密かに忍び寄る終焉(6)
京介が蓮実率いる魔術師部隊に拘束されていた、同時刻。不破竜胆の邸宅に、中央会の別部隊が踏み込んだ。
夏村雪路率いる捜査課第二係が庭に突入した時、孫の危機を知らないのか、竜胆は呑気に縁側で茶を啜っていた。挨拶もなしに庭を踏み荒らした魔術師たちを、竜胆は不敵な微笑みで迎えた。
「おやおや、いったい何の騒ぎかな」
隊長である夏村が、竜胆の問いに答える。
「不破家次期当主、不破京介を、先程、殺人未遂と式神略奪の容疑で、中央会が捕縛しました」
「ふうん? そいつは穏やかじゃないね」
「次期当主の不祥事……現当主であるあなたの責任も問われます。ご同行願います」
夏村が真剣そのものの声で告げるも、竜胆は能天気にも、
「やぁだよ」
適当な調子で答えた。
「京介だってもうがきんちょじゃないんだからさ。京介のオイタのたびに保護者が呼び出されるなんてナンセンスだよ。そういうのは、小学校までにしてほしいよね。だいたい、私はこれからサスペンスの再放送をだね」
「おふざけはそのくらいにしてもらいます」
夏村はさっと右手を挙げて合図する。部隊の魔術師たちが一斉に動き、竜胆を取り囲み杖を掲げた。いつでも魔術を使って制圧できる、という意思表示だ。竜胆はホールドアップして肩を竦める。
「あまり手荒な真似はしたくありません」
「……どうやら、本気らしいね」
魔術師たちの強硬な姿勢に、竜胆は苦笑する。
「はぁ……とりあえず、録画予約するまで待ってくれる?」
勿論、魔術師たちはそんなもの待たずに攻撃を仕掛けた。
★★★
帰りのショートホームルームでは、教壇の上で担任の佐藤教諭――体育教師と見紛うがっちりした体型の四十代男性で、しかし日本史教師――が、恒例となっている受験生の心得説教タイムを始めていた。
「いーか、センター試験まで四か月だぞ。一に勉強、二に勉強、三、四が超勉強で、五に猛勉強だ」
佐藤教諭はあまり語呂のよくないこの言い回しをやたらと好んでいる。一日をこの台詞でまとめなければいけないと思っている節がある。声の調子もスピードも、毎日寸分たがわず言っている気がする。今度、美波からレコーダーを借りて確認してみようか、と潤平は思う。
「だが体調にも十分気を付けろ。特に、高校受験の時にインフルエンザで私立滑り止めを全部受け損ねた前科のある窪谷は要注意」
「げぇっ! せんせー、なんでそーいうことバラすんすか!」
教室がどっと沸く。内心で不届きなことを考えていたら、よもやそれを感じ取ったわけではないだろうが、不意打ちでネタにされてしまって、潤平は憮然とする。プライバシーの侵害だ、とぼやいてみるが意味はない。
まあ、受験前でぴりぴりしているクラスメイト達の気分を少しでも和ませることができたなら、それでいいか、という気もする。ただし、佐藤教諭には落とし前をつけてもらいたい。具体的にはケーキの一個くらいは奢らせたい。
いや、どうせなら三個くらいたかってやろうか、と潤平は悪だくみをする。細かいことでもねちっこくリベンジし、付け込む隙を見つけたら容赦なくたかるのが潤平のポリシーである。ふと思いついたその企みが思いがけず面白そうだったので、にやりと笑った。
しかし、はたと思う――三個もあってどうすんだよ。
咄嗟に三という数字が出たが、自分と愛すべき美波は当然として、あと一個は誰の分だ?
「……まあ、美波に二つやればいいか」
「おいこら窪谷、なにぶつぶつ独り言を言ってんだ? 先生の話を聞いていたか?」
「聞いてましたよ、俺にケーキ奢ってくれるんすよね」
「そんなことは一言も言ってない!」
再び教室が笑いに包まれる。三年五組は相変わらず賑やかだ。
「まあ、冗談はさておき。本当に体調には気を付けろよ。不破も二日連続で風邪で休んでいるしなぁ」
佐藤教諭が空席の一つを見遣る。つられて、潤平はその視線を追って、空いている座席を見遣る。二日連続で空いたままの席は、不破京介の席だ。
「まあ、不破は窪谷と違って、少々休んでも問題ないだろうけどな」
「俺を引き合いに出さないでください!」
佐藤教諭の心配は三秒くらいで終わって、適当な台詞で締めくくられた。小学生でもあるまいし、二日やそこら風邪で休んだくらいでは、誰も本気で心配などしない。受験勉強ストレスがピークになって体調を崩しやすい時期なのだろうか、最近は毎日誰かしらは欠席していて、クラスメイトが全員出席することは少なくなってきた。今日欠席の不破京介もそのうち出席してきて、今度は代わりに誰かが風邪を引くんだろう、と潤平は適当に考える。とりあえず、自分が体調を崩さないように、高校受験の時の二の舞には絶対にならないように、ということだけ気を付けよう、と思う。
やがて、ぐだぐだなショートホームルームが終わり、放課後となる。潤平は速やかに帰り支度を終えて、鞄を肩にかける。潤平が急ぐのは美波を昇降口で出迎えるためだ。潤平は是が非でも愛する妹と一緒に下校したいと思っているが、美波の方が先にホームルームを終えると、まず間違いなく潤平を置き去りにする。ゆえに、一緒に帰るためには潤平が先に昇降口に辿り着き待ち伏せるしかないのだ。
