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奪われたら奪い返せ(4)

 宛がわれた二階の小部屋でぼんやりとしていると、時間が過ぎるのが酷く鈍く感じる。壁にかかった時計は壊れて止まったままだから、懐中時計で時刻を確認する。午後五時を回ったところだ。窓の外に見える空は、まだ昼間のように明るい。まだ一日が終わらない。やけに一日が長く感じるな、と紅刃は溜息をつく。

 部屋には紅刃の他に、澪鋼と琥珀丸がいる。二人は揃って壁に背を預け膝を抱え座っている。疲弊しきった顔で俯いていた。

 魔術師殺しの下手人を探す調査で、二人の魔術師、そして式神のことはある程度調べていた。殺された魔術師二人の間に接点はなかった。当然、澪鋼と琥珀丸にも、これまでに接触の機会はなかったはずだ。だが、今二人は、まるで十年来の友のように身を寄せ合い、心を預けている。境遇が同じだからだろう。

 だが二人は、紅刃に対しては心を許そうとしない。こうして部屋に一緒にいて、もう数時間になるが、その間一言たりとも言葉を交わしはしていない。彼らにとって紅刃は「同じ」ではないのだろう。彼らが千鳥に無理矢理従わされている一方で、紅刃は千鳥に望んで付き従っている。とてもじゃないが、相容れない。おかげで紅刃はずっと気詰まりな状態が続いている。それも、時間がやたらと長く感じる原因の一つだろう。

 この調子では、いつまでたっても今日が終わらないのではないか、などと埒もないことまで考えてしまう。迷った挙句、紅刃は自ら口火を切る。

「ねえ、澪鋼と琥珀丸……澪ちゃんと琥珀ちゃんって呼んでいい?」

 せいいっぱい親しみを込めて呼んでみたが、琥珀丸は戸惑い気味の視線を寄越し、澪鋼からは途端にじろりと睨まれてしまった。いろいろとステップを飛ばしすぎたかもしれない。

 紅刃は肩を竦めつつも、続ける。

「ええと、そんなに怖い顔しないでよ。成り行きとはいえ、同じ主人を持つ同胞になったわけだし」

「……同胞? 世迷言を」

 嘲笑と共に言ってくれたのは澪鋼である。うら若い少女の姿にセーラー服という装いの割りにやけに古風な喋り方で、澪鋼は紅刃を詰る。

「契約紋を奪われたまでは確かに同じ。されど、そなたはそれに乗じて元の主を裏切った。とうてい我らとは相容れぬ、下賤の所業だ」

「……自分で元主人を殺しちまった奴に言われたくねえよ」

 思わず言ってしまってから、紅刃はしまった、と思う。二人と親睦を深めるはずが、売り言葉に買い言葉で、つい神経を逆撫ですることを言ってしまった。

 案の定、澪鋼はいきりたち、右手に刀を現した。

 澪鋼が臨戦態勢になると、慌てた様子で琥珀丸が仲介に入った。

「澪、落ち着いて。あなたも、澪を傷つけるようなことは言わないでください」

「……悪かったよ」

 紅刃は嘆息する。どうも、調子が悪いな、と思う。いつもだったら、見え透いた挑発も罵倒も、右から左に聞き流して、飄々としていられる。そう簡単に熱くなったりはしない。どうも、知らないうちに気が立っていたらしい。

 けれど、何をそんなに苛立っているのだろう、と紅刃は自問する。

 契約紋が千鳥の手に渡ったことは、予想していなかったことではあるが、そこから先のことは、自分で選んで、自分で決めた。これでいいと思ってそうした。後悔はしていないはずだ。

「大丈夫、俺は、間違っていない」

 言い聞かせるように、紅刃は呟く。ここまで、最善の道筋を、決して踏み外すことなく選択してきた。間違ってはいないはずだ。

 その時、ガラスが割れる激しい音が響き渡った。突然のことに、紅刃はびくりと肩を震わせる。

「何が……」

 澪鋼と琥珀丸が不安げに部屋の外に顔を覗かせ廊下を窺う。それとほぼ同時に、別室にいた千鳥の怒鳴り声が聞こえてきた。

「式神共、来い! 敵襲だ!」

 考えるより先に、紅刃は動き出していた。

 敵襲――相手は、たぶん、見なくても解る。


★★★


 こちらの接近に気づいた敵側が先制攻撃してくる可能性を警戒しながら、三人は拠点に向かう。その道中、弁天が問うてきた。

「不破京介。お前は今回、おヒメを前線から外したね。なぜだい」

 何をいまさら、と京介は眉を寄せる。

「お前自身も言っていただろう。式神は千鳥に奪われる危険がある。前に出せるわけがない」

「その通り。だけど、おヒメを使う方法はあったはずだよ。式神がだめなら、式神でなくなればいい。つまり、一時的に契約を解除すれば――」

「駄目だ!」

 最後まで言わせずに京介は弁天の提案を却下する。思っていたよりも強い調子になってしまい、前を歩く歌子が驚いて肩を震わせたのが解った。

 弁天が言うような方法があることは解っていた。両者の合意で結んだ契約は、両者の合意で破棄できる。そして再び結ぶことも、二人が望めば容易い。一時的に芙蓉が式神でなくなれば、千鳥の蠍の脅威におびえることもない。

