第三話 異世界③
「それでは勇者様、今夜はこれで失礼させていただきます」
「おう、色々とありがとな」
折り目正しいお辞儀を残し、メイドが部屋を後にする。約束どおりグローリエの許へ向かうのだろう。
ショウマは服の上着を乱雑に脱ぎ捨てると、ベッドに飛び込む。
「あ~、疲れた」
体力こそ特典のお陰で問題ないが、精神的に疲労困憊だった。
「まだ異世界一日目だぞ。色々なことがありすぎだろ」
当初の予定では、召喚されて王様と面会したあとは歓迎会にでも出席し、そこでかわいいお姫様といちゃいちゃする予定だったのだが、蓋を開けてみれば最前線の基地の中である。窓の外では夜とは思えないほどに煌々と火が焚かれ、むくつけき戦士たちが夜襲に備えて寝ずの番をしていた。
「おのれ土下座神、もう少し展開を弁えろよ」
怒りに震えながらも、それでもショウマの顔にあるのは満面の笑みだった。正確にいえば鼻の下が伸びたいやらしい笑みだった。
「けどヒロインたちの好感度が高いのはグッジョブ! マジグッジョブ!」
一日を過ごして、ショウマにははっきりとわかったことがある。
自分にとってのヒロインが誰なのか。
一人は無論、この世界へ召喚してくれたフリージア。
もう一人はそのフリージアの妹であるグローリエ。
そして他のヒロイン二人と仲がよく、勇者のお付きになったメイド。
この三人こそが勇者ショウマにとってのヒロイン。その事実に疑う余地などないだろう。
「フリージアは最初から好感度が最大みたいだし、グローリエはちょろいん臭が半端ないし、メイドちゃんもなんだかんだでデレそうな気配がするし……ぐふふふふっ、やはり俺の時代は死んでから来たな」
だがそれでも、あえて三人の中でメインヒロインを選ぶのならば、それは彼女しかいないだろう。
「よし。なら最初に攻略していくのはもちろん」
即ち――
「フリージア最高!」
「カナリアたん萌え!」
叫ぶ二人。いや、一人と一柱は、叫んだあとお互いにじっと見つめ合う。
「おいおい、なにを言ってるんだよ。俺のメインヒロインはフリージア一択だろう。なんたって正統派お姫様キャラだぞ? これはもうメインヒロイン以外のなにものでもないだろ?」
「いやいや、君こそなにを言ってるんだい? 君のメインヒロインはカナリアたんで決定だ。だって、ロリでメイドで毒舌でロリなんだよ?」
「ただのロリコンじゃねえか!」
「ロリコンじゃない! たとえロリコンだとしても、ロリコンという名の神様だよ!」
「ロリコン界のゴッドですね。わかります。ていうか、なにいきなりこれまで秘密だったメイドちゃんの名前ばらしてるの? あの子の名前って絶対なにかのイベントで教えてもらえる的な、そんな流れだったよな?」
「ちなみに本名をカナリア・レオニオスといいます。魔王に滅ぼされてしまった聖王国のお姫様で、実は勇者召喚の秘技は代々彼女の血筋に継承されてきたものを、シャトリア王国がさらに受け継いだという設定があります」
「うぉい! それ絶対個別ルートの最後の方で明かされる衝撃の事実! なんで言っちゃうの? なんでそれをここで言っちゃうの!?」
というより、
「なんでお前がここにいるんだよ土下座神!」
ショウマの当然の問いかけに対し、土下座神はもじもじと頬を染めて恥じらうと、可愛らしく舌を出した。
「きちゃった。てへっ」
「おえっ」
吐き気がした。
「いやぁ、ごめんごめん。本当はこっそりと影から見守り続けるつもりだったんだけど、あまりにもカナリアたんが萌え萌えすぎて、つい現界して実体化しちゃったよ」
「やべぇな。土下座神の気持ち悪さがとどまるところを知らないんだが」
「ふっ、そう言っていられるのも今のうちだよ?」
異世界までやってきてしまったロリコン土下座神は、部屋の壁に向かって手のひらをかざした。
「無垢なる魂の美しさを知らない愚かな君に、この映像をプレゼントしよう」
土下座神の手のひらより照射される光。
