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奪われたら奪い返せ(3)

 静かに階段を下りながら、京介は後ろをついてくる歌子に打ち明ける。

「相手は少なくとも四人で、こっちは芙蓉を入れれば三人だ。まあ、芙蓉は常識はずれの強さだから、これくらいの人数差なら互角以上にやれるだろうとは思う。だが、千鳥の術で芙蓉の支配権を奪われたら致命的だ」

「五対二……芙蓉さんの力を考えれば一気に十対二くらいになるようなものね」

「歌子には悪いと思うが」

「悪いって何が? 不利な戦いを強いることかしら。それとも、私は紅刃を取られちゃったのに自分の式神だけ安全圏に置いておくことかしら」

「両方」

「別に、京介君は悪くないでしょ。そんなことを気にすることはないわ」

 歌子は皮肉っぽく笑う。

「そもそも、私があの時、もっと早く紅刃を呼んでいればよかったのよ。実際、京介君は間に合って、芙蓉さんを助けられたんだし。私がノロマだったせい、自業自得。それに、よく解んないけど、芙蓉さんってワケありなんでしょ? たとえ一瞬たりとも、他の誰にも渡せない理由」

「それが……俺と芙蓉の約束だから」

 そう呟いたそばから、三年前の追憶に囚われそうになる意識を無理矢理押しとどめ、現実を見据える。

「けれど、芙蓉さんがそれで大人しく引き下がるかしら」

「無理だろうな。そう思って、手は打ってある」

 芙蓉を部屋に残して出てきたのはそのためだ。部屋を出た時に密かに呪符を仕掛けて結界を張っておいた。悪いとは思いつつも、彼女を部屋に閉じ込めたのだ。

「このまま千鳥を襲撃する。歌子、準備はいいか?」

「ええ。道案内は任せてちょうだい」

 歌子は頼もしい笑顔で頷いた。


★★★


 騙された、と気づいたのは京介が部屋を出てから三十分もたってからだった。出陣の前に腹ごしらえでもしておこうかと思って、部屋を出ようとしたところ、扉に触れた手がばちりと電撃を浴びたように弾かれた。この部屋から出さないための結界だとすぐに解った。

 こんなことをするのは京介しかいないし、京介がやったのだとしたらその意図もなんとなく解る。理解した瞬間、芙蓉は忌々しげに舌打ちをした。

「バカ主が……そうまでして私を遠ざけたいか」

 京介が自分を案じてくれるのは解る。それがまったく嬉しくないというわけではない。だが、複雑な気分だ。一般的な式神のように主人に従順になるつもりはさらさらないが、それでもそれなりに式神としての矜持はある。式神を案じて主人が自らを危険に晒すなど、式神の存在価値が疑われるような本末転倒な暴挙を許していては、芙蓉の誇りが地に落ちる。

「私の誇りを汚し、私を騙すことになろうとも……それでもお前はあの時の約束を守ろうというのか」

 死にぞこないだった時分に、無意識のうちにうわ言のように漏れ出してしまった、しかしそれゆえに偽らざる、本音。それを京介は律儀に守ろうとしてくれている。

 不破京介はそういう男だ。だからこそ、放っておけなくなる。

 誰がお前のくだらない命令に従うものかと意地を張っていても、最後には結局、京介を守るために動きたくなる。それはもう、認めるしかない。

 芙蓉は溜息交じりに一人ごちる。

「さて、私はどう動くべきか……」

 言いながら、芙蓉は結界術の施された扉を無造作に蹴り破った。ほとんど流れ作業で結界は破壊され、なんの足止めにもならなかった。元々京介は炎の術だけが取り柄のようなもので、結界術はさほど得意ではない。付け焼刃の魔術など、芙蓉の前では塵芥に等しい。

