レベル14
鳥の羽ってすごいもふもふしてそうだよね。
ええ、わかります。
わかりますとも。
授業が終わったあと、いの一番にやってきたのは、深緑の鳥羽を持つ女の子だった。
亜麻色髪のショートボブ。
快活そうな顔をしていて、少しふっくらとした体つきをしている。
『わたし、コメット・メイロっていうの。はじめまして』
「こめぇと?」
『そうだよ。よろしくね』
「こめっと。コメット! 友達」
『ええ。友達よ。はぁぁ、なんてっ。かわいさっ! 圧倒的すぎるよぅ』
『そうです。ナイはかわいいのです』
なぜかドヤ顔腕組み状態になるミニー。
そして美少女ふたりによるダブル抱きつき。
いけないことをしている気分になって、おっさんとしては固まるほかない。
「きゅうっ」
『ああん。かわいい。人間ってこんなにかわいいの?』
『違うです。ナイが特別かわいいです』
『そうなんだ。あ、やーらかい。なんだか全体的にやーらかい』
『耳の裏あたりが一番いい匂いがするです』
「にふぅん」
若干、激しすぎるスキンシップに、わたしは逆に閾値を越えた感覚。
それにしてもこちらの世界の女の子はみんなテンション高いな。
スキンシップ率も高い気がするし。
みんな頭撫でまくりだし。
そんなもんなんだろうな。
異世界ってすげえや。
なんか相手のテンションがアゲアゲすぎて逆に冷静になっちゃうぜ。
そんな余裕をぶっこいていたのも、わずか数秒の出来事。
コメットのあとに続く人の波を見たあとには吹っ飛んだ。
って、な、なに。
なんですか。
なんかわたしの机のまわりにたくさんの女の子が集まってきてるんですけど。
みんなコミケのスタートダッシュのときのように目が血走っていて怖い。
こ、これは!?
まさか!?
女子コミュニティというやつでは?
ものすごい勢いで自己紹介してくるものだから、正直覚えきれません。
アイドルの握手会もこれほどひどくないよ。
な、なんか熱い。
おしくらまんじゅうされてるみたい。
ふやっ。
なんか変なところ触られてます。
もしかして、これって痴漢されちゃってるんじゃ。
…………ないでしょうか。
薄れゆく意識の中で思った。
その昔、わたしが小学生時代にですね、よく女子達が連れ立ってトイレに行っていたんですよ。
膀胱がよく似たやつが集まるもんだなと、ふと思いついて、それを隣に座っていた同級生の女の子に伝えたら、わたしは次の日からセクハラ大王というあだ名で呼ばれるようになりました。
ええ、それはべつにどうでもいいんですけれども、どうやら女子というのは小学生のときから、ともかくいっしょにいることを重視するように思うんです。
コミュニティを強固に作り上げるというか。
この言葉で伝わるかわかりませんが、女の子のほうがですね……
より"人間"を演じてるように思うんです。
☆
白ワンピが肩から半分ズレていました。
無言で戻します。
薄い本展開にならなくて本当によかった。
しくしく。
『ナイ。ごめんなさいです。ちょっと調子に乗っちゃったです』
帰り道で、ミニーが謝ってきているが、さすがに今はいいよといえる気分ではなかった。
女子って本当に恐ろしい。
まさか気絶するまでめちゃくちゃにされるとは思わなかったよ。
これってやっぱり人間という種族が珍しいからなのかな。
人間の中には人間主義というものが、やっぱり少しはあるもので、わたしはあまりそういうのは無いほうだと思ってるんだけど、気づかないうちについつい人間なんてどこにでもいるものだって考えていた。
でも、こうまで人間を見かけないところをみると、その考えは改めたほうがいいだろう。
つまり、わたし希少種。
希少種だとすると、それなりに気をつけないといけないかもしれないな。
よくある薄い本展開だと、
希少種→高額商品→ハイエース→ぐへへ少しくらい味見してもかまわんだろう。
というコンボが決まりやすいし。
わたし基準で見たら、このボディが見目麗しいのは間違いない。
クリスタルブルーの髪なんて、めちゃくちゃ神秘的だし、キューティクルも最高。
こうやって手持ち無沙汰のときに、指先でくるりんくるりんすると、なんか落ち着く。
さっき受けた心の傷も癒される。
『ああ、ごめんなさいですぅ。ナイ。こっち向くです。許してくださいです』
ああ……。
夕焼けが綺麗だなぁ。
おなかがすいたので早くお家に帰らなくては。
