奪われたら奪い返せ(6)
雨が降ろうと槍が降ろうと、などという比喩はよく聞くが。
刀に降られる日が来るとは思っていなかった――いや、そう言いたいところだが、退魔師である以上、まあそういう日が来てもおかしくないかな、とは思っていた。
「抜刀・八裂!」
宙に舞う八本の太刀が京介の頭上めがけて落下する。肌に突き刺さるようなその気配を敏感に察知し、後ろに飛び退き紙一重で避ける。足元にずぶりと刀が刺さる。この調子で、畳や襖には無数の太刀が突き刺さって、再起不能なレベルで穴だらけである。一応は自分たちが拠点として使い始めた建物のはずだが、それを破壊するのに躊躇はない様子だ。
「抜刀・三途」
息つく間もなく、刀が三本放たれる。妖力で生み出されているらしい太刀が、惜しげもなく擲たれるが、避けられない速さではない。京介は身を翻し避けると、呪符を放った。
「烈火現界!」
「抜刀・四辻」
澪鋼は更に刀を放って迎え撃った。激突と同時に呪符が炸裂して火花を散らし、刀を吹き飛ばす。爆風に煽られた刀は、くるくると回りながら澪鋼の脇をすり抜け、背後の壁に突き刺さった。
弾幕の如く次々と放たれていた刀が、不意に止まる。このままでは埒があかないとみて、慎重になったのだろうか。
部屋中には墓標かなにかのように無数の刀が突き立てられている。それだけ大量の刀を撃っておきながら、澪鋼は疲労を見せていない。華奢な体でありながら、強大な妖力を秘めていることが窺われた。
しかし、だとすれば奇妙だ、と京介は警戒する。この大量の凶器を一度に放たれれば、京介は苦戦しただろう。だが、実際には、澪鋼は刃を小出しにしかしない。一度に出せる得物に限界があるだけなのか、それとも他に何か狙っているのか。
「そなたを少し、侮っていた」
徐に、澪鋼が口を開いた。
「人間にしてはやりおるの」
「そいつはどうも」
「そなたを斬るは本意にあらぬが、本気でゆかせてもらおう」
澪鋼はすっと目を細め、両手を広げ唱える。
「抜刀・十戒」
ずらりと十本の太刀が宙に浮かび、切っ先が京介に向かう。弾丸の如き素早さで放たれるそれらを見据え、京介は呪符を一枚繰る。
「焔嵐現界」
ぶわりと京介の周りに煌々と炎が湧き上がる。京介を囲うように同心円に広がった炎の壁は、飛来する太刀を、その熱と風圧を以て阻んだ。数が多かろうと、単調な投擲には貫かれなどしない。
だが、澪鋼はそれくらい、百も承知だったのだろう。
不意にぞくり、と。忍び寄る殺気に肌が粟立った。
理性がその正体を理解するより前に、本能が頭上に迫っていた凶器に気づかせてくれる――焔嵐の渦の中央、炎の壁の穴、すなわち上方で、銀色の刃が煌いた。
「っ……!」
正面から擲たれた刃を目晦ましに、獲物を串刺しにせんと、太刀が二本、降り注いだ。己を守るはずの焔で自らの退路を塞がされた。術を解いて本命の刃の射線から退く、という判断が一瞬でできればよかったが、ただでさえ死角からの不意打ちに虚をつかれていたせいで間に合わなかった。鋭い切っ先は、京介の両の上腕を抉って足元に突き刺さった。
舌打ちと共に、京介は自分の油断を呪った。
三途は三本、四辻は四本――澪鋼の詠唱と、放たれる刀の本数は呼応しているものだ。と、勝手に思い込んでいた。そう思わされていた。小出しに繰り返される投擲によって、そう擦り込まれた。ゆえに、「十戒」により放たれる攻撃は十本しかない、澪鋼の前に十本の刀が勢ぞろいしたならば他の攻撃はない、と無意識のうちに思い込み、死角からの攻撃から意識を逸らされた。
つまらないペテンに騙されたものだ。
やがて鎮まりゆく焔の向こうで、澪鋼が微かに微笑んでいた。
「今までのヌルい攻撃は、本命のための仕込みか」
「戦いとは一手先、二手先まで見通し、備えるものだ。我が『抜刀術』で片が付けば、それでよい。それを躱すほどの強者が相手ならば、『抜刀術』は囮となる」
言いながら、澪鋼は右手に刀を一振り呼び出し、それを擲った。反射的に刈夜叉でそれを弾き飛ばそうとする。だが、刃がぶつかり合った瞬間、深く抉られた腕の傷がずきりと痛み、力が抜ける。投擲の勢いに引きずられ、刀が手から零れ落ち、畳に滑って行った。
「そして、それでも死なぬ強者には、これが最後の仕込みだ」
俄に部屋の中に淡い光が浮かび上がり始める。それは、まるで張り巡らされた糸のように見える。
