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奪われたら奪い返せ(1)

 腕に包帯を巻き終えると、「ほら、終いだ」と言いながら芙蓉がぱしんと叩いてきた。さほど深い傷ではないものの叩かれればそれなりに痛い。今のは嫌がらせだな、と思いながらも、京介は素直に礼を言う。

「まったく、利き手を潰す馬鹿があるか」

「咄嗟のことだったから仕方がないだろう。刀は握れるからいいんだよ」

 京介は小さく息をつき、壁に凭れる。珍しく、芙蓉が隣に並んで腰を下ろした。

 とても疲れていた。体もだが、精神的にも疲労していた。

 駐車場での交戦から全力疾走で離脱し、京介たちは竜胆邸に逃げ込んだ。幸い敵が追ってくる気配はない。上手く追跡は撒けたようだ。

 八畳の和室には京介と芙蓉の他に二人、難しい顔で腕を組み床柱に凭れかかる竜胆と、部屋の隅っこで膝を抱えて俯く歌子の姿がある。

 外傷こそないものの、歌子の場合は精神的なショックが大きいようで、屋敷に辿り着いてから彼女は陰鬱な表情で押し黙ったまま、一言たりとも喋らない。己の体から消え去った契約紋と、自らの意思で決別の言葉を告げた紅刃――その現実を受け入れるのは困難だろう。

「急に屋敷に飛び込んで来たと思ったら、由々しき事態だね、これは」

 徐に竜胆が口を開いた。

「契約紋を剥ぎ取り、式神を略奪する……こんなの聞いたことがない。おそらくは、その千鳥八尋とかいう魔術師が独自に開発したのだろう。他者の契約に干渉する術が無いわけではないのを知ってはいたけれど、こんな術式は流石に予想外だね」

「まったくだな」

「澪鋼と琥珀丸は、千鳥八尋と一緒にいたんだね?」

「ああ。二人は千鳥八尋を守っていた」

「ということは、現在の主人は千鳥というわけか。魔術師たちを殺してフリーになった妖と契約を結んだのか、契約を略奪してから魔術師を殺したのか。その『蠍』という術具の存在を考えると、やはり後者だろうね」

「千鳥は、強い式神を自分のものにすることが目的ってことか」

「どうだろうね。まあ、解っていることは、現在把握できているだけでも、澪鋼、琥珀丸、そして紅刃の三人が、千鳥八尋の支配下にあるということだ」

 紅刃の名前に歌子がぴくりと反応したようだったが、口を挟んではこなかった。彼女の姿があまりに痛ましく、京介もあえて歌子に水を向けようとはしなかった。

「式神を取り戻す方法はあるのか?」

「さてね。さっきも言ったけど、私もこんな外道中の外道な術は初めて知ったんだ。当然、解術方法も知らない。式神の略奪なんてのは、魔術師の本来の活動目的からかけ離れすぎていて中央会でも研究が進んでいない。照会しても無駄足だろう。お前に解らなきゃ誰にも解らないよ」

「流石に俺にだって解らないよ」

「まあ、仮に、元の状態に戻すような解術法がなくとも、術者が契約を破棄すれば、元の主が再契約することは可能だろうさ。奪ったものとはいっても、契約は契約だから、そこは本来の契約システムに準じるものだと考えられる。だけど、強引に奪っていくような奴が式神を手放すとも思えない」

「だろうな」

「一番確実なのは術者を殺すことだ。そうすれば式神は一旦、誰のものでもない妖になる。その後は好きに再契約すればいいわけだ。だけどねえ」

 竜胆は心底弱ったという顔で肩を竦める。

「カスみたいな魔術師といえども、無暗やたらに殺すと中央会が煩い。魔術師であっても公平な裁判にかけて処罰を決めるべきであり、現場の退魔師の一存で殺してはいけない、ってのが基本方針だから」

 京介は以前、葛蔭悟とその式神・雲雀を、まさしく現場の一存で死なせてしまったばかりであり、そのせいで中央会からは「前科あり」として睨まれている。これ以上のスタンドプレーを重ねると、神ヶ原の退魔師としてやっていけなくなるかもしれない。

 加えて、立場云々以前の問題として、京介自身も問答無用で相手を殺すことは好まない。相手が人であろうと、妖であろうと、だ。

「次に有効そうなのは、『蠍』を壊してしまうことだ。術具が引き起こしている現象は、たいてい、術具を壊せばなんとかなる。術者を殺せばいい、ってのと似たような理屈だ」

「二つあるうちの鎖の、一つには損傷を与えたけれど、澪鋼たちに変化はなかった」

「もっと、修復不可能なレベルで粉々にしたらどうだ? 術具のどこかには、魔術の中心になる核のようなものがある。そこに手が届かなければ意味がない。トカゲの尻尾きりみたいにね」

 京介の稀眼を使えば、その核の場所は、あるいは見極められるかもしれない。次に相見えるとき、眼を使う余裕があれば覚えておこう。

「まあ、とりあえず、千鳥八尋を制圧することだね。尋問するか、術具を壊すか。聞く限り、奪える式神に制限はなさそうだ。野放しにしておけば何人の式神が奪われるか解ったものじゃない」

