第四話 炎と岩と時々チート①
地平の彼方より、黒い影が蠢きながら迫ってくる。
ゴブリンやオークなどの魔物と、ウェアウルフやミノタウロスをはじめとした獣人たち。悪辣なる魔王に臣従を誓った、悪しき眷属たちの軍勢だ。
これまで幾度なく繰り返されたマルフ砦への襲撃の中でも、今回確認できる敵の数は一番多い。いよいよ魔王軍が攻略に向けて本格的な攻勢に出たらしい。踏みならされた大地が揺れ、その振動は砦の内部にまで伝わってくるほどであった。
無論、誇り高きシャトリア王国の戦士たちは、突然の襲撃にも怯えることなく勇敢にこれを迎え撃った。敵襲を告げる銅羅をかき鳴らし、夜闇を払うたいまつの量を増やすと、城壁の上に弓兵と魔導兵を配置して敵への攻撃を開始した。
魔王軍は攻城兵器を持ち出して砦の守りを打ち崩そうとしたが、雨あられと降り注ぐ矢と魔法の弾丸を前に、城壁に取り付くことはおろか、近付くことさえままならなかった。
シャトリア王国の誇る堅牢なるマルフ砦は、人類最後の砦としての機能を遺憾なく発揮していた。
しかし――魔王とて馬鹿ではない。
これまで何度か執り行われた砦攻めで、マルフ砦が堅牢であることは理解しているだろう。その上で攻勢に出たのだ。切り札を用意していないわけがなかった。
問題はそれがなにかである。人間側の指揮官であるグローリエ・シャトリアは、一際高い城壁の上に陣取り、相手のどんな動きにもすぐに対応できるよう注意深く戦場全体に目を光らせていた。
「魔王軍はなにか仕掛けてくるでしょうか?」
グローリエの隣に控えていた、メイド服姿のカナリアが口を開く。
「間違いなくなにか仕掛けてきますわ。敵の動きがいつもと違いすぎます。恐らく指揮官が違うのでしょう」
「これまでの襲撃の指揮官は『赤獅子』ラゴウだったとうかがっていますが、仮にも四天王であるラゴウをさしおいて、魔王軍の指揮官を任される者がいるのでしょうか?」
「同じ四天王である『黒騎士』か『空の魔女』か。あるいは魔王が直接出張ってきてもわたくしは驚きませんわ。なにせ、ここはシャトリア王国最大にして人類最後の砦、マルフ砦なのですから」
「それに、今は勇者様もいますからね」
「……このタイミングでの攻勢、やはり勇者様の召喚を悟られたのかしら?」
「どうでしょうか。勇者様の召喚は魔王軍には伝わらないように隠蔽を行いました。どちらにせよ、相手が魔王である以上、ばれるのは時間の問題ではあるのですが」
眼下の戦いは刻一刻と激しさを増していく。魔王軍は撤退という選択肢を忘れ、死の恐怖すら忘れてしまっているかのように、仲間の屍を踏み越えて城壁を目指してくる。
今は持ちこたえているが、このまま攻撃を加えられ続ければ、いずれ矢が尽き、魔力が底をついてしまうだろう。
グローリエは、頼りない勇者の姿を思い出す。
「勇者様は、今なにを?」
「お部屋に。救援の要請はしておきましたので、ピンチの際は駆けつけてくれることでしょう」
「期待してもいいのかしら?」
「もちろんです」
カナリアは即答した。
思い出すのは、先程部屋を訪ねたときの勇者の様子。新兵もかくやという青ざめた顔で、錯乱した様子で誰もいない空間に向かって話しかけていたが、それでも彼女は言い切った。
「だって、あの人は勇者なのですから」
そのとき、一際大きな揺れがマルフ砦を襲った。
直後、ルゥオオオオオオンという大きな雄叫びが戦場に轟き渡る。
「この雄叫びは?」
「いつもの『赤獅子』出陣の雄叫びですわ。……どうやら、今回の指揮官もラゴウから変更がなかったようですわね」
砦の正門を攻める魔王軍の手が一時的に止まり、軍がふたつに綺麗に分かれ、その間に出来た路を一人の獣人が進み出てくる。
赤いたてがみが特徴的な獅子の顔に、人間の肉体を併せ持つ珍しい獣人だ。ただし、身の丈は三メートルを超え、二の腕や足は丸太のように太く、分厚い筋肉に覆われた皮膚は鋼のように硬い。
魔王軍の大幹部たる四天王が一人、『赤獅子』の異名を持つラゴウである。
「なにをもたもたしておる! この馬鹿共が!」
大気をびりびりと震わせるほどの大声で部下たちを叱咤しながら、ラゴウは三人の獣人の取り巻きだけを連れ、城壁へとゆっくりと歩み寄ってくる。
弓兵や魔導師がラゴウに攻撃を集中させる。
何十もの鋭い矢と、稲妻や石の槍といった魔法がラゴウに殺到した。
「ふんっ! このような攻撃、我が輩には効かぬわ!」
