悪意が交わる夏休み(4)
「不破殿、やはり不破殿でございますな? よくぞ来てくださいました!」
突然現れた和服美女に大歓迎されてしまったが、状況がよく解らない。とりあえず京介は美女妖怪を控えめに押しのける。
すっかり土塗れになった服をはたくと、女妖怪は顔を真っ青にして、自分の綺麗な着物が汚れるのも構わず地べたに正座した。
「申し訳ございませぬ。不破殿の姿が見えましたもので、つい我を忘れて」
「それはいいんだが……」
とりあえずお前は誰で、なぜタックルしてきたんだ、と視線で疑問を示すと、女が表情をきりりと引き締め答えた。
「申し遅れました。妾は杉菜と申します。神立杉より人界を見守る『杉神』の役目を仰せつかっております」
「……」
何かの聞き間違いかと思った。何かの聞き間違いであってほしかった。
京介は恐る恐るといったふうに聞き返す。
「……神様なのか?」
「然様でございます」
想像していたのと違う。つい先ほど描いていた白髪好々爺のイメージを消去し、目の前の美女を上書き保存した。
「樹齢八百年の大樹に宿る神様にしては随分若い姿なんだな」
見えるようになったのをいいことに、潤平が神相手だろうが構わずフランクに問いかける。突然の神出現に、冗談で言っていた合格祈願は頭から抜け落ちているらしい。
潤平の不遜ともいえる態度に、しかし杉菜は気を悪くしたふうもなく、人懐こい笑みを浮かべて応える。
「神とはいえ、妾はつい五十年ほど前に先代から役目を引き継いだばかりゆえ、まだまだ新参者でございます」
新参者の神、と聞いて京介はわずかに顔を顰める。そのワードにはあまりいい思い出がない。厄介事の匂いしかしない。同じく新参者の神であり厄介事の中心地にいたことのある戎ノ宮の姿を思い出してしまった。今頃戎ノ宮はくしゃみをしているかもしれないが、それはともかくとして。
「俺を探していたみたいだったけど、何かトラブルか?」
尋ねると、杉菜が大きく頷いた。
「さすが、神ヶ原の退魔師、不破殿でございますな! さては予言の力もおありか」
あまり嬉しくないドンピシャである。
「ああ、そうでございました。ゆっくりしている暇はございませぬ。不破殿には、早急にお力をお貸しいただきたいのでございます。妾の力では手に負えぬ事態が起きているのでございます」
「いったい何事だ」
「妖が人を襲っているのでございます!」
空気が一瞬で引き締まる。
「場所は」
素早く切り替えて、短く問う。杉菜が緊張した面持ちで、神立杉の方へ続く道の先を指し示す。
「こちらにございます」
杉菜が先導して飛び上がる。彼女を追いかけながら、京介は肩越しに振り返り、あとの三人に言い置く。
「悪い、行ってくる! みんなはここにいてくれ!」
「きょーすけ、――!」
潤平が何かを言いかけていたが、聞く暇も惜しいと思って、京介は走った。
宙を舞いスピードを上げる杉菜に並んで走り、京介は詳しい事情を聞く。
「妾が神立杉からいつものように上嶺山を見守っておりますと、突然妖が人を襲いだしたのでございます。この山は妾や、妾の他にも神がおりますゆえ、神の加護の力により、邪な妖は滅多に近寄りません。それにもかかわらず、突然現れた凶暴な妖に、妾は為す術もなく……妾は場を清めたり、人の心に僅かに干渉し、険悪な雰囲気になっているカップルの気持ちを落ち着け仲を取り持ちベッドインさせたりするのは得意なのでございますが」
「なんか変なの交じったぞ」
「戦いとなると専門外、あれだけ攻撃的な妖となっては、妾の力は役に立ちませぬ。どうしようかとおろおろしておりましたところ、不破殿の姿が見えたのでございます。襲われていた人間はなんとか応戦していたようにございますが、形勢は不利のようで、いつまで凌ぎ切れるか……」
「応戦?」
妖の攻撃に普通の人間が応戦できるはずもない。となると、襲われていたのは魔術師ということか。魔術師が襲われている、となると、思い浮かぶのは商店街での殺人事件。あの事件でも魔術師が被害者だった。短期間のうちに魔術師が襲われる事件が少なくとも二件。これは偶然だろうか、と京介は怪訝に思う。
