表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
98/137

密かに忍び寄る終焉(5)

 芙蓉自身の口から語られた主人の名前は、王生樹雨だった。もはや言い逃れのできない、決定的で致命的な言葉だ。敗色濃厚な雲行きに、京介は忌々しげに舌打ちする。

「どうやら決着はついたようですな。なぜ彼女があなたの命令に逆らえるのかずっと解りませんでしたが……偽物の主だったからだとは思いませんでしたよ」

 蓮実が鬼の首を取ったかのように責め立てる。

「勝手なことを言わないでくださいます?」

 険のある声を出したのは美波だった。

「先程から聞いていれば、その男の言い分ばかり一方的に鵜呑みにしていて、フェアではありませんね。京介さんを偽物呼ばわりとは……京介さんの手には確かに契約紋があったではありませんか」

「ですが、今は契約紋は消えていますね?」

「それは、その男が何かしたせい、と考えるのが自然ですよね」

「そいつは逆だよ、お嬢さん」

 理解の悪い子どもを諭すかのように、王生が微笑む。

「彼は三年前に僕を殺そうとした。なんとか僕は一命を取り留めたけれど、彼は魔術によって僕の式神を奪った」

「その魔術はおそらく、千鳥八尋の『蠍』の前身とも言うべき代物だったのでしょう。彼から漏れた情報を元に、千鳥は術式を完成させたのだと我々は推測しています」

「まだ不完全な術だったおかげで、芙蓉姫は彼の命令にある程度逆らえたし、僕がこうして目を覚ましたことで取り戻すことができた、というわけだ。どうだい、筋が通っているだろう? 違うというなら、何か弁明をしてみたらどうだい、不破京介」

「……」

 挑発的に言われるが、京介は唇を噛んだまま言葉を発しない。沈黙を貫く京介に、潤平が戸惑い気味の声を上げる。

「……おい、きょーすけ。なんとか言い返してやれよ。そんな野郎に、好き勝手言わせるな。このままじゃ濡れ衣着せられるぞ」

「濡れ衣なものか。これはすべて事実だ。実際、芙蓉姫は僕を主として示した」

 京介はちらりと芙蓉を見遣る。芙蓉はいつになく憂いを帯びた瞳で王生を見つめていた。

「さあ、そんな紛い物の主とはお別れだ。僕のところに戻っておいで」

 王生に促されて、芙蓉が歩き出す。

「芙蓉、行くな」

 思わず呼び止めるが、芙蓉は止まらない。諦めきれず、芙蓉の手を掴み引き留めるが、さっと振り払われる。肩越しに振り返る芙蓉が、冷たい目で京介を射竦め、小さく囁く。

「さよならだ、京介」

 紛れもない決別の言葉に息を呑む。背中が遠ざかる。王生が笑顔で芙蓉を迎え入れ、抱きしめる。感動の再会みたいなその場景が、京介にはひどく忌々しく汚らわしいものに映った。

「きょーすけ、なんで何も言わねえんだよ! なんで行かせちまうんだ!」

 潤平が苛立たしげに叫ぶ。だが、京介の不甲斐なさ、無力さに一番苛立っているのは京介自身だった。潤平に言われるまでもない、王生の言うことは全部嘘で、芙蓉の主は間違いなく自分だと声高に叫びたかった。

 だが、言えなかった。

 王生を否定することができない。なぜならそれは、()()()()()()()()――

「拘束しなさい!」

 蓮実の号令が響く。待ちかねたように、周りを包囲する魔術師たちが杖を掲げる。

「相手は不破の退魔師です。全員でかかりなさい。決して逃がしてはなりません」

 魔術師たちの無数の詠唱が重なり響く。直後、地面から幾本もの魔力の鎖が伸び、京介の体を戒める。

「不破京介、あなたの身柄は中央会が拘束します」

「ふっざけんな、そんなのさせっかよ!」

 あくまでも京介を信じてくれようというのか、潤平が京介の代わりに怒りを爆発させ、蓮実に詰め寄る。

「こんな横暴があるかよ。どー考えてもそっちの王生とかいう男の方が怪しいだろうが。てめえ、きょーすけが神ヶ原守るために今までどんだけ尽くしてきたか、忘れたとは言わせねえぞ」

