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11/25

レベル10

 結局、わたしの横に納まってしまったミニー。

 ものすごい勢いでくんかくんかされてるんですが、それは。

 匂いフェチなんだろうか。

 あ……、あの、脇のあたりまで嗅ぐのやめてくれません。

 まあ、さっきよりは少しだけ、ほんのすこーしだけ遠慮がみられるようになったように思う。

 べつにミニーに悪意があるわけではないし、わたしも悪い気はしない。

 ほんのちょっとだけ膨らみが腕のあたりに当たって。

 当たって……。

 いろいろと犯罪だと思うので、わたしはあえて考えないようにしている。

 そんななか、意識を飛ばしていると、クインとアニーがなにやら話し合ってた。

『それでどうするの?』

『なにを?』

『ナイのこと。まさか家の中でずっとかわいがるというわけにもいかないでしょ』

『そりゃそうだけど、ナイはまだ言葉も喋ることができないのよ。いろいろと覚えてからでも遅くないわ』

『甘いわね。最初に外に出すべきなのよ。いろいろな人に接触させて、言葉を覚えさせたほうが話は早いわ。だって、彼女、自分がどうしてここにいるのかさえ説明できないじゃない』

『それはそうだけど。でも、今じゃなくてもいいじゃない。一年や二年くらいじっくり言葉を覚えてからでも遅くないわ』

『クイン。わたしはナイのことを報告しないとは言ってないわ。いつかは報告する。そうする義務がわたしにはあるの』

『それは知ってる』

『それに、べつにわたしに限らず、人間のことを恐れている者は多い。誰かが通報するかもしれない』

『この村の人たちが通報するっていうの? こんなに小さな子のことを?』

 じわりとにじむ怒りの気配。

 なんだかドキドキするのでやめてほしいです。

 あ、目があった。

 クインは優しげに微笑む。

 わたしも、少しほっとして、小さく手を振る。

『ナイはもう少し誰かがそばにいてあげたほうがいいと思うのよ』

『それは否定しないわ。けれど、ミニーと友達になれたナイなら、もしかするとほかの誰かともすぐに友達になれるかもしれない。その可能性に賭けてみたら?』

『べつに強いて誰かと仲良くなる必要なんてないわ』

『人間であるという業がナイを追い詰めるわよ。家の中にずっと閉じ込めてでもおかない限り人の目には触れる。必ず、誰かが彼女を追い詰める。壊滅的なコミュニケーション能力しかもたないミニーでさえ、”人間への先入観”という意味では、それほど悪意がないから、マシなほうなのよ』

『だったら閉じこめるわ。言葉を覚えるまでよ』

『クイン。だだっこのようなこと言わないで。そんなの無理に決まってるでしょ。なにより、ナイがそれを望むというの? ナイはあなたになついていると思うけれど、それだって、あなたがナイのことを大事にしているからでしょう』

『そうね。それはそう……。でも、まだいいでしょう?』

『いえ。今すぐにでも、ナイを衆目にさらすべき。そうするほうが、危険は少ない。あなたが、言えば――、この村の長であるあなたが、危険がないといえば、みんなわかってくれるかもしれない。実際に、ナイがそこまで闘争的なキャラクターではないことは、私も理解している。つまり、きっかけなのよ』

『きっかけ……。でも、私は怖いわ。そうやって、ナイを外に連れて行って、傷つくかもしれないじゃない』

『言葉にしろ、戦争にしろ、相手と相対するということは、常に危険をはらんでいる。その意味では、さっき言ったミニーの言葉もさほどまちがってはいない。言葉が元来まとっている嘘を許容するかどうか。つまり、傷つく覚悟がなければ、人と人とは出会えない』

『何事にも順序はあるでしょう』

『ああ。それに、何事にも時期というものはあるわ』

『いまはその時期じゃないと思うのだけど……』

『だったら、ナイ自身に決めてもらいましょう』

「ン?」

 なんか今呼ばれた?

