第八話 三人のお姫様②
「失礼いたします」
グローリエの許に伝令がやってきたのは、もうすぐお茶会もお開きしようかという頃のことだった。
部屋を訪ねてきたのは、今朝ショウマの部屋に遊びに来てくれた、あの女騎士だった。
なんでもラゴウと戦うショウマの勇姿に惚れ込んでしまっただとかで、なにか自分に出来ることはないかとすすんでお手伝いに来てくれたのだ。いわば、ショウマのファンである。ショウマは彼女に向かって手を振ってあげた。
女騎士も同席している勇者に気付くと、キッ、と親の仇でも見るかのようににらみつけた。
「あれー?」
ショウマが首をひねる中、女騎士はグローリエに近づいて耳元で囁く。
「お姉様が?」
報告を受けたグローリエは眉をひそめた。
「わかりましたわ。下がりなさい」
「はっ」
女騎士は頭を下げて部屋を後にした。最後まで勇者に憧れの視線を向けることなく。まるで今朝とは別人のような様子に、ショウマはさらに首をひねった。
だがそれよりも気になったのは、グローリエへの報告内容である。
「フリージアになにかあったのか?」
「なにかがあったというわけではありませんが、なんでもお姉様がこの砦に向かって来ているとのことで」
「フリージアが来るのか。よっしゃ!」
「むっ」
ショウマが素直に喜ぶと、グローリエはおもしろくないように唇をとがらせた。
「あまりお姉様が前線まで来られるのは褒められたことではありませんわ」
「俺を取られてしまうから?」
「それは少しの理由です!」
「少しの理由ではあるんだ」
「そ、そうではなくて、お姉様はお身体があまり丈夫ではいらっしゃらないから。このような無骨な砦では、体調を崩してしまわないかが心配ですの。それだけですの!」
「フリージアは身体が弱かったのか?」
「ええ。代々シャトリア王国は、というよりもこの大陸の王族は生まれつき魔力が多く、魔法や身体能力に秀でているという特徴があるのですが、お姉様は例外的に魔力をあまりお持ちではなくて。けれど、王族の肉体は魔力を求めるものですから、日常的に魔力不足の状態になっていますの」
「魔力不足か。それって、具体的にはどういう状態なんだ?」
「そうですわね。魔力不足のわかりやすい症状は、脱水症状に似ていますわね。それが続くというのは、たとえば常日頃から全力疾走のマラソンを要求されていると言えばわかりやすいかしら? とにかくしんどくて、これ以上身体を動かしたら倒れるって感じが続くようだと、前に聞いたことがありますわ」
「フリージアがそう言ってたのか?」
「まさか。お姉様の主治医からですわ。あのお姉様がそのような弱気を見せるものですか」
「よく考えれば、俺、フリージアのことなにも知らないんだなぁ」
今更ながらショウマはそう思う。可愛いらしいお姫様で、勇者に好意を持ってくれていることはよくわかったが、実際に彼女と話していられた時間は三十分にもみたないのだ。
「フリージアって、妹から見てどんなお姉様なんだ?」
「そうですわね。お姉様は特に幼少期は寝込むことも多くて、それなのにいつもわたくしやカナリアの前ではお姉ちゃんだからと色々と振り回されたりすることが多かったのです。それで結局倒れられてしまうものですから、わたくしたちは心配して。本当に、困ったお姉様でしたわ」
そう言いつつも、愛おしそうに微笑むグローリエの表情からは、彼女がどれだけフリージアを慕っているのかが伝わってきた。彼女にとっては良き姉のようだ。
「とにかくお姉様は、見た目は儚げな深窓のお姫様ですけれど、実際はとても行動的で強情な方ですの。今回の勇者様召喚もそう。素質という意味では、本来であればわたくしがやるべきでしたのに、自分がやるからと聞かなくて。いくらカナリアがサポートするからと言っても、お姉様の身体では無茶に過ぎる魔法でしたのに。結果的に成功しましたけど、一週間も寝床から起きあがれなかったと聞いていますわ」
「そうなのか。それも知らなかったな」
「勇者様が気にすることではありませんわ。きっとお姉様は何度繰り返そうとも、ご自身で勇者様を召喚されようとするでしょうから。お姉様は本当に、ずっとずっと昔から、勇者様に憧れていらしたから」
「それで現れたのがこんな勇者様なのですから、フリージア様お労しやとしか言えませんね」
グローリエの話に付け足すようにそう言いながら部屋に入ってきたのはカナリアだった。
今度ばかりは、ショウマもカナリアの言葉に反論できなかった。まさかフリージアが倒れるほど身体を酷使して自分を召喚していたとは、今の今までまったく知らなかった。自分は果たして、そんなフリージアの期待に応えることができているのだろうか?
