レベル3
わたしの中の、少女レベルがものすごい勢いであがっていくのを感じる。
白ワンピはやっぱり犯罪的だ。
美少女が着れば、そのヤバさは筆舌に尽くしがたい。
ただいま、わたしは、鏡の前に手を引いて連れて行ってもらって、エビテールのリボンの付けなおし中。
まずはリボンをほどかれて、それから、ブラシで髪を丁寧に梳かされていっている。
ちょっと眠たくなってくるくらい気持ちいい。
前世でナデポとか、撫でただけで惚れさせる能力があるラノベとかあったけど、やっぱりおっさんと美少女じゃ、感覚が違うってことなのかも。
ああ、溶けちゃう。
『本当にかわいい。人間ってこんなにかわいい生き物だったのね。それとも、ナイは人間じゃないのかしら』
名前を呼ばれたので、わたしは首と背中を後ろに向ける。
振り返ると、クインが笑っていた。
いまだかつてないほど、愛されているのを感じる。
わたしも微笑を浮かべた。
「にゅひひ」
やべ。アニメ声優みたいなかわいらしさの残る笑いがこぼれちゃった。
おっさんだったら犯罪的だが、
美少女がやったら犯罪的だ。
いいよね!? アウトじゃないよね!?
『さて、準備はできたわ。それじゃあでかけましょうか』
「ん?」
クインが手を差し伸べてきた。
当然つなぐ。
ふとよぎるのは幼稚園くらいのときの、両親がまだ生きていた頃のことだ。
なんとも懐かしい気分になる。
しかし、それにしても、やっぱりクインは大きい。
というか、全体的に世界のサイズが大きいのか。
あるいは、わたしのサイズが小さいのかもしれない。
この世界の尺度がなにもないので、たとえば、今いるこの世界が本当はミクロの世界だったとしても、それを確かめるすべはない。
だから、それはどうでもいいことなんだけど、どうやら、わたしのサイズは全体的に小さめな感じがする。手や足の伸び具合を見ると、間違いなく小学五年生くらいはあるのに、部屋やクインとのサイズ比が少し違うような。
言ってみれば、わたしとクインの身長差は幼稚園児と大人のそれくらい差があった。
まあ、それもどうでもいいことなのかもしれない。
わたしはまだこの世界でクインのことしか知らないし、実際問題、コミュ障はあまり人と接触したくないので、接触するにしろ最低限に抑えたいところではある。
だって魂に刻まれた処世術なんだもん。
しょうがないよ。
そんなわけで、どこにつれられていくのかわからず、少し不安です。
たぶん、外にでかけたら誰かしらと会うことになると思うから。
言葉も通じない状況で、相手を不快にさせない自信がない。
でも……。
そうするしかないんだ。
わたしに限らず、誰かと知り合うには、会って話をするしかないんだから。
☆
おでかけ。
とりあえず、どこに行くのもわからずに、わたしはクインと手をつないで、歩いていく。
窓から見えた景色と、そんなに印象は変わらず、外は日本でいうところの、田舎道という感じで、道も土が少し固められているくらいで、コンクリートなどは見当たらない。
ついでに言えば、標識も見当たらないし、車も走ってないし、建物すらまばらだ。
振り返ってクインの家を見てみると、やっぱり巨大に感じる。
わたしが小さくなったのを差し引いて考えても、家自体が大きい。欧米とかの家が相当大きいせいで、日本が犬小屋のように思えるとか、前にどこかで聞いた覚えがあるけれど、それと同じなのだろうか。
確かにこれだけ土地が余っていれば、ひとつひとつの家をこじんまりにする必要はないし……。
わりと重要な点としては、こういう牧歌的な雰囲気のところでも、ちゃんと柵というか塀がきちんとしていることだ。日本のお城のように石を綺麗につみあげたもので、たぶん隙間をモルタルか何かで埋めている。
わたしの身長を完全に超えていて、壁そのものように感じる。
まさに壁。
これほどの壁を設けている理由は、二つほど考えられるかもしれない。
素人考えですけどね……。
まず隣人に対して不信感があって、無意識にしろ意識的にしろ守りたいと思っている場合。
