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第九話  三人のお姫様③



 三人の抱きしめたい発言を受けて、フリージアはにっこり笑って両手を広げた。


「おいでおいで」


 ショウマは走り出す。

 その身体能力にものを言わせて、いの一番に胸の中に飛び込もうとする。


「のがっ!」


 だが誰かの差し出した足につまずいて盛大に転倒した。


「誰だ今邪魔したの!?」


 立ち上がって振り返ると、犯人はすぐにわかった。

 メイドが片足をおさえて、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。すごく痛かったらしい。


「お姉様!」


「「あ」」


 そうこう遊んでいるうちに、フリージアの腕の中にグローリエが飛び込んでいた。


「よしよし。今までこの国を守ってくれてありがとう、グローリエ。あなたのお陰で、勇者様の召喚まで持ちこたえることができたわ」


「わたくし、わたくし……お姉様……!」


 グローリエは堪えていたものを吐き出すように、姉の腕の中でわんわんと泣き叫んだ。


 フリージアは労るように、優しく妹の頭を撫でる。


「……グぅちゃん、泣き虫で寂しがり屋なのに、今まですごくがんばってきましたから」


「そうだな。今回のところはグローリエに譲ってやろう」


 周囲の兵士共々ほっこりしながら、ショウマとカナリアは姉妹の感動の再会を見守る。


「ところで足を引っかけたことへの釈明はよ」


「あの勢いで勇者様が突っ込んだら、フリージア様が危ないと思ったからですがなにか?」


「止めてくれてありがとう。でもそれ嘘な!」


 メイドはまだ涙目でぴょんぴょんしていた。






「お久しぶりです、勇者様!」


 グローリエが泣き疲れて寝入ってしまい、部屋に運ばれていったところで、ようやくショウマはフリージアと面と向かって話すことができた。


「久しぶり、フリージア。といってもまだ一週間だけど」


「もう一週間ですよ! 私、すごくすごく勇者様に会いたかったのですから!」


「ま、まあ、あのときはあれよあれよという間に馬車に押し込まれたからな。ほとんど話すこともできなかったし」


「そうですね。勇者様のお役目を思えば仕方がないことだとしても、とても残念でした。といっても、あのあと私も魔力不足で倒れてしまったんですが」


「そうだ。一週間寝込んでたって聞いたけど、もう身体は大丈夫なのか?」


「はい。もう元気です。勇者様に会いたい一心で治しました」


「そ、そう?」


 フリージアのまっすぐな好意に、ショウマは頬をかいて視線を地面に落とす。気恥ずかしくて、正面から彼女の顔を見ることができなかった。


「勇者様? どうかされました?」


「い、いや別に! それよりも、フリージアはどうしてマルフ砦に?」


「もちろん、勇者様にお会いするためです」


「ちょっと失礼」


 ショウマはフリージアに断りを入れて、ぴょん、と城壁の上に飛び乗ると、彼方に見える山に向かって叫んだ。


「フリージアたんマジかわいいよぉ――――ッ!!」


 かわいいよーかわいいよーと山彦が空に消えていく中、ショウマはフリージアの許に戻る。


「そうか。俺もフリージアにこうしてまた会えて、本当に嬉しいよ」


 ショウマは爽やかな笑みを浮かべて言った。


「……あれで勇者様はなにをごまかせたと思ってるんでしょうか?」


「あはは」


 カナリアのこのつぶやきにはフリージアもさすがに苦笑を見せる。それでも勇者に向ける眼差しにはただただ好意が込められていた。


「勇者様。よろしければ、この砦を案内してはいただけないでしょうか?」


「案内? もちろんいいぞ。任せてくれ」


「わぁ、ありがとうございます!」


 フリージアはお礼を述べたあと、小声で「やった」とつぶやいて小さく拳を握った。


「私、これが殿方との初めての逢い引きになるんです。そのお相手が勇者様なんて、長年の夢が叶っちゃいました」


「逢い引きって、そんな大袈裟だろ」


「大袈裟じゃありません。男女が二人一緒に出歩けば、それはもう立派な逢い引き。デートなのです」


「言われてみれば、そうかも」


「そうですとも。それとも、勇者様。もしかして私では、デートの相手は務まりませんか?」


「そんなことない! 俺も初デートの相手がフリージアで超嬉しいよ!」


「私も超嬉しいです! すごくすごく嬉しくて……ああ、胸が張りさけてしまいそう」


 フリージアは胸を手でおさえ、爆発しそうな自分の鼓動を感じ、愛おしげにつぶやいた。


「これが恋……なんですね」


「ちょっと失礼」

 