だがラゴウは攻撃を物ともせずに進撃を続ける。その身体には傷ひとつ負っていなかった。
「相変わらずの馬鹿げた頑丈さですわね」
ラゴウは魔王軍の中でも、こと力と頑丈さにおいては最強と言われていた。生半可な攻撃など、彼には通用しない。
「ええい、うっとうしい! おい、お前たち!」
だがそれでも絶え間なく攻撃され続けることには苛立ちを覚えたのか、ラゴウは三人の取り巻きに指示を出した。
三人の取り巻きたちは、声をそろえて魔法を詠唱する。すると空中に巨大な岩の塊が生み出された。
ラゴウはその岩の塊をおもむろにつかみ上げると、
「ふんぬっ!」
城壁の兵士たちに向かって思い切り投げつけた。
人の何倍も大きさのある岩の塊は、すさまじい勢いで城壁の上部に当たると、城壁の一部ごとその近くにいた兵士たちを吹き飛ばす。岩の勢いはそれだけでは収まりきらず、城壁のさらに内側を囲む二番目の城壁を半分ほどを削ると、ようやくその勢いを止めた。
「まだまだ行くぞ!」
さらに二個、三個とラゴウは岩を投擲する。
そのたびに城壁の一部が砕け、多くの兵士の命が散った。その隙を見逃すまいと、魔王軍が攻撃を再開し、城壁へと肉薄する。
「まずいですわね」
ラゴウの登場と活躍により、正門が危機に陥っていた。
「ラゴウによる力任せの突破なんていつものことですが」
これ以上、この場に留まって観察だけに徹しているわけにもいかない。
「カナちゃ――カナリア! わたくしは正面の援護に回ります! あなたは怪我人の治療を!」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ、グローリア様」
頭を下げて見送るカナリアに、グローリエは力強く頷くと、緋色のマントを翻して城壁の上から飛んだ。
身体能力を魔法で強化して、城壁の上を飛び渡っていく。すぐに正門へと辿り着いた。
「来たか。紅蓮の姫騎士よ」
グローリエの姿を見咎めたラゴウが、牙を剥きだしにして笑った。
「ええ、来ましたわよ、赤獅子。今日こそは決着をつけて差し上げますわ」
「ほざけ! それは我が輩の台詞だ!」
ラゴウはこれまで以上に巨大な岩の塊を、グローリエめがけて投げつけた。
あたれば即死。肉体の原型すら止めないであろう凶弾を前に、しかしグローリエは恐れることも慌てることもなく、口の端をつり上げて笑った。
「相変わらずの脳筋さんですわね! わたくしにそれが通じないことをもう忘れたのかしら!」
グローリエが岩に向かって手をかざす。
瞬間、無詠唱で放たれた巨大な火炎が、岩を丸ごと包み込んだ。炎が消えたとき、あれだけ巨大な岩の姿はどこにも見つけられなかった。
「次はわたくしの番ですわ!」
グローリエは続けて魔法を紡いだ。
ラゴウの放った岩の塊以上の火の玉を作り出すと、それをラゴウへと矢のように放つ。
ラゴウは迫ってくる炎に対し、これまでと同じようにノーガードで迎え撃つことはせず、大きな図体からは想像できない素早い身のこなしで右に避けた。炎はすぐ前までラゴウがいた場所に着弾し、巨大な爆発を起こして辺り一面を吹き飛ばす。その威力は他の魔導師が放った魔法とは桁が違かった。ラゴウの肉体でも直撃すればダメージは免れない威力だ。
「避けましたわね。それならば!」
殺された兵たちのお返しといわんばかりに、グローリエは炎弾を次々にラゴウめがけて撃つ。
「ちぃっ!」
ラゴウは忌々しそうに舌打ちして逃げ惑った。
自分一人だけならばここまで慌てる必要はないが、遠距離攻撃手段を取り巻きの作る岩の弾丸に頼っているラゴウは、彼女たちを守らざるを得ない。三人ともが見た目は人間の少女と変わりない華奢な女獣人とはいえ、三人全員を一度に抱えるとなると荷物としては大きくかさばった。
「ラゴウ様。いつも守ってもらってごめんね!」
「ラゴウ様。いつもありがとぅございますぅ」
「ラゴウ様。いつもよりも強く抱きしめて」
「うるさいぞお前ら! いいからさっさと弾丸を作れ!」
「「「はぁ~い」」」
取り巻きの三獣士は声をそろえて返事をすると、空中にこれまでよりも小さな岩をいくつか作り上げる。ラゴウは逃げながら、その岩を掴んではグローリエに投げつけた。だが彼女に命中する前に岩はすべて燃え尽きてしまう。攻撃を行いながらでも彼女の守りは完璧だ。下手な攻撃では足止めにもならない。
かといって、魔法使い対策の鉄板である魔力切れを狙おうにも、グローリエは歴代のシャトリア王家の人間よろしく莫大な魔力を誇っている。この程度の戦闘ならば、小一時間は継続できるだろう。
