絆は誰にも壊せない(4)
「……間に合ってよかった」
黒須家の修羅場に乗り込んだ不破竜胆、その後ろからそそくさと顔を出し、心の底から安堵してそう呟いたのは京介だった。絶対安静が必要でありながら、病院着のまま病室をこっそり抜け出してきた京介は、あとで医師からこってり絞られることが確定している。
京介に気づくと歌子がはっとして、声を弾ませた。
「京介君! 目が覚めたのね!」
「ああ、おかげさまで」
「起きて早々こんなことで、なんだかごめん……京介君が竜胆さんを連れてきてくれたの」
「というか、俺がばあさまに引きずられてきた」
目を覚ましたらなんだか周りが騒がしかった。事情を聞いてみると、歌子と紅刃の立場がかなり怪しい状況になっていて、潤平と美波が憤慨していたということだった。そういうことであれば、京介としても黙っているわけにはいかない。しかし、起きたばかりの京介は、何をどうすれば歌子たちの助けになれるか、すぐには考えつかなかった。
そこで竜胆が、「たまには一肌脱ぎますかぁ」と愉快げに笑いながら、黒須家への殴り込みを決定したのである。「計画の要はお前だからね」と、竜胆は京介がまだ混乱しているのをいいことに、考える暇も与えず連れ出した。怪我人への対応としては絶対に間違っている。
「まあ、こんなことになってるとあっちゃ、おちおち休んでもいられない」
「おい京介、手始めに誰を潰せばいいんだ?」
好戦的に目を輝かせる芙蓉が後ろから声をかけてくる。病室で竜胆が「黒須家にカチコミに行く」と伝えた瞬間、芙蓉が完全に面白がってついてきた。
「芙蓉、頼むから大人しくしててくれ。話がややこしくなりそうだ」
「竜胆ばーさんが出てきた時点でややこしくなるのは決定事項だと思うが」
芙蓉が予言したとおり、竜胆は話をややこしくする方向で掻き回し始めた。
「歌子ちゃんや紅刃君を処分とか、なんだか勝手に話が進んでいるみたいだねえ、宗達」
「……黒須家の問題を、私が勝手に進めてなにか問題でも?」
「問題大アリだよ。だってね、よく考えてもみてよ、君たちは今、二人を何の罪で裁こうとしてるの。千鳥八尋の術によって紅刃君が千鳥の式神になったことだろ。それで、ほんとの主の歌子ちゃんを傷つけたとか家の名前が堕ちたとか騒いでるんだよね」
「その通り、不破本家には関係のないこと」
「馬鹿を言っちゃいけないよ!」
やたらとオーバーアクションに腕を広げて竜胆は捲し立てる。
「君たちはこの事件の本当の被害者が誰か解っていない」
「……紅刃は被害者だと言いたいのか?」
「ちっがーう! 事件の被害者はどー考えてもうちの京介でしょう」
そのために俺を連れてきたのか、と京介は得心すると同時にげんなりした。
「そりゃあさ、紅刃君は歌子ちゃんに怪我を負わせたかもしれないけど、ぶっちゃけそんなの痴話喧嘩みたいなもんじゃない、たいした問題じゃないよ」
二人が互いに傷ついた争いを、言うに事欠いて痴話喧嘩呼ばわりし始めた。
「まったくさあ、おかげで京介はこのとおり!」
言いながら、竜胆は京介の腹をぶっ叩いた。
「痛ッッ!!!」
出し抜けに、あろうことか縫ったばかりの傷口を攻撃された京介は蹲り悶絶した。なんてことしやがる、と恨みを込めた目で睨みつけても、竜胆はどこ吹く風で、悠々と演説を続けている。
「ああ可哀相に、酷い傷を負ってこんなにつらそう」
「いやつらそうなのは絶対あなたのせい……」
「京介は痴話喧嘩に巻き込まれて瀕死の重傷を負ったんだよ! まあなんて修羅場!!」
「竜胆、様。あまりふざけないでいただこうか」
