復讐者との奇妙な縁(5)
肩にバズーカみたいな得物を担いで、仁王立ちするのは、窪谷潤平に相違なかった。京介は呆然と目を見開く。
「なんで、お前が……」
その答えを聞きだす前に、葛蔭が不機嫌そうな声を上げる。
「いったい誰だ、私の邪魔をするのは。それに、この液体は……」
顔面に浴びせかけられた真っ赤な液体を、葛蔭は手で拭う。しかし、拭いきれなかった分が垂れて目の中に入り、葛蔭は右目を瞑る。目潰しだろうか、と思った瞬間、葛蔭が悲鳴を上げた。
「ひ、ぃぃぃいいい!? 痛い痛い痛い痛い目が痛いいっっっ!!」
つらそうに泣き叫びながら葛蔭はよろめく。
「熱い焼けるぐぁああああッ」
「へっ、人の獲物に手を出すからだぜ」
潤平はにやりと笑う。
「俺特製・ハバネロボール! 目に入ったら超危険な代物だッ。本当は京介に使おうと思ってた奴だけどな」
「聞き捨てならないぞ!? んな危険物を俺に使う気だったのか!?」
窮地も忘れて思わずツッコんだ。ハバネロがいかに危険なものかは、現在進行形で葛蔭が実証中である。
主人である葛蔭がこんな状態のせいか、百霊獣の動きが止まる。その隙に、京介は拘束を振りほどき、刈夜叉を拾い上げる。すかさず刃を振り上げるが、さすがに葛蔭もそれを食らってくれるほど間抜けではなく、慌てた様子で飛び退った。
葛蔭の右目は痛みで開けられないらしく、涙がぼろぼろと溢れている。対する左目は烈火のごとく怒っている。
「この、クソガキ! 百霊獣、まずはあいつを始末しろ!」
葛蔭の命令に、百霊獣は標的を変更する。百霊獣の鞭が大きく薙がれ、あまりの速さについていけずに呆然と突っ立っていた潤平を、いとも容易く吹き飛ばした。
「潤平ッ!」
潤平は武器を吹き飛ばされ、痛みですぐには起き上がれないらしく低く唸っている。京介は潤平の元へ走り、とどめを刺そうと鞭を蠢かせる百霊獣の前に立ちはだかり、数枚の呪符をまとめてばら撒く。
「焔嵐現界、隔絶せよ!」
瞬間、二人を囲うように炎の壁が立ち上る。激しく燃え盛る炎に、さしもの百霊獣も攻撃を阻まれる。焔の嵐は外界からの攻撃を一切寄せ付けない結界として作用した。
「なんとか、なったか……」
京介はがくりと片膝をつき、床に刀を突き刺し支えとすることで、なんとか倒れずに済ませた。
倒れていた潤平は脇腹を押さえ咳き込みながら体を起こす。
「潤平、大丈夫か?」
「とりあえず生きてる……悪ぃな、助けるどころか、足引っ張っちまいそうだ」
「充分助かった」
結界のおかげで少しは時間が稼げる。もっとも、時間を稼げたところで百霊獣を圧倒する方法を思いつけるかどうかは疑問だが。
しかし、潤平と落ち着いて話をする時間くらいは、作れたはずだ。
「……なんで、こんなところに?」
京介が問うと、潤平はなぜか申し訳なさそうな表情になる。
「悪い、助けに入るのが遅れた。正直、怖くて……なかなか出て行けなくて、お前がこんなにぼろぼろになるまで、何もできなかった」
「……怖くて当然だろう、お前は、フツーの高校生なんだから。助けになんか、こないのが当然なんだから」
「でも、謝る。ほんとは俺、ずっとお前のこと、つけてたんだ。お前が今日、学校サボって廃工場に向かった時からずっと」
「え、そっから!?」
予想外に最初からつけられていたらしい。
「お前に奇襲を仕掛けるためにと磨いてきた尾行スキルでお前のことをおっかけて、廃工場でのトンデモバトルを目撃し、お前が拉致られるところもきっちり見てた。たぶん警察に言っても駄目な感じの展開なんだろうなと悟って、放置されてた原付を盗んで追跡し、ここまでやってきた」