 しかし、それだけはできない。作戦のためとはいえ芙蓉とのつながりを切ることには躊躇いがあるというのは、勿論そうだが、そういう心情的な理由を抜きにしたとしても、決定的に、契約を解除することができない事情がある。

「別に、そうすればよかったのに、と言っているわけではないよ。ただ、理由が知りたかっただけだ。合理的にやるなら、おヒメを使わない手はない。おヒメは知ってのとおり、反則的な強さの妖だからね。なのに、お前はおヒメを遠ざけた。少々無茶ともいえる、退魔師二人だけでの突入に踏み切ろうとした。何がお前をそうさせる?」

「……約束を、守るため」

「約束?」

「契約を結んだ時に、芙蓉が望んで、俺が叶えると約束したことがある。それを違えないために、必要なことだ」

「おヒメのため、なんだね」

「ああ」

「そうか。相変わらず、お前はおヒメに対して過保護だね。だが、安心した。そうやって、おヒメを大事にしているうちは、私はお前を殺さなくて済む」

 芙蓉に何かあろうものならすぐさますっ飛んできて元凶をぶちのめすのも吝かでないような口振りだ。どっちが過保護だ、と言ってやりたい気分だ。これでお互いに「友達じゃない。腐れ縁だ」と言い張るのだから、双方、似た者同士の意地っ張りである。

 やがて一行は、問題の葬儀場跡地に到着する。

 元は自動ドアだったらしい正面入口のガラス戸は、しかし電気が通っていないため、前に立っても開いてはくれない。

「こじ開けるか」

 京介はまっとうな提案をしたつもりだったのだが、弁天に鼻で笑われてしまった。

「不破京介、真面目なお前に一つ、討ち入りのマナーというもの教えてやろう」

「討ち入りって時点で既にマナー違反だと思うんだけど」

「まずは派手に挨拶をするものだよ。『殺しに来てやったからそこに雁首並べろ』ってね」

「一応言っておくが、誰も殺すなよ」

「妖は殺さないよ。千鳥八尋とやらのことは、知らないけどね」

 言いながら、弁天は右手に持った影操剣で、躊躇なくガラスを叩き割った。

 きらきらと光を浴びながら、扉は粉々に砕け散る。宣言通りの派手な挨拶だ。三人は床に散ったガラスを踏み越え進入する。

 入ってすぐの右手は小さく区切られた部屋になっていて、受付スペースになっている。正面にあるのは和室らしく、一段高くなったところに框があり、部屋を区切る襖は閉じられている。左手には洋風の木戸があり、開け放たれた戸の向こう側にはカーペット張りのホールが広がっているのが窺えた。

 隠すつもりなどさらさらなく、正々堂々、正面からの突入だ、敵にはすぐさま敵襲だと解っただろう。一階のロビーで、弁天が言うところの「雁首並べろ」とばかりに待っていると、やがてホールから千鳥八尋が、三人の式神を伴って現れた。

 陰鬱げな表情の式神たちとは対照的に、千鳥だけが上機嫌そうに笑っている。

「これはこれは、派手な登場だ」

 千鳥はまず歌子を一瞥し、あからさまに挑発と解る嘲笑を浮かべた。

「あれだけはっきりと決別を告げられたのに、未練がましくもまだ取り戻そうとするのか?」

「とーぜんでしょ。あなたみたいな性悪野郎に、うちの紅刃はあげられないわ」

 歌子が挑発に乗らず、さしたる動揺も見せずに言い返すと、千鳥は面白くなさそうに鼻を鳴らす。次に千鳥は、弁天を見て怪訝そうに眉を寄せた。

「はて、初めて見るな。お前も式神か」

 今度は弁天が嘲笑する番だった。

「馬鹿を言っちゃあいけないよ。そう、強いていうなら、私は式神ではなく、お前に死を告げに来た死神といったところさ」

 弁天の登場に驚いているのは千鳥だけではなかった。

「烏丸弁天……なんであんたがいるんだ?」

 相手四人の中で、唯一弁天と面識のある紅刃が渇いた笑いを浮かべつつ問う。

「烏は神出鬼没だ。なに、案ずることはない、私は人間は嫌いだが妖怪に対しては寛容だ。お前が全力で私を殺しにかかってくるとしても、私はお前を殺さないように全力で手を抜いてやる」

