第七話 三人のお姫様①
カーテンの隙間より差し込む、太陽のまぶしさを感じてまぶたを開く。
朝だ。ベッドの上で身体を起こすと、ひたいに熱を感じた。
「大丈夫……ですかね」
だが熱っぽいのはいつものことだ。騒ぐようなことではない。それに今朝はいつもより調子がいい。体力も戻ってきているし、勇者召喚の秘技に費やした魔力もそのほとんどが回復していた。
「うん、これなら大丈夫!」
フリージア・シャトリアは胸の前で握り拳を作ると、「えいやっ」とかけ声をかけてかけ布団をはねのけた。
「誰か! 誰か馬車の用意をして!」
悲しいお別れから、しかし仕方のないお別れから一週間。部屋の扉を開け放ち、フリージアはようやくその指示を出すことができた。
「勇者様に会いにいきます!」
◇◆◇
早いものでショウマが勇者として異世界に召喚してから一週間が経過していた。
初日の一件以来、魔王軍が砦を攻めてくることはなく、この一週間はとても平和に過ぎていった。
ショウマは怪我が治ったあと、これからの戦いのために砦の兵士や騎士たちと交流を深めていた。時折乞われて模擬戦をしては、その身体能力を存分に見せつけた。
四天王の一人への勝利もあり、最初はショウマのことを訝しげに見ていた者たちも、今では廊下ですれ違うたびに目を輝かせ、憧れの人に接するかのように話しかけてきた。
その結果、勇者ショウマは順当に――調子に乗っていた。
「あ~、そこそこ。うん、そのあたりが気持ちいい。もっと揉んで。さあ早く!」
「はい、勇者様!」
ベッドの上に寝転がったショウマの腰を、一人の女騎士が服の上からもみほぐす。
勇者の役に立つのがうれしいのだろう。一生懸命に揉んでくれているため、自分の豊かな胸が揺れていることにも気づいていないようだった。もちろん、ショウマは気づいている。ちらりと部屋の壁に立てかけられた姿見に視線を送ったまま離さない。
「違う! 下に押し込むんじゃない! 上に弾む感じで揉むんだ!」
「う、上? は、はいっ! わかりました! がんばります!」
ばいんばいん。ぼいんぼいん。
「いいよ! すごくいいよ! 最高だ!」
「ありがとうございます! 勇者様にお褒めいただき光栄であります!」
額やうなじに汗をかきながら、女騎士は嬉しそうに頬を上気させる。
そしてショウマはそれ以上に恍惚の笑みを浮かべた。
「ああ、俺がこんなに女の子にもてる日が来るなんて。幸せだぁ。異世界に召喚されて本当によかったぁ」
「…………」
その光景を見つめるメイドが一人。
彼女は自分の慎ましやかな胸を見下ろし、それから上下左右に躍動する女騎士の胸を見て、無表情のまま歯ぎしりする。
モテ男となった勇者は、そんな少女の可愛らしい嫉妬も見逃さなかった。
「大丈夫だ、カナちゃん。俺にとって、初めてのおっぱいは今も変わらず君だから!」
「ディス」
カナリアは光の消え失せた瞳で言った。
「ディス。ディス。ディス」
「……あれってなんの意味があるの?」
「デ、ディスは即死呪文です! 成功する可能性はかなり低いですけど……すみません! 私はこれで失礼させていただきます!」
女騎士は青ざめた顔で、脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
「ディス」
メイドは立ち去る彼女の揺れる果実にその呪文を送ったあと、勇者に視線を戻して話しかけた。
「ディス。……ディスディス。ディス?」
「即死呪文で会話しようとしないで!」
「それはカナリアも怒って当然ですわ」
お昼過ぎ、珍しくカナリアが席を外していたので、ショウマが開かれたお茶会の席でグローリエに今朝の一件を語ったところ、彼女は眉をつり上げて怒って見せた。
「女性の身体的特徴をけなすなんて、紳士のやることではありませんわ! 猛省なさい!」
「いや、貶したんじゃなくて褒め称えたつもりなんだけど」
