レベル20
ふと流星が見えた気がした。
森の木の間を、いくつもの火線が貫いている。
季節はずれのメテオかな。
おっかしーな。そんなこともあるんだねー。
って、違 い ま す よ ね !
あれからシャーロット先生のところに、キアとミニーのふたりといっしょに向かったのだけれども、すぐさま有事というか、戦争というか、ともかくすごい状況ですよ。
森が燃えています。
周りはエルフの皆さんの怒号が飛び交ってますし、なんでしょうこれ。
まるでというか、戦争そのものみたいな。
いや、知ってる。
これは、おそらく――
魔王の侵略だ。
いや、フツー逆でしょ。
攻めてきてるのは人間で、逃げ惑ってる善良な人たちは魔族で、普通のRPGなら立場は逆だ。
傍らでいっしょに走っているキアの顔がいよいよ悲壮の覚悟を伴うものになってる。
ああ、これは確かに人間嫌われちゃいますわ……。
なんて思ったけれど、それよりも不安なのは、クインのことだ。
大丈夫だろうか。
いま、人間たちは森の中にいるみたいで、村の中までは来てないと思うけれども。
視界の悪い森の中じゃ、状況がよくわからないし、早く帰りたい。
『くっ。人間どもめ。神聖な森を炎で焼こうというのか』
『いいから、もっと走るですよ』
『そこの人間が遅いせいだろう!』
『そうですね。ナイ」
ミニーに呼ばれた。
抱っこ準備入ってる。
あ、これ遅いってことですね。わかりました。
わたしの羞恥心もプライドも、今の非常事態には何の意味もない。
ひょいとジャンプして、ミニーの腕の中におさまる。
再びお姫様が抱っこ状態だ。
ミニーはいささかの痛痒も見せず、走り続ける。
正直、おじさんは疲れましたよ。
いろいろありすぎて……。
でも、早く帰りたい。早くクインの無事を確認したいです。
何かが聞こえた気がする。
シャーロット先生が待っているであろう学校に続く入り口。
いよいよ森を抜けると、もはや障害物は何もない。
遠目に学校が見えた。
そこで、なにが起きているのかはわからない。
でも――何人かの生徒達が慌てふためいて逃げている姿が、豆粒のような大きさで見えた。
一様に軽装の人間達。
その手のひらから射出される火の弾。
不安げに身構える生徒達。
わたしはミニーに抱かれながら、ただ状況を見守るほかなかった。
シャーロット先生は生徒達を守ろうと必死になっている。
手のひらからシールドを出す。
いくつかはそこに阻まれ消失した。
けれど、根本的な火力が異なる。
おそらく冒険者として、それなりの実力を備えた人間の力は、やすやすと先生のシールドを貫いた。
吹き飛ばされる先生。
悲鳴が聞こえる。
言葉にすらなりきれなかった、悲壮の声。
その音を聞いた瞬間、わたしは逆にひどく冷静になるのを感じた。
身体の中が煮えたぎるように熱いのに、心臓は氷に浸したかのように冷たい。
先生にかけよるみんな。
覆いかぶさって、先生を守ろうとしているみたいだ。
どうして、そんなに。人間たちは……。
楽しそうなんだ?
人間たちは"集まってくれてよかった"とでも言うように、神言を集中させる。
手間が省けてよかったとでも言うように笑っている。
あと、数秒もしないうちに……。
みんな死ぬ。
死んじゃう。
それは……とても嫌なことだった。
だって、それは――既に経験していることだったから。
自分の両親が死んだ時のことは、よく覚えていない。
事実としては知っているんだ。
中学生の頃――、当たり前のように続くと思っていた日常に、突如影がさしたのは、たぶん誰が悪いせいでもなくて、確率的にはいくらでも起こりえることで、だから、当たり前みたいに、日常は流れていって。
交通事故だって聞いた。
それがわたしには何かの符号のように思えた。
アルファベットをはじめてきいたときのような、変な感じ。
病院の先生が言ってる『こぉうつぅじこ』ってなんだろうって本気で思ったんだ。
怪訝な顔をされたよ。
知ったことではなかった。だって、そういうふうに聞こえたんだ。
耳がおかしくなったんじゃないかって思った。
その次は脳がいかれたんだろうと思った。
果ては言葉が壊れたんだと思ったよ。
本当に異世界の言語のようだった。
そんなことを、一瞬で、わたしはロールバックする。
機械みたいに処理をしなければ、わたし自身が壊れてしまう気がして、わたしはそうしただけだ。
だから……。
いやなんだ。
誰かが死ぬとか、誰かが傷つくとか。
そういうのがたまらなくイヤだった。
違う。わたしは単に親しい人がいなくなってしまう、そんな不完全な世の中が嫌いだった。滅ぼしてしまいたいほどにイヤだったんだ。
撞着だけど、滅びてしまえば、誰も傷つかない。誰も死なない。
だから、世界よ滅びてしまえ。
今だってそうだ。
たった数日だけど、わたしは確かにここにいて、みんなと友達になったんだ。
誰かが死ぬ。そんな因果を作りだす者がいたら――わたしは。
湧きあがるのは、たった一言、殺意。
誰ともつながろうとせず、共感しようとせず、ただ機械的にこいつらを抹消したい。
どうすれば、ここにいる人間たちを効率的に滅ぼせるだろう。
どこかスクリーンの中にいるような気分。
ブラウザごしに世界が滅びるのを見て、わたしはどこか楽しんでいる。
そうだ。
わたしは既に『斬る』を覚えている。
斬ってしまってもいいかもしれない。
身体を上下に分断して、もがき苦しんで力尽きればいい。
でも、そんなことより、もっと簡単に直接的に因果を導ける言葉が欲しい。
存在自体を永久に抹消する。
絶対の否定。
つまり『死ね』。
誰か教えてくれないかな……。
『ナイ。おちつくです。先生はまだ死んでないですよ』
「ん……」
ミニーの言葉に幾分冷静さを取り戻した。
いったい、わたしは何を考えていた?