「私を除け者にしようとは噴飯ものだ。一つ殴り飛ばしに……」

 物騒な計画を企てながら階段を下りて行くと、その先に竜胆が待っていた。

 いかにも待ち構えていたというふうな竜胆がにっこり笑うのを見て、芙蓉は嘆息する。

「私を止める気か?」

「いやあ、聡明な芙蓉ちゃんのことだ。私が止めるまでもなく、大人しくしていてくれると思っているんだけど」

「京介の意図は解る。だからこそ手を貸すべきではないか?」

「男の子がかっこつけてるんだ、たまには素直に甘えてみたら?」

「……」

 芙蓉は僅かに逡巡する。竜胆を押しのけて出て行くのは容易い。

 だが。

 結局芙蓉は折れることにした。

「まあ、いい。少し様子見だ。あんまり帰りが遅いようなら迎えに行ってやる」

「うんうん、それがいいよ。いやあよかった、芙蓉ちゃんが大人しく引き下がってくれて。力ずくで通るって言われたら、私は困ってしまうからね」

「私が動くまでもないはずだ」

「お、珍しく京介を買ってくれるね」

 京介は実力を伸ばしてきている。たいていの敵ならなんとかなる。相手の式神三人を殺さずに制圧、となるとそれなりに骨が折れそうだが、歌子がついている。式神たちを足止めし、隙をついて千鳥の蠍を破壊さえできれば、形勢は有利になるはずだ。勝てない戦ではないだろう。

「あとは、イレギュラーがどうなるか……」

「イレギュラー?」

「ああ」

 芙蓉が考えつく限りでは、二つのイレギュラーがある。

「歌子ちゃんが自分の式神相手に本気で戦えるかってことかな?」

「紅刃が一つの不確定要素であることは間違いない。ちょっとした予感がある。さて、いい方に転ぶか悪い方に転ぶか」

 竜胆は理解できないようで曖昧に相槌を打つ。

「それで、もう一つは?」

「動くとしたら、今だろうな、と思っただけだ」

 何が、という竜胆の問いには答えず、芙蓉は階段を引き返した。とりあえず今は、部屋で時計を睨みつけているくらいしかやることがないのだ。


★★★


 歌子の感覚を頼りに突き止めた、千鳥八尋の潜伏場所は、神ヶ原市郊外にある、今は使われていない二階建ての建物だった。かつてはホテルとして使われていたが、それが流行らず後に葬儀社に買い取られ大幅に改装され、しかしそれも三年ともたずに廃業した。さほど広くない駐車場の入口には進入を阻むチェーンが張られているが、そんなものがなくとも、古びた元葬儀屋に入ろうとする輩は普通はいない。もしいるとしたら、そいつは普通じゃない奴だからチェーンなど躊躇いなく飛び越える。

 京介と歌子は、目的の建物を臨める、数十メートル離れたビルの屋上から、様子を探っていた。双眼鏡を覗き、歌子が窓越しに何か見えないかと目を凝らしている。やがて双眼鏡から目を離した歌子だが、表情は芳しくない。

「さすがに、窓から見える場所にはいないわね。見えるところにいればねえ、狙撃で一人くらい落とせたんでしょうけど」

「仕方がない。正面から行くしかないな」

 遠くからの狙撃ができないとなれば、建物に近づかざるを得ない。一定の距離まで近づいた時点で、おそらく敵側には気配で襲撃がばれる。妖怪は魔力の気配に敏感だ。奇襲が成功することはまずない。

「京介君は視える?」

 京介は少し前から稀眼で建物の様子を探っていた。

「離れてる上に壁越しだから精度は落ちるが、視える力は四人分だ。それより多くはならないだろう」

「ってことは、一人受け持ちは二人ね」

「きつい戦いになりそうだが、行けるか、歌子」

「勿論。なんなら私が三人くらい引き受けたっていいけど?」

 ショックからは完全に立ち直れたらしく、歌子は自信満々に胸を張る。二人なら何とかやれそうだ、と京介は思う。

 その時、

「――面白そうな話をしているね。私にも聞かせてくれるかい?」

 突然響いた女の声。

「……っ!」

 ぞわりと肌が粟立つ。妖でなくともはっきり解る、明らかすぎる強大な妖気。それが突然降って湧いたように背後に現れた。

 足元で影が揺れる。そこからするりと這い出してきた妖気の塊が京介に絡みつく。夏にもかかわらず氷のように白く冷たい指が後ろから京介のおとがいに触れ、生温い吐息が耳朶に触れる。