『ぐす。なんで無視するですか……ぐすんっ』
さすがに罪悪感が生じてきた。
ミニーの罪状は明らかであるのだが、そうはいっても小学生。
小学生がすべての行動に責任を持つのは不可能なのです。
行動制御能力がないというか。
理性がまだ柔らかいから。
大人としては、おおらかに許してあげるべきなのだろう。
さりげなく脇下から無い胸を触られたことについては、誠に、誠に遺憾の意が強いですが。
遺憾の意だけで終わるのが日本人のいつものパターンなのですよ。
「ミニー。わかる」
『え?』
「ナイ。ミニー。ごめんなさい。わかるた」
『許してくれるですか?』
「はい」
『ありがとうですぅ』
やれやれだぜ。
ちなみに学校から家までの距離ですが、たぶん一キロも離れてないんじゃないかな。
ただ、夜になったら明かりがないかもしれない。
わたしの背の倍くらいの高さはある柵が覆っているものの、
わずか十メートルくらいの道幅の向こうにはまったく先が見えない深遠の森が続いている。
ぶっちゃけ夜めっちゃ怖いんじゃないかなと思う。
夕暮れの少し視界が悪いこの状況で、すでに怖いからね。
そう考えると、ミニーの強さは頼りになる。
そんなことを思うわたしでした。
そして、ようやく帰宅しましたよ。
正直、わずか数時間離れていただけでクインに会いたくてたまらないです。
あと少しの距離。
数メートルくらいになったら、わたしは駆け出してしまった。
『クイン! クイン!』
クインは扉のすぐそばで待っててくれた。
もう、がむしゃらに抱きつくわたし。
『おかえりなさい』
わたしは『おかえりなさい』を覚える。
「はい」
『ただいまっていうのよ』
「はい。ただいまクイン!」
わたしは『ただいま』を覚える。
くんくんする。
わたしの中の安心感メーターが振り切れましたよ。
もう今日は離さない。
子どもっぽくったってかまうもんか。
そもそも、今のわたしは社会的にはどこからどう見ても子どもだ。
嘘をついているみたいで、心苦しい側面もあるが、しかしそうは言っても、わたしのことを子どもだと評価するのは周りであり、社会であり、わたしではない。
わたしはそういうふうに見られているから、これはもうわたしとしてはどうしようもないことなのであって、したがって、わたしは別にクインに甘えてもいいということになる。
なんて、適当に脳内自己肯定をおこないつつ、わたしは抱っこされていた。
『ナイはあまえんぼさんね』
背中ぽんぽんされて、まるで赤ん坊な感じ。
ミニーにもたぶん呆れられているだろうが、やむをえないのです。
これはいわゆるコラテラルダメージと呼ばれているもので、やむをえない犠牲なのです。
『ナイ。寂しかったですか?』
ミニーがなにか言っている。
そのまなざしは特にわたしを貶めるものではなかった。
どちらかというと、ちょくちょく感じる、ヒナに餌をやる親鳥のイメージが……。
けっして悪い視線ではないので、わたしは無視することにした。
いまはクインに甘えるのが優先事項。
それ以外は考えられない。
ああ、安心するっ!
『あら、おかえりなさい。はじめての学び舎での授業どうだった?』
奥から現れたのはラフな格好になったアニーだった。
ああ、薄手のシャツがなんともいわれぬ色気をかもしだしてます。
幼分はさっきたくさん補給してきたので、大人の色香にわたし、ちょっと興奮してきちゃいました。
これはクイン成分で中和しなくては。
くんくん。
はぁ落ち着く。
『お母さん。ただいまです。あのエルフが正直うざかったですが、それ以外はおおむね良好だったですよ』
『ふぅん。ほかの子の様子は?』
『みんな、ナイがかわいいって言ってたですよ。まあ、当然です。これだけかわいい子はいないですから』
『人間と直接接していない子はそんなもんかしらね』
『でも一番の友達はボクです! ナイの初めての友達はボクですから』
『ま、今のところはそうかしらね』
『そういう言い方やめてくださいです』
『怒らないの。母親としては娘のコミュニケーション能力が心配なのよ。あなたのことだから、ナイにかまいすぎて困らせてない?』
『そ、そんなことはないですよ。ご近所でいつも評判の仲良しさんです』
『まだ一日も経ってないんだけど……』
『そうなる予定です!』
『まあいいわ。そうそう。ナイ?』
ん。今度はわたしですかね?