細い坂道を駆けあがると、再び開けた場所に出る。目の前に、視界を埋め尽くすほどの大樹が現れた。
高さは四十メートルを超すという、神立杉。杉菜が宿る神木だ。
「あのあたりにございます!」
杉菜が指し示したのは、登山コースを外れた場所だった。神立杉の脇から急斜面を下った先の方だ。足を踏み入れることがすなわち、「降りる」というよりも「落ちる」を意味しそうな、見るからに危険なコース外のエリアに一瞬たじろぐが、京介は右手に退魔刀を召喚し、それを杖代わりに地面に刺しながら、慎重に斜面を下っていった。
疎らに立つ木を手掛かりに足場の悪い斜面を下りて行くと、比較的平坦な場所に下りられた。慎重にあたりを観察しながら歩いていくと、叫び声が聞こえた。
「――やめろ、来るなッ――うわあああッ!!」
男の声だった。恐怖の滲んだ、断末魔のような声。声のした方を振り返ると、少し離れた木の陰に人の姿が見えた。急いで駆けて行くが、数メートルまで来たところで、人影がぐらりと傾いだ。
蒼白な顔と、口から零れる赤い血を晒しながら、男が仰向けに倒れていく。
「ッ!」
足場のよくない地面を更に速度を上げて駆け、転げ滑るようにして倒れた男の元に駆け寄った。三十代後半くらいだろうか、男は目を見開き、絶叫した時のままに口を大きく開けている。ワイシャツにスラックスという、およそ登山には向かなそうな格好をしているが、元々は白であっただろうシャツは、赤く汚れている。胸には太刀が突き立てられていた。
京介は男の首筋に手を当てる。祈るようだった京介の表情は、すぐに絶望に歪んだ。
「……駄目だ、もう」
男は絶命していた。背後で杉菜が息を呑む気配がした。
心臓を一突き。ほぼ即死だろう。
あとほんの数秒早ければ間に合ったかもしれない。京介はやりきれない気持ちで拳を握りしめ地面に叩きつけた。
「間に合わなかったのでございますね」
「力になれなくてすまない、杉菜……」
「いいえ、すべては妾の責でございます。妾に力があれば、助けられたやもしれませぬ……無念でなりませぬ」
すんすんと鼻をすすって涙を流す杉菜。責任を感じて泣く杉菜をゆっくり慰めたいのはやまやまだったが、しかし京介にはまだやるべきことが残っていた。
「悪いが杉菜、落ち込んでもいられない。これをやった妖はまだ近くにいるはずだ。早く捕まえないと。近くには登山客が他にもいる。被害者を増やすわけにはいかない」
「! お、おっしゃるとおりです。妾としたことが……悔やむのは後にせねば」
杉菜はごしごしと涙を拭いて、力強い眼差しを見せた。
「妾がしっかりせねば。人界を見守る神たる妾の目からは逃れられませぬ」
杉菜がじっと目を凝らす。おそらく遠くまで見通すことができるのだろう。
これをやった妖の姿を知っているのは杉菜だけだ。下手人探しは杉菜に任せるのがよいだろうと判断すると、京介は既に息のない亡骸を観察する。
と、男のスラックスのポケットから何か白い紙切れが覗いているのを見つける。指でつまんでそっと引き抜いてみる。
短冊くらいの大きさで、幾何学な模様と文字が刻まれている――それは、呪符だった。すなわち、
「この人は、やはり魔術師か」
立て続けに起きた、魔術師の殺害事件。京介は再び自問する。
「これは、偶然か? それとも……同一の犯人?」
考えをまとめるように呟く。だが、まだ情報が足りない。
その時、杉菜が叫んだ。
「不破殿、おりました!」
京介ははっとして立ち上がる。杉菜は上を見上げて宙を指さしていた。
「上でございます!」
つられて振り仰ぐと、黒い影が降ってくるところだった。
銀色の刃が閃く。反射的に刈夜叉を構え、振り下ろされた刀を間一髪で受け止める。
出し抜けに問答無用で攻撃され、一気に緊張が走った。