しかし、急いでいるときに限って、呼び止められる。教室を出ようとした寸前のところで名前を呼ばれ、急ブレーキをかけて立ち止まる。少々の苛立ちと焦りを感じながら、振り返ると、学級委員の柊凛が困惑気味の顔をして立っていた。相手が尊敬すべき学級委員となれば、いい加減にはできない。向き直り、問う。
「どーした、いいんちょ?」
「お前、不破京介の欠席の理由を知らないか?」
潤平は訝しげに眉を寄せる。
「理由って……風邪だって、佐藤センセが言ってたじゃん。てか、なんで俺に訊くんだ?」
「本当にただの風邪なのか気になって……お前なら知っているかと思ったのよ」
「ただの風邪以外に何があるんだ。インフルエンザかってことか。まだインフルの時期じゃないと思うけどよ。どっちにしても、俺が知るわけないんだけどさ」
不破京介とは、単なるクラスメイトだ。欠席の詳しい事情など、知るはずもない。
「もういいか? 悪いな、いいんちょ、俺、急ぐんだ」
まだ何か言いかける柊を置いて、潤平は教室を出て行く。
廊下を走ってはいけません、などという当たり前の注意など、知ったことかとばかりに廊下を駆ける。ばたばたと騒がしく階段を駆け下り昇降口に向かう。と、昇降口前の廊下の壁に凭れて、美波が手持無沙汰そうに立っているのが見えて、潤平は目を見開く。
「美波?」
驚きを抑えつつ名前を呼ぶと、美波が顔を上げた。
「ああ、兄さん。待ってたんですよ」
「なにぃ!?」
嬉しい。妹が帰りを待っていてくれたなんで、嬉しすぎて涙が出る。シスコン冥利に尽きるとばかりに、潤平はガッツポーズを決める。脇を通り過ぎていく下級生が先輩の突然の奇行にあからさまに引いていた。
しかし、歓喜するのとは別に、冷静に現状を分析する。美波が待っていてくれるなんて珍しい、天変地異レベルで稀なことである。
よくよく見ると、どうにも浮かない顔をしている。
「何かあったのか、美波」
「今度の進路希望調査なんですけど」
「ああ、もうそんな時期か」
潤平も二年前には経験したことだから、うすぼんやりと記憶にある。二年生からは文系と理系にクラスが別れるため、文理希望と進路希望の調査を行うのだ。
「なんだ、俺のアドバイスがほしいのか?」
「まさか」
即答してから、美波は鞄からA4サイズの藁半紙を取り出す。どうやら、提出予定の調査票で、現時点で希望する文理選択と進路等について記入したもののようだ。
「私は文系が好きなので、文系に進むのは決まってるんです。それで、このシートはつい最近書いたもので、もうすぐ提出なので今日見返したんですけれど……」
美波の現時点での進路希望は、「進学希望・神ヶ原大学心理学部」となっている。神ヶ原市にある難関国立大であり、神ヶ原一高から神大に行くとなると、一高の中でも上位の成績優秀者に入っていなければ難しい。美波は潤平と違って余裕で優秀なので、神大を目指すのは順当と言えるだろう。
「神大心理学部を第一志望、と書いたのは確かなんですか……どうしてここを目指そうと思ったのか、いまいち思い出せないんですよね」
「は? いや、自分で書いた理由が思い出せないって……なにそれ」
美波は溜息をついて肩を竦める。
「知りませんよ……つい数日前に書いたはずなんですけど、当時の私が何を思って書いたのか……それで、お聞きするんですけど、あまり期待はしていませんが、私は兄さんに何か話しませんでしたっけ?」
「なんで期待してないんだよ」
「私が私より勉強のできない兄さんに進路のことで相談するとは思えないので」
「ぐっ、正論……だが理不尽! まあ、確かに俺は何も聞いてないな」
「ですよね。はぁ……疲れてるのかもしれませんね、私」
「なんか、ないのか。ほら、将来は心理学者になります、とか。こないだやってた犯罪心理学者のドラマに感化されちゃったとか」
「そんな安易な理由で進路は決めません」
「じゃ誰か憧れの先輩がいるから追いかけるとか」
「そういう青春じみたことができれば楽しいでしょうけど、生憎そんな相手はおりません。……まあいいです、心理学部も悪くはないですし、だいたい一年の進路希望調査なんて、何言ってもなんとでもなりますし。適当に流します」
結論が出ないとみるや、美波はあっさりと思考を放棄し、プリントをしまって歩き出した。潤平も美波に置いていかれまいと、いそいそと上靴を脱いで下駄箱からシューズを取り出し履き替える。
ふと、とあるクラスメイトの靴箱が目に入る。「不破」とネームプレートの入った靴箱。現在二日連続風邪で欠席中の生徒だ。帰り際に柊が話をしていたので、なんとなく気になっていたのだろう。
「……なんだ、この靴箱」
扉付きの靴箱は、周りは綺麗なのに、なぜか不破のものだけ、扉に傷がついている。何か、鋭利なものが突き刺さったような、傷痕。
「使い方荒いな」
多数の傷痕から、使い方が乱暴なのだろう、と潤平は判断した。しかし、このクラスメイトは、そんな荒っぽいような奴だっただろうかと、思い出そうとする。
困ったことに、あまり接点のない彼の顔は、ぼんやりとしか思い出せなかった。