なんでしょう。
いまはクインに甘えるのに忙しいんですが。
『村の人たちに挨拶してもらえるかしら』
「んぅ?」
アニーの言葉って、はっきりいうと斬りこんでくるみたいに思い切りがいいんだよな。
悪く言えば、脈絡とかそういうのがあまりなくて、予備動作がないので、単語とかがわかっていればすごくわかりやすいんだけど、そういった足がかりがないときには想像がしにくい。
ごめんなさい。
わたしとしても、最大限の努力はしているつもりなんです。
アニーもすぐにあきらめた顔になる。
『クイン、バトンタッチ』
『ええ。わかったわ』
少しだけ腕を伸ばして、今度はクインがわたしに語りかけてきた。
わたしは背筋を伸ばして、全力で聞きます。
べつにアニーのことを差別しているつもりはないけれど、やっぱりクインのことになると、自然と集中しちゃう。必死になっちゃうというか。
しかたないでしょ。
わたしに限らず、信頼した人に気持ちをゆだねたいときってあると思うんだよ。
異世界という不慣れな状況ならなおさら。
クインはいつものように、ゆったりとしたテンポで話してくれた。
『村のみんなにナイのことを教えたいの。ついてきてくれるかしら』
「ついてくー?」
『そう、ついてきてくれる?』
「はい」
これは何かを頼まれているな。
クインがわたしにできないことを頼むとは思えないし、つまり、それはわたしが少し努力すればできることなのだろう。とすれば、わたしが拒む理由はない。
「どうしたの? クイン。ナイわからない」
『えっとね。そうね……、ナイ、クイン。いっしょ』
「いっしょ。はい」
『外に行くの。そ・と』
クインが外を指差す。
たぶん、『外』という意味だろう。
覚えた。
つなげてみれば、『いっしょ』に『外』ということで、どこかについてこいって言ってるのかな。
たぶん、誰かに会いにいこうって言ってるのかもしれない。
もうすぐ夕方なんですけれど、夜に会いに行くんでしょうか?
クインのお願いはもちろん聞いてあげたい。
ただ、さっきのもみくちゃにされた疲れが、尾をひいている。
実をいうと、もう体力が限界に近い。
「ナイ……、おなかぺこぺこ」
弱音吐いちゃった。
『あら。おなかすいたのね。じゃあ、ご飯食べてからいきましょうか』
ご飯の準備は半ば済んでいたようだ。
あれ?
外に行くのは取りやめですか?
それとも、食べたあとに行くんでしょうか。
テーブルのところで降ろされたあと、ものの五分もしないうちに夕飯がでてきた。
ちなみに夜の料理は朝や昼と違い、分厚い謎の肉だった。
焼きたてのジューシーな香りが、部屋の中に充満する。
見た目は牛肉で、ソースもかかっていて、これはご飯が欲しいところだと切実に思う次第。
炭水化物って、健康に悪いって言われてるけれど、最強においしいと思うんですよ。
特に焼き肉に炭水化物とか、罠だってわかってるんだけど、あえてはまりたい。
そんな魔性の存在だと思います。
ただ、この世界は、おおむね西洋風だといえるので、そういった気の利いたものはなく、どうやらジャガイモをペースト状にしたものを鉄板で焼いたものぐらいしかなかった。
肉で制圧する作戦のようだ。
ちょっぴり残念だがしかたない。
テーブルの上にはフォークとスプーンが用意されている。
あれ、ナイフはと思って見渡すと、そもそもお肉がサイコロ状に斬られていた。
なんということでしょう。
わたしはたぶん幼稚園児扱いです。
ただもう、なんというか。
そういうのも含めて、クインの愛だと思えば、わたしは感謝するほかない。
「クイン。ありがとっ」
『あら。うふふ。きちんとお礼が言えるのね。偉いわ』
お肉は柔らかかった。
甘辛いソースがお肉に絡んでいて、噛めば噛むほど味がでてくる。
子ども向けの、味はパワーだといわんばかりの圧倒的な戦力。
この世界の文明力、侮れないものがあるな。
日本の知識チートで異世界食堂開くとか、ワンチャンあるかと思ってたけど、たぶんこれくらいおいしい食事が出るってことは、わたしには無理だろう。
家庭料理はそれなりにこなせるけどね。
ほんとですよっ。
ふぅ……(賢者タイム)。