「神ヶ原の退魔師としての功績は存じております。しかし、それとこれとは別問題です。数々の証言、情況証拠から見て、彼は明らかに黒、式神を略奪する卑劣な犯罪者です」

「きょーすけはそんなことしねえ。きょーすけがどんな奴か、知りもしないで」

「何も知らない一般人は、あなたの方です。ただの子どもがでしゃばった真似をするのを、大目に見るにも限度があります」

 蓮実の目がすっと細められる。不穏な気配を感じ、京介は叫ぶ。

「やめろ、潤平に手を出すな!」

 京介の制止には耳を貸さず、蓮実は右手を持ち上げ、潤平の額を指先で軽く突く。

「忘却の川に溺れよ」

 短い詠唱。途端に、いきりたっていた潤平が唐突に口を閉ざし、ぷつんと糸が切れたみたいに倒れてしまう。

「兄さん!」

 美波が金切り声を上げ、潤平に駆け寄ろうとする。だが、背後から忍び寄っていた別の魔術師が彼女を羽交い絞めにして身動きを封じる。

「反抗的なお嬢さん、あなたのことも、見逃すつもりはありません」

 蓮実は次いで美波を指さす。美波ははっと目を見開き、しかし数秒後には目を閉じ、ぐらりと体が傾ぐ。崩れそうになった彼女を、魔術師がそっと地面に横たわらせる。

「ただの子どもが、魔術などに関わるものではありません。魔術に関わる一切の記憶を封じました。あなたのことでがたがたと騒がれるのも困るので、あなたに関する記憶も一部消させてもらいました。解りやすく言いましょうか? 彼らの中から魔術の存在も、あなたとの思い出も消えた、ということです」

「お前ッ……」

「あなたは彼らを守りたいのでしょう? ならば、魔術とも、魔術師であるあなたとも関わるべきでない、そうは思いませんか」

 おそらく蓮実は正論を言っている。京介と関わったせいで、潤平と美波はずいぶんと危険な目に遭ってきた。本当に彼らを守ろうと思ったら、魔術などとは関係のない安全な世界に置いておくべきだろう。蓮実はの行動は、責められるようなものではないのかもしれない。

 理屈ではそうと解る。だが、それでも京介には、蓮実の行動が悪魔的な所業に見えてならなかった。

 この場の絶対的な断罪者たろうとする蓮実は、次いで歌子を標的に定める。

「さて、黒須歌子殿。あなたにも聞きたいことがあります。黒須の分家の退魔師として、不破京介に協力し行動を共にしていたのですから、無関係というわけにはいきませんよ」

「……あら、やめてよ。私、全然関係ないんだから」

 蓮実に追及された歌子から飛び出したのは、驚くほど冷徹な言葉だった。京介は思わず振り返る。思いがけず、嘲笑を浮かべた歌子と目が合ってしまった。

「共犯扱いはやめてくれる? 私だって騙されてたんだから、寧ろ私は被害者でしょ。まさかそいつがそんな酷いことしてたなんて……でも、芙蓉さんが命令無視してたのも、納得って感じ?」

 信じてくれ、などと言える状況でないことは解っている。京介は自分の身の潔白を証明できるものを何も持っていないし、弁解の言葉一つ口にしていないのだから。だがそれでも、自分勝手にも、信じてほしいと心の中では思っていたのだろう。歌子にはっきりと軽蔑の言葉を口にされて、酷く傷ついている自分がいることに、京介は気づく。

「歌子……」

 声が上擦る。何と言えばいいのか、言葉が見つからない。何かを言う前に、歌子が叫ぶ。

「よーするに、全部嘘っぱちってことよね! 今までの言葉も、表情も、ぜーんぶ! ほんと、騙されたって感じ。だから、その人が捕まろうが何されようが、私たちには関係ないから。ねえ、そうよね、紅刃」