 名前に反応するなんて、わたし、もしかしないでも酒屋の忠犬シロみたいだな。

 まあいいんだ。

 この家でまだ半日くらいしか過ごしていないけれど、とても居心地がよくて、現代社会の疲れきった心を癒してくれる。

 そんなことを思っていると、クインに手招きされた。

 ミニーが離れないので、しかたなく、右腕にくっつけたままクインのもとに向かう。

「どうしたの?」

『驚いた。たった数時間で、ここまで言葉を喋れるようになったの?』

 アニーが何か言う。

 当然、よくわからないので、わたしはこてんと首を傾げる。

 これでわかってもらえればいいんですが。

 わたし何もわかってないひよっこですよ。

『ナイはかわいいです』

『ン?』

 今度はミニーに何か言われた。

 いままでもわりと何回も使われている言葉。

 この『かわいい』ってなんだろう。

 わたしの名前といっしょによく言われているし、なにかしらの形容詞っぽい気がするんだが。

 小さいとかかな。なんとなくそんなような気がするんだけど。

 んー。

 こういうときはオウム返しがいいかな。

「ミニー。かわいい」

『え。ボクですか?』

「ミニー。かわいい」

『えへへ。そうかな。でもナイのほうがかわいいよっ!?』

 なんかうれしそう。

 小さいって言われて嬉しいって思うかな。

 わからん。

「アニー。かわいい」

 今度はアニーのほうを見ながら、同じ言葉を言ってみた。

『へ。わ、私? な、な、なに言ってるのかしらね。この子』

 んんぅ。

 なんだろう。

 この反応。

 嬉しそうではあるんだけど、単純な嬉しさとも違うような。

 とりあえず次。

 最後だけどクイン。

「クイン。かわいい」

『あら。ありがとう』

「ふぃへへ」

 いつもと同じように撫でられた。

 というか、クインはあいかわらず優しげな顔をしているし、正直まったくブレがない。

 わからん。

 ますますわからない。

 この『かわいい』はいったいなんなんだ。

 たぶん、ポジティブな言葉なのだろうと思う。

 しかし、何回か試しているうちに、繰り返される言葉。

『ありがとう』

 こっちのほうが今は重要かな。

 たぶん、これは感謝の言葉だ。

 確信は持てないけれど、状況からすると、たぶん間違いない。

 確証はないが……。

 しかし、どんな状況だろうと、わたしはその言葉を使ってみるしかない。

 その手触りと反応でしか、確かめられないんだ。

 だったら――。

 いま試してみる。

「クイン好き」

『んふふ。突然どうしたの?』

 撫でられる。

 ここだ。このときを待っていた!

「クインありがとふ」

『ナイもありがとう』

 同じ言葉で応答があったし、たぶんまちがいないかな。

 じゃあ、『かわいい』はおそらくポジティブな言葉でまちがいないか。

 ただ、ポジティブって一言でいっても、例えば「素敵だね」「いいね」「かわいいね」「綺麗だね」「がんばってるね」「かしこそうだね」「たくましそうだね」「強そうだね」といったようにいろいろと多岐にわたる。

 はっきりいって、どれが正解かわからない。

 前世でも同じようなことがあったっけ。

 新卒の子が……、まあ20歳くらいの卒業したての若いにーちゃんだったんだけど、その子がけっこうな頻度で「それな」という言葉を使っていて、そのニュアンスというか、言葉の感触というか、本質的な意味がわからなかったんだよなぁ。なんだか、すごいとかそういう気持ちのときに使っていたみたいだけど。

 自分もよく使っているけれど「ヤバイ」とかもなんとなく全般的に感動を表す言葉だったりするし、微妙に違う意味のような気もするし、もう使ってる言葉がぜんぜん違ったりするんだよなぁ。

