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第十一話  黒騎士襲来②



 勇者は逃げ出した。


 しかし回り込まれてしまった。


 勇者は逃げ出した。


 しかし黒騎士からは逃げられない。


 勇者は逃げ出した。


 逃げ出すことに成功した。


 回り込まれても、退路を塞がれても、諦めることなく逃げ続けたショウマは、砦の端から端まで逃げ切ったところで、ようやく黒騎士を振り切ることができた。柱の陰からこっそりと覗き込むが、追っ手の姿は見あたらない。


「やっと撒いたか」


 逃げているうちに黒騎士を砦の中にまで連れ込んでしまったが、そうしなければとても逃げ出せるものではなかった。そもそも自分は砦を落とされないために戦っているのではなかったのかと思わなくもないが、逆に城壁付近に黒騎士を置いておく方が他の兵士たちにとっては脅威である。すべての兵士は砦内ではなく城壁に移動しているし、非戦闘員は安全な場所に隠れている。逆に人的被害は出ないだろう。


「ショウマ様」


「しゃー!」


 突然後ろから声をかけられ、ショウマは振り返ると野生の小動物のように威嚇した。


 だがそこにいたのはあの怖い怖い黒騎士ではなく、可憐なお姫様だった。


「フリージアか。驚かせるなよ」


「ごめんな――ショウマ様、大丈夫ですか!?」


 安堵に胸をなで下ろし、その場にへたりこむショウマに、青ざめた顔でフリージアは駆け寄る。


「酷いお怪我……お待ち下さい。今、カナリアを呼んで参りますので」


「待って。ダメだ。危ない」


 全身から血を流すショウマに気付いたフリージアが、治療魔法を使えるカナリアを探しに行こうとするも、それをショウマは止めた。今、砦内は黒騎士が徘徊している。彼女一人で行かせるのは危険だ。


「大丈夫。見た目ほど酷い怪我ってわけじゃないから」


「ではせめて、傷口をふさがせてください」


 フリージアは近くの部屋から水差しを持ってきてショウマの傷口を洗い流すと、自分のスカートを破り、それを包帯代わりに巻き付けた。


「ありがとな。だいぶ楽になった」


「いえ、私はこんなことくらいしかできませんので。本当は治癒魔法が使えればよかったのですが、適正がまるでなくて」


「そういうの適正とかあるんだな。そういえば、どうしてフリージアはこんなところに?」


「私は、その、グローリエに非戦闘員と一緒に隠れていろと言われたんですが、皆が戦っていると思うと居ても立ってもいられなくて」


「出てきてしまったわけか」


「はい。足手まといになることは分かり切っているのですが、それでも……申し訳ございません、ショウマ様」


「なんで謝るんだよ? むしろ、フリージアが傍に居てくれるだけでみんなの士気も上がるってもんだろ?」


「あはは、どうでしょうか。私はグローリエとは違って、本当に役に立たない姫ですので。カナリアみたいに皆を癒すこともできませんし。お荷物が増えたと思われるだけだと思います」


「そんなことない。それに……役に立たないのは俺の方だ」


「ショウマ様?」


「逃げちまった。俺、勇者なのに敵から逃げちまったんだ。相手に攻撃が当たらなくて、傷だらけにされて、殺されると思ったら急に怖くなって。で、今はこうやってびくびく怯えながら隠れてる。……情けないだろ?」


「ええ、とても情けないと思います」


 なにかを言おうと口を開きかけたフリージアに代わりに、ショウマにそう告げたのはカナリアだった。


 彼女は周囲を警戒しながら近付いてくると、


「情けない。あなたは一体こんなところでなにをしているんですか? 黒騎士はどうなったのですか?」


「それは……」


「いえ、先ほどの格好悪い宣言は聞こえていましたので、改めて聞かなくてもわかります。黒騎士から逃げ出したから、今、黒騎士がどこにいるのかもわからないのですよね? 情けない。実に情けない。それでもあなたは伝説に謳われた天下無敵の勇者様なのですか?」