 ショウマはフリージアに断りを入れて、ぴょんぴょん、と一番高い城壁の上まで飛び乗ると、山のさらに向こう側に見える魔王城に向かって叫んだ。


「フリージアたん俺のこと好きすぎるやろ―――ッ!!」


 好きすぎるやろー好きすぎるやろーと山彦が空に消えていく中、ショウマはフリージアの許に戻る。


「魔王城が案外近くてびっくりした」


「マルフ砦は最前線基地ですからね。魔王城まで徒歩で一日半くらいと聞いてます」


「ある意味、今のは魔王に対する挑発ですよね。今夜くらいに攻め込んでくるかもしれませんよ?」


「やめて! さすがにそこまでの決意は固まってないの!」


「冗談です。……さすがにもう少しくらいは猶予があるはずですから」


 カナリアが物騒なフラグを立てるも、今は努めて意識の外に追いやって、ショウマはフリージアに手を差し出した。


「それじゃあ、行こうか。俺もあんまり詳しくないから、きちんと砦のことは案内できないかもだけど」


「構いません。あなたに連れ添っていただけることが、私にとっては大切なのですから」


「フリージア……」


「勇者様……」


「まあ、防犯の観点からわたしもご一緒するわけですが。……聞いてませんよね、やっぱり」


 いつかのように、二人の世界を作り出す二人にはメイドの言葉は届かなかった。


 こうなることは勇者を召喚する前からわかっていたこととはいえ、実際に目の当たりにすると、カナリアでも思わず自分の顔をあおぎたくなってしまう。


「本当に、フリージア様は勇者に恋をしていたのですね」






       ◇◆◇






「クークックック。まさか勇者だけはなく、シャトリア王国のフリージア姫までが我が檻の中に飛び込んで来てくれるとはねぇ」


 影より勇者と姫が連れ添って歩いていくのを見届けて、ジャナドは含み笑いをもらす。


「人間たちの希望たる勇者に、その勇者の招いた祝福の姫。二人の死は、万人に等しく絶望を与えることになるでしょうねぇ」


 ジャナドの策略は密やかに進んでいた。まもなく勇者たちを喰い殺す檻が完成する。逃げ場はどこにもない。哀れな勇者たちは、自分たちが守るべき者たちに殺されるという悲劇的な最期を迎えることになるだろう。


 勇者と姫を見送ったマルフ砦の兵士たちが、一人、また一人と生気を失った顔つきとなり、その場に立ちつくす。


 その首筋にはふたつの牙のあとが――吸血痕がくっきりと残っている。


「クークックック。今宵、ひとつの伝説が終わり、ひとつの伝説が始まる」


 一人の兵士の影に、血のような赤い瞳が浮かび上がる。


「さあ、月夜の宴を始めましょうかねぇ」


 赤らみ始めた空には、うっすらと満月が輝いていた。






       ◇◆◇






 フリージアにとって、それはまさに夢のような時間だった。


「この部屋は一見すると物置だけど、実は窓から反対側の塔にある女性兵士の部屋が覗けるようになっててさ。独り身の兵士たちが順番待ちするくらいの人気スポットなんだ」


「そうなんですね」


 勇者が真剣な顔で、ひとつひとつ砦の中を案内をしてくれる。それに相づちを打つと、勇者はほっと胸をなで下ろす。


 正直に言うと、彼の説明のほとんどをフリージアは聞き逃していた。


 彼女の意識は、自分のために必死に話をしてくれている勇者の横顔に向けられていた。最初に言っていたとおり、あまり砦内のことに詳しくはないのだろう。それでも自分を楽しませてくれようと、色々と考えて、時折つっかえながらも話すことをやめない。


 優しい人なんだ。と、フリージアは勇者のことをまたひとつ知って嬉しくなる。鼓動がまた少し早くなる。


(勇者様。勇者ショウマ様)