「免許は」
「持ってない」
「……聞かなかったことにする」
窃盗に無免許運転。それを、復讐相手であるはずの自分のためにやらかしてくれたなんて、俄には信じがたかった。窪谷潤平とは、こんな奴だったろうか。そこまでして、自分を助けてくれるような、そんな仲だったろうか。
「なんで、俺なんかを助けるために、そこまでする? もう……お前との縁は切れたと思ってたのに」
「はぁ? なんでそんなふうに思うんだよ」
「お前、ビビってたじゃん。昨日、体育倉庫で、俺のこと。あんなの見たらさ、普通もう近づかないだろ」
「そりゃ……ビビったさ。俺が倒すべき相手がこんなに強かったなんて! って恐怖して、絶望的な気分になったさ。だが俺はすぐに立ち直る。お前が超強いなら、俺はもっと超強くなって復讐を果たすと決意を新たにした」
「はぁ?」
予想の斜め上を行くリアクションに、京介は頓狂な声を上げる。
「じゃ、今朝、なんで俺を避けたんだよ」
「そりゃお前……」
潤平はなぜか恥ずかしそうに顔を赤くし俯く。やがて意を決したように告げる。
「か、顔合わせづらいだろうが! 昨日、謎のホワイトモンスターにビビって漏らしちまったところだったんだからよぉ!」
「……」
京介は思わず頭を抱える。悩んで、沈んでいたのが馬鹿みたいに思えてきた。
すると、京介の表情を見てぴんときたらしく、潤平はにやにやと笑いだす。
「さてはお前ー、俺に怖がられて避けられたと思ってショックで泣いたなー?」
「泣いてはいない」
そのほかについては、否定できないけれど。
京介はばつの悪い顔で目を逸らすが、潤平が回り込んできて真正面から京介を見据えた。その時、潤平が思いのほか真面目な顔をしていたので、京介は目を背けられなくなった。
「いいか、京介。俺はな、これくらいでお前から離れてなんかやらないぞ。俺はお前に復讐をすると決めたんだ。それを果たすまで、何があろうと、俺とお前の縁は切れやしないんだ。忘れるんじゃねえぞ!」
思い切り叫んだところで、脇腹の痛みがぶりかえしたのか、潤平は顔を顰めた。
「くっそぉ……俺の快進撃も、この調子じゃ二度目はなさそうだ」
「……大丈夫だ」
結界の術はまもなく切れる。炎の壁が少しずつ弱まっていく。壁が消えれば、百霊獣の猛攻が再開されるだろう。潤平を守りながら百霊獣を相手取ることは、京介にはできない。
だが、こうして百霊獣の攻撃を一時的にでも止めておけたのは大きい。
「京介、勝算はあるのか?」
「ない」
「おい……」
「けど、お前のことは守る。絶対に」
彼のことは失ってはならない――そう決意させるだけの力が、潤平の言葉にはあった。
京介は立ち上がり、右手の甲の、花弁の形をした契約紋を見つめる。契約紋が、光を放つ。
右手を掲げ、叫んだ。
「頼む……力を貸してくれ、芙蓉姫!!」
炎の壁が消え去る。それと入れ替わるように、風が螺旋を描いて吹き荒れ、光が渦巻く。その中から、やがて姿を現す――美しく気高い、京介の式神・芙蓉姫。
まずは芙蓉が召喚に応じてくれたことに安堵する。
京介は素早く指示する。
「芙蓉、頼む、潤平をここから安全な場所まで逃がしてほしい」
「京介!」
潤平が文句ありげに叫ぶ。
「まさか、俺だけ逃げろって言う気か? それじゃ俺が助けに来た意味がねえだろ! いや、全然助けになってない俺が悪いっちゃ悪いんだけど」
「意味ならあるよ」
復讐者と結ばれた奇妙な縁――それは、京介が思っていたより、ずっと強いつながりらしい。それを知ることができただけで、充分だ。折れそうになっていた心を支えてくれる。再び立ち上がれる。
