第十七話 神はこれを望まれた①
魔王城への道程は順調そのものだった。
山中で一夜を明かした翌朝、本隊からの報告を受け取っていたグローリエが、難しい顔でショウマの許へ戻ってきた。
「本隊の方もなんの妨害も受けていないとのことです。このまま約束の時間に、魔王城に無傷のまま攻め込めるということでした」
「ここまで順調だと、逆に不気味だな」
「ええ。魔王城で一気に勝負を決めるつもりかも知れませんが、それでも少なからず妨害はあると思ったのですが」
被害がないのは喜ばしいことだが、グローリエも素直に喜べないという顔をしていた。
「あるいは、魔王がマルフ砦には手を出さないってあの約束が、そのまま兵士にも適応されてるのかな」
「魔王がそこまで律儀に約束を守るとは思えませんが」
カナリアがたき火で沸かしたお湯を使って、モーニングティーを煎れながら話に入ってきた。
「グぅちゃんの言っていたとおり、魔王城で勝負を決めるためというのにわたしは賛成です。相手は数も戦力も上なのです。わざわざ城内の兵力を減らすより、目の前で戦った方がいいと判断しただけでは?」
「どちらにせよ、このまま行けば本隊と魔王軍がぶつかり合うのは魔王城の前になる。作戦どおり、俺たちはその隙に魔王城に忍び込もう」
「そのあとは臨機応変に、ですわね」
軽い打ち合わせのあと、カナリアが作ってくれた朝食を腹に詰め、つかの間に鋭気を養ったあと、ショウマたち別働隊はキャンプ地を立った。
そこから三時間ほどかけて迂回路を進み、別働隊は約束の時間にやや遅れて、魔王城の横手側にたどり着いた。
「近くで見ると、なるほど魔王城って城だよな」
黒い雷雲に陽の光を遮断され、昼間にもかかわらず薄暗い空の下に、その闇の城はたたずんでいた。
ついに姿を現した魔王城は山をそのままひとつ建物に変えてしまったかのような、岩盤がむきだしになった要塞であり、青白い炎が至るところに焚かれ、不気味にライトアップされていた。見張りに立つのは異形の兵士たち。空には馬の倍はあろうかというワイバーンに騎乗した骸骨兵が旋回している。
「すでに本隊は戦闘を始めているようですわ」
直線距離でまっすぐ魔王城を目指した本隊は、すでに魔王城に到着、陽動の役目を果たすために戦端を切り開いていた。
魔王軍側も兵士を配置し、これに対応している。
指揮官は金色の髪のハーフエルフ。四天王一人である『空の魔女』だ。
「本隊は『空の魔女』を戦場に引っ張り出してくれたようですわね。一番に危惧していた、魔女と魔王の連戦はせずにすみますわ」
「そんなにあの魔女っ子は強いのか?」
「直接的な攻撃魔法は使いません」
ショウマに教えてくれたのはカナリアだった。彼女の国を滅ぼしたときの軍の指揮官は『空の魔女』だと聞いている。
「ですが、わたしと同じでサポート系の魔法のエキスパートです。特に転移系の魔法の使い手で、魔王城からマルフ砦までの距離であれば、一万近い軍勢を一度にテレポートさせられる、と言えばどれほどの脅威かわかりますか?」
「そりゃあな。敵に彼女がいるかぎりいつ一万の敵に奇襲されるかわからないってことだろ?」
「さすがに連続行使には限界があるようですが、敵の指揮官としては一番戦いたくない相手ですし、魔王のサポート役としては四天王の中で最良でしょう。彼女を魔王の傍から引きはがせただけでも、兵士の方々の貢献は大きなものとなります」
「それなら今がチャンスだな。一気に乗り込もう!」
「では、わたしのあとに付いてきてください。魔女の結界や探知魔法などは、すべてわたしが突破してみせます」
「任せた」
カナリアを先頭に、静かに、しかし素早く魔王城へと忍び込む。
途中、いくつかの防衛機構が用意されていたが、そのすべてをカナリアが見事な手際で解除していく。これも『空の魔女』が戦闘指揮にかかりきりになっているからこそ出来たことであり、兵士たちの奮闘の意味は大きい。
彼らのがんばりを無駄にしないために、気持ちも新たに魔王城に挑む。