なんというか、子ども特有のってわけでもないんだろうけれども……、
全身の疲れとともに脳内に糖分がまわってきて、猛烈に眠たくなってきた。
まずい。
このままだとクインのお願いをきけなくなっちゃう。
ふぇぇ。ダメだ。
二十代の頃は徹夜でネトゲも余裕だったわたしですが、もう三十代くらいになるとですね。
あ、もう電源落ちますというふうに身体がついていかなくなるんです。
今のわたしはそれに近い。
カラータイマーが点滅してます。
ぴこんぴこん鳴ってます。
このままじゃ、寝落ち……。
いかん。いかんぞ。せめて、こういう状況であることくらいは伝えなきゃ。
「クイン。ナイ……倒れる」
『倒れる!? だ、大丈夫なの。どこか痛いの?』
『眠たいんじゃないの?』
『ふああああ。ナイの寝顔もなんかかわいいです』
『そう……、眠たいのね』
クインがなんか言ってる。
うん。そうです。
「ナイ。眠たい……」
『そう。おやすみなさい』
『って、ちょっと待って。クイン。村の重役たち待たせてるんだけど。どうするのよ』
『静かにしてアニー。ナイが起きちゃうじゃないの』
『あのね。せっかく人間の脅威がないからって説明するためにみんなを教会に集めたんでしょう。ナイが不在だったら困るじゃない』
『寝た子を起こすのは忍びないわ』
『まあ、それはわかるんだけどね……。しかたないわ、抱っこしていきましょ。眠ってる状態のほうがもしかすると無害だと思われていいかもしれない』
『ベッドで……』
『いや、今後のことを考えるとそうもいってられないでしょ』
『……んぅ。わかったわ』
☆
突然、意識は覚醒した。
ほのぐらい空間の中に、小さな黄土色の明かりがいくつか点っている。
現代日本に比べればあまりにも頼りない光。
魔法でできた光なのか、ランプの中の明かりは揺らめいてはいなかったが、光度が足りずいくつもの影を落としている。
ここどこ?
って、あれ。
クインは?
身体には厚手の毛布がかけられていたが、肝心の人物はいない。
ついでにいうと、お家でもなかった。
体中の血管が収縮するのを感じる。
もしかして、わたし、知らない間に知らない場所に連れ去られたりしてます?
「お、おちつけ。こういうときはおちつくんだ」
さすがに素数を数えることはしない。
ここは本当に慎重に動かないと。
手足を縛られたりはしてないみたい。
薄暗い中、わたしは目をこらす。
しばらくは、動かないほうがいいかもしれない。
暗さに目が慣れるのを待つ。
しかし、どうして寝ちゃったんだろう。
自分の身体が自分でコントロールできないことが一番悔しい。
あれだけ、クインのためにと考えておきながら、実際にはなにもできていないじゃないか。
眠たくなったり、食べたくなったり、甘えたくなったりするのは、自分の身体の自然な反応だから、しょうがないと思ったりもするんだけれど、それが他人に不利益を与えているという事実は、前世からずっと心苦しかったことだ。
大事な会議の席で、昼ごろに突然猛烈な眠気が襲ってきて、上司にどやされたこともあったっけ。
たぶん糖尿病になりかけだったのか、少し身体の調子がおかしかったせいだと思うんだけど。
そんなの他の人にはわかりようがないから、精神がたるんでいると思われてもしかたないよね。
少し経って目が慣れてきた。
わたしは祭壇のようなところから、ゆっくりと足を落とす。
靴がなかった。
やむをえないので、裸足のままだ。
季節は夏にさしかかろうとしているけれど、夜の石床は冷たかった。
クインどこにいったんだろう。
寂しさと不安がどんどん膨らんでくるんですが。
「クイン。ナイここ……ナイここ」
もしかしたら、わたしが絶賛連れ去られ中という可能性もあるので、あまり大きな声を出せない。
けれど、隣の部屋にいて、すぐにわたしに笑いかけてくれるかもしれないのだ。
声を発しないというのも、いまのわたしに耐え切れるものでなかった。
結果として、へっぴり腰の弱々しい言葉になってしまったが……。
「たった一日でだいぶん言葉、覚えたのね」
「え?」
突然の言葉。