「申し訳ございません、勇者様。冗談です」
思い悩むショウマに、カナリアが珍しく謝罪の言葉を口にした。
「たしかに、最初にこの勇者ハズレだな。大ハズレを引いたな。と思わなかったと言えば嘘になりますが」
「嘘になっちゃうんだ」
「ええ、嘘になってしまいますが。今は、やはり勇者様は勇者様だったと思いますよ」
「ん? あれ? それって褒めてるの?」
「さあ、どうでしょうか?」
カナリアはいつもの慇懃無礼な澄まし顔になってしまう。それをグローリエは微笑ましそうに見つめた。
「まったく、カナリアも素直ではありませんわね。勇者様召喚の儀にどうしても立ち会いたいと言ったのはあなたでしょうに。小さい頃、勇者様の将来の結婚相手を巡ってお姉様と大喧嘩をしていたのは誰だったかしら?」
「知りません。わたしはフリージア様が心配だったからだけです。ええ、それだけですとも」
淡々とそう返しつつも、カナリアの頬はうっすらと赤く染まっていた。
「カナちゃん。そんなにも俺のことを……いいよ。勇者様の胸の中に飛び込んできてもいいよ?」
「飛び込みません。あとカナちゃん言わないで下さい」
「なんだったらお返しに勇ちゃんって呼んでもいいんだよ?」
「ディスりますよ? 勇ちゃん」
「はいごめんなさい。調子に乗りました!」
「まったくあなたという御方は。……もう一度言っておきますが、わたしが勇者様の召喚に立ち会いたいと申し出たのは、あくまでもフリージア様をお助けするためでしたので。それ以外のなにものでもありませんので。あの方は、わたしにとって命の恩人ですから」
「命の恩人? フリージアが?」
「はい。祖国を魔王に奪われ、わたしもまた虜囚の辱めを受けそうになっていたところを助けて下さったのが、なにを隠そうフリージア様なのです」
そのときカナリアは無表情だった。いつもの余裕そうな澄まし顔とは違う、完全なる無表情。それはまるであふれ出しそうになるなにかを必死に閉じこめているかのような、そんな無表情だった。
それでも、その瞳の奥にショウマは暗い炎を見た気がした。
それはきっと憎しみの炎。ショウマは土下座神のお陰で、あるいは土下座神の所為で、彼女の秘密を知っている。
カナリア・レオニオス。魔王によって国と民を奪われてしまったお姫様。彼女にとって魔王は、なによりも憎むべき復讐相手なのだ。
「カナちゃん……」
グローリエが心配そうにカナリアの名を呼んだ。
カナリアは親友の顔を見ると、目元を和らげた。安心しないで。大丈夫だよ。と言うように。
「今でもあの日のフリージア様の勇姿は思い出せます。か弱い身体に鞭を打って、必死にわたしを助け出すために魔法を使って下さったお姿が。あとで聞いた話になりますが、国王陛下が止めるのも無視してわたしを助けに来てくれたのだとか。感謝の言葉もありません。フリージア様があそこで来て下さらなければ、わたしは今頃どのような目にあっていたか」
「自分の身を顧みずにか。すごい奴なんだな、フリージアは」
「ええ、本当にすごい方なのです。もっとも、多勢に無勢でしたので、助けにいらっしゃったフリージア様も最終的には魔王軍に捕まってしまったわけですが」
「そうなの!? えっ?! でも二人とも大丈夫だったんだよな!?」
「はい。フリージア様を追いかけて、シャトリア王国の騎士団が救援に駆けつけてくれましたし、それにわたしの親友ががんばってくれましたので」
「わたくしなんて。結局は、お姉様みたいにお父様に反発してまで助けに行けない弱虫でしたもの。やはりカナちゃんを助け出したのはお姉様なのですわ」
グローリエはフリージアと同じように助けに向かえなかった自分に、後悔を残しているようだった。
その手を、カナリアがそっと横から握る。
「それでもわたしは嬉しかったのです。わたしにとってフリージア様は命の恩人ですが、それでも祖国をなくした悲しみを乗り越えられたのは、あのとき弱虫でいつも泣いてばかりだった親友が助けに来てくれたからなのです」
「カナちゃん……」
「わたしは忘れていませんよ。あのとき魔王軍を退けた炎の魔法が誰のものだったのか。あれは当時、最強と呼ばれていた『大賢者』様のものではなかった。まだ人間は負けていないのだと、わたしに立ち上がる勇気をくれたのは、グぅちゃん、あなたなのです」
「カナ……ちゃん……」
「胸を張って下さい。あなたはわたしの誇りなんですから」
「カナちゃぁああああん!」
グローリエは大粒を涙をこぼしながら、ひしっとカナリアの腰に抱きついて、そのまま大声でわんわんと泣き始めた。
「よしよし。まったく、グぅちゃんは相変わらず泣き虫で甘えん坊ですね」
「尊いわぁ。カナグぅマジ尊いわぁ」
友情を深めあう少女たちを前に、ショウマは合唱してもらい泣きしていた。
「失礼いたします。フリージア様がもうすぐご到着なされ……すみませんでした」
フリージア到着の報を持ってきた女騎士が、そんな部屋の中の様子を見て一度扉を閉め直したのは、仕方のないことと言えよう。
ショウマたち三人は、そのあと一緒に砦の門の前でフリージアを待つことにした。
「ぐすっ。今お姉様を見たら、またわたくし泣いてしまいそうですわ」
「すでに泣いていますよ、グローリエ様。他の兵士の目もあるのですから、そろそろ泣きやんでください」
「でも握った手は離さないカナちゃんなのであった」
そうこう話をしているうちに、砦の前にシャトリア王国の紋章が刻まれた馬車がとまる。
御者が扉を開けるのを待たずに、勢いよく扉を開いて、馬車の中からフリージアが飛び出してくる。
彼女は三人の姿を見て驚いた。出迎えに来てくれるとは思わなかったのか、グローリエとカナリア、そしてショウマにとっての大事なお姫様は、慌てて乱れた髪やドレスの裾を直す。
そのあと照れくさそうにはにかんで、小さく舌を出して言った。
「来ちゃった。てへっ」
「「「抱きしめたい」」」
三人の気持ちと声がそろった瞬間だった。
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