そしてついに最後の防壁も部分解除に成功し、ショウマたちは戦うことなく城内に侵入することに成功した。
「おい、こっちに侵入者がいるぞ!」
だがさすがに城内に入っても気付かれないほど、魔王城の警備も甘くなかった。
「勇者だ! 勇者が攻め込んできたぞ!」
巡回していた兵士の口封じをすること何度目か、ついに対応が間に合わず、応援を呼ばれて進入が露見してしまった。
「こっからはスピード勝負だ! 一気に魔王の玉座まで突っ込むぞ!」
『『おおッ!!』』
兵士たちが集まってくる前に、ショウマたちは魔王を目指して突っ走る。
玉座の間の位置は判明している。肌に感じるおぞましい魔力を辿っていけば、自ずとそこに魔王はいるだろう。
「邪魔ですわ!」
グローリエが炎で前方から来ていた魔物を焼き払う。
「強化行きます!」
カナリアに強化魔法をかけられた精鋭たちが、果敢に敵へ斬り込んでいき道を切り開く。
「うぉおおお! イケメンクラッシャー!」
ショウマも負けじと、強力な魔物が立ちふさがったときは、その右腕をもって沈黙させた。
快進撃は続く。別働隊は強大な一本の矢となって、目の前のすべてを貫き、前進していく。
それに対し、最初に疑問を呈したのは、やはりこれまで魔王軍と戦い続けてきたグローリエだった。
「おかしいですわね。あまりにも敵の迎撃が温すぎますわ」
「主要なメンバーは正門の戦いに出払ってしまっているのでは?」
「それはありませんわ、カナちゃん。わたくしたちが用意できた数は、魔王軍に対してあまりにも少ない。魔女を指揮官にする以上の警戒は払わないでしょう」
「援軍やさらなる別働隊を警戒しているとか?」
兵士のこの言葉に、グローリエは肩をすくめた。
「この世界のどこに、わたくしたちに援軍を送れるような国がありますの?」
「じゃあ、敵の迎撃が弱いのばかりなのは?」
ショウマの質問に対し、グローリエは首を横に振った。彼女にもわからないらしい。
「……最大限に警戒しながら進もう。いきなりなにが襲いかかってきても対応できるように」
ショウマのその指示は、しかし無意味なものになった。
敵の迎撃はやはり散発的なものであり、一行は誰一人欠けることなく玉座の間の前までたどり着いてしまった。
目の前にある巨大な扉。魔力はその向こうから漂ってきている。
魔王へと続く最後の扉。道中、招き寄せられているとしか思えない有様だったが、それでもこの扉を開けないなんて選択肢はない。せめてもの対策として、カナリアに万全のバフをかけてもらう。特に魔法への抵抗力は彼女がかけられる最大まで重ねがける。
「覚悟はいいな?」
ショウマの言葉に、誰一人怖じ気づくことなく頷き返した。
「よし! 魔王を倒すぞ!」
『『応!!』』
かくして勇者一行は玉座の間へと足を踏み入れる。
ぱたん、と入り口の扉が自動的に閉まると、そこは完全なる闇の世界になった。黒く塗り上げられ、染め上げられた光なき空間に、勇者一行の吐く荒い吐息だけがやけに大きく反響する。魔王はただ魔力の発露だけで、闇の最奥に座していることを知らしめている。
「グローリエ、灯りを頼めるか?」
「かしこまりました」
「――いや、その必要はない」
その言葉の直後、闇を青い光が払った
入り口から最奥の玉座に向かって、まるで路を作るように二条の青い炎が奔る。さらに炎は途中で枝分かれし、部屋の隅々にまで駆け抜けていき、やがて部屋の全容と玉座の偉容を侵入者たちに知らしめた。
闇の果てに浮かび上がる奈落の玉座。
その黒い玉座に威風堂々と、魔王たる美貌の魔人が座っている。
「ようこそ、勇者ショウマよ。我が玉座へ。待ちわびたぞ。遅かったではないか」
魔王は歓迎するように両手を広げる。
すると玉座の背後一面を、火、水、氷、石、雷と、魔法で作られた色とりどりの輝きが埋め尽くした。
「まずは軽い歓迎のあいさつだ。しのいでみせろよ?」
魔王の宣言と同時に、背後の魔弾が矢となってショウマたちに放たれた。
機先を制されたショウマの肩に、まず第一の炎の矢が突き刺さる。
「ぐっ!」