そう、それは本当にいつもどおりの光景だった。
近距離での肉弾戦を得意とするラゴウでは、砦攻めという限定的な戦場では、グローリエ・シャトリアには勝てない。このままではいつものように三獣士の魔力が先に底を尽き、さらに配下の兵士たちも追い散らされ、撤退を余儀なくされるだろう。
いつもならば、きっと、そうなっただろう。
「グローリエ様! 伝令です! 南の城壁が!」
ラゴウへと魔法攻撃を続けていたグローリエの許に、隣の城壁からの伝令がやってきた。
「突破されましたの!?」
「いえ、ですが相手の攻撃が予想以上に激しく、このままでは矢の補充が追いつかないとのことです!」
「わかりましたわ。わたくしがここから援護を行います。その間に矢の補充を急ぎなさい!」
「了解しました! ありがとうございます!」
頭を下げて去っていく兵士を見送り、グローリエは今一度正門の戦況を確認する。
ラゴウの攻撃による混乱からはすでに持ち直している。それどころか、グローリエの活躍により志気は高まっており、相手の攻撃を物ともせずに追い散らしていた。ラゴウも配下の三獣士の魔力が底をつき始めているようで、攻撃が散発的になっている。これならば一旦攻撃を取りやめて、他の援護に回っても支障はないだろう。
「炎よ。この世に光をもたらす輝きよ。弾け。高まり。広がれ」
これまでのように無詠唱ではなく、詠唱を重ねてグローリエは魔法を放つ。
上空へ向けて解き放った巨大な炎の塊は、天高くのぼったところで弾けて炎の雨となり、隣の城壁に攻め込んできていた敵の軍勢を薙ぎ払った。
「よし、次はラゴウですわ」
超遠距離での範囲殲滅呪文。まさにシャトリア王国一の魔法使いであるグローリエ・シャトリアの面目躍如。紅蓮の姫騎士と謳われたその力を遺憾なく発揮したその瞬間、わずかとはいえ彼女の注意力が散漫になった。
戦いが始まった当初から予感していた、予期せぬ脅威。それに対する意識を薄くしたその瞬間を、敵は見逃さなかった。
『――捕捉完了』
なんの前触れもなく耳元で囁かれた少女の声に、グローリエは背筋を震え上がらせた。
『――強制転移開始』
「しまっ」
自分の失態を自覚した直後、一瞬の浮遊感と共にグローリエの身体は城壁の上から強制的に移動させられていた。
目の前にはたくさんの異形の群れ。
背中には今まで自分がいた城壁が高く聳え立っている。
そして――
「ようやく拳が届く位置で会えたなぁ、紅蓮の姫騎士よ」
獲物を前に牙を剥きだしにする、赤獅子ラゴウ。
「悪いな。今回の指揮官は我が輩じゃねえのよ」
「……強制転移魔法。『空の魔女』ですわね」
「そういうことだ。あいつの力を借りちまったのはちと残念だが、人類最後の砦の守護者が相手となれば、四天王二人がかりでも腰抜け扱いはされないだろうよ」
ラゴウはわずかに悔しそうな顔をしていたが、グローリエに向ける殺意によどみはなかった。
「さあ、決着をつけようじゃねえか」
「それはこちらの台詞ですわ」
近距離でこの怨敵と向かい合っているという状況の致命的な事実を理解して、それでもグローリエは毅然と胸を張って笑みを崩さない。
ラゴウが鋭い爪を振りかぶる。
グローリエは無詠唱で魔法を放つべく、意識内で魔法の式を組み上げようとするが、その二秒に満たない時間すら赤獅子の一撃の前には遅すぎた。あらゆる抵抗は間に合わない。
「グぅちゃん!」
親友の悲鳴が聞こえた。
(ごめんなさい、カナちゃん。ごめんなさい、お姉様)
グローリエは心の中で、最後に大切な親友と姉に謝罪を述べる。
敵をにらみつけるその目には悔しさのあまり涙がにじんでいた。よく見れば、恐怖で指先も震えている。それは祖国のために懸命に戦い続けた姫騎士が最後に見せた、普通の女の子としての弱さ。――ヒロインの涙だった。
「待たせたな」
ならば今こそ、救世主の現れるとき。
お姫様を背中に庇い、敵の攻撃を軽々と受け止め、少年が助けに現れる。
グローリエは、呆然とその背中を見つめて、呼んだ。
「勇者、様……?」
「よくがんばった。もう大丈夫だ」
ショウマは背中をグローリエに向けたまま、腕を横に突き出し、親指をぐっと突き立てた。
「あとは俺に任せとけ」
そうして勇者はヒロインの危機に颯爽と現れた。
全裸で。
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