式神たちの絶対禁忌(1)
神立杉から更に十五分ほど歩くと巡り野コースの終点に辿り着く。開けた場所には、ここから更に上を目指すコースへ続くロープウェイの駅と、神ヶ原の町並みを一望できる「巡り野レストハウス」がある。
京介たちはレストハウス二階の展望レストランの一角、窓際の席に座って、壮大な景色を眼下に収めながら、しかし景色に対する感動はそっちのけて、げんなりとした気分でじっと沈黙していた。
潤平たちと合流した京介は、杉菜と別れ、竜胆を待つためにレストハウスまでやってきた。待っている間に起きたことをひととおり説明した。実際にそれを目の当たりにしたのは京介だけだが、目の前で人が殺されてしまったことを告げると、潤平たちは顔色を悪くした。想像してしまったのかもしれない。
「俺が行った時には、ぎりぎりのところで間に合わなかったんだ。悪いな、こんなことになって」
「京介さんが謝ることではありません」
ノータイムで美波が返してくれるのに救われる。
「京介君、その魔術師って、知ってる人だった?」
歌子は殺された魔術師が何者か気になるようだった。京介は首を横に振る。
「初めて見る人だった」
神ヶ原にいる魔術師のすべてを把握しているわけではない。竜胆なら知っているかもしれないが、京介が知っている魔術師など、片手で数える程度しかいない。
「ところで、歌子、こないだ商店街で起きた殺人事件の方の被害者について、何か知らないか」
「いいえ? 急にどうしたの、何か関係のあることなの?」
歌子は怪訝そうに首を傾げる。もしかすると歌子は、そちらの事件の被害者も魔術師であることを知らないのかもしれない。確かに、竜胆が京介に隠していたということは、歌子からのルートで京介に情報が漏れることを危惧して、歌子に対しても隠していた可能性は高い。
「俺も最近知ったことなんだけど、あの被害者も魔術師だったらしい」
「え、それ本当!?」
やはり初耳だったようで、歌子は大げさに驚いた。
「立て続けに神ヶ原で魔術師が殺されたことになる。何か関連があるのかと思ったんだが」
「京介君が交戦したセーラー服の妖が、商店街の方の犯人でもあるかもしれない、ってこと?」
「可能性はあると思う」
言いながら、京介は少し引っかかりを覚えた。もしそうだとしたら、なぜ竜胆は事件のことを隠したのだろう。凶暴な妖が現れた、魔術師を次々と襲っている――ただ単純にそれだけの構図なら、隠す理由がない。寧ろすべて情報を開示して警戒を促すべきところだろう。
考えられる理由は、と考えて、ふと思いついたのは、もしかして竜胆は、下手人が烏丸弁天であると疑っていたのではないか、ということだ。
一月に魔術師を――正確には、式神を従える魔術師を、故あって襲っていた妖怪、烏丸弁天。ちょっとした誤解から京介もターゲットになり、交戦した。その後乱入した紗雪御前のせいで、弁天との話はなあなあのまま、事件は収束した。弁天は芙蓉の腐れ縁だという。
弁天が再び術師を襲っているかもしれない、という疑惑を芙蓉に知られたくないから、黙っていたのだろうか。少ない情報ながら、京介はそう想像した。
まあ、答えは本人に訊けば解る。ことこうなっては、竜胆ももう隠し立てはしないだろう。
そう思って待っていると、やがてレストハウスに二人の女性が入ってきた。
一人は、不破竜胆。京介が先程連絡したところ、「すぐにそっちへ向かうから」とだけ言って、ロクな説明もなしに電話を一方的に切った相手だ。とりあえず、その言葉は嘘ではなかったようで、電話してから二十分ほどでやってきた。自宅から二十分でこの山の中腹のレストハウスまで来るのは物理的に不可能なので、どこかで魔術を使って、それなりに急いでくれたのだろう。およそ登山には不向きな浴衣姿で、周りの客やレストハウスの店員をぎょっとさせている。
もう一人は、竜胆の隣で、これまたどう考えても登山に来る時の格好ではない、ぴっちりとしたスーツを着た女性だ。竜胆がさほど切羽詰まったような顔をしていないのとは対照的に、現状に相応しく厳しい表情で歩いてくる。初めて見る女性だったが、妖怪ではなく人間であることは一目で解った。この状況で竜胆と連れ立ってくる人間は、と考えれば、彼女の正体にはおおよそ察しがついた。
こちらに気づいて、竜胆が軽く手を挙げて近づいた。
「やあ、災難だったね、高校生諸君」
「竜胆ばあさま」
「人が穏便に済ませようとしているっていうのに、お前はまたぞろ厄介な事件に巻き込まれちゃって。お前、何かに取り憑かれているんじゃないか? そろそろ真剣にお祓いすべきじゃないかな」
人が気にしているところに笑顔で斬り込んできやがった。京介は渋面を作る。何か言い返してやろうかと思った直後、スーツの女性が咳払いをして割り込む。
「ご歓談中申し訳ありませんが、事態は逼迫しています。早速話を聞かせていただきたいのですが」
その単刀直入ぶりに、竜胆は苦笑している。