 伝説で語られている人が、今、自分の隣にいる。声を聞くことができる。声を届けることができる。


 この日をどれだけ夢見ていたか。幼い頃より夢想し続けた憧れが、現実のものなって手が届く位置にあるのだ。


 不意に、フリージアは不安になる。

 この時間があまりにも幸せすぎて、目の前にいる人が幻ではないかと錯覚してしまう。


 だから、そっと手を伸ばす。 


「それじゃあ次なんだけど、実は砦の中でも一部の男の子たちしか知られていない秘密の場所なんだけど、フリージアには特別に案内しうひゃっ!?」


 ショウマの手を握ると、彼は変な声をあげてその場に直立した。


(夢じゃない。幻でもない)


 ショウマの手は少し汗ばんでいた。顔を見ると、頬を赤くして目を泳がせていた。かわいいな、とフリージアは再認識する。


 やがて、ショウマの方からも手を握りかえしてくれた。緊張しているのか、少しだけ強く握られてしまった。痛くないかと言われれば嘘になるが、フリージアはなにも言わなかった。少しは自分のことを意識をしてくれているのかな、と思えばそれもまた嬉しいものとなる。


 また、鼓動が少し早くなる。






 ショウマにとって、それはまるで夢のような時間だった。


「勇者様」


「な、なんだ?」


「よろしければ、勇者様のこと、ショウマ様と呼んでもいいですか?」


「も、もちろん」


「よかったぁ」


 フリージアがほにゃりと笑う。よく言えば見るものを優しい気持ちにさせる、悪く言えば気の抜けた笑顔。自分と一緒にいることを心から嬉しいと思ってくれていることがわかる、そんな笑顔だった。


 唐突に、ショウマは思う。自分が誰かを本気で好きになるとしたら、それはきっとこういう笑顔を浮かべられる人だろう、と。


 ……正直に言えば、最初はただ相手が美少女だったから気になっていた。

 自分を召喚したお姫様。それが自分の好みに完璧に合致した美少女なのだ。それは意識せざるを得ないだろう。


 だが、それだけだ。それだけ、だった。


 けれど。


(いいな)


 と、ショウマは思った。


 砦の中の案内できるところもなくなり、どんなことを話していいかもわからなくて、ショウマとフリージアの二人の間には沈黙が降りる。けれど、それは決して居心地が悪い静かさではなかった。


 これまでは人目もはばからずにいちゃいちゃするバカップルとか爆発しろと思っていたが、今は少しだけ仕方がないと思ってしまう。お互いの手のひらの感触と、自分の鼓動だけがすべての中で、ただ歩く。それがこんなにも楽しいことなのだと、ショウマは初めて知った。これは浮かれるのも仕方がない。


「ショウマ様」


 フリージアがショウマの名前を呼ぶ。


「なんだ? フリージア」


 ショウマも聞き返す。


「ごめんなさい。ショウマ様に名前を呼んでもらいたくて、ただ呼んだだけです」


「そっか」


「ショウマ様」


「なんだ?」


「むむっ! 今、意地悪しましたね? ショウマ様」


「そうすると、フリージアがまた俺の名前を呼んでくれると思ったからな」


「なるほど。盲点でした」


「だろ?」


「ですね」


 うふふふふ、あはははは、と笑う二人は誰がどう見てもバカップルでしかなかった。






 しばらく歩いたあと、ショウマたちは見張り台の塔のひとつへと上っていた。


 そこからは、山の向こうに沈みゆく太陽を眺めることができた。山の谷間より差し込む夕日が、空を色鮮やかに染め上げている。


 そんな美しい光景を、ショウマとフリージアは指を絡めながら眺める。


「綺麗ですね」


「そうだな。夕日は俺が元いた世界と変わらないはずなのに、この世界に来て初めて綺麗だと思った」

 

「元いた世界……ショウマ様が元いた世界は、一体どのような世界だったんですか?」


「そうだな」


 ショウマは元の世界にあった当たり障りのないものをいくつか説明した。電気とかビルとか車とか。そういうものだ。


「ごめんなさい。私、あまり頭がよくなくて、だからショウマ様に説明していただいたこと、全部は理解できなかったんですけど。それでも、そのクルマとか、デンキとかがすごく便利ものだということはわかります」