「私は大真面目だよ」
とても真面目とは思えない、にやにや顔で竜胆は続ける。
「二人のせいで京介は死にかけたんだよなー。こっちは何も悪くないのにー。ひどいなーひどいなー」
竜胆があんまりしつこく言うので、京介は慌てて歌子にアイコンタクトする。
『俺は全然気にしてないから。ばあさまが勝手に言ってるだけだから』
伝わったかどうか怪しいが、歌子は曖昧に頷いていた。
「というわけで、もうみんな解ったと思うけれど、二人を追及する権利は京介にある。だけど京介はとんだ甘ちゃんで厳しいことは言えないだろうから、代わりに私が追及しようと思うのだけれど。何か異論はあるかい?」
「異論は大アリだっての!」
歌子を拘束している、ガラの悪い男が怒鳴った。竜胆からあらかじめ聞いていた、黒須家次期当主の龍雅だ。熱くなった龍雅は歌子を煩わしげに突き飛ばすと、威嚇するように拳銃を構えた。
「本家当主だからって調子に乗りやがってよ。俺たちの問題に、隠居した耄碌ばーさんがしゃしゃるんじゃねえよ」
「……龍雅君、君は魔術師としての才能はあるかもしれないけれど、少々短絡的なのが玉に瑕だね」
「さっきから聞いてりゃ勝手なことをべらべらと。だいたいよお、おたくの次期当主殿が死にかけたのは、そいつが弱いくせに勝手にでしゃばったせいだろ。それをこっちのせいにして、被害者ぶって優位に立とうなんて、そうは問屋が卸さねえ」
「龍雅、待て、よさないか」
龍雅よりは多少冷静そうな女性、沙耶が制止するが、龍雅は止まらなかった。
「不破本家の次期当主の実力不足をこっちのせいにするな。火傷したくなかったら今のうちに退散しときな!」
お前が弱いのが悪い、黒須家に関わるな。その言葉を象徴し、証明するかのように、龍雅の銃が火を噴いた。それはただの威嚇射撃であることは解っていた。狙いは急所からは外れていて、ただ脅しをかけるためだけの弾丸は、京介の頬をほんのわずかに掠めた。
京介はそれを、身じろぎすらせず、冷ややかに見送った。ただし、見逃してくれない奴が一人いた。
「先に手を出したということは、殺される覚悟は当然あるのだろうな」
まんまと暴れる口実を見つけた芙蓉が飛び出し、一瞬で距離を詰めて龍雅の懐に入り込んだ。ぎょっと顔をこわばらせた龍雅の手から、即座に銃を弾き飛ばし丸腰に剥くと、白い指が龍雅の首に向かって貫手を放つ。
放っておいたら喉に穴でもあけそうな勢いの芙蓉。
「よせ、芙蓉」
京介が制すると、芙蓉はぴたりと手を止める。龍雅が緊張でごくりと喉を上下させる、その僅かに一ミリ手前で。
芙蓉は怖気づく龍雅を見下しせせら笑う。
「ふ……命拾いしたな、小僧。うちの主が甘ちゃんなのに感謝するといい」
「この……式神の分際で! お、俺は黒須家次期当主だぞ!」
「ほう? ならばお前は私に口答えできないはずだな。なにせ、私は不破本家次期当主の京介よりも偉いのだから」
「式神が主より上の立場を自称するな」
一応ツッコミを入れる京介。
竜胆の横暴な理屈に、芙蓉の暴力。それを前にして全員が黙る。それをいいことに、竜胆はにこりと晴れやかに笑う。
「さて、全員異議はないみたいだし、歌子ちゃんと紅刃君の処分に関しては私に任せてもらおう。君たち黒須家に任せたら、身内だからって処分が甘くなるだろうし、私がきっちり厳しく追及するからね。だから、この件に関しては、君たちは勝手に追及しないように。それでいいかい、宗達クン」
水を向けられた宗達は、苦虫を噛み潰した顔で吐き捨てる。
「……勝手にするといいでしょう。まったく、とんだ茶番だ」
