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レベル22

 ミニーは死にかけている。

 メリーランドの非情の攻撃で、まったく防御もできずに、身体の枢要部を貫通された。

 わたしのなかに生じたのは、恐怖でもなく、怒りでもなく、

 治さなければ。

 その一念しかなかった。

 ミニーの小さな身体は、そこらで打ち捨てられたぼろ雑巾ような有様だったが、まだ熱をもっている。

 まだ死んでいない。

 だったら治せる。

 わたしの神言は事象をねじまげて、結果をもたらすものだ。

 死んでいない限りは、たとえどのような状態でも治すことはできるはず。

 ミニーは強い子なんだ。

 絶対に死なせない。


『あー、メリーさんのことガン無視で、治そうとするのやめてもらえませんかネ』

『こいつ聞いちゃいねっすね』

『本当に、どこまでも世の中は厳しいから困ったものですネ。こんなにもメリーさん、自分のことを無視されるのが一番嫌いだというのにネ』

『しかし、こいつ……、わずか数度の言葉でこちらの鉄壁の防御をかなり削ってましたからね。余計なことを言うのも危険っすね』

『気絶させてしまえばいいネ』

『それができたら苦労しないっすよ。こいつは下手な言葉なら簡単にレジストしちまいやがる』

『ふふ……じゃあ、そうネ。マイプリンセスに教えてもらった御言葉を使うときがきたようですネ』


 さっきから、またあいつら何か言ってる。

 でも、そんなことどうでもよかった。

 いまのうちに少しでも回復しないと。


「治って。ミニー治って!」


 邪魔されようがなにされようが、かまわない。

 わたしの全力でミニーを治すだけだ。

 ミニーの細い肢体は、熱い血潮にまみれていて、よくこんな小さな身体の中にこれだけの血液が詰まっているものだと驚いた。

 いや……驚いたなんていってるけど、本当はわたしの手。工事現場のように小刻みに震えているよ。

 驚いたという言葉は一種のシールドだ。わたしが壊れないための心のバリアだ。

 落ち着かないと、ミニーが死んじゃう。

 だから、泣き喚いたり、みっともなく取り乱してはならない。

 せいぜい、テンプレ小説のように"驚いて"おけばいい。

 身体をぶち抜いていた穴はふさがりつつある。

 浅かった呼吸も安定してきている。

 まだ、もう少しかかるけれど。

 死んではいない。

 大丈夫。

 大丈夫だ。

 目の前のこいつらが何もしなければだが。


「あのう……」

「え?」


 なに?

 いま、日本語で何か言われた気がしたんだけど、気のせいですかね?

 メリーランドが、うんうん唸り、なにやら思案顔をしている。

 なにかを思い出そうとしているみたいだ。

 そして、ポンと手をうち、ようやくなにかを思い出したのか、すっきりした顔になって、こちらにあらためて向き直る。


「すいませんけれども死んでくれませんか?」

「はい?」

「あなたには、死ぬという選択肢もありますよ」

「い、意味わかんないですけどっ!」

 ていうか、内容怖っ。

『あ、ダメネ。意思疎通できそうなくらいは覚えてなかったネ。というかメリーさんは自分の興味ある言葉しか覚えてなかったから、たぶん意味伝わってないネ』

『姐さん。おれっちがやっときますかい』

『頼むネ。マイプリンセスのために、この子を連れていけるような状況にもっていってほしいネ』

『わかりやした』


 そして、人形からキシュキシュとした機械音で告げられる。


「なあ、おまえ。そこのおまえだよ。聞いてるか?」


 まぎれもない日本語。


 どういうこと?