「カナリア! あなた!」


「フリージア様は黙っていて下さい。わたしは勇者様と話をしているのです」


 カナリアは視線でフリージアを黙らせると、ショウマの傍らでしゃがみ込み、傷口へと手をかざした。


「癒しの灯火よ」


 彼女の得意とする治癒魔法によって、勇者の全身に刻まれた傷が巻き戻っていくかのように治っていく。


「正面の一番深い傷はともかく、他の傷はほとんどかすり傷ですね。一番深い傷にしても、わたしの治癒魔法で完治できるレベルです。ほら」


「本当だ。治ってる」


 ショウマは自分の傷口に手を当てる。フリージアの巻いてくれた包帯の下には、もう傷口は存在しなかった。


「さあ、傷は治りました。戻りますよ、勇者様」


 カナリアは立ち上がり、ショウマを起こそうと手を引っ張る。


「……嫌だ。行きたくない」


 だがショウマは座り込んだまま、カナリアの手を振り払った。


「さっき戦ってわかった。俺じゃあ黒騎士には勝てない。ていうか、あいつ強すぎるだろ。なんだよチートでも持ってるのかよ」


「なにを言ってるんですか? 勇者様がこの砦内で一番強いことは分かり切っている話ではないですか。そのあなたが行かなくてどうするのです?」


「嫌だ。きっと神様がなんとかしてくれるさ」


「してくれません。神様がしてくれるのは勇者様をこの世界へ導いてくれることだけ。あとはすべて勇者様のお仕事です」


「お仕事とか、俺ずっとニートでいいし」


「……ふざけないでください。わたしにも我慢の限界というものがありますよ」


「はっ! 勇者様を甘く見るなよ! 俺は黒騎士には勝てないが、カナちゃんには勝てる自信があるぜ!」


「このっ!」


「カナリア!」


 カナリアの振りかぶった手をつかんで止めたのはフリージアだった。


「止めないで下さい、フリージア様! この馬鹿勇者は叩いて身体にわからせないと、いつまで経ってもわからないのです!」


「違うの、カナリア。ショウマ様は今は少し疲れているだけで、すぐにまた勇者として立ち上がってくれるから」


 フリージアはそう言って、ショウマの顔を見た。


「ね? そうですよね? 勇者様」


 ショウマもまた、フリージアの顔を見る。

 その顔は疑っていなかった。勇者がまた立ち上がるものと、心の底から信じていた。


 きっと、彼女にとって勇者とはそういうものなのだ。疲れて座り込むこともあっても、不屈の根性でまた立ち上がる。勇気をもって敵に挑むことができる。そういう意味では、カナリアの方がよっぽどショウマという人間をよく理解していた。ショウマに、そんな勇気はない。


 フリージアの信頼は見当違いだ。そう言ってやればいい。


 それで彼女に失望されてしまったとしても、所詮は高値の花だったということだ。本来なら届かなかったものに、やはり届かなかったというだけの話。これまでの人生で、そういうことはよくあったではないか。なにを怖がる必要がある。言ってやれ。それですべてが終わるのだ。


 けれど――ショウマは否定できなかった。


 思い出すのは、つい数日前のデートでのこと。


 彼女は言った。この世界を救ってくれますか、と。それに、ショウマはなんと答えたのだったか。


「……すぐっていつですか? それっていつのことなんですか?」


 ショウマが黙り込んだままでいると、カナリアが震える声をもらした。


 見れば、彼女はぼろぼろと涙を零していた。


「今、グぅちゃんたちが黒騎士と戦ってるんです。勇者様が戻って来られるまで時間を稼ぐって、そう言って……」


「グローリエが」


 フリージアが口元を手で覆う。


「死んでしまいます。グぅちゃん、ラゴウ相手でさえ死にかけたのに、黒騎士が相手なんて、絶対に死んでしまいます。し、死んで……やだ……グぅちゃん、死んじゃやだよぅ……!」


 大声をあげてカナリアは泣く。それでも黒騎士がこの場所に気付いて来ることはない。


 ショウマが逃げ切れたのは、他でもない、グローリエたちのお陰だったのだ。今、こうしている間にも彼女たちは必死に黒騎士を足止めしてくれている。


 フリージアと同じように、勇者が戻ってきてくれるものと信じて。


「フリージア」


「はい、ショウマ様」


「俺は、やっぱりフリージアが信じてくれるような、そんな立派な勇者じゃない。逃げ出したとき、他の人のことなんて本当は考えてなかったし、その癖逃げ切ったあとは逃げたことを肯定する材料を探すような奴だ。倒れたら起きあがるのを諦めて不貞寝するような奴だ」


「…………」


「けど、俺も男だ。絶対に立ち上がらないといけないときがあるってことくらいはわかるんだよ!」


「はい、ショウマ様!」


 フリージアがショウマの名前を呼ぶ。だからショウマはなけなしの勇気をかき集めて立ち上がった。


 立ち上がったのに、次の一歩が踏み出せない。怖くてひざの震えが止まらなかった。


「カナリア。頼む。いつもの軽やかな罵倒でもなんでもいい。なんかこう、ひざの震えが止まるくらいのすごい衝撃的なことを言ってくれ」


「ぐすっ……なんですか、それ?」


「頼む」


「かしこまりました。それなら……そうですね。そこにいらっしゃるフリージア様は今年で御年十六歳になられるのですが」


「あ、俺のひとつ下だったんだ」


「その妹のグぅちゃんはあれで十三歳です」


「あのおっぱいで!?」


 嘘でしょ!?