 いやほんと、それな。

 それだけ”評価”にまつわる言語は分類が難しい。

 ニュアンスって一番伝わりにくいと思いますし……。

 反応がまちまちすぎるので、サンプルの増加が待たれます。



『さてさて。どういうふうに、伝えたらいいかしらね』

 アニーが腰に手を当てて、なにやら思案顔。

 どうやら、わたしについてのことらしいが、なんのことなのかわからない。

『ナイ?』

「はい……」

 少しだけ目を伏せてしまう。

 べつに叱られたわけではないけれども、本来、会話を苦手とするわたしには、このような緊張感というか、なにかの決断を迫られるような空気感が苦手だ。

 もちろん、それじゃあダメなこともわかっている。

 だから、顔をあげた。

 まっすぐ見た。

『ナイは学び舎いきたくないかしら』

「?」

 なんだろう。

 単語もよくわからないし、何を言われたかさっぱりわからないぞ。

 ど、どうしよう。

『わー。ボクもナイといっしょに学び舎行きたいです』

『あら。ミニーも学び舎行きたいの? あれだけ学び舎はイヤ。私と旅をするって言ってたのに』

『お母さんもすぐに旅にでるわけじゃないですよね?』

『まあ、しばらくはこの村にいるわ。そのあと王都にも行く用事があるし』

『そうですか。だったら学び舎行ってもいいかなと思うです。もともとボクはお母さんがひとりで危ないところにいくみたいだったから学び舎行くのいやだっただけです』

『あら、そうだったの?』

『そうだったのです。ボクはお母さんのこと心配だったのです』

 なにやらあって、アニーとミニーがぎゅっと抱きしめあってた。

 どういう状況なんだろう。

 まあ、べつに悪くはない状況だと思うんですが。

 わからない状態というのは不安です。

『まあ、ミニーが学び舎に行きたいって気持ちがあるのはわかったわ。ただ……』アニーがまたわたしのほうに言葉を投げかけてきた。『ナイは行く気があるのかしら?』

「??」

 これはあかん。

 なにをどうしたいのかさっぱりわからない。

 この世界の言葉は前の世界と同じく、語尾を上げるとどうやら疑問系になるようなので、おそらくはわたしに対して、「○○ですか?」あるいは「○○しますか?」と問われているように思う。

 それは、まちがいない。

 だけど、わたしの中にある言葉が足りない。

 まだ圧倒的に足りないんだ。

 中学の英語の授業でもそうだけど、”単語”を知らなければ、そもそも太刀打ちできないよ。

 むーりー。

「ご、ごめんなさぃ」

『謝らなくてもいいのよ。困ったわ。どうも、ナイは質問の意味がわかってないみたい。学び舎というシステム自体を知らないのか。それとも言葉を知らないだけなのかは判別がつかないけれど』

『おそらく言葉を知らないんだと思うわ』とクイン。

 クインの言葉もよくわからない。

 まさに万事休す。

『ボクに任せるです』

 お、今度はミニーの番か。

 よくわからないけれど、わたしと会話したいっていうんだったらやぶさかではないですよ。

 なんてったって、わたしとミニーは友達ですから。

 クソデカフォントで強調したいくらいだけど、まあそこは自重して、ともかく友達なんだ。

 友達の言うことはわかっていたい。

 わたし、わかりたいです!