 疑問は尽きない。

 でも――、そんなことはどうでもいい。

 いまは時間だけが惜しい。

 人形はぞんざいな、しかし人間味のある口調で言った。


「おまえさぁ……そいつを治せてるのは、だれのおかげだと思う」

「え?」

「頭の回転は鈍いようだな。当然のことながら、おれっちたちが見過ごしているからこそ、回復できてんだよ。おれっちたちが本気を出せば、動かないように何度も唱えればいい。おまえがレジストするにも少しは時間がかかるようだしな。手遅れになっていただろなぁ。わかるか」

「それは……そうですけど」

「じゃあ、このあと何がいいたいのかもわかるな?」

「いえ、ぜんぜんわからないのですが」

「カーっ。おまえ、本当にアホだな。このアホガール」

「に、人形にアホとは言われたくないですー!」

『風船のように膨らんだほっぺたが、とってもプリティですネ』

『姐さん。いまはそれどころじゃないっす』

 当然のことながら、言い合ってる途中も回復続けてますよ。

 ミニーの血色が悪くて痛ましい。

 いつもの白い柔肌に桃色がわずかに乗っている顔は見る影も無かった。

 青白い蝋燭のような顔つきに、命がこぼれおちそうで怖い。

 造血魔法とかあればいいんだけど、いまは覚えてないから、自然と回復するのを待つしかない。もしも意識が戻っても貧血フラフラでまともに動けないだろう。

 ミニーって素早さ特化で紙装甲だったし、その素早さが活かせないとなると、回復してもたぶん実力を発揮できない。

 って、詰んでませんか。

 この状況――。

 魔王の手先と思われるメリーランドはいまだ健在だし。

 こっちは最大戦力を失っている。

 だいたい、わたしは争いごとは苦手で。自慢じゃないが近所の猫にすら負けたことがある男だ!

 泣けてきた。

 百一回目の就職活動でもこんなには緊張しなかったように思う。

 しかし、奇妙なことに、日本語を聞いたことで、わたしはどこか安心してしまっている。

 聞きなじんだ言語を聞くということが、どれだけ安心感を生むのか、魂が覚えてしまっている。


「いいか。おまえはこれからおれっちたちと国を出るんだ」

「え。いやですけど」

「おまえ拒否できるような状況か? おれっちたちはいくらでもおまえたちを殺せるんだぞ」

「う。う。そうですけどそうですけどぉ。だいたい、なんでついていかなくちゃいけないんですか!?」

「あのお方が望んでいるからだよ」

「あのお方。それって……魔王」

 ていうか、あのお方っていいまわし。

 どうにも、某魔法的な大作を思い出してしまう。

 名前を呼ぶのも憚れるというやつだ。

「魔王か……。まあそう呼ぶやつもいるかもしれねーな。まあ、あのお方はそんな生易しいもんじゃねーけどな」

「あ、あの……その……」

「なんだ。そのキョドった態度は、おまえもしかして怖いのかよ。アレだけ強烈な力を持っておきながら、まさか怖いのか」

「は、はい。こ、怖いのですが……そ、それよりも確認したいことがあります」

「なんだ言ってみろ」

「わたしがもし従順についていった場合、この子達は見逃してもらえるのでしょうか」

「ふん。まあこいつらを殺そうとしたのは、ご主人サマの趣味だしな。ああ、ご主人サマっていうのは、今おれっちのことを抱えているこいつのことだよ。まったく人形使いの荒いご主人サマだから困るぜ。ったくよ」

『コロちゃん。そろそろ話はついたかしらネ』

『お、おう。もうちょっとだよ。待ってるっすよ。姐さん!』

『わかったネ』


 とりあえずわかったことといえば、今こいつらについていけばミニーやキアは無事だってことだ。たぶん、他のみんなも大丈夫だろう。なぜなのかは知らないけれど、魔王はわたしをご所望のようだし。

 たぶん、わたしって勇者ポジなんだろうな。おなかいたいです。

 もしつれていかれたら触手で陵辱が待っていたりするのだろうか。

 それとも、国民的定番RPGみたいに、世界の半分やるから部下になれといわれたりするんだろうか。

 もしそうなら……。

 世界の半分は――、女の子だらけの世界が欲しいです(切実)。


「さあ。どうするんだ。言っとくがわざわざここまで聞いてるのは、おまえに対する譲歩なんだぜ」

「わ、わかりました。概ねご要望に沿えるかと思います。でも、もうひとつ」

「なんだよ……」

「あの、あっちの家のほうに、わたしの家族が住んでるので一言お別れを言いたいのですが」

「それは呑めない相談だな。おれっちたちがどういう状況にあるのか本当に理解しているか。敵国にいるんだぞ。仲良く、お別れ会なんてしている暇なんてないに決まってるだろ」