 あっさりと背を取られたことに狼狽しながら、京介は反射的に女の手を振り払い慌てて距離を取る。

「お前……」

 思わず声を上擦らせると、こちらが動揺しているのが面白いのか、目の前の女は唇をにっと吊り上げた。

「こうして会うのは半年ぶり……いや、それ以上か。まだ生きていてくれて、安心したよ」

 黒い袴と花柄の着物、灰色の羽織――以前に見た時と同じ装束を纏うのは、銀灰色の長い髪と琥珀の瞳を持つ妖艶な美女。人を食ったような笑みを浮かべる女の名は、忘れられるはずもない。

「烏丸弁天」

 予想だにしなかった烏丸弁天の登場に呆ける京介に対して、歌子は一気呵成だった。素早く月花羅刹を抜き、弁天に向けて照準した。

 銃口を向けられても、弁天は表情を変えない。

「こんな超絶忙しい時に、なんだってあなたが出てくるわけ」

 よりによってこんな時に余計な面倒事を起こすなとばかりに、歌子はあからさまに舌打ちをした。

「血気盛んなことだね。だけど、早まるな。なにも、お前たちと喧嘩しにきたわけじゃないよ」

「じゃあ、何の用?」

「加勢してやるつもりで来たのさ。敵は、千鳥八尋、だったか? その魔術師をぶちのめしに行くのだろう? 私もぜひ、まぜてくれるかい」

「俺たちと共闘しようっていうのか? どういう風の吹き回しだ」

 かつて彼女に命を狙われた京介としては、おいそれと信用するわけにはいかない申し出だった。京介の警戒心を感じ取って、弁天は苦笑する。

「奴がなにをやらかしたのか、だいたいは把握しているよ。魔術師が二人ほど死んだらしいのは私にとってどうでもいいことだが、妖がクズみたいな魔術師に服従を強いられているのは見過ごせない。それに、不破京介、お前には借りがあるから、早いうちに返そうと思ってね」

「俺は別に、貸しを作ったとは思ってないんだが」

「まあつれないことを言うな。奴は式神を略奪する魔術を使うらしいね。そのせいでお嬢ちゃんの式神は奪われ、おヒメは使えないんだろう? だが、式神でないただの妖なら、千鳥八尋の魔術はなんら脅威ではない。どうだい、私と手を組まないか?」

「京介君……」

 どうするの、と戸惑い気味に歌子が視線を寄越す。

 彼女の言うことは一理ある。式神でない弁天なら、「蠍」によって千鳥に支配されることはないはずだ。だが、弁天の場合、それとは関係なく、京介たちの敵に回る可能性がある。なにせ、一度は敵だった相手だ。歌子はそう心配しているのだろう。

 弁天はかつての敵。だが、それと同時に、京介にとっては「芙蓉の友達」だ。

「……芙蓉はお前を信頼している。だから、俺もお前を信じよう。一度殺されかけたことくらい、水に流す」

 言った途端、隣で歌子が呆れたように溜息をついた。

「まったく、相変わらず甘いんだから」

「くく……お人好しだねえ。まあ安心するといい、おヒメが必死に守ろうとしていた主だ、手を組むからには裏切るような真似はしないさ」

 ゆらり、と弁天の足元から影が立ち上り、漆黒の影はやがて一振りの刀となる。

 影の刀・影操剣を握りしめ、弁天はのたまう。

「喜べ、私はお前の味方だよ、不破京介」

 想定外の味方は、味方というより悪役に近いような不敵な笑みを浮かべた。

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