刃を交差させるのは、黒いセーター服を着た少女。しかし、相手は妖怪だ、見た目通りの学生という歳ではないだろう。藤色のセミロングを揺らし、眼光鋭く京介を睨みつけてくる。
初対面でありながら、少女は敵意を剥き出しに襲いかかってきた。
力任せに弾き飛ばすと、少女は空中でくるりと一回転すると、足場の悪さなどものともせず、バランスを崩すこともなく着地すると、素早く駆け出し接近してくる。
「不破殿!」
「杉菜、下がっていて!」
杉菜を後ろに下がらせると、直後に少女が再び肉薄する。
振りかざされた刀を受け止め、ぎちぎちと刃を軋ませ鍔迫り合いをしながら、京介は噛みつくように問う。
「その魔術師を殺したのはお前だな。なぜ殺した。お前は何者だ」
少女は小さく口を開き、何かを言いかける。しかし、不意に眉を寄せると口を噤んでしまう。怪訝に思った京介が重ねて問おうとするが、その暇もなく、少女はバックステップで一旦距離を取り、左手を高く掲げた。
「抜刀・三途」
小さく呟かれた言葉を合図に、宙に出現する三本の刀剣。鋭い切っ先の狙いを京介に定め、一斉に放たれる。
京介は呪符を飛ばし迎え撃つ。
「烈火現界!」
風を切り迫る刃に、狙い過たず呪符をぶつけ、爆発の魔術で弾き飛ばす。爆風に煽られた刀はくるくると回転しながら地面に突き刺さる。
闇雲な攻撃は当たらないと見たか、少女が慎重に攻撃のタイミングを測る。
じりじりと沈黙のままに時間が過ぎる。
やがて、少女は一歩、二歩と後退る。引き際と思ったのかもしれない。
しかし、目の前で殺人を犯されたからには、そう簡単に逃がすつもりはないらしい、杉菜が叫ぶ。
「逃がしはしませぬ。木々よ、妾に力を!」
すると、周りの樹木から幾本もの蔓が伸び、少女を拘束しにかかった。蔓に絡め取られた少女は身動きを封じられる。少女は不愉快そうに眉を顰め身を捩るが、杉菜が操る蔓は想像以上に頑丈らしく、逃れられずにいた。
杉菜が少女の動きを封じている隙に、と京介は呪符を取る。すると少女は素早く唱えた。
「刺突・縦貫」
攻撃を警戒して身構えるが、何も起こらない――否、違う。はっとして京介は振り返る。中空、杉菜の頭上に、一振りの太刀が出現していた。太刀は切っ先を下向けた状態で落下を始める。
「杉菜!」
咄嗟に叫び杉菜に手を伸ばす。死角からの攻撃に気づいていない杉菜は目を丸くして立ち尽くしている。多少手荒になっても仕方ないと、京介は杉菜を抱えて前方に倒れ込む。直後に、空を切った刀が地面に突き刺さった。
土に塗れながら事態を把握したらしい杉菜は顔を青くする。
「大丈夫か、杉菜」
「ふ、不破殿、助かりました……」
杉菜の無事を確認し、立ち上がり改めて振り返ると、案の定、少女の姿は既になかった。突然の攻撃で虚をつかれ、杉菜の術が緩んだのだろう、その隙に、少女は拘束を振りほどいて逃げたらしい。
「杉菜、どっちに逃げたか解るか」
動揺していた杉菜は、京介の問いに、少女を探して視線を彷徨わせていたが、やがて力なく首を振った。
「申し訳ございませぬ。敵は思いのほか足が速いようで、もう近くにはおりませぬ」
「そうか……」
その時、遠くから名前を呼ぶ声が聞こえた。
「――おーい、きょーすけ、大丈夫かー!?」
振り返ると、降りてきた斜面の上から、潤平が心配そうに顔を覗かせている。傍らには歌子と美波も来ている。
「きょーすけー! 怪我はないかー!?」
「……」
一方的に指示を飛ばして全員置き去りに、突っ走ってきてしまったせいで、どうやら心配をかけてしまったようだ。京介は小さく嘆息しながら刀を仕舞う。
「俺は大丈夫だ。今そっちに戻る」
死体が出てしまったからには、放置しておくわけにはいかない。京介は斜面を這い上がってコースに戻ると、潤平たちに事情を説明し、それからすぐに、竜胆に連絡を取った。
電話口で駆け足に状況を伝えたところ、竜胆は盛大に溜息をついた。
「結局こうなるか。関わらせる気はなかったっていうのに、ねえ」
すぐにそっちへ向かうから、と竜胆は不本意そうに言った。