「あはは、そう卑屈になりなさんな。この私を引っ張り出せたことは褒めてあげるよ。――さあ、芙蓉ちゃん、二人の虜囚を連行して! 私は厳しいぞ! とりあえずトイレ掃除一週間ね!」
芙蓉が噴き出しながら、歌子と紅刃を引っ立てる。呆気にとられた様子の二人だったが、目を見合わせると苦笑していた。
「……どうも、お騒がせしました」
唯一の常識人である京介がかろうじてそう言って、闖入者一行は退散した。
★★★
「あはははっ、見たかい、宗達のあの悔しそうな顔! ふだんお高くとまってる奴の鼻を明かすのは最高に愉快だ!」
どちらかというと悪役寄りの不謹慎な台詞を吐きながら竜胆は豪快に笑った。
歌子と紅刃の身柄を強引に掻っ攫い、一行は神ヶ原総合病院十階の病室に舞い戻った。その瞬間、まるで計ったかのように怒りの形相の主治医が病室に飛び込んできた。
「不破クン勝手に病室から抜け出すなんていったい何を考えているんだだいたい君はこないだもとんでもない重傷で運び込まれてようやく治って追い出したと思ったらまた腹に穴を開けて帰ってきてその上医者の言うことを聞かずに無茶をするなんて死にたいんじゃないだろうねとにかくベッドから一歩たりとも動くんじゃないよいい加減にしないと強制的に縛り付」
説教がかなり長くなりそうだったので、叱責のとばっちりを受ける前にと、芙蓉たちは京介を生贄に病院から退散した。「この裏切り者共!」と病室から断末魔のような声が聞こえた気がしたが、全員無視した。
そして、芙蓉、竜胆、歌子、紅刃の四人は竜胆の屋敷にて腰を落ち着けたのである。
「あ、美波ちゃんから返事来た。『無事でよかったです。爆弾は必要なさそうですね』」
大事にならずに済んだ旨を連絡したところ、美波からはいかにも彼女らしいメールが届いたようだった。潤平と美波は、一緒に黒須家へカチコミについていこうとするのを、なんとか押し留めて先に帰らせた。気を揉んでいたようだったので、歌子に連絡をさせたのだ。
「竜胆様のご配慮のおかげで紅刃と離れずに済みました。ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。私はたいしたことはしていないし。口八丁で丸めこんだだけさ。それに、もしかしたら余計なことをしちゃったかもしれなぁ。外野は手出しをしないで、駆け落ちさせておいた方がよかったかもしれないねぇ」
にやにやと笑いながら竜胆が揶揄うと、歌子と紅刃が揃って顔を赤くする。
「かっ……! ど、どこから聞いてらっしゃったんですか!」
「最初から♪」
そのくだりは忘れてください、と二人は恥ずかしそうに頭を下げた。
竜胆はひとしきり二人を揶揄った後に真面目な話をした。当主に逆らった以上実家にはもう戻れない歌子たちに、自分の屋敷に住まうよう勧めた。
「部屋は余っているし、人数が増えれば、『二人分ばかしの食事を作るのは張り合いがない』なんて言ってる乱鬼が喜ぶし……あと仕事も押しつけたいし」
最後に早口で付け加えられた台詞に苦笑しながらも、二人は提案を受け入れた。
一通り顛末を見届けた後、芙蓉は竜胆の屋敷を後にした。
アパートへの帰り道、なんとなく感傷的な気分になって、芙蓉は徐に己の右手を見遣った。
右手に刻まれた契約紋。主従契約を巡る事件を経たことで、契約のことを否応なく考えさせられた。
契約を奪う魔術師。本当の主を奪われた妖。
互いを想い合う理想的な主従たち。
芙蓉は溜息交じりに呟く。
「まるで……鏡を見ているようだ」
囁くような声は風に紛れて消えた。




