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お騒がせな魔法少女(1)

 キンッ、と甲高い金属音。刈夜叉を弾き飛ばされる。

 丸腰になった京介に向かって、芙蓉は容赦なく漆黒の剣を振るう。素早く振り回される剣を紙一重で避ける。

 横に薙がれた剣をかろうじて躱すが、前髪が数本、はらりと切り落とされて息を呑む羽目になった。だが、怯んでいる暇はない。隙をついて芙蓉の右手首を蹴りあげ、剣を吹き飛ばす。芙蓉は少し驚いたように目を見開いたが、武器を奪われたからといって動きを鈍らせる彼女ではない。

 芙蓉は空いた手ですかさず京介の首を掴んだ。

「がっ、ぁ……!」

 芙蓉はそのまま後ろの壁に京介を叩きつける。腕の細さからはおよそ考えつかない怪力で首を締め上げてくる。視界がぼやける。酸素を求めて喘ぐ口から唾液が零れた。

 引き剥がそうと、両手で芙蓉の手に爪を立てるが、彼女はそれくらいでは力を抜いてはくれない。

 意識が朦朧とする。頭の中が真っ白に灼ける感覚。まともな思考がはたらかなくなる。

「残念だったな、京介。覚悟はできたか?」

 霞む視界の中で芙蓉がにやりと唇を歪める。次第に京介の両手から力が抜けていき、ずるりと滑り落ちた。

 意識が、飛びそうに――

 その瞬間、ぱっと芙蓉が手を離して京介を解放した。酷く咽込みながら、京介はへたり込む。

 生理的な涙を浮かべて嘔吐えずく京介を、芙蓉は見下す。

「一二〇五勝、〇敗か。お前、ちゃんと全力でやってるか?」

「全力に、決まってんだろうが、芙蓉っ……!」

「は、こっちは全力で手を抜いてやってるのに」

 冷笑を浮かべ、芙蓉は肩にかかる髪を払う。京介の方がぼろぼろだというのに、芙蓉の方は涼しい顔で、優雅なものだ。

 だいたい、こっちが全力でやってるのに相手が全力で手を抜いてるって、何だよそれ。京介はげんなりしながら、口を拭い、涙を拭く。

 十二月中旬、クリスマスを目前にした某日。不破竜胆の屋敷の無駄に広い庭の一角にて。月明かりと屋敷から漏れてくる灯りと庭の灯籠が頼りの闇空の下、冬の寒さなど忘れるほどに、京介は汗にまみれながら芙蓉姫と戦っていた。十月の葛蔭亮との一件からこっち、約二か月、学校と竜胆からの指令がない時間は芙蓉との模擬戦に費やされていた。

 十月の百霊獣事件で、不破竜胆から暗に「クズ魔術師に敵わないようじゃ駄目だな」と言われたこともあって、京介は芙蓉に稽古をつけてもらうようになった。ふだん人の命令なんかちっとも聞いてくれない芙蓉だが、こういう頼みはきいてくれる。もしかしたら彼女は戦闘狂かもしれない。

 しかし、幸か不幸か、芙蓉の稽古はかなりのスパルタだった。日に何回殺されかけているか解ったものじゃない。まあ、簡単に死にかける京介が悪いのだが。

 かくして京介は芙蓉との戦いに明け暮れているのだが、いまだに彼女の連勝記録にストップをかけられていないのである。

「お前、成長がないぞ、成長が。そろそろ私の顔に傷くらいつけてみろ愚図」

「くっ……調子に乗っていられるのも今のうちだからな、芙蓉。今に見てろ」

「その台詞は二か月前にも聞いたぞ。負け犬の遠吠えですらボキャ貧じゃないか」

「ぅぐ」

 戦いで勝てない上に口でも勝てない。痛いところをつかれて京介は押し黙る。

「おっと、忘れないうちに罰ゲームだ」

 芙蓉は愉快そうに笑いながら、灯籠の上に置いてあった筆と墨をとる。ベタな罰ゲームだが、負けるたびに顔に落書きされるルールだ。京介の顔は、鏡を見ない方が幸せな顔になっている。

「さて、どんな罵倒の文句を……って、もう書くところがないじゃないか」

 ぺけマーク一つで済ませればいいところを、芙蓉は勝つたびに「馬鹿」だの「愚図」だの「童貞」だのやたらと場所を取る罵言を書くので、京介の顔は残念ながらもう余白がないほど真っ黒だ。京介は羞恥と屈辱で頬に朱を上らせるが、それも墨のせいでいまいち解りづらい。