「どうしたの?」と、わたしは促す。

『ボクとナイは友達ですね』

「ともだち。はい!」

『学び舎はですね。友達がたくさんいるところでなのです!』

 ミニーがわたしの手をとる。

 そして指が絡んだ。

 わたし視線だと、この白魚のようなというべきなのか、ちょっとしたことで折れてしまいそうな繊細にすぎる指先どうしがからんでいて、なにやら気恥ずかしい。

『ね。いっしょに行くです』

「????」

 しかし、よくわからないな。

 友達なのはわかるのだが。

 友達。友達……、えっと、ミニーとわたしは友達である。

 ここまではわかる。

 そこから先がわかりません……。

「ふぇぇ」

『わかってないみたいだけど』とアニー。

『ええ!? そうなんですか? わかってますよね? ボクの言ってることわかるですよね?』

「わかる……ない」

 なにかを確認してるような声色。

 ドゥーユーアンダスタンド? なのか。それとも、なにかしませんかということなのか。それが問題だ。

 ただ、この気迫というか、ミニーの必死の表情からすると、わたしは『わかっているのか』聞かれているような気がした。

「わかるない」

『わからないです?』

「はい……ごめんなさい」

『謝らなくていいです。ボクの説明が下手だったです……』

 黒いオーラをまといながら、ずぅぅんって感じでミニーは沈んでしまった。

 なにもかもわたしが悪いのです。

 不甲斐ない。貧弱すぎる語彙がすべての原因。つまり、わたし自身の能力不足。

 わかってるんだ。

 わたしはダメな人間なんだから。

 もともと、コミュニケーションをとるのは苦手なんだから。

『ナイ。おちこまないの』

 うう。

 クインに慰めのナデナデをしてもらった。

 いまはその優しさがつらい。

『いい。ナイ。こっちを見て』

 膝を下ろして、わたしと同じ目線になるクイン。

 そして、わたしが聞き取りやすいゆっくりしたテンポ。

 まるで、蜂蜜を溶かしたような優しげな言葉。

『ミニーとあなたは友達よね?』

「はい。友達。ナイ。ミニー。友達」

『友達といっしょ』

「いっしょ?」

『そう。いっしょ』

 なんだろう。

 何度も繰り返される言葉『いっしょ』って。

 いままでも何回か出現した言葉だとは思うのだが。

 そんなふうに悩んでいたら、クインはわたしの手をとった。

 ん?

『ミニーちゃん。手をだして』

『はいです』

 差し出されたのはミニーの手。

 それで、わたしの手とミニーの手が合体。

 うむん。

『いっしょ』

「いっしょ?」

 ああ、もしかして、「いっしょ」って意味?

『ミニーちゃんとナイはいっしょ』

「ミニー。ナイ。いっしょ?」

『はいです!』

 小首をかしげて問いかけてみたら、ミニーはおおげさに肯定してくれた。

 たぶん、「いっしょ」でいいんだよな?

 いいよね?

「ここ。クイン。ミニー。アニー。ナイ。いっしょ」

 とりあえず、ここにみんないっしょにいますよ的な確認をしてみる。

『そうよ。偉いわ』

 なでられた。あってる。よかった。

 すぐにうれしくなって抱きついてしまうわたしである。

 ああ、受け止めてもらえる感覚。

「クイン。いっしょ」

『そうね。いっしょね』

 ひとしきり、安心感というか何かしらの愛情エネルギィを補充していると、クインはまたまたわたしと目を合わせてきた。

 確かに、「いっしょ」って単語だけじゃ何を言われたかまだわかってないもんね。

『ナイはミニーちゃんといっしょに、友達をつくるの。たくさん』

「ミニーといっしょ。友達?」

 クインは外を指しながら、しきりにミニーといっしょ。友達という単語を言っている。

 なにかしらの述語が乗っているが、それはわからない。

 でも、なんとな~くだけどわかってきたぞ。

 ミニーといっしょに遊びにいけってことかな?

「はい!」

『わかったの?』

「はい!」

『やったです。ボクといっしょに学び舎いくです!』

 ミニーにまたもや抱きつかれた。

 正解なのかな?

 よくわかりません。

 でも、大枠はずしてないんじゃないかな。

 この世界がどうなっているかわからないけれども、ずっとクインのところで引きこもっているというわけにもいかないし、いつかは外に出てみたい。

 せっかくの異世界なんだから、元の世界にないものをいろいろと見聞きして、いつかはまた仕事をして、クインを養ったりなんかして……。

 わたし、自分のためじゃなく、誰かのために仕事がしたかったんです。



 覚えた言葉

『ナイ』『クイン』『名前』『はい』『いや』『倒れる』『アニー』『どうしたの』『料理』『着火』『消火』『水』『おいしい』『好き』『ここ』『葉っぱ』『空』『お月様』『卵』『お日様』『あおむし』『おなか』『ぺこぺこ』『りんご』『梨』『すもも』『いちご』『さなぎ』『ちょうちょ』『タルサ』『ミニー』『ごめんなさい』『友達』『ありがとう』『わかる』『いっしょ』

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