絆は誰にも壊せない(2)
歌子たちが去ってから十五分ほど経ったころだろうか、再び病室の扉をノックする音が響いた。今日は客が多いな、と思いながらも、芙蓉は返事をしない。京介の見舞いに来る知り合いは、どうせ返事があろうとなかろうと勝手に入ってくるだろうと考えていた。
はたして、返事を待たずに扉が開かれた。入ってきたのは潤平と美波の二人組だった。
「あ、姐御、いるじゃないっすか。返事してくださいよー」
「お邪魔します、芙蓉さん。京介さんは目を覚まされましたか?」
「いや、まだ起きない」
「そうですか……」
「とりあえず、姐御、リンゴ剥きますから。どうせ、きょーすけにつきっきりでロクに休んでないんじゃないっすか? リンゴ食べてくださいリンゴ」
「兄さんに任せると芯しか残らないので私が剥きますね」
果物の籠を掲げてみせる潤平から、美波が素早くリンゴを横取りした。部屋の隅に畳んであったパイプ椅子を引っ張り出して座り、美波は持って来たナイフでしゃりしゃりと皮を剥き始める。
上嶺山での事件に居合わせ、京介が中央会からの依頼を受けて事件解決に駆り出されたことを知る二人には、竜胆から事件の顛末が伝えられた。京介が重傷を負って入院する羽目になったことも彼らの知るところとなり、何度も見舞いに来てくれている。だが、京介が今日もまだ目を覚ましていないことを知った二人は、少なからず落胆したことだろう。そんな状態でありながらも、芙蓉を案じ、気を遣ってくれている。
「前にもこうして……葛蔭悟との戦いの後、きょーすけが入院することになったけど、あの時も冷や冷やしたっけ。きょーすけの奴、また懲りずに無茶しやがって」
潤平はぶつぶつと京介に対する文句を漏らす。だが、決して京介を責めているわけではない。寧ろ、自分のことを責めてすらいるかもしれない。葛蔭悟との一件のときもそうだったが、自分が何もできないことを彼が歯がゆく思っているのを、芙蓉は察していた。
今回はその気持ちが、よく解る気がする。芙蓉もまた同じように、歯がゆさを感じているからだ。京介が自分を守ろうとして無茶をしたのが解っているからなおさらだ。式神が主人を守るのが常識であるのに、主人が式神を守るために体を張るなど本末転倒もいいところだ。
問題児式神を守るために命を懸けるなど、おかしなことだ、と芙蓉は自嘲気味に溜息をついた。
そんな芙蓉をよそに、潤平は独り言を続けていた。
「早く起きねーと、きょーすけ、自分が受験生だって忘れてないだろーな。あんまり勉強サボってると、俺に追い抜かれるぜ」
「仮に京介さんが一か月サボったとしても、兄さんでは追いつけないでしょう」
「それはさすがに言いすぎだろ、美波。俺だって一か月猛勉強すればなぁ」
「でも兄さん、今までほとんど京介さんに教わってたじゃないですか。兄さんが一人で頑張ったところで、その効果はたかが知れています」
「た、確かに……!」
美波の言は的を射ていたようで、潤平は愕然としていた。
「きょーすけ、早く起きろよー、俺に勉強教えろよー」
潤平が泣き言を言い、美波がくすくすと笑う。芙蓉もつられて小さく笑った。
と、その時、病室の扉が、今度はノックもなしに開かれた。ずかずかと入ってきたのは竜胆で、その後ろから、竜胆の無作法に呆れている風の表情を浮かべた女性が続いてきた。
「やあ、芙蓉ちゃん。それに潤平君に美波ちゃん、見舞いに来てくれたのかい、ありがとう」
竜胆は、孫が重傷を負って意識が取り戻していないという切迫した状況の割に陽気な調子で挨拶する。否、むしろ逆に、竜胆が呑気にしているのだから、この状況をさほど悲観することはないのだと考えた方がよいのだろうか。
「芙蓉ちゃんには、事件の後始末のことを伝えておこうかなーって思って、事情に詳しい蓮実を連れてきたよ」
「初めまして、芙蓉姫殿。中央会所属、高峰蓮実と申します」
蓮実が頭を下げる。と、その隙にぎろりと、美波が尋常でなく鋭い目つきで蓮実を睨んだのを、芙蓉は見逃さなかった。一般人である美波が魔術師の蓮実にこれほどの敵意を向けるとは、ただ事ではない。蓮実が京介に事件の解決を依頼した経緯については、京介本人から聞いた(自白させた)。蓮実が京介を上手く利用しようとしていることも、その延長で自分の真意を測ろうとしているのも、芙蓉には察しがついていた。大方美波は、蓮実の京介に対する態度が気に入らないのだろう。
「今回の件、初めは式神による主人殺しという禁忌が横行しているのかと肝を冷やしましたが、結果としてそうではなかったのは不幸中の幸いでした。主人に逆らえる式神など、やはりそうそういないというわけです」
言いながら、蓮実はちらりと芙蓉に視線をやる。そうそういないはずの規格外の式神の存在は、やはり面白くないのだろう。その態度を隠そうともしない強気な姿勢は面白い。芙蓉は蓮実の視線を、睨みをきかせて跳ね返す。
「……とはいえ、他人の式神を略奪するというのも負けず劣らずの由々しき事態ではありましたが。しかし、この魔術は千鳥八尋が独自に開発したもののようですし、術式については外部に漏れていないようです。事件はこれで終幕です。不破京介殿、並びに芙蓉姫殿、ご協力に感謝いたします」
「私は別に何もしていない。気に食わない馬鹿を潰しただけだ。礼なら京介が起きた時にでも言ってやれ。あとは黒須歌子と紅刃にでも」