「そうだな。便利なものであふれかえった世界だったな」


 異世界に来て、やはりショウマもいかに日本が暮らしやすい国だったのかが身にしみてわかっていた。

 いくらか魔法の恩恵でカバーできているとはいえ、この世界は色々なものが原始的すぎる。あとは食べ物なども、戦時下ということもあってあまり美味しくない。


 そう思ったのが顔に出てしまったのか、デートが始まってから初めてフリージアは顔を曇らせた。


「ショウマ様は、そんな便利な世界から私たちの世界にいらっしゃって、本当によろしかったのですか?」


 フリージアはショウマの手を離すと、マルフ砦の前に広がる荒野を手で指し示す。


「我が兵士たちが勇敢に戦った証ではありますが、この荒野は、この砦は、血が臭いが染みついてとれません」


 フリージアは背後の、シャトリア王国の王都がある側を手で指し示す。


「我が国は疲弊し、民たちの中には飢えに苦しむものも多いです。大陸中を見渡せば、魔物や獣人たちが我が物顔で闊歩し、人間が家畜かなにかのように扱われているとも聞きます。ここには、魔王によって滅びかけた世界があるだけです」


「…………」


「私はあなたに会いたい一心で、そんな世界にあなたを招いてしまいました。戦場へと送り出してしまいました。そして……魔王を倒していただいても、満足にお返しできるようなものもありません。ここには本当に、なにひとつ、勇者様が得られるものなどないのです」


 それでも――


「あなたは本当に、この世界を救ってくれますか?」


 あなたはこの世界へ来てよかったと、そう思っていただけますか?


 国の未来を憂う姫としての言葉の裏に隠された、一人の少女としての言葉。それをショウマはたしかに聞いた気がした。


 なるほど。たしかにフリージアの言うとおりだろう。


 シャトリア王国は滅亡寸前。たとえ首尾よく魔王を倒せたとしても、その対価として釣り合うだけの報償などもらいようがないだろう。命をかけた戦いの果てに、得られる金銭はない。