「こうしちゃいられない! まだまだ成長の余地のあるあのおっぱいを是が非にでも救い出さなくては!」


 もうひざの震えは止まっていた。ショウマは走り出す。


「ショウマ様、いってらっしゃい!」


「どうかグぅちゃんをお願いします」


 フリージアとカナリアは深々と頭を下げて勇者を見送る。


 だが少し行った先でショウマは立ち止まると、振り返った。


 ひとつだけ、まだ心残りがあったのだ。


「グローリエの親友ってことは、カナリアも同い年?」


「え? いえ、わたしの方がひとつ年上なので十四歳ですが」


「ならまだ成長期だ。諦めるのは全然早いと思うぜ!」


「本当ですか? 身長も胸囲も、三年前から微動だにしていませんが、この先にまだ希望はあると思いますか?」


「お、おう。あると……いいですね」


「いいからさっさと行け!」


 勇者は、今度こそ迷うことなく走り出した。






       ◇◆◇






「やあ、どうやら立ち直ったようだね」


 戦場に到着するまでの少しの間に、ショウマの許へ土下座神がやってきた。


「お前かよ」


「つれないなぁ。少しでも君の力になればと、色々と黒騎士の情報を教えてあげようと思って来たのに」


「黒騎士の? でも、この前助けるのはこれで終わりって言ってなかったか?」


「そうなんだけど、カナリアたんがあそこまで取り乱してるのを見るとね。ちょっと手助けしたくなっちゃたんだ。けど、あの泣き顔には少し興奮もしちゃったよ。ん~、なんて言ったらいいかなぁ。ほら、わかるだろ?」


「お前がロリコンをこじらせてるってことはな」


 神様のお言葉はかなりガバガバだった。


「ていうか、年齢でいうならカナリアよりグローリエの方が下みたいだけど?」


「年齢だけじゃないんだ。見た目も重要なんだよ」


「胸か」


「胸さ」


 ただのちっぱい好きだった。


「とはいえ、カナリアたんが助けようとしている相手が十四歳以下だというのも理由としては大きいよ?」


「ほう。ちなみに十五歳を超えると?」


「は? ババァを助けてなにが楽しいの?」


「ぶれないなぁ。って、そんなのんきに話してる場合じゃないんだよ!」


 ついつい土下座神のペースに巻き込まれてしまったが、ショウマにはやらなければならないことがあるのだ。


「黒騎士の情報ってなんだ? 弱点でもあるのか?」


「弱点があるかといえば、そうだね。身体能力が高い代わりに、黒騎士は魔法抵抗力が低い。上手く強力な魔法を直撃させられれば、倒せる可能性はあるんじゃないかな?」


「それならもしかして、グローリエの方が相性的には有利?」


「残念ながら、その弱点は向こうも理解しているようでね。あの全身甲冑、ドワーフが作った特別製だ。魔法を弾き、威力を軽減させる力を持ってる。魔法使いじゃあ突破は難しいね」


「そうか。やっぱり俺がやらないとダメか。……他に弱点は?」


「ない。なかなかどうして、黒騎士はこの世界の生物としては完成されたポテンシャルを持っている。パワーと耐久はライオンくんに劣るけど、反応速度や敏捷性は最高値だ。ステータスとして表すのならこうだね」


 ぱちんと土下座神が指を鳴らすと、空中にゲームのステータス画面によく似たウィンドウが三つ現れる。


 体力:100

 筋力:100

 耐久:100

 敏捷性:40

 魔力:0

 魔法抵抗:60


 右側は以前倒したラゴウのもの。わざわざ顔写真をバックに数字が並んでいる。


 体力:80

 筋力:80

 耐久:70

 敏捷性:130

 魔力:40

 魔法抵抗:30


 左側が黒騎士のものだ。数字として見てみると、敏捷性が際だって高いことがわかる。他の身体能力も高い数値でまとまっている。ラゴウより強いという評価も頷けるというものだ。