闇の中から降って湧いたような言葉に、一瞬身を硬くし――、
そして気づく。
いまの"日本語"だった。
わたしの反射的なコミュ障ゾーンにひっかからないことに驚いた。
が、さらに驚くことになる。
振り向くと、そこには、ツインテールをした青髪の少女がいた。
暗闇のなかで、彼女は淡く蒼く発光している。
とてつもない美少女。
そして鈴がリンと鳴るようなかわいらしさと力強さの両立する声だ。
わたしはすぐにその声が昨日会った女神様だと気づいた。
「め、女神様ですか?」
「そうよ」
彼女は祭壇に腰掛けている。
魔法少女のようなファンシーな服と、丈の短いスカート。
そして、そんな服を着ているにもかかわらず、彼女は足を組んでいる。
み、見えそうなんですが。
さすがに美少女な見た目の現在でも、心がおっさんなわたしとしては、見てはいけない気がした。
やはり、そこはわたしの願いを叶えてくれた女神様なのだ。
普通に感謝しているし、不敬な態度をとるわけにはいかない。
「あいかわらず、あんたって変なところで律儀よね」
「そ、そうでしょうか」
「そんなにかしこまらなくてもいいわよ。ここに送り出したのはあたしの都合だし」
「それはそうですが。わたしの願いは誰かにわたしがいていいと思われることなわけですから、べつに日本でなくてもよかったと思います。ここでもいいんです。いや今はもうここがいいかなーなんて思ってます」
「ふうん。じゃあ、いまのところ順調なわけね」
「ええ、そうです。ただ――」
わたしは逡巡する。
言うべきか言わざるべきかを。
もちろん、目の前の美少女な女神様には心のうちは筒抜けなのは知っているのだが、
わたしは自分の気持ちをできるだけ言葉にしようと思っている。
このひとの前では特にね。嘘はつけないと思うのですよ。
救ってもらったんだから。
だから言う。
大事なことなので。とてもとても大事なことなので。
「なんで女の子なんですかね?」
「かわいいでしょ?」
「え、あ、はい……」
「かわいくてお得でしょ?」
「確かにかわいがられている感はありますけど……」
「じゃあ、問題ないじゃない」
「問題ないですけど。……いや、そうじゃなくてですね。わたし実をいうと男としての矜持といいますか、捨てきれなかった思い出といいますか、未使用な新中古品のことが気になるといいますか」
「うるさいわね。そんな小さなことにこだわってると男らしくないわよ」
「いや十分に大きいと思うんですけど」
「そんなことはどうでもいいのよ。この話はこれで終わり。わかった?」
「はい……」
終わりと言われたらいたしかたない。
そもそもコミュニケーションは双方向的なものだ。
一方が他方を拒絶するなら、話にはならない。
それに女神様にはやっぱり恩があるし。
べつに美少女であることに不満があるわけでもない。
「ふぅん。まあ、あんたのなかで折り合いをつけようとしているってことは認めてあげるわ」
「ありがとうございます」
上から目線の言葉だが、わたしはちっとも蔑まれたとは思っていない。
そもそも、格上の存在なのだ。
女神様と会話できるなんて、これ、人生でも最上のイベントなんじゃないだろうか。
美少女だし。
「それで、つまり、女神様はわたしのためにご足労いただいたということなのですか?」
「そうね。あたしだって、自分のしたことくらい責任とるし。アフターフォローくらいしてあげたいと考えてるのよ」
「ふぇ。ありがとうございます」
「まあ……この世界に対するアフターフォローも含めてだけど」
「え?」
どういう意味だろう。
「人間に万象を象徴化する言葉を授けたのはあたし」
「は、はぁ。そうですか」
そうですかとしか言いようがない。
人間に言葉を授けるって、さりげにめちゃくちゃロリババアじゃねって思ったくらいだ。
ひぇ。そんなに睨まないで。
心はとめようがないですよ。
「ふん。結局、この言葉が問題なのよ。正直、強すぎた」
「強いってなんですか? チートとか?」