「うう……。しかし、ですね」

「ダメだといっている。もう時間がないんだ」

「わかりまし……」


 交渉むなしく空振りに終わろうとしたときだった。

 突如、わたしの足を誰かがつかんだ。

 当然、ミニーだ。

 ほとんど意識はないはずなのになんで。


『ナイ。ダメです。こいつらは……、お母さんたちを殺してるかもしれないです』

『ふふ。伝わるわけがないですネ。この子はまだ言葉を知らないですからネ』

『ナイ。ダメです』


 行くなといっているような。

 し、しかしですね。

 いずれにしろ、わたしが行かなくては困ることが起こると思うのですよ。

 具体的には、みんなが傷つけられちゃったり。

 それはイヤだ。


『ナイ。聞いてください。ボクの言葉をよく聞いてくださいです』

「ミニー。はい……」

『そいつらは……お母さんたちを殺しているかもしれないです』


 わからない。

 ミニーが言っている『殺す』という単語はいったいなんだろう。

 クインやアニーの名前もでている。

 イヤな予感が背中を這い登ってきた。

 まるで、蛇か何かがズリズリと心の内側を這いずりまわっているような気分だ。

 わたしは、確認したくなかった。

 が、確認せざるをえない。


「メリーランド。斬る。クイン?」

『はい。自己申告ですが』


 遠くから声が聞こえた気がした。

 今朝には元気に送り出してくれたクインの声。

 優しい温もりのある手。

 撫でられる感触を思い出した。

 否定!

 否定する。ミニーの言葉を嘘だと思いこもうとする。

 指先からじんわりと広がる冷たい感覚。

 心の中から何かが抜けていくような感覚。

 わたしの心が厚いヴェールで覆われていくのを感じる。

 闇色に似たそれは、わたしの心を底値で固定する。

 つまり、どん底で。

 つまり、これ以上の絶望はなくて。

 それは、わかりやすい自衛に似た感覚で。

 もうこれ以上傷つくことはないって思えた。

 だから、わたしは安心して、笑えた。


「おいおい、おまえは本当にアホだな。おーい聞いてるか。そいつが言ったのは嘘っぱちだよ」

「ミニーはわたしに嘘をつかない……」

「こっちだって嘘じゃないぜ。おまえ、神言をやっとこさいくつかの単語がわかる程度なんだろ。単純にヒアリングをミスっただけだって。いま、そこの猫耳が言ったのは、母親が傷つけられたかもしれないから、ついていくなってだけだぜ。可能性をいってるにすぎねーよ」

「だったら、確認させろ」

「んー?」

「わたしの家は、すぐ近くだ。ここから歩いて五分もかからない」

「あー、ダメだね。何度も言うように、ここはおれっちたちからしたら敵国だ。いまは時間が惜しい」

「だったら、ついていかない!」

「だからぁ。おまえには選択肢はないだろ。そこの猫耳を殺していいのか? エルフを傷つけてもいいのか? え、おい」

「……」


 考えるべきなのは。

 優先すべきなのは、今ここにいるわたしたちの生存だ。

 クインやアニーの無事も気になるが、生き残りさえすれば確認はできる。

 小さく息をしているミニーを見る。

 懇願するような瞳。

 わかってる。いくなって言いたいのだろう。

 こいつらについていくのは、べつにいい。

 わたしはどうなったって、よくはないですけど、それもいい。

 でも、クインやアニーがどうなったか確認せずにはいけない。

 もしかしたら、治せるかもしれない。

 この世界で、どれほどの人が治癒能力を持っているのかはわからないけれども、今、ここで確実に治す力を持っているのは、わたしだけだ。

 わたしだけしかいないんだ!