 だが裏を返せば、ショウマもまた同じだけの敏捷性は発揮できるということだ。実際、中央に表示されたショウマのステータスがそれを証明している。


 体力:120

 筋力:100

 耐久:100

 敏捷性:130

 魔力:0

 魔法抵抗:110


 ならば、足りないのは経験と技術。そして、覚悟だ。


「あともうひとつだけアドバイスを贈るとするなら、そうだね」


 ショウマの顔を見て、これ以上は必要ないと判断したのか、土下座神は最後にそれだけを伝えた。


「黒騎士のあの兜は外させない方がいい。兜を脱ぎ捨てたが最後、君には敗北の未来しかやってこない」


 そしてショウマは戦場に到着した。


 戦いは一番外の城壁と、二番目の城壁の間の空間で行われていた。


 絶え間なく聞こえてくるのは爆音だ。火柱がいくつも上がっている。その合間を、黒い影が流星のように駆け抜けていく。


 グローリエは黒騎士に対し、間髪入れずに魔法攻撃を仕掛けることで相手の動きを封じていた。いくら鎧の力で魔法を防げるといっても限度があるのだろう。グローリエの周囲には他にも多くの魔法使いが控え、決して攻撃が途絶えないように交互に魔法を放っていた。


 兵士たちは盾を持った重装歩兵を前面に出し、時折魔法をすり抜けて襲いかかってくる黒騎士を、なんとかそこで食い止めていた。


 重装歩兵の後ろでは、やはり弓兵たちが絶え間なく矢を放って牽制を入れている。さらに城壁の上には、鉄が仕込まれた網を手にした兵士もいる。前回の大軍勢に対しての防衛戦にも等しい、いや、それ以上の攻撃密度でもって黒騎士に対抗していた。


「堪えなさい! 元々、勇者様がおらずとも黒騎士とは戦う覚悟はあったでしょう! この日のためにしてきた訓練を思い出しなさい!」


『『おおぉッ!!』』


 グローリエが檄を飛ばす。

 兵士たちは野太い声で応え、黒騎士に立ち向かっていく。


 恐怖がないわけがないだろう。彼らにはショウマのような耐久力はない。黒騎士の刃を一撃でも食らおうものなら、首をはね飛ばされて命を落とす。


 それでも彼らは戦っていた。


「グローリエ様! 盾や矢の備蓄が尽きかけてます! これ以上消費すれば、たとえ黒騎士に勝てたとしても、マルフ砦は砦としての機能を失ってしまいます!」


「構いませんわ!」


 兵士の一人の言葉にグローリエは言った。


「備蓄はここですべて吐き出しなさい! いざとなれば、自ら城壁を破壊してでも黒騎士を足止めするのです! 今我々に、人類に、この世界に必要なのはマルフ砦ではありません!」


 グローリエは叫んだ。


「勇者様なのです! わたくしたちの希望を守るために、あなたたちは今日ここで死になさい!」


『『勇者様のために!!』』


 兵士たちが猛る。逃げ出した臆病者のために、それでもそんな勇者こそが希望なのだと言い張りながら黒騎士に挑む。


 だが黒騎士はそんな必死の抵抗をあざ笑うように、圧倒的な強さを見せつける。その一振りの剣をもって、防衛戦を削り取っていく。


 さながら進撃する死神だった。触れるものすべての命を狩り取っていく死の行進。


 ああ、なんて恐ろしい。ああ、なんておぞましい。


 けれど――もう怖くない。

 

 だって、ショウマにはこんなにもたくさん信じてくれている人がいるのだから。



「――待たせたな」



 いつかのように、ショウマはグローリエたちの目の前に颯爽と駆けつけた。


 その背中を見て、グローリエや兵士たちは声を揃えて文句を言った。


『『遅い!!』』


「いや本当にごめんなさい。返す言葉もありません。この詫びはあとで必ずするから」


 自分が逃げたばかりに命を落とした兵士たち。自分が戻ってくるのが遅かったばかりに命を散らした兵士たち。彼らへの償いはきっとできるようなものではないけれど。


「仇は討つ。黒騎士は、俺が必ず倒す」


 黒い死神は目標である勇者が現れたことで、兵士たちへの攻撃を取りやめ、じっとスリットの奥の無機質な目で勇者を見つめている。


「自己紹介が遅れたな、黒騎士。俺はショウマ。勇者ショウマだ」


 その凍り付くような青い瞳をまっすぐ見返して、ショウマは決意を声にして吐き出した。


「世界を救う男の名だ! 覚えとけ!」




誤字脱字修正

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