「黒須家のお二人、ですか。しかしそれは、少し難しいですな」
含みのある言い方に、芙蓉より先に潤平が噛み付いた。
「おいおい、まさか二人を処罰するとかじゃねえだろうな」
「まっさか。そんなことにはならないよ」
そして蓮実より先に竜胆が否定する。蓮実が続けて補足する。
「黒須歌子殿の式神、紅刃殿の凶行を中央会が咎めるのでは、と懸念されているのならば、それは杞憂だと申し上げておきましょう。琥珀丸殿、澪鋼殿についても同様ですが、彼らは千鳥八尋の命令に従わされただけであり、罪はありません。罰するべきは千鳥だけです。琥珀丸殿、澪鋼殿については現在中央会で身柄を預かってはいますが、あくまで事情聴取のためです。二人は早晩解放されるでしょう」
「では、紅刃さんは?」
美波が問うと、蓮実は表情を変えることなく真相を告げた。
「二人のことは、おそらく黒須家が処罰を下すことになりましょう」
「黒須家、って、よーするに歌子ちゃんの実家だよな。なんでそれが、処罰だの何だのの話になるんだよ」
「中央会としては、すなわち公式には、彼らは無罪ということになります。しかし、黒須家はそうは考えないでしょう。紅刃殿が一時とはいえ千鳥八尋の手に堕ちたという失態を、黒須家当主は赦さないでしょう。黒須家内部の問題にまで中央会は口を出せません。ゆえに、当主が紅刃殿を罰するというのなら、止める術はありません。また、黒須歌子殿についても、自分の式神を御しきれなかった責任を問われることになると思われます」
「そんなのめちゃくちゃだ!」
潤平が憤慨して叫ぶが、自分に言われても困るとでも言いたげな顔で蓮実は鼻を鳴らす。
「黒須家は厳格な家柄です。家の名に泥を塗る者には特に厳しいのです。お咎めなしというわけにはいきますまい」
「……あれはそういう意味か」
潤平と蓮実の言い争いじみた会話を聞き流しながら、芙蓉は一人得心する。歌子が去り際に残した意味深な言葉の真意がようやく解った。歌子は自分がこれからどうなるのか予期していたか、あるいは既に黒須家当主から何かしらの沙汰を伝えられていたのだろう。今後、京介に会いに来ることは難しいと解っていたから、「最後」だなどと言ったのだ。
「納得いかねー! 歌子ちゃんたちを責めるなんて間違ってる」
「我々外部の人間がどう騒ごうと、どうしようもありません」
「俺は断固抗議するぞ。友達として抗議する。投書するぞ、投書!」
「一般人の戯言など耳に入れてくれるはずもありませんよ、兄さん。もっと効果的に、絶対に私たちを無視できないようなやり方で攻めなければ」
「銃撃とか?」
「爆撃とか」
「わっはっは、最近の高校生はアクティブで面白いねぇ」
「笑っている場合ではありませんよ、竜胆殿。どこまで本気か知りませんが、外野が下手に手を出していい問題ではありません」
「いやあ、でも友達を思う気持ちってのは大事だよ、うん。若いうちはそういうのを大切にした方がいいって思ってるから、私としては止めがたいね」
「一般人に魔術のことを漏らしているだけでも信じがたいというのに、魔術師の家の問題に首を突っ込もうとしているのを放っておくなど、正気とは思えません」
「だったら蓮実が説得すればいいじゃないか。そういうことは、私みたいなちゃらんぽらんな人間より、蓮実の方がむいているよ」
「私の言葉を素直に聞く方ではないでしょう。特にそちらのお嬢さんは私を敵視しているようですし」
蓮実がじろりと睨むと、美波が不敵に笑う。
「あらあら、気づいていらっしゃいましたか。けれど、自分が敵視されても仕方がないことをしている自覚はあるのでしょう?」
「不穏分子への対処が私の仕事です。一般人の小娘にとやかく言われる筋合いはありませんよ」
「ええ、とやかくなどは申しませんわ。ただ、京介さんの敵になるというなら黙って後ろから刺してやるというだけですから」
「美波こえーよ! 魔術師相手に喧嘩売るなよ!」
「京介さん相手に喧嘩を売りまくっていた人が何をいまさら」
「いやあ、それとこれとは」
「『何もできない小娘は引っ込んでろ』と言わんばかりに『一般人』と連呼されるのもそろそろ気に入らないと思っていたところですし、その浅はかな思い込みを矯正するために宣戦布告するのもよいかと思いまして」
「事実何もできないではないですか」
「さも自分たちこそ有能だというような言い方はやめていただけます? 凶悪犯の脱走を許した上に一か月も見つけられなかった無能な方のくせに」
「あははは、高校生にやり込められてるぞ、蓮実!」
「美波、ブラックな本性がオープンになってるぞ、そろそろ抑えたほうがよくないか」
あーだこーだと言葉が飛び交い、病室とは思えないほど応酬がヒートアップする。ツッコミ不在のせいで誰も止めようとしない。最初は面白がりながら見ていた芙蓉だが、そろそろ止めた方がいいだろうか、でも面倒だな、などと思い始めていた。
際限なく盛り上がっていく言葉のバトルを止めたのは、気だるげな一言だった。
「――騒がしい」
その瞬間、好き勝手に喋っていた全員がぴたりと黙る。視線が一斉に集中する。
「ようやくお目覚めか」
芙蓉はくすりと笑う。
「なんで、こんなに煩いんだ……?」
呆れと疲れが一緒くたになった発言と共に、不破京介は目を覚ました。