「顕現・鋼の檻」
狭い空間内を壁から壁へ、床から天井へと縦横無尽に駆ける光の糸は、京介の体にも絡みついている。よくよく観察すれば、糸が畳や壁に刺さる刀の柄から伸びているのが解る。すなわち、大量の刀は、本命の攻撃のための囮であると同時に、光の糸を張り巡らせるための手段であったのだ。
光の正体が、今更ながらに理解できる。これは澪鋼の妖力の糸だ。そして、妖力で刀を生み出していたのと同じように、張り巡らされた妖力の糸は、彼女の合図によって銀色に光る鋼線へと変貌する。
一瞬にして、変化した鋼線によって体を戒められてしまう。固く頑丈な鋼線は、もがくほどに皮膚に食い込み、食い破ろうとさえする。身動きを封じられ、思わず歯噛みする。
「そなたの得物は奪った。我が鋼の檻からは、逃げ出すこと能わず。これで終いだ」
京介は焦燥に駆られながら術を放とうとする。しかし、それより先に澪鋼が動く。
澪鋼は畳に刺さる太刀を一本抜いて、強く引いた。その柄に繋がっていた鋼線が引かれ、きゅるる、と首に巻き付き、締め上げてくる。
「がっ、ぁ……ぁッ!」
喉に食い込む鋼線に呼吸を阻まれる。漏れ出るのは喘ぎ声ばかりで、とても詠唱できる余裕などない。巻き付く糸を引き千切りたくても、両手も鋼に拘束され、満足に動かせない。
脳が酸素を求めて叫ぶ。苦痛に思考が真っ白に灼け、口の端から唾液が零れた。
「所詮は人間。式神がいなければ、どうということはない」
澪鋼が嘲るように言う。
遠くなりかける意識の中でそれを聞きながら、しかしそれを聞き流せず、京介は思う。
――そりゃあ、俺なんか芙蓉に頼ってばかりで、芙蓉の足元にも及ばない。そんなのは解ってる。
――だけど、芙蓉がいなければ何もできないと思われるのは業腹だ。
あまり舐めてくれるなよ――京介はキッと澪鋼を鋭く睨み据える。その瞳は未だ戦意を失わない。
鋼線は固く雁字搦めに全身を戒める。それを力ずくで引き千切ろうとでもいうように、京介は両腕に力を込める。先刻削られた腕が痛んだが、構わずにもがく。
性急に、無理矢理に足掻けば、忽ち鋼線は皮膚を破り、ナイフで切りつけるのに匹敵する傷を刻み付けた。じわりと血が滲み出し、痛みに表情が歪む。
「抗うな。さすれば要らぬ苦痛を味わう間もなく冥土に送ってやる」
澪鋼の憐れむような言葉。それが切欠になったのか、痛みで誤魔化していた呼吸の苦しさがぶり返し、急速に意識が霞み出す。満足に息ができなければ、思考は止まり体の力も抜ける、当然の道理だった。
立っているのももうつらい。京介はがくんと跪く。
悲鳴も怨嗟の叫びさえも枯れ果てた京介を見据え、あとは為す術なく倒れるのを見届けるだけとばかりに、澪鋼が静かに息をついた。
徐に京介は顔を上げる。焦点がぶれ始めた目で澪鋼を見た。
目が合った瞬間、澪鋼が息を呑んだのが解った。なぜなら、その瞳と唇には、依然、不敵な微笑みが残っていたのだから。
澪鋼は見落としていたのだ。京介の腕から指先へ伝う、血のインクに。
「まさか……!」
澪鋼が何事かを叫ぶより前に、京介の全身から焔が湧き出した。
血の文字を媒介に発動した焔は濃く大きく燃え広がり、体を戒める鋼線を焼き切る。土壇場で、詠唱もなしに強引に引き出した炎の魔術は少しばかりコントロールが効かなくて、若干暴走気味に異常な広がり方をしているが、おかげで部屋中に張り巡らされた鬱陶しい糸もまとめて焼き尽くしていくから結果オーライだ。
ようやく満足に呼吸できるようになると、激しくえずきながらも敵を鋭く睨み据えた。澪鋼はゆらめく熱気の中で動揺し立ち竦んでいた。
「焔弾現界、掃討せよ!」
澪鋼がはっと我に返ったように目を瞠る。直後、焔弾は澪鋼の顎を撃ち、熱と衝撃で華奢な体を跳ね上げた。急所への直撃に澪鋼は仰け反り、背中から床に落ちる。
仰向けに転がる澪鋼が、なんとか起き上がろうとして指に力を込める。頼むから起きてくれるなよ、と念じて内心冷や冷やしながら、しかしそれを表面にはおくびには出さず、京介はじっと澪鋼を見つめる。やがて澪鋼はくたりと脱力し、動かなくなる。
「はあぁ……」
少々危なくはあったものの、一応、芙蓉がいなくても倒しきることができた。京介はひとまず安堵し、深く溜息をついた。格好つけて芙蓉を置き去りにしてきたのに、これで満足に戦えないようでは大変なことだ。