矢は衝撃と共にショウマの肉を深々と抉った。魔法への抵抗力の高いショウマの身体をである。
「みんな、避けろ!」
他の面々では一撃でも直撃すればひとたまりもない。それはショウマに言われるまでもなく全員が理解していた。雨あられと降り注ぐ魔弾の流星雨を、必死になって避けていく。
だが避けても避けても一向に魔弾は途切れなかった。綺羅星のように輝く魔弾は無尽蔵に追加され、次々と解き放たれる。
「一〇〇〇発だ」
逃げまどうショウマたちを見て、魔王は口の端をつり上げた。
「まずは一〇〇〇発の我が魔弾をしのぎ切ってみよ。それで生き残った者のみ、我と勇者の戦いに同席するのを許す」
「ふざけんな!」
ショウマは魔弾の雨を潜り抜けて、魔王に肉薄した。
そのすかした顔をぶん殴るために、右手を思い切り振りかぶる。
「喰らえ! イケメンクラッシャー!」
迫る死神の一撃を前に、魔王は余裕の笑みを崩すことなく、玉座から立ち上がるそぶりすら見せなかった。黒騎士とは違い、魔王にその顔を守る兜はない。当たればショウマのチートは、一撃で魔王の命を奪うだろう。
「っ!」
今まさに命中すると思った瞬間、拳は見えざる障壁によって防がれてしまっていた。なんとか押し込もうとするが、その障壁はショウマの力でもびくともしなかった。
「か弱いな。その程度の腕力で、我が絶対防御を突破しようと思っていたのか?」
至近距離にまで迫った、けれど決して届くことのない勇者の拳に対し、魔王はその左手をかざした。
「我も腕力には自信がないが、魔力には自信があるぞ。そら、自ら踏み込んできた勇気に免じて、百発分を君にくれてやろう」
魔王の左手から一気に百の魔弾が解き放たれた。さながら至近距離で花火が爆発したかのような衝撃と熱に、ショウマの身体は宙を舞った。
「ぐぁあああ!」
床にたたきつけられたショウマの背へと、さらなる追撃が落ちてくる。魔弾は等しく全員の頭上に降り注ぎ、弱き者を傲慢に選別した。
千の流星雨が流れ落ちたあと、玉座の間に静寂が降りる。
「みんな、無事か……?」
「わたくしは平気ですわ」
「わたしもなんとか。ですが……」
ショウマの呼びかけに、返事は五人分しか返ってこなかった。
後ろを振り返れば、グローリエとカナリア以外に、三人しか兵士たちの姿がなかった。四人、足らない。
床に血痕はなく、散らばった肉片もないが、彼らがどうなったのかは誰に聞かずとも明らかだった。彼らの肉体すべて、悲鳴すら流星雨はさらっていってしまったのだろう。
「第一の選別はなったな」
怒りに握った拳を震わせるショウマに、魔王は淡々と次弾の装填を開始する。
「では次だ。これをしのいだ者にのみ、我と勇者に戦いに参加することを許す」
玉座の間の床にいくつも浮かび上がる魔法陣。そこから金属音を奏でながら、無数の中身のない兵士が現れた。
「ゴーレムナイト五十騎だ。見事に勝利してみせよ」
「くそったれ!」
剣や槍を手に襲い掛かってくるゴーレムナイトを、ショウマは一番前で迎え撃つ。
叩きつけられた剣を右手で払い、甲冑の上から蹴り飛ばす。攻撃を一撃受け、与えただけで、ショウマはゴーレムナイトたちの高いポテンシャルがわかってしまった。さすがにラゴウや黒騎士ほどの力はないが、それでも並の兵士の四倍はあろうかという戦闘力だ。
一体、二体とショウマは有り余る闘志でゴーレムナイトを鉄くずと変えていくが、それでもすべての敵を一度に相手取ることはできなかった。
ショウマを素通りして、何体かのゴーレムナイトがグローリエたちの方に向かっていく。
「グローリエ! みんな!」
「大丈夫ですわ!」
グローリエは炎をもって、複数のゴーレムナイトを消し炭に変える。
カナリアもまた魔法で鎖や十字架といった拘束道具を召喚し、それをもってゴーレムナイトたちの動きを封じていく。その隙にグローリエや兵士たちがとどめを刺していった。
「わたくしたちはあなたと共に魔王と戦うために来たのです! この程度の小手調べで、根を上げてたまりますか!」
グローリエは炎の刃を縦横無尽に振りかざし、敵が近寄る暇すら与えることなく殲滅していった。