この復讐者を守るためなら、まだ戦える。
「芙蓉、潤平を守ってくれ」
床に突き刺した刈夜叉を引き抜き、百霊獣を見据える。
「足止めは、俺がする」
芙蓉姫は凛とした紫苑の瞳で京介を見つめる。そして、一言。
「却下」
「なっ……」
信じられない言葉に、京介は狼狽する。
「芙蓉ッ、冗談言ってる場合じゃ……」
「冗談? 冗談を言っているのはお前の方だろう?」
ぎろりと鋭く睨まれて思わず息を呑む。
「満身創痍の低能退魔師が、くだらない命令をするな」
相変わらずの罵言を交えながら冷たく告げて、芙蓉は京介に背を向ける。
そして、百霊獣を睨みつけた。
「――あの木偶人形も、クズ魔術師も、まとめて私が捻り潰せばいいだけの話だろうが」
直後、芙蓉から発せられた凶悪な殺気に、背筋が凍った。
「安心しろ、京介。足手まといの馬鹿二人を抱えて敵を二人同時に相手取るくらい、私にとっては造作もない。大人しく見物していろ、バカ主! 一歩でもそこを動いたら刈るぞ!」
頼もしいと喜ぶべきか、さりげない侮辱に憤るべきか、反応に困って呆気にとられていると、潤平が京介に耳打ちしてきた。
「え、彼女は敵なの? 味方なの?」
「……一応、味方」
味方――芙蓉姫の登場で張りつめていた緊張の糸が切れてしまったらしい、京介は脱力して、その場にへたり込む。そして、片手で頭を押さえ、苦笑する。
「あー、そうだった……芙蓉は……滅多に本気出さないから忘れかけるけど、本気出せば、クソ強いんだった」
コキコキと手を鳴らしながら、芙蓉は仁王立ちして、敵二人を見据える。葛蔭は片目を押さえながら犬歯を剥き出しに叫ぶ。
「今更式神を召喚したところでどうなるというのだ! 私の百霊獣には百の戦闘データが蓄積されている。式神を倒した魔術師の観測データをも詰め込んだ、洗練された最強の人造式神だ。妖といえども、女一人にどうこうできる相手ではないッ」
「は……笑わせるな。百の経験を積もうが、千の経験を積もうが、所詮は雑魚のすること。圧倒的武力の前では無に等しい」
「――なぁ、京介、あれ本当に味方? 全国の努力家を敵に回す発言してる彼女はほんとに味方? どちらかというと悪役っぽい台詞なんだけど」
「……」
京介はこの手の芙蓉の発言には慣れっこだが、初めての潤平はかなりたじろいでいた。
「……まあ、真面目な話、芙蓉の言ってることはそんなに間違ってない」
「そうなのか?」
「葛蔭は白霊獣シリーズによる戦闘経験の蓄積で、憑代を鍛えた。それによってあの式神は強化された」
「最初っから経験値MAXみたいな? ステMAXみたいな?」
「まあそんな感じ。……だけど、それは結局表面的なこと、外殻の問題なんだ。人造式神で重要なのはあくまで、その中に込められた魔力。器が頑丈でも、その動力源である魔力が弱ければ、それなりの強さどまりだ。魔力勝負になったら……芙蓉には敵わない」
芙蓉から発せられる突き刺すような殺気と、禍々しい妖気。抑えていたそれを、芙蓉が解放し始めていた。
「やれ、百霊獣!」
葛蔭が命じる。百霊獣は両手の鞭をしならせ、芙蓉に襲いかかる。
瞬間、芙蓉の姿が消えた。鞭は誰もいない床に突き刺さる。
正確には、消えたわけではない。認識を上回る速度で、彼女は跳躍したのだ。ゆえに、葛蔭にとっては突然消えたように見えただろう、彼は芙蓉の姿を探して目を泳がせていた。
