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奪われたら奪い返せ(5)

 琥珀丸が振るうのは、およそ凶器としては相応しくないように見える錫杖だが、曲がりなりにも妖怪が持つ得物だ、何か仕掛けがあると考えて然るべきだろう。

 そうは考えつつも、弁天はたいした警戒をしていない。そんな必要などない。なぜならば、相手が何かを仕掛ける前に全て終わらせてしまえば関係ないからだ。相手が大勢となると少々面倒になるが、こと一対一の戦闘となれば、先手必勝、一撃必殺の奥の手が、弁天にはあるのだ。

「さて、ゆっくり遊んでやりたいのはやまやまだが、他にも色々と面倒が控えているのでね、手早く終わりにさせてもらうよ――呑み込め、『影牢』」

 ぱちん、と指を弾く。直後、琥珀丸の背後に黒い影の塊が湧き出す。琥珀丸が気配に気づいて後ろを振り返るが、手遅れだ。気づいた時には、逃げることも打ち破ることもできない。あの芙蓉姫でさえも不意を突かれて術に落ちたのだ。初見で防げた奴はいない。

 闇の塊はばくりと口を開ける。敵を呑み込み、脱出不能の闇の中に幽閉する影の牢獄。殺傷能力こそないものの、邪魔者を手っ取り早く排除するには適した術だ。芙蓉は強引な力技で脱出してしまったが、本来ならば、術者である弁天が解除しなければ逃げることのできない代物だ。琥珀丸が芙蓉に匹敵するほどの、バカみたいな妖力の持ち主であれば破られてしまうだろうが、弁天の見立てでは、琥珀丸はさして強力な妖力の持ち主ではない。

 はたして、影の牢獄は大きく開けた口の中に琥珀丸を放り込んだ。一瞬のことだ。何をされたか理解すらできなかっただろう。

「拍子抜けな決着だねえ」

 とはいえ、琥珀丸と戦わずに済むならそれに越したことはないので、これでいい。弁天が敵とするのは、あくまでも妖を服従させる下衆な人間だ。千鳥八尋に従わされているだけの琥珀丸を叩き潰す気はなかった。

 琥珀丸のほうはこれでよいとして、さて、肝心の千鳥八尋の方へでも向かおうか、と弁天は考える。黒須歌子には荷が重いだろうし、彼女では千鳥に情けをかけてとどめを刺さないかもしれない。不破京介や黒須歌子がどう考えようが、千鳥八尋については確実に息の根を止めてやりたい気分なのだ。

 ところが、ここで予定外のことが起きる。琥珀丸を呑み込んだ影牢は、本来ならばそのまま異界に潜り込み、外部から干渉できないようになるはずだ。だが、闇色の頭部は以前地上に留まったままだ。何かがおかしい。

 怪訝に思っていると、唐突に、黒い頭部に「穴」が開いた。

「何……?」

 内側から、何かに貫かれたかのように穿たれた穴。否、それが「何」なのかは、一目瞭然だった。光だった。穴からは一筋の光が伸びている。中で何かが強い光を放っている。それを内側にとどめておけずに、膜が破れてしまうかのように、穴が開いた。穴は一つではとどまらない。二つ、三つと穴が開き、白く強い光が漏れ出す。やがて穴は大きく拡がり、ついには闇の牢獄が壊れ弾け飛んだ。

 その中から、何事もなかったかのように琥珀丸が姿を現す。彼が地面に突き立てた錫杖から白い光が放たれていた。

 弁天は興味深そうに唇を歪める。

「面白い妖術じゃないか」

 たいした力は持たない妖だと思っていたが、その考えは撤回せざるを得ないようだ。弁天は琥珀丸の評価を改める。芙蓉でさえも一度は囚われた影牢を、こうもあっさり打ち破るとは。思えば、千鳥八尋が禁術を使ってまで手駒に加えた妖なのだ、それだけの価値が琥珀丸にあることは、推測できたことだった。

「少しはやるようだね」

「かつては退魔師の式として、荒くれの妖たちと戦っていました。こう見えて、荒事には慣れています」

「大人しそうな顔をしているけど、戦闘経験は豊富というわけだ」

 感心しながら、弁天は己の周りに黒い矢羽を作り出す。

「弱い者いじめは好きではないし、同胞を傷つけるのも本意ではないから、手加減してやろうかと思ったけれど、そう甘くはいかないらしい。加えて、興が乗った。お前とは楽しく戦れそうだ」