「そうね。わかりやすく言えばチートに近い概念かしら。もともと、この世界には人間と原生生物が進化した、いわば魔族と呼ばれるような者たちがいたんだけれど、最初の頃って人間が弱すぎてすぐにでも絶滅しそうだったのよね。それであたしたち神様連中は慌てたわ。このままじゃ、人間が滅んじゃうって」
「滅んじゃダメなんですか?」
べつに人間だけを優遇する理由はないと思うんだけど。
「原生生物と違って、人間は我々の姿を象って創ったのよ。いわば種族的な意味での子どもにあたる。だから、ちょっとだけ贔屓したいってところなのよね]
「神様が味方だと心強いですね」
「もちろん、魔族のことも考えていないわけではない。べつに支配者名乗るつもりはないけれど、人間に手を貸す以上、逆に魔族を滅ぼしてもいけない。そんな考え。つまりこれは神の倫理感とでもいうべきものかしら」
「そうですか……」
「ともかく、神の言葉は人間に与えたもの。一番、神言を使えるのも人間ということになる」
「ふぇぇ」
でも、わたしの中にあるイメージはコンロの火をつけたり、水を生じさせたりする程度である。
RPGのような魔法というものを見ていない。
「それはそう望まなかったから」
「え?」
「神言は望んで唱えれば、そのとおりになる。もちろん、いろんな制約があるけれど」
「ふぇぇ?」
「あんた、心の弱さもあいまって、とんでもなくかわいくなってるわね」
「きょ、恐縮です」
「ほら、使ってみなさいよ。使える言葉あるでしょう」
「といっても、どうすればいいか」
「想像しながら唱えるだけ。簡単でしょう」
「えっと。そ、そうなんですか?」
「そうよ。ほら、ここは暗いわ。なにか欲しくない?」
「えっと、着火?」
手のひらに火がつくイメージで「着火」を唱える。
すると、すごく簡単に火がでた。
ライターみたいなイメージでだしたら、そのとおりになる。
これって……。
わたしチートなんじゃ……。
「そう。この世界の人間はすべてこの力をもっている。魔族も弱いけれど持っているわ」
わたしだけが特別じゃないのか。
正直、少しだけ残念だと思ってしまった。
「いいえ」
「え?」
「神言における現実界の侵食能力は、あんたが最強よ」
「ふぇ?」
「例えば、一般人が三千人かかって着火を唱えても、あんたがひとり消火を唱えれば、火は消える。それぐらいの侵食能力。あたしたちが"シニフィアン"と呼ぶ、神言により現実界を侵食させる能力が高い」
「ふぇぇぇぇぇぇ!」
「あんた、完全に幼女ね……。チートで無双したかったんじゃなかったの」
「それは言葉の綾といいますか」
そんな力を突然与えられても、正直もてあましそう。
もちろん、少しワクワクしていることも否定できないが。
「あらかじめ。あんたに伝えておきたいことがあるの。神言はほぼ広域の因果連鎖を捻じ曲げる力だけど、それにはいくつかの制限があるわ」
「あ、はい」
「ひとつ。人を生き返らせることはできない。これは人間も魔族も、そのほかの生き物もね。死という現象は、コミュニケーションが取れないことを言うのよ。つまり、言葉の埒外に置かれるということ。例外的なやり方もなくはないけれど、原則ダメって覚えておいて」
「わかりました」
「ひとつ。矛盾した現象をひとりの詠者が唱えることはできない。例えば、燃えながら燃えるなというような言葉は一息の中では矛盾しているから不可。けれど、時間差の中ならありえる表現ならOK」
「アッハイ……」
そんないきなり設定語られてもよくわからないよ。
そもそも、わたしはクインを探しているだけで、べつに最強の魔法使いじゃなくてもいいんだ。
そんなの、ちょっと空を飛べたらいいな程度の夢想にすぎないんだけど。
「ひとつ。詠者の力量によって制限される。力量って要するには想像力と魔力みたいなもんだと考えておけばいいわ。あんたの場合、魔力は無限に近い設定にしてるから考えなくていいわよ。もっとも、さすがに宇宙や世界を直接壊したり、因果を逆流させるような行為、例えば時間を巻き戻したりはできないけどね。って、なによ、なんか不満そうね」
「いえ、はやくクインに会いたいな、なんて思ってないですよ」
「マザコンなんだから」
「ち、違います。クインは素敵な女性なんですっ」