 けれど……そんなものは最初から欲していない。


 ショウマがこの世界へやってきた理由は、フリージアの声に答えた理由は、最初からただひとつだけなのだ。


「褒美なんていらない。俺は勇者としてこの世界を救うために来たんだから。あとはみんなが平和になった世界で笑ってくれるだけでいい」


 そう、この夢のような冒険こそが勇者ショウマにとっての報償なれば。


「フリージアが笑ってくれるだけで、それでいいさ」


「ショウマ、様……」


 フリージアは感極まったように涙を浮かべた。


 ショウマはその涙を指でぬぐった。フリージアは、ショウマが願ったように、泣きそうな顔で、それでも笑った。


「はい。そうですね。私が憧れた勇者様も、思えばショウマ様のような方でした」


「それは光栄だな。フリージアが召喚してよかったと思えるような勇者になれてるなら、俺もすごく嬉しいよ」


「ご安心下さい。もうフリージアにとっての勇者様は、ショウマ様以外におりません。――そしてこのフリージアもまた、ショウマ様のものですから」


 フリージアは一歩近づくと、両手でショウマの手をにぎりしめ、それを自分の胸元へと近づけた。


「どうかなんなりとお申し付け下さい。勇者に名誉と賞賛以外渡すもののない我が国からの、せめてもの贈り物です。……こんな役立たずの姫でよろしければ、ですが」


「役立たずなんてそんなことない! すごい嬉しい! これ以上ないってくらい嬉しいから!」


「であれば、ショウマ様。どうか」


「……ほ、本当に、なんでもお願いしていいの?」


「はい。私にできることであれば、なんなりと」


 そう言って、フリージアはまた一歩、ショウマに近付く。お互いの吐息がかかるほどに。


「そ、それなら」


 ショウマは唇を震わせる。

 フリージアは顔を上げ、目を閉じると、ショウマの願いを聞き届けた。



「おっぱいを揉ませてください。生で」



「あ、はい」


 フリージアはしょぼーんとした顔になって、のろのろとした仕草で上着の裾をたくし上げた。


「おっぱい。おっぱいですね。ああ、はい。まあ、いいですよ。どうぞ。減るものでもないですし」


 そして下着のフリルが見えそうなくらいまで持ち上げたところで、やけくそ気味にショウマの手を自分の下着の中へと導いた。


 そしてショウマは生まれて初めて触れる。女の子の胸に。


 生の、おっぱいに。


 ――その感動を、ショウマは言葉にできなかった。


 別に揉んだわけではない。手のひらを軽く押しつけただけ。あるいは押しつけられただけ。それだけの接触。


「……ん」


 フリージアが我に返ってしまったがために、肌と肌とが触れあっていられた時間も三秒に満たなかった。


 それでも。


 それでもショウマは宝物のような一瞬を過ごした。

 これまでの自分の人生を振り返って、今、この一瞬のために生きてきたのだなと思えるような一瞬を手に入れた。


 そして――大きかった。


 かつて一度だけ、服の上から触ったことのあるおっぱいと比べて、フリージアのそれは圧倒的なボリュームを誇っていた。


「これが、おっぱい。これが、本当のおっぱいなのか」


 フリージアのそれに比べてしまえば、あのいつぞやの感触はおっぱいではない。おっぱいに近いなにかだ。


「危うくカナリアのおっぱい(笑)に騙されるところだったぜ」


「むむっ! ショウマ様、今のは聞き捨てなりません! いつカナリアと胸を触るくらいに親しくなったんですか?」


 服を元に戻したフリージアが、少しふくれっ面になってにらみつけてくる。かわいい。


「違う違う。あれは胸じゃなかったから。決して胸なんて呼べるものじゃなかったら。少しだけいい部位のお肉なだけだったから」


「ダメですよ、ショウマ様。そんなこと言ったら。カナリアが可哀想です」


「はははっ、冗談だよ」


 うふふふふ、あはははは、と笑いあう二人は、やはり二人だけの世界に入り込んだまま、お別れをする最後の最後まで気付くことはなかった。


 今まさに、自分たちの身にかつてない脅威が襲いかかろうとしていることに!






「……おっぱい(笑)ですか。少しだけいい部位のお肉ですか。そう、ですか……」





 

 地獄の底から這い上がってくるかのような怨嗟の声。


 デートが始まってから今の今まで無視され続け、二人の砂糖を吐きたくなるような、爆発しろと叫びたくなるようなやりとりを、それでも黙って我慢して聞き続けてきた胸が可哀想なメイドさんは、かつてないほどの怒りと魔力を迸らせながら、高らかに告げる。


 即ち――すべての巨乳と巨乳好きは息絶えろ、と。


 




「クークックック! 我が策はなりました。ワタシの勝ちです!」


 夜の訪れと共に、ジャナドは勝利を高らかに謳いあげる。


 影より実体化を果たし、不健康そうな肌の人型という吸血鬼の本性を晒したジャナドの背後には、魂を抜かれたように立ちつくす兵士たちの姿があった。彼ないし彼女らはすべてマルフ砦の兵士たちだ。伝染したジャナドの吸血ウイルスは、今や勇者と二人の姫をのぞいたすべての兵士を支配していた。


「あとはワタシの従順な下僕となった兵士たちに、一斉に勇者たちを襲わせるだけ。いくら勇者が強くとも、いや、勇者だからこそ、味方の兵を傷つけることはできないでしょう。クークックック。恐ろしい。ワタシは自分の完璧なる作戦が恐ろしい!」


 まあ、あと一人誰かいた気がしたが、この際捨て置いてもいいだろう。


 そして悦に浸ったまま、ジャナドは気障ったらしいポーズを決め、ぱちんと指を鳴らす。


「さぁて、ではお行きなさい! この魔王軍四天王が一人、『陽炎』のジャナド様の下僕たちよ! 勇者を八つ裂きにして――」



『ディスディスディスディスディスディスディスディスディスディ――スッ!!』



「――びゃぁああああああ!!」


 唐突に、莫大なる魔力と共に砦全体を包み込んだ即死呪文に、ジャナドの身体は灰となって跡形もなく消え去った。


「ん? あれ? 俺たちなんでここに……?」


「首を蚊にでも刺されたか?」


 操られていた兵士たちが、主がいなくなったことで我に返る。

 彼らは武装して一カ所に集まっている自分たちのことを不思議に思ったが、慌てて自分たちの仕事に戻っていく。誰の記憶にも『陽炎』の記憶は残っていなかった。






「ふんふんふ~ん! いやぁ、フリージアとのデートは最高に楽しかった――って、なんだよ土下座神! 痛い! いきなり背中を叩くな! ていうか、なんでそんなに大爆笑してるんだよ!? 即死呪文おっぱいって意味がわからないだけど!? 怖っ! お前、怖っ!」




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