「わたしの家に行く」

「だから、おまえにその決定権はないっていってるんだよぉ。頭悪いなおまえ」

「だったら、殺す――」

「はぁ? おまえがおれっちたちを殺すより前に、そこにいる猫耳は死ぬぞ」

「わたしはわたしを殺す」

「な!? おい」

「おまえたちの目的は、わたしを魔王のもとに連れていくことだろう。しかも、生きたまま。じゃないと、ここまでわたしを傷つけなかったことの説明がつかない」

「おまえにできるはずがない」

「斬る!」

「おい」


 ぐへええええええ。

 いってえええええええええええええ。

 うばああああああ。

 あばばばばば。


 思わず涙目になってしまったが、わたしがしたことはもちろん右腕の動脈のぶっといところを、すっぱり切り裂く行為だ。

 血が流れている。

 わたしの命そのものが流れていっている。

 ドラマみたいに勢いよく噴水状態になるかなと思ってたけど、首とは違って、そこまででもなかったみたい。

 急速に体温が低くなっている気がする。

 思ったより、速い。

 こんなに簡単に人は死ぬんだ。

「わ、わかった。わかったから。治せ。なっ」

「……治れ」

 わたしは顔の表情筋が崩れないように気をつけた。

 人形に顔はなかったが、その顔には焦りが浮かんでいるように見えた。

 もちろん、メリーランドもだ。

 こいつらに悟られないように、毅然とした態度をとらないといけない。

 わたしはさも当然のように、ゆっくりとミニーの身体を抱きかかえると、木陰に休ませた。

『だ、ダメです……ひとりは危険です』

「ミニー、またね」

『ダメ……』

 ミニーがほとんど力のない指先でわたしの服をつかんだ。

 捨てられた子猫みたいな瞳に、心がぎゅっと捕まれた気がした。

 安心がほしいんだろう。

 いまのこの状況で、安心なんて、当然生まれるはずもない。

 安心に相当する言葉も知らない。

 でも――、それでも思い出す。

 本当に、わたしは知らないのだろうか。

 違う。

 これまでだって。どれだけ会話してきたと思ってる。

 どれだけ言葉をかけてもらった?

 どれだけ心配してもらってきた?

 言葉を怠惰に流すな。

 シチュエーションを思い出せば、直接的に教えられてなくても、意味は推測できるだろう。

 たった一言を。

 間違いなく、参照できる。

 いっぱい想ってもらったんだから。

 確信なんて持てないけれど――。

 だけど、それでもわたしはミニーに向けてはっきり言った。


「ミニー。大丈夫だよ」

 一瞬、ミニーが驚いたような顔をした。

 わたし、うまくいえてるのかな。

 わたしの気持ち、伝わってるのかな。

『ナイ……う、う、わかりましたです。気をつけて』


 ミニーは全身が脱力していて、立ち上がる気力もないらしい。

 次に道端で気絶していたキアを担ぐ。

 思った以上に、重かった。

 というより、わたしの身体からすれば、キアも同じくらいの身長で、ぜんぜん体力が足りないらしい。

 キアの場合は、ミニーと違って、完全に気絶しているから、余計に力が必要なのだろう。

 メリーランドと不気味な人形は、わたしが運ぶ間、黙ってみている。

 さっきのパフォーマンスが聞いたのか、一言も喋らない。

 これでいい。

 ミニーやキアはひとまず距離が離れて安全だし、わたしはクインやアニーの無事を確かめることができる。

 無事を確かめる?

 死んでいたらどうするんだ――。

 そんな思考が一瞬浮かび上がり。

 慌ててその思考をかきけした。

 いまはそんなことを考えてもしかたない。

 しかたないんだ。



  覚えた言葉

『ナイ』『クイン』『名前』『はい』『いや』『倒れる』『アニー』『どうしたの』『料理』『着火』『消火』『水』『おいしい』『好き』『ここ』『葉っぱ』『空』『お月様』『卵』『お日様』『あおむし』『おなか』『ぺこぺこ』『りんご』『梨』『すもも』『いちご』『さなぎ』『ちょうちょ』『タルサ』『ミニー』『ごめんなさい』『友達』『ありがとう』『わかる』『いっしょ』『オベロン』『またね』『おかえりなさい』『ただいま』『外』『眠たい』『ダメ』『教える』『ランドルフ』『お風呂』『海』『おはよう』『いってらっしゃい』『いってきます』『キア』『行く』『斬る』『治す』『メリーランド』『大丈夫』

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