「相変わらず、世間話とか前置きとか、そういうものをすっとばすんだから。まあ、確かにのんびりしている場合じゃないね。――紹介しよう、魔術師中央会のエリートちゃんにして私の可愛い後輩、高峰蓮実、三十五歳独身だ」
「悪意を感じる紹介をありがとうございます」
いきなり年齢と独身という明らかにコンプレックスを抱えてそうな事実を暴露されてしまった魔術師は青筋を浮かべながら皮肉を返した。やはり中央会の魔術師だったか、と京介は自分の想像が的中していたことを認める。
蓮実はまだ何か竜胆に言いたそうだったが、プライベートな苛立ちは一瞬でひっこめて、すぐに事件の話に切り替えた。
「被害者が魔術師であることが明らかである以上、この殺人事件は警察ではなく魔術師中央会が捜査することになります。無論、警察にそんなことは通用しないので、事件そのものを魔術師中央会で隠蔽することになります」
「そ、そんなヤバいことをこんなところでペラペラしゃべっていいんすか……?」
潤平がそわそわした調子で周りを見遣る。混雑しているというほどではないが、レストハウス内にはそれなりに人がいる。
「ご心配には及びません。魔術を使って、周りの人間には私たちの会話がただの世間話にしか聞こえないようになっています。死体を最初に発見したのが不破殿であったのは僥倖でした。一般人が見つけて通報していたら大事になっていたことでしょう」
「本当は死体になる前になんとかしたかったんだけどな」
「同感ではありますが、今回については難しかったでしょう。大掛かりな術式などであればその前兆を把握することも可能かもしれませんが、一人の妖が一人の魔術師を襲うとなっては、すべてを把握するのは困難です。本来であれば、魔術師の側が自衛をするべきものであり、不破の退魔師の介入すべき類のものではないでしょう」
しかし、そうは言いながらも、こうして竜胆と中央会の魔術師が連れ立ってやってきたということは、いよいよ事件が、不破の退魔師の介入すべき案件になってきたということだ。となると、事件はこれ一つだけの話ではないだろう。憶測にすぎなかったが、商店街の件も関係している可能性が高い。
「ばあさま。今回の事件、商店街の一件と関連があるのか?」
「そう、それねえ。こないだの商店街の件は運悪く大騒ぎになっちゃって大変だったよ、もう」
竜胆が椅子に腰かけながらぼやく。
「あの、その商店街の事件について、情報統制がされていたようなのですが」
自分が蚊帳の外だったことに納得がいかないらしい歌子が躊躇いがちに言う。竜胆はちらりと京介に意味ありげな視線を寄越してから応じる。
「いろいろ爆弾抱えた案件でね、最小限の人数で対処に当たっていたんだけど、それが裏目に出たようだ。これ以上被害を拡大させるわけにはいかないし、ここからはオープンで行くよ」
「まず、今回殺害された魔術師ですが、先程確認してきました。中央会に登録のあった魔術師でした」
竜胆の隣に腰かけ、蓮実が手にしていた鞄からタブレットを取り出しテーブルの上に滑らせた。手際よく画面を操作して、蓮実は魔術師の情報を表示させる。
画面を覗き込んで確認する。京介が見たのは変わり果てた姿の男だったが、確かに画面の中の魔術師と同一人物だった。
「名前は小笠原雅夫、三十七歳。元魔術師中央会の職員でしたが、三十の時に戦闘で負傷したのを機に退職し、以後は神ヶ原市で一般企業に勤めながら、低級妖怪の対処をしていました」
とすると、ここ数年は大きな戦闘とは無縁だったわけだ。ならば、妖相手に後れを取り致命傷を負わされたのも、解らなくもない。
だが、少し妙だ。かつて魔術師中央会で活動していたなら、魔術師や妖から狙われる可能性がある。警察が捕まえた犯人から逆恨みされるのと同じようなものだ。中央会を辞めた後でも、自衛のことを考えない、というのは迂闊すぎる。
疑問に思って京介は尋ねる。
「式神はいなかったのか?」
「いたよ。中央会時代から連れていた優秀な式神」
竜胆の答えに、ますます疑問が膨れる。
「いったいその式神はこんな一大事にどこほっつきあるってんだ、って言いたいんだろう? これを見れば解ると思う」
竜胆の言葉の後を継いで、蓮実がタブレットを操作する。
「この妖が、小笠原殿の式神です。名前は澪鋼」
映し出された式神の姿を見て、京介は絶句する。
藤色の髪、黒いセーラー服の、特徴的な容姿。
表示されていたのは、間違いなく京介が交戦した妖だった。
竜胆がふっと溜息をつく。
「その反応、やはり間違いないようだね」
「まさか……」
ようやく、竜胆がこれを隠していた理由が解った。
京介が視線で問うと、竜胆は小さく頷いた。
「そう。商店街の一件も、調査が進んで、被害者の魔術師を殺したのはその式神だったと判明している。これは単なる妖による魔術師殺しとはワケが違う。本来主人に反逆できるはずのない式神による、主人の殺害。従順であるはずの式神が契約の理に逆らい主人を殺すなど、禁忌中の禁忌だ。殺処分モノの大事件だよ」
この事件は、絶対禁忌という名の爆弾を孕んでいる。
とんでもない大事に踏み込んでしまったらしい、と京介は息を呑んだ。