「勿論、お嬢の言うとおりだよ」

 紅刃は当然に主に賛同し、京介に対しては侮蔑の視線を寄越す。

 息が苦しい。言葉がナイフみたいに胸に刺さる。咎めるような鋭い視線を直視できず、京介は歌子たちから目を逸らす。

 どうしてこうなったのだろう、と京介は自問する。

 潤平と美波との関係を一方的に断ち切られ、歌子と紅刃からは軽蔑され、絶対に離すまいと思っていた芙蓉のことは、いとも容易く掻っ攫われた。

 築いてきた関係が脆く崩れ去る。繋ぐのは難しいのに、絆というものは、壊れる時は一瞬だ。

 京介は再び芙蓉を見据える。

 何を考えているのか解らない、虚ろな紫苑の瞳は覚えている。三年前、彼女と初めて出会った時、同じ目をしていた。

「無駄な抵抗はせず、大人しくついてくることです」

 蓮実が何か言っている。京介はそれを聞き流す。

 何もかも手から零れ落ちていく。自分の手の中にはもう何も残っていない。だが、そう簡単には諦めきれない。

 たとえどんな手を使っても、この手を汚すことになったとしても、守らなければいけない。

 彼女は何よりも優先すべき「一番」の存在であり、絶対にその手を離さないと約束したのだから。

「――焔々現界」

 ゆえに、足掻く。

「焼却せよ――!」

 全身から灼熱の焔を放ち、拘束魔術を燃やし尽くす。蓮実が苦い顔で舌打ちする。

「あくまで抵抗するつもりですか」

 蓮実に余計な手出しをされる前に、と京介は呪符を繰る。狙うは王生樹雨、ただ一人だ。

「お前に芙蓉は渡さない」

「……」

 王生は薄ら笑いを浮かべている。無警戒で無防備な王生に照準し、詠唱する。

「焔弾現界、掃討せよ」

 火焔の弾丸を王生に向かってまとめて放つ。

 王生は悠然と微笑みを浮かべ、一言、囁くだけだ。

「芙蓉姫、僕を守れ」

 その言葉が引き金となり、ヒットの直前、王生を庇うように芙蓉が前に出る。

「芙蓉ッ!」

 彼女を取り戻すための弾丸は、しかし彼女に阻まれる。

 芙蓉が右手を突き出す。と、彼女の前に不可視の壁が現れたかのように、焔弾がぴたりと停止し、それ以上進まなくなる。更に、弾丸はそれまでの軌道を無視し、地面に叩き落される。

 重力操作による防御壁だ。芙蓉によって重力が歪められ、攻撃はその境界を越えることができない。弾丸は王生には届かない。

「くそっ……!」

「無駄だよ、不破京介。君が無様に足掻いたところで、彼女が僕を守ってくれる。君の戦いは、無意味で、無価値だ」

「黙れ!」

 そんな安い挑発にさえも激昂してしまうほど、京介の思考は冷静さを欠いていた。ゆえに、背後に迫る敵の襲撃にぎりぎりまで気づかなかった。王生に気を取られている隙に、魔術師の一人が忍び寄っていたのだ。気づいた時には避ける間もなく、背中に魔術師の杖が突きつけられた。直後、全身に電流が走る。

「ああぁッ!」

 強烈な電撃の魔術に、為す術なく崩れ落ちる。がくがくと体が痙攣し、自由が利かなくなる。震えながら、這ってでも芙蓉に近づこうとするが、それを遮るように、黒い脚がわらわらと群がってきて視界を覆い尽くす。

 芙蓉がどうしようもなく遠くにいる。手が届かない。苦しさと悔しさがぐちゃぐちゃになって胸を締め付ける。

 魔術師たちは京介の両手両足を押さえつける。詠唱を防ぐ目的か、猿轡を噛ませられ、声さえもあげられない。

 無力さに打ちひしがれ、思いがけず涙が零れた。

 ――さよならだ、京介。

 芙蓉が告げた別れの言葉が耳の奥にこびりついて離れない。

 決別の言葉はまるで呪いのように京介を苛んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