「はいはい。そういうのいいから。ともかく伝えたわよ。以上の点に注意しながら言葉を使うこと。うっかり想像しながらしゃべったら、ほとんどそのとおりになっちゃうんだから、気をつけなさいよ」
「はい。重々承知いたしました」
「なに?」
「まだなにもしゃべってないです」
「なにかいいたそうじゃない」
「そもそも心の中わかるんでしょう。言わなくていいじゃないですか」
「あなたの言葉で聞きたいのよ」
ねっとりボイスやめてください。
でも、しかたない。
「なにかわたし、しなければいけないことがあるんですか?」
「どうしてそう思ったの?」
「だって、わたし程度にここまでしてくださるなんて、なにか利益がなければ変ですもん」
「ナイ……」
「あ、はい」
わたしの名前、女神様にもナイって登録されちゃってるんだ。
ていうか、怒られるのかな。
いまだに腑には落ちてないけれど、社会に出て十年間くらい働いていて、少しはわかったこともある。
世の中って、自己評価が低いことに厳しいよ。
それを謙遜という捉え方をすることはほとんどない。
たぶん、自分のことをクズだとする思想は、他人も敬ってないからだろう。
確かにそうなんだ。
自分のことがどうでもいいってことは、他人のことも認めていない。
だから、みんな怒るんだろうと思う。
わたしなんて、という言葉が受け入れられることはない。
それは、わたしだけの、わたしにしか受け入れられない言葉だ。
言葉が誰かに伝えるためのツールだとすれば、それは誰にも伝わらない死んだ言葉。
誰にも愛されなかった言葉だ。
「がんばりなさいよ」
なぜか女神様に頭を撫でられていた。
え、え、なんで?
質量がない手。
ああ、そうか透けてるんだ。
物理的な能力はほとんどないのかな。
でも、感じる。
感じますよ。あなたの愛。
おっさんだったときのわたしを知りながら、わたしの心のドロドロした部分を知りながら、
なおのこと励ましてくれるなんて、まさしく愛。
女神様ぁ。
「だー。鼻水ついちゃうじゃない。離れなさい」
「う、う。うれしくてつい」
「まあ、いいわ。ナイ。聞きなさい。言葉というものは一度唱えてしまったら、生み出したものの思惑をはずれてしまうものよ」
「はい。そう思います」
「あんたがどんな言葉を喋ろうが、どんな言葉を伝えようが、あたしには干渉する能力はない。この世界に干渉する方法は、言葉を届けるくらいしかないのよ」
女神様は切なそうに目を閉じた。
想像するに、パソコンの中にいる彼女にどうにか会えないかと悩んだ二十代くらいの頃の心境かな。
「じゃないわよッ!?」
「ふぇ」
ほっぺた、むにーってするのやめて。やめて。
触れるじゃないですか。うそつき。
「ちょっと力を集中すれば触れるわよ。短時間だけどね……。まあそれはいいとして、あんたが何をしようと、何をしてしまおうとも、それはあたしの干渉外なの。できれば、この世界を傷つけないで欲しいけれど、それは望んでもしかたのないことかもしれない。言葉の責任は発信した者に帰属するから。ほかならぬあんたの言葉だから。だけどね。あたしとしては、あんたにはがんばって欲しい。この世界を壊さないで欲しいの」
「よくわからないです。チート能力で壊してしまうってことですか?」
「そう、あんたは、現在、すごい魔法が使える幼女なんだから」
「幼女じゃなくて少女です……」
「……」
そこははっきりさせたかった。
「あんたにもうひとつだけ依頼することがあったわ」
「はい、なんでしょう」
「魔王を倒しなさい」
「魔王?」
「そう。魔王」
それっておいしいの?
☆
覚えた言葉
『ナイ』『クイン』『名前』『はい』『いや』『倒れる』『アニー』『どうしたの』『料理』『着火』『消火』『水』『おいしい』『好き』『ここ』『葉っぱ』『空』『お月様』『卵』『お日様』『あおむし』『おなか』『ぺこぺこ』『りんご』『梨』『すもも』『いちご』『さなぎ』『ちょうちょ』『タルサ』『ミニー』『ごめんなさい』『友達』『ありがとう』『わかる』『いっしょ』『オベロン』『またね』『おかえりなさい』『ただいま』『外』『眠たい』
やっぱりファンタジィだし多少はね