「……さて」
敵の一人が片付いたところで、とりあえず目下の問題は、現在進行形で部屋を黒焦げにしつつある炎をどう鎮火するかということだ。木造の建物内で炎を暴走させると大変なことになると解っているのに五回に一回のペースでそれを忘れてしまうのは、早めに矯正した方がいいだろう。
★★★
炎の操作とあまり得意ではない水の術を併用して、どうにかこうにか鎮火した。とりあえず、建物の倒壊は免れた。油を売っている時間はないので、京介はさっさと刈夜叉を拾い上げ、ずきずきと痛む腕を気にしながらも、部屋を駆け出した。
ホールの方へ向かうと、弁天が仁王立ちし、床に倒れる琥珀丸を見下ろしていた。手酷くやられたようで、琥珀丸はぴくりとも動かない。
弁天は京介に気づくとにやりと笑う。
「随分とぼろぼろじゃないか」
「お前は一戦終えた後とは思えないくらい元気だな」
「まあね」
「妖相手に、随分と容赦なくやったんじゃないか?」
「まさか、容赦はしたさ。まあ、少々面倒な相手だったものでね、少しやる気になってしまったんだが。安心するといい。見ての通り気を失っているだけさ。人間相手だったら最後まで食い尽くしてやっているところだけれど、ちゃんと途中で吐き出したからね」
「……よく解らないが、まあいい。それより、歌子のことが気になる。先を急ごう」
「ま、付き合ってやるか」
歌子は紅刃たちを追ってホールを抜けて先へ向かった。京介たちは彼女の通った道をなぞるように歩き出そうとする。
その時、ホールの床に無数の魔法陣が浮かび上がった。
「!?」
紫色の妖しい光を放ちながら展開する魔法陣から、一つ、二つと鈍色の体躯が飛び出してくる。
現れたのは大量の甲冑だった。がしゃがしゃと耳障りな音を奏でながら、剣を携えた甲冑が行進を始め、京介たちの道を阻む。
呆気にとられる京介の脇で、弁天がくすりと笑った。
「成程、澪鋼と琥珀丸が落ちたら、発動する仕掛けだったのだろう。自分の式神にした、と言い張る割に、二人をちっとも信用していなかったようだな、あの魔術師は」
「これは……人造式神か」
すなわち、千鳥八尋が魔術によって作り出した、作り物の式神だ。
「馬鹿な男だ。人造式神なら、つまり私が全部ぶち壊してもいいということじゃないか。作り物相手に手加減をする気はないよ」
弁天はやたらとやる気満々に笑う。だが、いかんせん数が多い。見るからに頑丈そうな甲冑が、二人の両手両足の指を使っても足りないくらいに、わらわらと湧いてきている。
「数で押し切る気か?」
「この程度、数というほどではないよ。だが、これを全部片付けるとなると、まあ確かに骨が折れそうだ。その間に、お嬢ちゃんたちの方は片がついてしまうかもしれないな」
「目的は足止めか」
「千鳥八尋は澪鋼と琥珀丸に元の主人を殺させたんだろう? つまり、お嬢ちゃんに対してもそれをやりたいんだ。趣味の悪いショーだよ。とにかくそれを、邪魔させないための、仕掛けというわけだ」
弁天のその言葉に、僅かに引っかかった。何かに気づきかけた……だが、それがなんだか、目の前に迫ってきている敵襲のせいで、答えを掴み損ねてしまった。
「お前はお嬢ちゃんが心配なんだろう。先に行くといい」
「先に行けったって、これじゃあ……」
どうやって行けというんだ、と言外に問う。
「なに、心配は要らない」
言いながら、弁天は京介の襟首を引っ掴んでひょいと持ち上げる。にやにやと笑っているように見えるのは気のせいだろうか。
厭な予感がして、京介はさーっと血の気が引いた。
「あのー、弁天さん?」
「行っておいで。こんな木偶連中は、私が粉微塵にしておくさ」
そんな実に頼もしいことを言いながら、手では酷く乱暴に、弁天は京介をぶん投げた。
「弁天んんッ!!」
甲冑共の頭上を飛び越え、ホールの端に放り出される。出口は目の前、荒っぽく投げ出されたせいで、かろうじて受け身は取れたものの、腕の傷にそこはかとなく響いた。一応怪我人なんだから丁重に扱ってくれ、と言いたいところだったが、そんな文句をかろうじて呑み込み、代わりに京介は甲冑共の垣根越しに叫ぶ。
「無茶するなよ、弁天!」
大量の式神たちのせいで姿は見えなくなってしまったが、弁天がかすかに笑ったような気がした。
京介は甲冑たちがこちらを標的に定める前にと、走ってホールを抜け出した。