「仕方がない、おい、京介、脱げ」

「は? ちょっと待……わああッ!?」

 聞き返す暇もなく、京介は芙蓉に上着を剥ぎ取られてしまった。

 寒空の下、半裸に剥かれて、挙句胸には達筆な字で「童貞」と書かれた。このあたりで京介がいよいよキレた。

「芙蓉ッッ! お前それ、童貞って今日二度目じゃねえか! ボキャ貧はどっちだッ」

「これだけ強調したくなるくらいお前が超童貞という意味だ。恋するどころか女子と手を繋いだことすらないだろう」

「なんでお前が俺の恋愛遍歴を語るんだよ!」

「他人の私でも簡単に語れてしまうほどお前は解りやすいということだ」

 京介は芙蓉の手から上着を取り戻し、不名誉な罵言を隠すように服を着こむと、舌打ち交じりに刀を拾い上げる。

「芙蓉、もう一戦」

「ふむ」

 芙蓉は懐から懐中時計を取り出し時刻を確認する。

「もうこんな時間か。私はドラマを見るから、今日は終わりだ」

「九時からのサスペンスなら録画予約してたじゃないか」

「リアルタイムで見るのが醍醐味だ。お前みたいな弱小退魔師の稽古なんてサスペンス鑑賞よりも低価値だということだ」

 酷い言い様に文句をつけようと口を開くと、不意打ちで鳩尾を殴られ意識が遠のいた。強制終了、ということらしい。倒れそうになる体は芙蓉が抱きとめた。

 霞む視界の中で芙蓉は冷笑を浮かべて告げる。

「私が二時間サスペンスを見ている間は大人しく寝ているように」

 どれだけ二時間サスペンスが重要なのか。とにもかくにも、芙蓉にとって京介の優先順位はかなり低いらしい。京介は芙蓉に抱えられながら気を失った


★★★


 ジャケットを脱ぎ散らかし、芙蓉が代わりに纏っているのは純白のネグリジェだ。畳の上に胡坐をかき、ビールを煽りながらサスペンスを見ている様は、可憐な装いからは考えられないくらいオヤジ臭いが。

 番組がCMに入ったのを見計らって、部屋の襖が開かれる。芙蓉は振り向きもしない。入ってくるのはこの屋敷の主人、不破竜胆以外にいないからだ。

 竜胆は入ってくるなり「ぶはっ」と噴き出した。

「なんだいこの顔。いつ見ても面白いことになってるなぁ、京介は」

 そこで初めて芙蓉は顔を上げる。芙蓉の傍らでは京介が布団に横たわり眠っている。落書きさえなければ安らかな寝顔に違いない。

 いつもは高校近くに借りたアパートで一人暮らしをしている京介だが、竜胆の屋敷は庭が広く、近くに人家がないため、芙蓉と派手に戦っても問題が起きないという理由で、最近では神ヶ原市郊外にある竜胆邸に寝泊まりすることが多い。竜胆は基本的に放任主義らしく、余った部屋を貸しているという感覚のようで、特に何も言わないし、干渉もしてこない。ただ、たまにこうして顔を見に来る。彼女が見に来る時の京介は、だいたい落書きまみれの酷い顔である。

「で、実際どうなんだい、私の可愛い孫の実力は」

 還暦過ぎとは思えないハリのある声で、竜胆は問う。芙蓉は肩を竦めて答える。

「見ての通り。私に手も足も出ない」

「ふうん。だけど、それでも十分強いだろう? 今戦ったら、私は京介にあっさり負けるね! 私は不良だったから、こんなに真面目に修行をしなかった」

「こいつは真面目にやってもこのザマだ。そして馬鹿だ」

「ふふん、成程、馬鹿か。ということは、さては京介は芙蓉ちゃんの『小細工』に気づいていないね?」

「……」

 干渉はしてこないはずだった竜胆だが、稽古の様子はこっそり見ているらしい。京介が気づかなかった「小細工」のことを、彼女は気づいているらしい。

 曲がりなりにも不破家現当主。侮れないな、と芙蓉は思う。

「京介はいい師を持ててよかったなぁ」

「師、ねえ」

 本来主人に絶対服従すべき式神。どう頑張っても主人より下の立場であるはずの式神が師とは、笑える話だ。

「ところで芙蓉ちゃん、真面目な話、京介の実力はどこまで通用するレベルかな」

「……」

「少々面倒なことになっていてなぁ。詳しくは調査中だけど、厄介な奴が動いているという噂がある」

「それは、魔術師か」

「それもいる。あとは、厄介な妖と、厄介な神」

「厄介者だらけじゃないか」

 芙蓉は呆れてしまう。

「詳細が解り次第、京介に指令を出すつもりだが……手こずるかもしれない。まあ、とりあえず死なない程度に、京介のことを頼むよ」

 CMが終わった。ぴったりのタイミングで竜胆は黙り、そっと部屋を抜け出していった。

 気を遣ってもらったようだが、結果的にそれは必要なかった。芙蓉はテレビのスイッチを切ってしまった。続きを見る気が失せたのだ。まあ、あとで録画を見ればいいや、ということにする。

「頼む、ね……」

 芙蓉は竜胆の言葉を反芻し、微かな嘲笑を浮かべる。

「命令をきかない……いつ寝首を掻くか解らない妖に、何を頼むというのか」

 無防備に眠っている京介を見下ろし、芙蓉は独りごちる。

「馬鹿な奴。お前は、忘れているんじゃないか――私が犯した禁忌を」

 髪を梳き、そして手をそっとすべらせて、頬を撫で、唇に触れる。それから、その手を白い咽喉へ動かす。芙蓉は怜悧な瞳で、己の主を凝視した。

「あまり私に気を許すなよ。私は、主ですら殺せるぞ」

 そう言いながら、しかし芙蓉は、京介の首から手を離す。

 いつでも殺せる。それが芙蓉の切り札だ。切り札は、そう簡単には切らない。

 ふるふると、京介の長い睫毛が震えた。薄く目が開く。起こしてしまったらしい。寝ぼけ眼で京介が見上げてくる。

「……芙蓉?」

 ぼんやりした様子で名を呼ぶ主を見返し、芙蓉は秘めた殺意を心の奥深くに封じ込め、いつものように冷笑を浮かべ、言ってやる。

「とっとと顔を洗って来い、バカ主」

 その一言で完全に目が覚めたらしく、顔を真っ赤にして飛び起きると、京介は洗面所に走って行った。

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