まるで……自分が自分じゃないみたいな。
内臓が裏返ったみたいな。
気持ち悪い感覚。
現代社会のそれなりに平和な世界を生きてきたわたしにとって、争いごとというのは、どこか違う世界の出来事で、他人の害意で誰かが死ぬなんてことが、ひどくファンタジィだった。
わたしにとっての他人の害意とは、ただの無関心だったから。
無関心の中で密封されて、窒息することだったから。
わたしは疑問に思うんだ。
魔王は……、この事態を引き起こした人物を魔王と仮定すればだけど――、
そんなに他人に興味があるのかな?
誰かにかまってほしいのかな?
命を奪いたいと思うほどに、他人に関心があるのかな?
わたしにはわからない。
こんなに簡単に命の奪い合いになるなんて馬鹿げている。
でも……。
やめてといってもやめないのなら、しかたないのかもしれない。
だって、相手は殺しにきているのに、こっちは手加減して殺さないなんてできるわけがない。
たとえ、実力が隔絶しているミニーだって、あえてそうはしないだろう。
ミニーからわたしが降りたら、たぶん殺し合いが始まる。
それが魔王の望むことだとしても……。
いや。
やっぱあかん。
「だ、ダメ……」
それはダメだ。
小学五年生が人殺しなんて絶対ダメ。
『ん。何がダメですか。このまま全速力でいくほかないですよ!』
数秒後、わたしたちの姿に気づいたのか、人間たちが炎の矢を撃ってくる。
「消火!」
撃ってきたのが炎でよかった。
これならわたしにも消せる。
あと、五十メートルほどの距離。
たぶん、ミニーなら刹那の距離。キアにとってもそろそろ神言のレンジに入っている。
斬るのか。
斬ってしまうのか。
いや、やっぱりダメ。ダメですよ。やっぱり。
わたしがなんとかしなきゃ。
わたしが……。
「倒れて!」
『ぬわっ』
『なんだ。いったい』
『ひえっ』
まずは倒す。
でもそれだけじゃ、みんなに殺されてしまう可能性がある。
それもイヤだ。
だったら、こうするほかない。
「眠って!」
『なんだ急に眠気が……』
『なんてことだ。姐さんが言ったとおり、ここには、魔女が、いるのか』
『こんなところで死にたくな……』
やった。
いつのまにかわたし、眠りの魔法を覚えてたんですね!
らりほっ。らりほっ。
『殺します』
って。
あれ?
あ、あの、キアさんが物凄く冷徹なボイスを響かせているんですが。
『待つです。ナイがこの人間たちを無力化したのは、たぶんボクたちに殺させないためですよ』
『なぜそんな無駄なことを……』
『殺したくないからに決まってるじゃないですか』
『人間なんて、殺してもいいじゃないですか』
「……ダメ。キア。ダメ」
そりゃ、ここまでされたらおっさんだって、場合によっては自衛すると思うよ。
相手を傷つけたりもするかもしれない。
でも、小学生の、まだキラキラしている世代が、そんなことを思っちゃダメだと思う。
大人のエゴですけどね。
『ああっ。もう……わかりましたよ。ここにいる人間たちを拘束します』
シャーロット先生は傷ついていた。
体中すすだらけで、怪我してボロボロだった。
でも死んでなかった。
本当によかったと思う。
『先生、大丈夫です?』
『ええ、助かりましたわ。ナイさんもありがとうございます。おかげで助かりましたわ』
『侵略してきた人間達はこれで全部ですか? だいたい五、六十名ってところです』
『そうですね。こちらに来たのはこの方たちだけみたいですわ』
『先生、回復を……』
『わたくしより先に生徒達の避難を優先してくださいまし』
シャーロット先生はここでも気丈にふるまっている。
でも時々痛そうに顔をしかめている。
この世界には回復魔法とかないんだろうか。
仮に無くても、わたしのチートなら、そんなの意に介さずに回復できちゃいそうだけど。
「先生教えて?」
わたしはシャーロット先生に聞いた。
怪我しているシャーロット先生に聞けば、一番伝わりやすいと思ったからだ。
そう、怪我は治さなきゃ。
治したい。
治したいんだよ。
先生。
だから、教えて?