 全力で手を抜くという言い草がどこぞの式神と全く同じで、京介は吹き出しそうになるのを必死でこらえた。

「ふん、わざわざ死にに来るとは物好きなことだ。澪鋼、琥珀丸、相手をしてやれ。俺はどこぞのお転婆妖怪に壊されてしまった『蠍』の修理をしなければならないからな」

 澪鋼と琥珀丸の二人が前に出て立ち塞がる。その間に、千鳥は紅刃を伴って踵を返してしまう。

「待ちなさい! 紅刃!」

 歌子の命令には、もはや紅刃は従わない。足音が遠ざかる。歌子が悔しげに歯噛みする。

「追いかけたければ追うといいよ、お嬢ちゃん」

 徐に弁天が言う。

「私が全力で手を抜いて相手をしてやるんでもいいけど、お嬢ちゃんが行きたいんだろう? 譲ってやってもいいよ」

 若干上から目線気味な弁天の申し出に、歌子は逡巡の末に小さく頷いた。

「解った。紅刃は私の手で取り戻したいし、千鳥八尋をぶん殴ってやりたい。あの二人は、私に追わせて」

「一人で大丈夫か、歌子?」

「平気! ……あ、でもできれば早めに応援に来てほしいです」

「正直だな」

 ストレートな要望に京介は思わず苦笑する。

「オーケー、行ってくれ、歌子。こっちは俺と弁天でやる。すぐに追いかけるよ」

 頷いて、歌子が走り出す。行かせまいと二人の妖が身構えるが、手を出されるより先に京介は呪符を放った。

「縛鎖現界、拘束せよ!」

 銀色の鎖が足元から伸び、澪鋼と琥珀丸に巻き付き戒める。身動きを封じられた二人の間を突破し、歌子は無事にホールへと抜けて行った。

「小癪な真似を」

 澪鋼が忌々しげに舌打をし、

「抜刀・一閃」

 詠唱する。と、澪鋼の傍らに一振りの刃が現れ、床に垂直に浮かんだ銀色の刃は、見えざる手が突き下ろすかのように落下し、澪鋼を戒める鎖を断ち切った。

 次いで、その刀を抜いて握り直し、無造作に振るって琥珀丸の拘束も解くと、澪鋼は京介を睨み据えた。

「この身はままならぬもの……主命に従いて、そなたを斬る」

 言うが早いか、澪鋼が地を蹴り、京介に肉薄する。振りかざされる刃を、右手に喚び出した刈夜叉で受け止める。さすがは妖、その細い腕からは考えられないパワーで、押し切りにかかった。勢いを抑えきれず、京介の体は刀ごと薙ぎ飛ばされる。

 襖を破り巻き込んで、和室の中になだれ込む。開戦早々、圧倒されてしまった。京介は苦笑交じりに立ち上がる。澪鋼が框を上がり土足のまま和室に踏み込んでくるところだった。

「不破京介!」

 弁天が叫ぶ声がした。

「そっちの小娘くらいは何とかしてみせろ。私はこちらの坊ちゃんと遊んでいるから」

 言われなくとも、そうするつもりだ。

「……了解。そういえば、澪鋼、お前とは、上嶺山での戦いが中途半端になっていたな。決着をつけておこうか」

 澪鋼がすっと目を細める。京介は左手で呪符を繰り出す。

「抜刀・四辻ヨツツジ!」

「烈火現界!」

 放たれた四本の刀と爆破術がぶつかり合い、轟音が響いた。


★★★


 開戦と同時に琥珀丸をホールの中に押し込んだ。弁天は追い打ちを掛けんと、剣を振り下ろす。

 沈鬱な表情を浮かべて、琥珀丸は右手に錫杖を現し、弁天の刃を受け止める。

「退いてはくれませんか。僕はあなたとの戦いを望みません」

「おやおや、随分と腑抜けたことを言うじゃないか。主からは『説得しろ』と命じられたのかい?」

「主は、敵には容赦をするな、と。僕の体は主の言霊によって支配されています。もう、僕の意思とは関係なく、敵を殺しにかかります。だけど、僕はあなたを殺したくはない」

「はっ、お優しいことだ。どこぞの退魔師にそっくりだ。だが、自惚れるな。お前ごときが本気を出しても私を殺せはしないよ。だから安心してかかってくるといい。なに、こんなのはちょっとした戯れじゃないか」

「戯れ、ですか」

 琥珀丸が錫杖を床にとん、と突き、しゃらんと遊環を鳴らす。と、錫杖が淡く光を放ち始めた。ようやくその気になったらしいな、と弁天は唇に愉悦を湛える。

「そこまで言うのでしたら、致し方ありませんね」

 諦めたような言葉。しかしそれとは裏腹に、琥珀丸は瞳に凶悪な殺意を滲ませた。

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