その光の中に、どこか別の部屋の様子が映り込んだ。
「これは?」
「この砦の指揮官の私室、つまりはグロなんとかさんの部屋さ」
「グロなんとかさんって。たしかに少し覚えにくい名前だけども」
哀れにも神様に名前を覚えてもらえなかった第二王女様は、今のショウマと同じようにベッドに座ってくつろいでいるようだった。
その格好は、黄金の鎧を外した薄手のネグリジェ姿。風呂上がりのようで、少しピンクに染まった肌が扇情的である。実にエロティックである。ついついショウマは土下座神への各種文句を後回しにして、ベッドの上で正座し、瞳を皿のようにして映像に見入ってしまう。
『カナちゃん。まだですの?』
『もう少しお待ちください、グローリエ様』
映像の中のグローリエが誰かのことを呼ぶ。
ベッドに近づいてきたのは、金色の長い髪を後ろに下ろした小さなメイドさんだった。土下座神一押しのカナリア嬢である。彼女も風呂上がりらしく、ツインテールを解いていることで、いつもより大人びて見えた。
『お待たせいたしました、グローリエ様。御髪を整えさせていただきますね』
『……』
『あの、グローリエ様。そのように頬をふくらませて、どうなされましたか?』
『グぅちゃん』
『えっ?』
『昔みたいにグぅちゃんと呼びなさい』
『ですが、今のわたしは一介のメイド。グローリエ様のことをそのような愛称で呼ぶなんて』
『かまいませんわ! わたくしが許します! 第一、誰も見ていないではありませんの!』
『……仕方がありませんね、グぅちゃんは』
カナリアは苦笑して、グローリエの隣に腰を下ろした。
『わかればいいんですのよ、わかれば』
グローリエは満面の笑みとなって、おもむろにカナリアの膝の上に自分の頭を預けた。
『グぅちゃん。この体勢では、髪を乾かすことができないのですが』
『髪なんていいのですわ。ずっと離れていたんですもの。カナちゃん養分をまずは補充しないと』
『ずっとって。まだ一ヶ月ほどではありませんか』
『まだ、ではなく、もう一ヶ月ですわ。……この砦での一ヶ月は、とてもとても長かったものですから』
『……やはり戦況は芳しくありませんか?』
『連日の魔王軍の襲撃で、怪我をしていない兵士などおりませんわ。それに王都から寄越される新兵も、まだ年端もいかない子供か老人ばかり。皆ががんばって、どうにかこうにか凌いでますけど、それでもいつまで持つかどうか。……あの勇者様が、本当に伝説にあるような力を持っていればいいんですけれど』
『おや? グぅちゃんは勇者様の力になんて期待していないのではなかったのですか?』
『まさか。この絶望的な戦況で、勇者様の力に期待しない王族がいるものですか。とはいえ、貴族の中には突然現れた勇者様に、権力を渡すことを良しとしない者もいるのも事実。なればこそ、わたくしは――』
「あ、このあとなんかグロなんとかさんのシリアスな話が続くみたいだから飛ばすね」
「飛ばすの!? むしろ飛ばせるんだ!?」
懐から謎のリモコンを取り出し、映像の早送りを始める土下座神。
ショウマとしてはグローリエの心のうちを聞くチャンスだったのだが、土下座神の興味はカナリアにだけ注がれているようだった。
「う~ん、このあたりかな」
土下座神が早送りを止めて再生ボタンを押す。
映像の中では、カナリアが甘えてくるグローリエを適度に甘やかしながらも、きちんと髪の毛を乾かし、すかし整えていた。さらにはベッドメイキングまでこなし、ハーブティーを入れて、グローリエが寝やすいように細やかな気配りを発揮している。
『さあ、グぅちゃん。明日も早いのですから、そろそろ眠らないと』
『ええ! もう少しお話ししましょう、カナちゃん』
『ダメです。先程グぅちゃんも言っていたでしょう? 明日は大事な日になるのですから』
『……ならせめて、わたくしが眠りにつくまで、手を握っていてくださる?』