『ああ、この子は……わたくしの傷を癒そうとしているのですわね』
「はい」
『ナイさん。あなたの力はどうやら特別みたいですけれど。なにもかも背負いこむ必要はないのですわよ』
先生はゆっくりかみ締めるようにわたしに何かを伝えている。
それがいったいなんなのかは、わたしにはわかりようがなかったけれど、その黒曜石のような瞳には、わたしのことを想う想いがありありと見えた。
だから、先生のことが好きなんだよ。
だから、先生のことを治したいんだよ。
『治す、と唱えてくださいまし』
先生が小さくこぼす癒しの言葉。
わたしはすぐさま「治れ」と唱えた。
シャーロット先生の黒くただれた皮膚やすすこけた顔は、その一言ですっかり元通りになった。
わたしは感極まって、シャーロット先生に抱きついてしまう。
よかった。
本当に。
誰も死ななくてよかった。ぐすっ。
『やっぱり、人間ってとてつもなくかわいらしい生物ですの』
『先生。聞きたいことがあります』
『なんですの。キアさん』
『ここにいるのは全員男のようですが、女はいなかったんですか?』
『そうですわね。ここには、いないようですわ。どうかしましたの?』
『人間たちのリーダーは女だという情報があるんです。私達をかく乱する嘘でなければですが』
『いや。こちらにはきてないわですわね』
先生とキアの会話はたぶん、この侵略についての何かだろう。
場は少し小康状態に入ったのか、みんな疲れきった目をしている。
けれど――。
『私見ました!』突然、大きな声をあげたのはコメットだ。『不気味な人形を抱えた女の子があっちのほうに歩いていったの』
え?
コメットが指さした方向は――。
わたしはすぐに気づいた。
だって、そっちは、クインたちがいる家の方角で。
そっちにいったい誰が向かったっていうんだ。
いつもは優しげで、ふわふわした羽に似合う柔らかな心を持つコメットが、
そんな恐怖に歪んだ顔をして、何を見たっていうんだ。
いやな予感で胸がいっぱいになり、わたしはミニーを見る。
視線だけで、ミニーは頷いてくれた。
『先生、ボクたち、家の様子を見てこようと思います』
『危険ですわ。人間たちの大部分は制圧できたとはいえ、いまだどれくらいの残存兵力が残っているのかわかりませんのよ』
『だからですよ。ボクはたぶんここにいる誰よりも強いですし、その"女の子"を止められるのはボクだけですから』
『確かに……そうですわね。でも、危なくなったらすぐに逃げるんですのよ』
『わかりましたです』
ミニーが再び、カモーンの姿勢になったので、わたし飛び乗ります。
みんなが見てるとか、気にしている時間はない。
パイルダーオンっ!
お姫様が抱っこ状態で、一気に突き進む。
傍らにはキアもついてきている。
わたしがこの世界にきてから、彼女達の実力は十分に理解している。
最強の布陣だ。
けれどどうしてだろう。
嫌な予感がとまらない。
風が頬をうった。クイン。会いたいよ。
こんなにも速い移動なのに、わずかに数分程度の距離しかないのに、時間の進みが遅く感じる。
『大丈夫ですよ。ナイ。ボクのお母さんもいるですし。そう簡単にやられたりはしないです』
ミニーが少しぎこちない笑みを浮かべてなにやら言ってるが、わたしには意味が理解できない。
けれど、それでよかったかもしれない。
もしも意味を理解していたら、フラグだって思っちゃったかもしれないからね。
☆
覚えた言葉
『ナイ』『クイン』『名前』『はい』『いや』『倒れる』『アニー』『どうしたの』『料理』『着火』『消火』『水』『おいしい』『好き』『ここ』『葉っぱ』『空』『お月様』『卵』『お日様』『あおむし』『おなか』『ぺこぺこ』『りんご』『梨』『すもも』『いちご』『さなぎ』『ちょうちょ』『タルサ』『ミニー』『ごめんなさい』『友達』『ありがとう』『わかる』『いっしょ』『オベロン』『またね』『おかえりなさい』『ただいま』『外』『眠たい』『ダメ』『教える』『ランドルフ』『お風呂』『海』『おはよう』『いってらっしゃい』『いってきます』『キア』『行く』『斬る』『治す』