「ああ、解っている。これ以上事態が悪化する前に、何とかする」

 竜胆は小さく頷き、部屋を出て行った。

 竜胆の話が終わるのを待っていたようで、すぐさま芙蓉が口を開いた。

「具体的には、どうするつもりだ」

 勝算はあるんだろうな、と暗に問うてくる。

 先刻は、戦おうとする芙蓉を押しとどめ、分が悪いと見て撤退した。だが、何の策もなく、先刻と同じ状態のまま再び戦闘に出るのでは、退いた意味がない。勢いや力押しだけでなんとかなる話ではない。勝ち筋が見えなければ、負け戦になるのは必定だ。

 敵の勢力は、魔術師一人と式神三人。対するこちら側は、さて、どこまで戦力にカウントしたものか、と京介は思案する。まず、中央会への増援は頼めない。彼らは感情よりも合理性を重視するどこまでも冷静な組織だ。大義の前の小さな犠牲を良しとすることもありうる。すなわち、被害者であると理解しながらも三人の式神を殺す可能性がある。信頼できない増援を呼んでも面倒なだけだ。

 ――となると、さて、どうするかな。

 ひとまず芙蓉の問いには答えず、京介は歌子を見つめた。

「歌子」

 名前を呼ぶと、歌子はゆるゆると顔を上げた。憔悴しきった様子の歌子に、京介は、ともすれば冷徹に聞こえるかもしれない言葉を投げる。

「一時間待つ。戦う気があるなら俺のところに来てくれ」

「……」

 正直、厳しいかもしれないな、と思いながらも、言うべきことは言い、京介はさっと立ち上がり、部屋を出た。

 廊下を抜け、階段を上がっていくと、あとから芙蓉がついてきた。

「今の黒須歌子には、酷ではないか」

 京介は振り返らずに歩きながら、小さく苦笑する。

「なんだ、お前も人の気持ちに配慮するようなことが言えるんだな」

「こう見えて私は人の機微に聡いのだ」

「なかなか面白い冗談だ」

 二階には、京介がアパートで一人暮らしを始める前まで使っていた部屋がある。入ると、しばらく使っていない割に埃っぽさは感じられない。使われなくなっても掃除は欠かさずにやってくれているらしい。だが、そんなマメなことを竜胆がするはずがないので、おそらくやってくれたのは竜胆の式神である乱鬼だろうと踏む。あとで礼を言っておこうと思いながら、京介はベッドに仰向けに転がり体を休める。

 ベッドがぎぃ、と軋む。芙蓉がベッドの縁に腰を下ろしていた。

「京介、この際だから一つ言っておきたいことがある」

 この際というのがどの際なのかはよく解らないが、いつになく真面目くさった調子でいうので、京介は体を起こし居住まいを正す。

「式神というのは主人の剣であり盾である。すなわち、主人のために戦い、主人を守るのが式神の役目だ。式神が身を挺して主人を守るというのなら解るが、式神を守るために主人が傷を負うなど、本末転倒もいいところだ」

「なんだ……そういう話か」

 どうやら芙蓉は、京介が自分を守って怪我をしたことが面白くないらしい。

「こんなの、たいした傷じゃないだろう」

「今回はたまたま軽傷で済んだ。だが、お前のことだ、このまま放っておけば調子に乗って、今度はもっと深手を負うかもしれない。お前はそういう奴だ」

「それは『調子に乗る』って言うのか?」

 だが、芙蓉の言うことはあながち間違いではないようだ。確かに京介は、芙蓉を守るためならどんな傷を負うことも厭わないだろう。敵がどんな強敵であろうと、どんな恐ろしい強襲だろうが、芙蓉を庇い盾になることを躊躇わない。

「本来、術者は自身の身を守るために式神を従え駒とするものだ。お前の行動は、式神使いの常識から外れている。破綻しているぞ」

 芙蓉は真剣に言っているのかもしれないが、悪いと思いつつも京介は思わず吹き出してしまった。

「式神の常識から外れまくってる奴が、自分を棚に上げて術者の常識を語るなって」

 茶化した瞬間じろりと睨まれた。

「……まあ、他の魔術師から見たら、俺はおかしいのかもしれないけれど。でも俺は、何度だってお前を守るよ。俺にとってお前は駒じゃない」

「それは、契約の本質からズレている」

「そうだろうな。でも俺は、俺たちの契約を『約束』だと思っている」

「約束……」

「そう。三年前に、俺は友達を失くして、気づいた。主従の契約は、対等な約束になれるって。俺にとってお前は相棒で、契約は絆なんだ。最初はさ、式神のくせにちっとも命令をきかないって思ってたけど、今はまあ、それでもいいかな、って思えてる。お前が俺を認めて、時々でいいから、俺を助けてくれればいい、って。俺もお前が困ってる時には助ける。お互いに助け合って、それでいいじゃないかって……まあ、お前は俺の助けなんかめったに必要ないと思うけど」

 命令違反の常習犯で、上から目線な式神。普通とは違うかもしれないけれど、それでいい。そのままでいい。

 芙蓉がはあ、と大きく溜息をついた。

「解ったよ。お前に馬鹿な考えを起こさせないために、私が強くなるしかないということだな」

「いや、お前これ以上強くなってどうすんだよ」


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