『まったく。グぅちゃんはいつまで経っても甘えん坊ですね』
ベッドのふちに腰掛けて、カナリアはグローリエの手をそっと握る。
するとグローリエは子供のような無邪気な笑みを浮かべて、安心したように目を閉じた。
「……なるほど。これはたしかに萌える映像ですね、土下座神さん」
「でしょう! 毒舌だけど友達には優しいというこのギャップ! 小さいのに、ロリなのに、実は母性あふれるというこのギャップ! 最高かよ!」
「落ち着け。キャラが壊れてるぞ。あとどちらかと言うと、俺はグローリエのデレっぷりの方に萌えたんだが」
「君には失望しました。がっかりです」
「ていうか、今更だけどこれってただの盗撮じゃあ」
「こほん。さて、それじゃあここで少し真面目な話をしようか。なにもボクは感動を共有したいがためだけに、わざわざ君のところにまで出向いたわけじゃないんだ」
咳払いをしながら映像を消し、真面目な顔つきとなって土下座神はショウマに向き直る。
「そうだな。今更もうなにもかもが遅いが、こっちもお前には色々言いたいことがあったんだ」
ショウマもまた姿勢を正して土下座神に向き直った。
「なあ、土下座神。俺は感謝してるんだ。お互いに趣味趣向はどうやら違うようだが、あんなにもかわいいヒロインを用意してくれたことにはとても感謝している。が、人類がなぜここまで詰んでるのかは教えてもらわないとな」
「そんなこと言われても、別にボクがなにかしたわけでもないからね。魔王くんが純粋にがんばってるだけじゃないの?」
「ん? そうなのか?」
どうやら召喚のタイミングは悪意あってのことではなかったらしい。そう言われてしまわれば、ショウマに言える文句はなかった。
「じゃあもうひとつ。むしろこちらが本題なんだが」
「なんだい?」
「なぜ召喚されたとき、俺は全裸だったんだ?」
「大爆笑でした。ドッキリ大成功」
「死にさらせェ!」
ショウマは殺意の獣となって土下座神に殴りかかった。
チートによって強化された右腕は、勇者の力よろしく光り輝いて敵を殺せと叫んでいる。
「おっと」
しかし土下座神には簡単に避けられてしまった。
「ちっ、外したか」
「外したかじゃないよ。ボクを殺す気なのかい?」
「腐っても神様だ。どうせ勇者の拳程度じゃ死なないんだろ?」
「いや、今のを食らえば死んでいたよ。――なるほど。それが君が獲得したチートか」
「そういや、ランダムでひとつ特殊能力をくれるって言ってたな」
「そう。ボクの用件もまさにそれなんだよ。君に特殊能力をあげると言ったけど、ボクすら見通せない完全無欠のランダムでの特殊能力付与だったからね。もしかしたら、この世界に召喚された瞬間、暴走して世界滅亡しましたなんて展開もありえたわけだし、一応フォローはしとかないとさ」
「つまり暴走からの回帰からの暴走というエンドレスデッドエンド?」
「なかったとは言わないよ。ランダムだからね。でも、どうやらその心配はなさそうだ。どうも君が手に入れた力は、常時発動型ではなく任意発動型みたいだからね。しかし、ふむふむ。君もなかなかどうして運がいい。君が手に入れた力は、このボクすらも消滅させられるかも知れないチートだよ」
「詳しく」
「そうだね。君の力は、その右手に宿っていて――」
土下座神が今まさに説明してくれようとした刹那、突然の轟音と共に砦全体が大きく揺れた。
「な、なんだ?」
「ちょうどいい。魔王軍の襲撃みたいだ。君のチートの出番だよ」
慌てふためくショウマを尻目に、土下座神は言った。
「ぶっつけ本番になるけど、なぁに心配はいらないさ。ボクも影ながら見守っていてあげるよ。神様的にね」
「うそーん」
やはりもう少し異世界生活はゆとりをもって送りたかった――そう思う勇者ショウマの許に救援要請が入るのは、五分ほどあとのことだった。
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