 方針変更は早かった。弁天は琥珀丸を叩き潰すことに決めた。

 そう決めるや否や、弁天は宙に浮かぶ無数の刃、影矢羽を放つ。

 高速で飛び掛かるそれらを見据え、琥珀丸が錫杖を振るう。決して力任せのようではなく、優雅さすら感じられそうなほどゆっくりと横に振るう。影矢羽が錫杖の先端に触れる。瞬間、黒の刃が消失した。

「!」

 弁天は少なからず驚愕する。弾き返されたのではなく、掻き消された。音もなく消滅させられたのだ。

「いったいどういうトリックだい?」

「さあ、なんでしょうか」

 琥珀丸は澄ました顔ですっ呆ける。弁天は即座に分析する。魔術や妖術を無効化する類の妖だろうか。否、無効化なんて高度な術を使えるほど強い妖には見えないし、だいたいそんな便利な能力があるなら、千鳥なんぞに簡単に支配されるはずもない。

 だとすれば、と考えて、弁天は一つの可能性に思い当たる。それは、あまりに単純すぎる答えで、そんなことにもすぐに思い当たらなかった自分の盲目さに、弁天は自嘲気味に笑う。

「成程……最近、力任せで突っ込んでくるパワー系ばっかり相手にしていたから、()()の問題なんてすっぱり頭から抜けていたよ」

 そう、相性だ。ただ単純に、弁天と琥珀丸は相性が悪い。弁天が影――闇を操るのに対して、琥珀丸が司るのは光だ。光は闇を打ち消す。ゆえに、影牢はあっさりと打ち破られ、影矢羽は消し去られた。解ってしまえば、なんの不思議もないことだ。

「その錫杖もそうだろうけれど、お前は光を司る妖だね。それもかなり、純度の高い光の固有能力を持っている。半端な闇など容易く消してしまえるというわけだ」

「その通りです。あなたにとっては、天敵というわけです」

 錫杖の遊環がしゃらんと鳴る。と、丸の周りに白い魔法陣が四つ、浮かび上がる。おそらくは「砲台」代わりだろう。

「放て」

 その言葉を合図に、円陣の中心から光弾が放たれる。

「来い、『影羽々斬』」

 弁天は己の背に、鳥の羽を模したような四対の黒い影を生み出す。触れたものを切り裂く刃でもあり、己が身を守る鎧でもある、攻防一体の兵装だ。

 弁天は影の羽を束ね掲げて盾とする。弾丸を盾で受け止める――否、受け止めようとしたが、着弾と同時に光弾は盾に穴を穿ちあっさりと貫通してしまった。そのまま光弾は弁天の体を撃つ。強い衝撃と痺れるような感覚に、僅かに顔を顰める。光の妖術は相性が悪い。掠っただけでも気分が悪い。

 穴開きになった羽を眺めて、弁天は肩を竦める。

「これなら障子紙の方がまだ使えるね」

 影羽々斬がてんで役に立たない。使えない術に割くほど妖力が有り余っているわけでもない。弁天は何の未練もなさそうに影の刃を捨て去る。

 影牢も影矢羽も影羽々斬も使えなかった。ならば、影操剣で叩き斬るか、と弁天は右手の剣を見遣る。しかし、すぐにその選択肢を却下する。あの錫杖と打ち合いになったときに、押し切れる確証がない。

「まったく、面倒なことだ」

 そう呟く弁天の表情は、しかし言葉とは裏腹に愉快げであった。弁天は徐に剣を仕舞い、懐に手を伸ばす。何か別の得物を出すのかと、琥珀丸が警戒するようだったが、弁天が取り出したのは掌に収まるくらいの小さな帳面だ。