「……勇者様は、もしや胸の小さな子がお好きですの?」
グローリエは眉を下げると、もじもじと頬を赤らめる。そうすることで、今朝の女騎士以上の彼女の果実がふるふると揺れた。
「おやぁ?」
勇者のお調子者スイッチが入った。
「もしかして。もしかして! グぅちゃんってば、勇者様の好みが気になっちゃってる感じですか?」
「だ、誰が! そんなわけないでしょう! といいますが、グぅちゃんと呼ばないで下さいまし! そう呼んでいいのはカナちゃんだけですわ!」
「え~、いいじゃん。グぅちゃんって響きすごくかわいいじゃん。呼びたいなぁ。俺もグぅちゃんって呼びたいなぁ。……本当にダメ?」
「そ、そんな捨てられた子犬みたいな胸がきゅんとする顔をしてもダメなものはダメですの! もう! 大体、どうしてその愛称を勇者様が知っていますの! それを知っているのは、カナちゃんかお姉様だけのはずですのに!」
「安心してくれ。その二人から聞いたわけじゃない」
ショウマは視線を横に向ける。
『はぁはぁ。カナリアたんいいよ。こっそりと親友のために色々なお手伝いとか、そのいじらしさがすごくいいよ』
そこにはどこから調達してきたのか、スマホを片手に、画面に映っているカナリアを見て息を荒げている変態がいた。変態という名の神様だった。
「……世の中には、知らなくてもいいことがあるんだよ」
「そ、そうですの。深くは聞きませんわ」
というか、この土下座神はいつあの白い世界に戻るのだろうか?
初日よりこの方、土下座神は透明化したまま自由気ままにショウマの近くをうろちょろしていた。
暇なのだろうか? 間違いなく暇なのだろう。果たして世界は大丈夫なのだろうか?
「なあ、グローリエ。神様ってどう思う?」
「ただ唯一なる我らが聖なる神ですか? ええ、それはもう。我ら人間のことを愛し、慈しみ――」
グローリエは勇者の顔をちらりと横目で見ると、そのあと頬を染めつつ、つん、と澄まし顔になって。
「勇者様みたいな方をこの世界に導いてくださった、感謝すべき偉大なる御方ですわ」
「やだこの子かわゆい」
「か、可愛いなんてそんな! もう! もう! ……紅茶のお代わりはいかがですの?」
「ほんとグぅちゃんはちょろいんだわぁ」
にやけ顔を隠しきれずに紅茶のポットを持ち上げるグローリエは、最初の印象どおりにちょろかった。あの戦い以降、もはやツンは見せかけだけで、完全に勇者に対してデレていた。たぶん壁ドンとかしてやや強引に迫れば、最後までいけちゃうのではなかろうか?
本当にそれを実行に移そうとすると、あれで親友のことは本当に大事にしているメイドさんが許さないだろうが。
「しかし」
ショウマは窓の外に見える、青く透き通った空を見上げて言った。
「平和だなぁ」
だが次なる脅威は勇者の知らないところで迫っていたのだった。
「クークックック。ラゴウさんを倒したというから警戒していれば、実に暢気なものですねぇ」
物置として放置されていたマルフ砦の小部屋の中で、何者かの声が笑い声が響く。
「しかし、調子に乗っていられるのも今のうちですよ。あなたはすぐに自分が追いつめられていることに気付くでしょう」
それは一人の女騎士であった。先ほどショウマの腰を揉んでいた、あの女騎士である。
女騎士は誰もいない部屋の中で、ぼうっと虚空の一点を見つめたまま動かない。その表情に生気というものは感じられなかった。ただ、口だけがぱくぱくと開閉し、甲高い声を響かせている。
「クークックック。では本格的に行くとしましょうか。この『陽炎』のジャナド様がねぇ!」
そう、彼女の中に潜む彼こそは、誰にも気付かれずに砦に進入を果たしていた魔王軍四天王が一人。『陽炎』のジャナドであった。
「ていうか、本当にばれてないですよね? 大丈夫ですよね? ……なんでいきなりディスられたんですかねぇ、ワタシ?」
そんなジャナドが実は即死呪文への耐性が低いことは、あまり知られていない事実である。