しかし、普通、田舎とかだと、対人的な意味でそこまで守る意味はないと思うので、文化的というか歴史的経緯があって、そういうふうな建築様式になったということが考えられる。
例えば、戦争とか。
もうひとつは、これが本命なんだけど、もしかして『魔物』とかが出たりするんじゃないでしょうか。
なにしろ、わたしの目の前にいる人は、いい人なんだけど、これ以上ないくらい素敵な人なんだけど、人の形からは大きくはずれている。
だとすれば、害虫や害獣が、日本にいるときとは比べ物にならないサイズだったり、火の玉をだしてきたりと、ともかく、そういうふうにわたしからすれば異常な生物だっているのかもしれない。
この仰々しい塀は、そういう存在を感じさせる。
ぶるり……。
『ん?』
わたしが小刻みに震えたのを見て、クインは手を強く握ってくれた。
それにしても、クインはいったいどうしてわたしを外に連れ出したのだろうか。
まあ、人は引きこもりでいたいと思ってもなかなか完璧なひきこもりではいられない生物だ。
誰かとあわせたいのかな。
それともわたしを単に外に連れ出したかったのかな。
真意はわからないけれども、悪意はないだろう。
ましてや、わたしが本質的にはコミュ障で、引きこもり体質だということに気づいて、わたしを外に連れ出そうとしているなんてことは考えられない。
そもそもの話。
もし、仮に引きこもりをなおそうとして、無理やり外に連れて行っているのだとしたら、それは悪手もいいところだ。
前世でネットでコミュ障を検索したときに、人と会話するのが難しいと思うんなら引きこもればいいじゃないという意見もみたことあったけど、実際にはその意見は的を射ていない。
本当は引きこもりたいけれど、現実的には生きていくためにはお金が必要で、だったら社会にでて働けなければならない。
エロマンガ先生みたいにネットで絵でも描いて働ければいい?
そんなの一部の天才だけが許されることであって、わたしみたいな凡才に許されるわけがない。
結局のところ、引きこもりを最大効率で進めるには、つまり人とかかわらないで人とのコミュニケーションにおける摩擦を最大限に小さくするには、一定程度人とかかわらざるをえないってことなんだ。
その矛盾を甘受しなければ生きていくことすら難しい。
『どこから来たのか覚えてる?』
クインが何か言った。
当然、わたしには何を言っているかわからない。
なにかを問いかけられているようなんだけど。
「いや」
わたしはとりあえずさきほど覚えた言葉を口にする。
首もちゃんと横に振って、取り違えがないように気をつけた。
『そう。わからないのね』
「ん……。はぃ」
『それにしても、たったあれだけの時間で、もう、”はい”と”いいえ”を覚えたのね。かしこい子』
「んん」
なにかよくわからんが、頭を撫でられたぞ。
ふぅむ。
わたしはアホなんでよくわからんとです。
そうやってゆっくり歩くこと五分ほどだろうか。
クインはあきらかにわたしを気遣うような歩き方をしていたから、本来はもっと近い場所なのかもしれない。
なんのことはない。
クインの家の隣にある建物に来ていた。
そこは、クインの家と同じ建築様式のようだったが、しかし、クインの家より大きかった。クインの家はそれなりに天井までの空間が大きかったものの、平屋であったのに対して、目の前の家は高さが倍以上ある。そして、家の真正面の二階部分には窓がついていることから、二階建てらしいことが見て取れた。
想像するに、それなりに裕福な家。
あるいは、なんらかの公共施設ってところかな。
『ここは、あなたが倒れていた場所なのよ。覚えてる?』
「ン?」
『見覚えがない? 中に入ってみましょうか』
促されるまま、わたしは家の中に入る。
ノックとか何もなく入ってくから、そういう習慣がないのかもしれない。
ギィ、と音を立てて、大きな木の扉が開かれる。
わたしが中に入るまで、扉を支えてくれるクイン。
あいかわらず態度が子どもに対するそれだが、そんなささいな気遣いがうれしい。
