそうじゃない』
『生物的傾向を言っている』
『この子は違う。この子は私を慰めてくれた』
『クイン。私はあなたのことが心配なのよ。さっきだって、そう……』
『……』
『私はあなたが壊れてしまわないか怖い』
『親は強いのよ。子が親を求める限り。親は子を守り続けるもの。あなただってミニーの親ならわかるでしょう』
『わかる。だから私は強くなった。人間の国に斥候として行く以上、当然よ。でもあなたは弱い。あなたにこの子が守れるの?』
『理屈じゃないのよ。私はこの子の親になると誓った。だから、私はもう親にしかなれないの。わたしはこの子のためなら死んでもいい』
『それがあなたの覚悟なのね』
そして、急速に霧散する威圧感。
チンと小気味良い音を立てて、剣刃は見えなくなった。
『ごめんなさい』猫耳さんはクインに向かって微笑んだ。『あなたの友人としては、あなたの子どものことをもっと知りたいわ』
『ええ……、もちろんよ』
クインから押し出される形で、私は前に出た。
あらためて見ても、かなりの美人さんだ。
年も若く、二十代半ば。
そんな彼女と対等に話しているクインも同じくらいの年齢なのだろうか。
犬顔だからまったくわからん。
まあ、年や格好なんてわたしにとってはどうでもいいことだけどね。
「ナイ」
わたしは自分の名前を告げた。
『ああ。私はアニーという。クインとは幼馴染にあたるわ。よろしくね』
かろうじて聞き取れるのは『アニー』という言葉。
おそらくは彼女の名前だ。
さっきちらりと出た『ミニー』という言葉もたぶん人名だと思うのだが、どうなんだろう。
ほかの言葉と混ざってしまってよくわからない。
『ところで、彼女は言葉が不自由なようね』
『そうね。人間だからかしら』
『それは違うわね。もともとわたしたちがしゃべってる言葉と人間がしゃべってる言葉ってまったく同じなのよ。人間は認めたがらないけど、同じ神様、つまり言葉の神が、人に言葉を授けたとされるわ。だから、人間も私達も同じ言葉をしゃべっているのよ』
『じゃあ、この子はなぜ言葉を喋ることができないの?』
『人間ではない、とか』
『人間でしょ。どう見ても。ちょっと天使や妖精さんみたいなかわいらしさだけど』
『確かにかわいいわね』
うーむ。
美女にじっと見つめられるとなんだか照れてしまう。
『もともと喋るのが苦手とか?』
『一日でだいぶん言葉を覚えたわ。ちゃんと言葉を言葉として認識しているし。頭もいいのよ。苦手というより、知らないって感じよね。いままでの行動を見ていると』
「わからないわね。そんな存在がこの世界にいるなんて……、それこそ天使のような伝説上の存在とか、そういうものになってくるわけだけど』
『外にいて長いあなたがわからないんじゃ。私にわかるはずがないわね』
『まあ、いいんじゃないの。すべてのことを知ろうとしても限界があるものだし。あなたはこの子のことを守ろうとしているんだもの。いつかはきっと、この子の心に寄り添えるようになるわ。というか、もうすでにそうなってるのかもしれないわね』
『まだ一日も経ってないのよ。あなたにはああ言ったけれど、本当はこの子の親になれるのか少し不安』
『時間なんて関係ないのよ』
『そうね。時間なんて関係ないわね』
繰り返された言葉。
たぶん、それはクインがアニーの言葉を認めたということなんだろうけど。
少しニュアンスが違うように思えた。
『ところで、アニー』
『なあに?』
『あなた、わたしに会いにきたのよね。朝食いっしょに食べていく?』
『んー。そうね。それもいいんだけど、ミニーを待たせてるから。昼頃に来ていいかしら』
『もちろんよ』
『ミニーもつれてくるわ』
『大丈夫なの? その、ナイは人間なのよ』
『ふふ。外で確かにだいぶん洗礼は受けているけれど、まだ人間の子どもはそこまで擦れていないからミニーと仲良くした人間の子だっているのよ。ま、まあちょっとだけプロセスに問題あるかもしれないけれど結果としては仲良しだったから。それにミニーも人間に対する好奇心を抑えきれていないみたいだし。この子ミニーの好きそうなタイプだもの。ちょうどいいかもしれないわね』
『そう。じゃあ待ってるわ』
『ええ。よろしくね』
最後に手を振って、バイバイした。
この世界でも、バイバイはバイバイのようだ。
言葉そのものではないけれど、自分を表現できる方法が増えるのはうれしい。
クインといっしょに歩いて帰っていると、彼女はくすくすと笑っていた。
『アニーもナイのことかわいいって言ってたわね』
「ん? ナイ?』
わたしのことを何か言っているみたいだ。
『アニーはたくさんの人間に会ってるはずだから、ナイのかわいさもまちがいなく本物ってことね』
『んん?』
こてんと小首をかしげて、よくわかりませんアピールをする。
しかし、クインはべつにわたしにわかってもらおうとして話しかけたわけではないらしかった。
『かわいいかわいい。やっぱり、ナイは人間だからじゃなくて、ナイだからかわいいのね』
「んんー」
とりあえず撫でられているからいいということにしよう。
歩きながらだと、一時的に手を離すことになるので、痛し痒しです。
☆
覚えた言葉
『ナイ』『クイン』『名前』『はい』『いや』『倒れる』『アニー』