式神たちの絶対禁忌(4)
八月十一日、午前十時に待ち合わせの神ヶ原駅前に赴くと、先に来ていた歌子と紅刃が目を丸くした。
「え、京介君。芙蓉さんには内緒にするんじゃなかったの?」
京介もそのつもりでいた。だが、京介の隣にはしっかり芙蓉がついてきている。なぜかドヤ顔をしている。京介は苦々しい表情で言う。
「自白剤使われた」
「は?」
歌子が素っ頓狂な声を上げ、紅刃はくくっと喉の奥で笑いをこらえていた。
「不本意だけど、芙蓉も一緒に行動する。とても不本意だけど」
不本意、を執拗に強調すると、「よほど不本意なのね……」と歌子が苦笑した。
「まあ、京介君がそう言うなら。それで、具体的にはどうする?」
「澪鋼と琥珀丸の行方を掴まないといけない。あんまりのんびりしていると、中央会が痺れを切らして手を出してくるかもしれない」
「それはちょっと、避けたいわよね。中央会って融通きかないから、見つけ次第抹殺、とか言いそうだし」
「まずは情報収集だな」
「じゃあ、私と紅刃は商店街の方に行ってみる。そっちの現場、まだ見たことないし、警察が調べた後みたいだけど、式神の痕跡くらいは残ってるかもしれないし」
妖術の痕跡や妖気の残滓などは、警察の捜査では調べようがない。魔術師だからこそ見える遺留品がある可能性はある。
「解った。俺は妖怪たちに聞き込みをして回る」
「周防のところに行くのか?」
芙蓉の問いに京介は首肯する。周防は神ヶ原一高旧校舎に棲みつく、無駄に情報通の狐妖怪だ。
「じゃあ、お互いそんな感じで行きましょうか。とりあえず、十二時にはいったん集合ね」
「何かあったらケータイに」
必要事項を確認し合うと、二手に別れて行動を始めた。
京介は芙蓉を伴い、ひとまず神ヶ原一高を訪れた。
夏期休暇中でも、部活動や自主学習で学校に来ている生徒は多い。そんな生徒たちの目に留まって不審に思われないよう、正門は素通りして西門から進入し、旧校舎を目指した。
旧校舎の昇降口に回ろうとすると、建物の裏側、茂みの傍で妖たちが車座になっていて、なにやら会合の真っ最中らしいところに出くわした。妖たちの中心になって話をしているのは、どうやら目的の相手、周防のようだった。
冬は暖かそうだが夏となると暑くて鬱陶しそうなふさふさの白い毛並みを持つ狐の姿の妖・周防は、周りの妖たちを見回し、いつになく難しい顔でのたまう。
「――そういうわけだから、お前ら、出歩くときはくれぐれも気ぃつけろぃ。特に、鈴音と泰葉は一人になるなよ。もしヤバくなったら、SOSの電話だ、今から言うから、番号を登録しておけぃ」
どうやら、いつものような井戸端会議とは毛色が違っているらしい。邪魔をしては悪いと思って、京介は話が終わるまで待とうとする。
「いいか、番号は、〇八〇-××××……」
待とう、と思ったのだが、周防が披露し始めたケータイの番号が京介自身のものであることに気づき、慌ててストップをかけた。
「おいこら周防! 俺の番号を勝手に吹聴するな!」
「お、京の字、丁度いいところに! 全員注目! この方が不破の退魔師様だぁ! 困ったときはとりあえず京の字のところに駆け込んでおけ!」
「待て待て、勝手な宣伝を始める前に俺への説明が先だろうが」
祀り上げられる前に周防を押しとどめ、説明を要求する。周防は思いのほか真面目な顔で語る。
「京の字のことだからもう知ってるだろうが、近ごろ、主人を殺せるほどのヤバい式神がうろちょろしてるって話だ。そういう規格外の相手は何するか解らねえし、俺たち中級妖怪じゃ手に負えねえ。まあ、危機管理って奴だぜ。その問題の式神が万が一襲ってきたら、とりあえず京の字に助けを求めるからよろしくな」
「そういうことか。まあ、危ない時に頼ってくれるのは一向に構わないんだが。周防、丁度俺も、その式神の情報が欲しくて来たんだ。名前は澪鋼と琥珀丸。そいつらのこと、何か知らないか」
京介はボディバッグから二枚の写真を取り出して周防たちに見せる。竜胆を通して手配してもらった二人の式神の写真である。
「ははん、これが問題の式神か。つまり、この顔にピンときたら京の字にコールってわけだな。――おい、お前らぁ、何か知ってるかぁ?」
周防が妖たちに尋ねる。旧校舎連合の面々は互いに顔を見合わせ、「知ってる?」「いや知らない」などと会話を交わす。
空振りか、と肩を落としかけた時、一人の妖がおずおずと手を挙げた。
小さな妖だった。人の姿に近いが、身長はせいぜい百センチくらい。透き通るような金色の髪の間から、小さな二本の角が覗いている。少年のようにも少女のようにも見える顔立ちだが、着ている朝顔柄の着物から少女だと解る。
「鈴音、何か知っているのか」
先ほど、一人にならないようにと特に注意されていた妖だった。ということは、ここにいる旧校舎連合の中で、力は弱い方なのだろう。鈴音はか細い声で言う。
「私、琥珀ちゃんのこと知ってる……友達だよ」
「友達?」
「うん。ここにきて周防ちゃんに会う前、私は琥珀ちゃんに会ったことがあるの。とっても、優しいひとだよ」