だが彼女の炎の中を、複数のゴーレムナイトが無傷で突破する。
「言い忘れていたが、何体かは特別性だ。魔法が効きにくいゆえ、注意するといい」
魔法への抵抗力を挙げられた黒い甲冑のゴーレムナイトたちが、グローリエたちに肉薄する。
「行かせません!」
カナリアが大量の鎖を召喚し、敵を封じ込めようとするが、黒いゴーレムナイトはその鎖を振り切って進撃する。兵士たちがグローリエやカナリアを護るように、剣を手に立ち向かっていく。
「待ってろ! 今すぐに!」
ショウマは近くにいたゴーレムナイトを吹き飛ばし、みんなのところへ駆け寄ろうとする。
だが行く手を阻む通常のゴーレムナイトたち。
「邪魔だ! どけ!」
叩き潰し、振り払って前に進むが、黒いゴーレムナイトたちが兵士たちを切り伏せる方がわずかに早かった。鮮血をぶちまけ、一人の兵士が床に倒れたきり動かなくなった。
「なんの! ならばせめて!」
「グローリエ様とカナリア様は!」
残った二人が頷き合い、黒いゴーレムナイトに特攻を仕掛けた。槍に肩や腹を貫かれながらも、その剣で敵の四肢を切断する。
「勇者様。あとは頼みました、ぞ……」
黒いゴーレムナイトたちを倒しきったところで、眼から光を失い、床に倒れ伏す仲間たち。ショウマは最後のゴーレムナイトを無理やり真っ二つに切り裂いて、魔王に対して吼えた。
「かかってこい! 魔王! 勝負だ!」
「勇者を除けば二人、か。順当な人間が順当に残ったというところだな」
仲間の死に奮い立つショウマに対し、魔王は醒めきった表情のまま、玉座の上でつまらなさげにひじをついた。
「まずは称えよう。我が選別をよくぞ潜り抜けた、シャトリアの姫グローリエ。レオニオスの姫カナリア。我と勇者の戦いに参戦を許そう。存分に挑み、戦い、死ぬがいい」
「させねえよ!」
ショウマは再び魔王に走りよった。
「身体強化! 筋力増強!」
その拳にカナリアが強化魔法をかける。腕力強化。強化された拳と、魔王がまとう防護壁とがぶつかりあう。
「く、ぅ」
ショウマの拳と防護壁の間に火花が散り、バチバチと大気が悲鳴をあげる。
だがそれだけ。強化された拳をもってしても、魔王の防護壁は貫けない。
「ならば魔法で!」
後ろに下がったショウマと入れ替わるように、グローリエが貫通力に特化した魔法を放つ。その右手より放たれた熱線が防護壁とぶつかり合い、玉座の間を赤々と照らした。飛び散った炎は床や柱を溶かしてしまう有様だった。
そんなすさまじい熱量の光線を、十秒を超えて唱え続けたグローリエ。
「……ありえませんわ」
だが魔王の姿に変化はなし。肌はおろか、その衣にすすのひとつもついていなかった。防護壁がすべてをはじき返したのである。
「言ったであろう? 絶対防御だと」
魔王はこの結果に驚きも満足もせず、淡々と事実だけを語るように言った。
「我が魔法障壁は対物理、対魔法、どちらにも完璧に対応する。小細工は無用。我が守りを破りたくば、我が魔力を超える出力を持って魔法を唱えるか、純粋な力で打ち破るほかない。そうしなければ、我の体には傷ひとつ付けられない」
そして絶対の護りに護られた魔王は、悠然と玉座に腰掛けたまま、再び一方的な攻撃を開始する。
「超えてみせよ。さもなくば死ね。これはそういう戦いだ」
天と地に輝く無数の魔法陣。神々しく輝く光を背に、魔王は勇者たちに圧倒的な力を見せ付ける。
ショウマの脳裏に思い返される、土下座神の語った魔王のステータス。
体力:60
筋力:50
耐久:40
敏捷性:60
魔力:270
魔法抵抗:100
魔法抵抗以外、勇者と比べて劣る身体能力。だが勇者を寄せ付けず、他の追随を許さぬ圧倒的なまでの魔力。
「これがチートレベルの魔法。これが……魔王」
異世界原産の神秘の力――魔法。
これまで主に助けてくれていたそれが、最後にショウマの前に立ちふさがったものだった。
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