「安心するといい。これは、何の仕掛けもない、ただの帳面さ。その辺で売っている安物」

 その言葉に偽りはなかったのだが、そう言われて信じるはずもなく、琥珀丸は先手必勝とばかりに光弾を撃つ。弁天は帳面のページをめくりながら、その攻撃を紙一重で避ける。

「本来なら、こんなものを読んでいる暇など、あるはずがないんだけれどね」

「では、なぜそんなものを出したのです?」

「お前の攻撃など、片手間で避けられるからだ」

 それはこの上ない挑発である。さすがの琥珀丸も神経を逆撫でされたとみえて、攻勢を強めた。いっそう激しくなる弾幕。だが、弁天はそれを尽く躱す。視線はページに落としたまま、宣言通り、片手間に。それはまるで躍るように。

 闇を司る弁天にとって、琥珀丸の力は相性が悪い。しかし、当たらなければ問題ない。琥珀丸の術は、直撃を喰らうには、鈍すぎる。その気になれば避けるのは容易いのだ。下手に防ごうだの弾こうだのと考えずに、迷うことなく全弾避けると決めてしまえば、躱し続けることはさして難しくはない。

 とはいえ、そうやって逃げ続けるだけでは決着はつかない。負けはしないかもしれないが勝つこともできない。勝ちにいくために必要なのが、秘密兵器たる帳面である。

「これから私に敗北することになるお前に、少しばかり講釈を垂れてやろうか。結論から言うと、相性なんていうのは、些末な問題に過ぎないという話だ」

「何ですって」

「光は確かに闇を打ち消せるが、その逆も同様。闇は光を呑み込める。たとえば、考えてもみるといい。巨大な影を、蝋燭一本の灯りだけで照らすことができると思うか? 要するに、最終的には力の強い方が勝つというだけのことなんだよ。強い光の力には、それ以上に強い闇の力を以て臨むだけだ」

 ただ、それを実行するには、影矢羽や影羽々斬では足りない。もっと強い、濃い影が必要だ。それはそう簡単には作り出せない。エネルギーの大きさは、通常、費やしたコストに比例する。それなりの時間、それなりのエネルギーの消費が必要であり、すなわち詠唱が必要だ。

「基本的に力任せでやることが多くて、詠唱なんか滅多にしないんだ。だから、長ったらしい呪文を覚えていられなくてね。ネタバレをすると、この帳面はただのあんちょこだ」

 芙蓉姫レベルの相手を前にしてあんちょこを開いていたら、まず間違いなく一瞬で撃墜される。相手が、相性が良くないだけの中級妖怪だったのは僥倖だった。これならまあ、比較的簡単に片づけられる。

 琥珀丸の攻撃を避けながら、ようやく目当てのページを見つけ、弁天は棒読み気味に唱える。

「深淵より覗く者、闇の底より手招く者、門より来たりて我に従え。光を喰らい、眼下の大地を漆黒に染めよ」

 あたりには禍々しい気配が漂い始める。光を操る妖にとっては息苦しいくらいだろう、濃密な負の妖気が満ち満ちている。

「喰い殺せ、『影骸』!」

 瞬間、琥珀丸の足元に深い闇が落ちる。闇の中からは唐突に、黒い腕が生えた。

 腕は一本ではとどまらない。二本、三本と、次々と、絶え間なく、にょきにょきと腕が闇から這い出し、琥珀丸の体に取りついた。

「光よ、闇を祓い浄めよ!」

 魔法陣が、弾丸を放つ代わりに、強い光を放ち、足元の闇を照らそうとする。しかし、影は深く濃い。琥珀丸の光では暴き切れないほどに。先刻まで鮮烈に見えた光が、今はとても弱々しく感じられる。

 無数の腕が琥珀丸の動きを封じていく。脚に絡みつき逃げを封じ、腕に絡みつき抵抗を封じる。琥珀丸の右手から得物の錫杖を奪い取ると、腕たちが奪い合うように群がりそれを呑み込んでしまう。

 琥珀丸の顔が焦燥と恐怖に引きつる。どろどろと纏わりつく腕を引き剥がすことは難しく、琥珀丸の体は次第に腕の中に埋まっていく。

 弁天は歌うように言う。

「肉を喰らい、血を喰らい、臓腑を喰らい、魂を喰らう。そうして最後に骨だけ残る。きれいな骸の出来上がりだ――御馳走様」

 真っ赤な舌をぺろりと覗かせて嗤った。

 影に埋め尽くされた獲物は、ほんの微かな声さえも呑み込まれて、沈黙する。

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