話によると、鈴音は旧校舎連合の中では一番の新参者で、加わったのは一年ほど前だという。ここに来る前までは上嶺山の麓あたりで一人彷徨っていた。だが、力の弱い鈴音は、ガラの悪い妖怪連中、人間世界でいうところの不良連中に目をつけられやすく、たびたびちょっかいをかけられていた。
そんな時、出会ったのが、当時既に式神であった琥珀丸だったという。琥珀丸は鈴音を旧校舎に導いた。神ヶ原一高の旧校舎には平和な妖がたくさん集まっているから、きっと仲間になってくれる、と。
「おう、そういやぁ、思い出したぜ。鈴音を連れてきたのっぽの妖が、確かにこんな顔だったな」
周防が琥珀丸の写真を見て大きく頷いた。
「琥珀ちゃんは優しいひとだよ。とても素敵なご主人様がいるって自慢してた。だから、琥珀ちゃんがご主人様を殺すなんて……信じられない」
消え入りそうな声で告げ、鈴音は俯き、着物の裾をぎゅっと握りしめた。
巷で噂の危険な式神が、まさか自分を安息の場所に導いた心優しき友達であったとは露とも思わなかっただろう。鈴音は哀しげな顔で唇を噛んでいた。
「そうか……話してくれてありがとう、鈴音」
京介は鈴音の前に膝をついて、目線を合わせる。泣きそうな顔をする鈴音の頭を撫で、ふわりと微笑んでみせる。
「鈴音は琥珀丸を信じているんだな」
「……うん。琥珀ちゃんは、酷いことはしないよ」
「そう。じゃあ、俺は鈴音を信じる。鈴音がそう言うなら、琥珀丸のことは何かの間違いなのかもしれない」
言った途端、後ろで芙蓉が呆れたように溜息をつく。
「またお前は、そうやって甘いことを言う」
「だけど実際、『主人殺しの式神』なんてのは、荒唐無稽な話だ。何かの間違いってのはあるだろ。鈴音が言う琥珀丸の人となりが事実なら……なにか、そのあたりにとっかかりがあるかもしれない」
「初対面の妖の、しかもそんなちまっこいガキのいうことを信じるのか。お人好しめ」
「悪いな、お人好しがデフォルトなんだ」
鈴音が顔を綻ばせ、芙蓉は苦笑を浮かべた。
琥珀丸を知る妖に話を聞けたのは僥倖だったが、現在の彼の居場所についての情報は得られなかった。その後、周防の案内で情報通の妖を紹介してもらって話を聞いて回ったが、収穫はなかった。
そうこうしているうちに時間はあっという間にすぎ、集合時刻となった。
ひとまず午前中の成果を報告しあいながら腹ごしらえ、ということで、駅前にある、芙蓉御用達のカフェ「プリムローズ」に入った。席と席の間が広く取られている上にパーテーションで区切られているので、個室のような雰囲気で、話をするのには丁度いい。店の奥の席に通されるや、芙蓉はメニューも見ずに「フレンチトースト、バニラアイスとクリーム添え」と注文したので、これは相当通っているな、と京介は苦笑した。
アイスコーヒーを啜りながら、京介は鈴音から聞いた話を報告した。歌子と紅刃は難しそうな顔をする。
「どうにも、琥珀丸が主人を殺したっていうのが信じられなくなってきたんだ。そういうことをするような奴じゃないらしい」
「たとえばだが、魔術師を殺したのは琥珀丸ではなく、琥珀丸に化けて罪を着せようとしていた別の何者かだった、という可能性はないか?」
フレンチトーストをぱくつきながらも、芙蓉がちゃんと意見を出す。琥珀丸を信じると言った京介に呆れていながらも、その意見を尊重した可能性を検討をしてくれている。
芙蓉の挙げた可能性に、しかし歌子は眉を寄せる。
「うーん、どうやら、それはないらしいのよ。というのもね、中央会も警察に隠れてこっそり現場の調査をしたみたいなんだけど、そこで妖気の残滓を採取したらしいの。被害者は中央会に登録のある魔術師で、その式神も同様だったから、琥珀丸の妖力のサンプルが保管してあったわけで、照合したらぴったりだったってわけ」
妖力や魔力というのは人によって質が異なる。それは指紋やDNAのように、他人と一致する可能性は限りなく低く、相手の特定に利用できるものなのだ。中央会が妖力の照合によって下手人を琥珀丸だと判断したのなら、間違いはないだろう。別の誰かが化けていただとか、そういう簡単な話ではありえない。
当てが外れたのが面白くないらしく、芙蓉はやけ食いのように残りのフレンチトーストを一口で食べきった。まだ半分以上残っていたはずなのだが。
澪鋼と琥珀丸の居場所についての情報は、双方手に入れられなかった。調査はあまり進んだとは言い難い。このまま闇雲に動き回っていても、見つけるのは難しい。
さてどうしたものかと思案していると、
「ところでさぁ、澪鋼と琥珀丸って、二人の間には何か接点があるの?」
徐に紅刃が口を開いた。
「接点?」
「知り合いだったとか、共通点があるとか」
「うーん、そういう情報はないわよねぇ。知ってるなら中央会が教えてくれてるはずだし」
「鈴音も澪鋼のことは知らないようだったな」
「だってさ、何かあると思わない? 主人殺しができる式神ってだけでも超珍しい話なのに、それが二人もいるって、おかしいじゃん」
紅刃の何気ない一言に、京介と歌子ははっと目を見合わせた。