中に入ってみると、そこは静謐な空間だった。
それに二階建てと思っていたが、そうではなく、ここも平屋。
といっても、天井までの高さが、クインの家よりやっぱり倍以上あって、わたしの身長の十倍、二十倍くらいの高さは余裕である。
高いところにある窓から差し込んだ光が、幾重にも入りこんでいて、なんだか神聖な場所のように感じた。
視線の先にはいくつもの長めの椅子が置かれていて、奥には――。
ツインテールの美少女像が置かれている。
場違い感がすさまじい。
フィギィアっぽいんですが、それは。
もちろんサイズはフィギュアのそれではない。
わたしと同サイズぐらいはある。
わかりにくければ、前世でいうところの等身大の初音ミクあたりを思い出してもらいたい。
そんな巨大な像だ。
色は塗られておらず、石膏ののっぺりした作りなのがまたなんとも……。
少女の身体のラインを強調していて、少しだけえっちく思ってしまった。
着ている服も魔法少女みたいだし。
驚きのまま固まっていると、クインは像の前までわたしを引っ張った。
『ナイはここに倒れていたの』
両の手をあわせて。
それを頬のあたりにもっていき。
頭自体を横に倒すしぐさ。
ああ、『寝ていた』とか『倒れていた』といいたいのか。
「いや。ナイ。倒れる。いや」
わたしは覚えていないという意味で、否定する。
『そう。覚えてないのね』
「はい」
『ナイ。聞いて。ここは神様を祀っているところなの。いまはあまりつかう人もいなくなって、管理している人も月に一回ぐらいしかこないわ。でも、昨日の夜。月明かりがとても綺麗な日に、なんだかとても胸の奥が苦しく感じたの。何かに突き動かされるようにして私はここに来たのよ』
わたしは黙って聞いていた。
クインは像を見つめながら、ゆったりとした口調でなにやら言っている。
よくわからないけれど、クインはわたしに聞いてほしそうだった。
きっと、大切なことを言っているのだろう。
それから、クインは膝をついてわたしに視線をあわせてきた。
『あなたはここに倒れていたわ。とっても小さくて、かわいくて、誰かが守ってやらないとすぐに風邪を引いちゃうって思ったの。守りたいって思ったの。そうしてあげたいって思ったのよ。ねえ。ナイ。よくわからないだろうけれど、聞いてちょうだい。あなたが大きくなるまで、私があなたを守ってあげる。だから……、私の子どもになってちょうだい』
「?」
『ふふ。ナイにはちょっと難しかったかしら』
よくわからない。
でも、なんだかすごく重要なことを言われた気がする。
いまここがまさに分水嶺。
人生の岐路。
そんな予感がする。
ヨークシャーテリアに似た犬顔だけど、胸が痛いくらいの切実な想いを感じる。
わたしは彼女の想いに応えることができるのだろうか。
わたしの手持ちのアイテムは……。
彼女にあげられるものは、お金も利益もない。
だけど、ここで何かをしなければ、きっと停滞。なにもかわらない。なにも生み出せない。前世のようにただ死んでないってだけで、ただ世界が滅びるのを待つだけの存在になってしまう。
伝えなくちゃ。
考えた末、わたしは「はい」と言った。
いや、それしか言えなかったというのが正しい。
今の手持ちの言葉では、とりあえずのところ肯定の意味を有しているのは「はい」だし、彼女が何か問いかけをしているというより、それよりも、なんというか寂しい感じがしたから。
だから、わたしはここにいるよって伝えたかった。
わたしはあなたを認めているよって伝えたかった。
だから、少しだけ手を開いて、いつでも抱きとめられるようにしながら
「はい。クイン。はい」
と繰り返した。
『いいのね? 私の子どもになってくれるのね?』
「はい」
『ありがとう……』
そして熱い抱擁がかわされる。
意味内容はよくわからないけれども。
きっと……たぶんだけど。
わたしは間違っていない。
今の言葉の選択は間違っていなかったと思う。
☆
覚えた言葉
『ナイ』『クイン』『名前』『はい』『いや』『倒れる』