芙蓉は高々と跳躍し、葛蔭の上方を舞っていた。そして、最高点に達すると同時に、超速で落下を始める。その加速は、ただ重力のままに落ちているだけではありえない速さだ。
顔に落ちる影に気づき、葛蔭が見上げた時には、もう遅い。芙蓉は右手を突き出し、葛蔭の頭部を鷲掴みにしている。そして、そのまま葛蔭の頭を床に叩きつける。
容赦なく葛蔭を床にめり込ませると、芙蓉はもう葛蔭になど見向きもせず、百霊獣に向かって駆けている。主人の沈黙により、百霊獣の動きは鈍る。
「来い、黒曜剣!」
声に応じて、芙蓉の右手に剣が握られる。柄も鍔も刀身も艶めく黒、その名の通り黒曜石のごとき美しさを持つ剣だ。
白霊獣は両腕を剣の形に変えて待ち構える。だが、芙蓉はおかまいなしだった。
黒曜剣を両手で握り直し、大きく振り回す。まるで、バットでボールを打ち飛ばすかのように、百霊獣をその得物ごとまとめて薙ぎ飛ばしたのだ。
重く、固く、頑丈であるはずの式神がいとも容易く吹き飛ぶ。床を跳ね、壁に激突しする。倒れた白霊獣は、胴体が真ん中から奇妙な方向に折れている。相手が人間なら間違いなく胴が真っ二つに切断されていただろう威力だ。
剣を床に突き刺し、肩にかかる髪を払いながら、芙蓉は沈黙した敵を見下ろして鼻を鳴らす。
「虫ケラ風情が、粋がるなよ」
どちらかというと悪役寄りの台詞に、京介は肩を竦め、隣では潤平が青ざめていた。
強い妖力を持ちながら、しかし芙蓉が得意とするのは妖術よりも、近接戦闘だ。細く白い体からは想像もつかないパワーを以て、敵を叩き潰す。それが彼女のスタイルだった。魔術師が小細工を弄した程度の式神相手なら、小細工もろとも粉砕してしまう。
あっけない決着に、京介は溜息をつく。
「……俺の苦労は何だったんだ」
★★★
『怪我の具合はどうだい?』
電話の向こうから聞こえる声は、さほど心配しているようには聞こえない。特段心配されるような具合でもないので、京介は端的に答える。
「問題ないよ」
葛蔭亮との一戦から一週間が経過していた。怪我はあらかた治っている。不破竜胆の問いは今更だった。
『一週間、様子を見たけれど、人造式神による事件は起こっていない。葛蔭亮の捕縛で、今回の件は完全に終わったと見てよさそうだね』
「ああ……奴が組織として動いていた様子はなかったし、そうだろうな」
『まあ、百霊獣の仕組み自体は悪くなかったなんだがなぁ。ただ、それを運用する魔術師がクズだったのが敗因だ。総じて、大した相手じゃなかったということだ』
その言葉に潜む小さな棘を、ひとまず聞かなかったことにして、
「組織で運用されたら危険か?」
京介が念のため訊くと、竜胆は笑った。
『術式は完全に破壊しておいたし、葛蔭の身柄は厳重に管理してるから、情報が漏れることはないだろうさ。まあ、万が一同じことを考えるバカ組織が出てきたとしても、その時はこちらも組織として動くだけだ。さして問題はない。それよりも、私が気になるのは別のことだ』
「別のこと?」
『その後、例の窪谷潤平クンとはどうなんだい?』
電話を切った。
明らかに面白がっている風の竜胆に、学校での交友関係まで包み隠さず披露する義理はない。
「どう、ってねぇ……」
立ち上がり、脇に置いておいた鞄を肩にかける。竜胆とは、登校前の時間に電話をしていたのだ。京介はすぐに部屋を出て高校に向かう。
その道中、背中に突き刺さるような気配を感じた。その気配の正体に気づくなり、京介は溜息をついた。
「相変わらず、狙われる日々だっての」
そう独りごちた瞬間、後ろから勢いよく走ってくる足音が聞こえた。
「――きょーすけ、今日こそお前を討ぅつ!!」