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悪意が交わる夏休み(3)

 じりじりと照りつける日差しは、まさしく夏を象徴している。冷房が効いてキンキンに冷えていたバスに揺られているうちは快適だったが、下車してほんの数分しか経っていないというのに、早くも汗が滲んできた。

 潤平たっての希望により、一行は上嶺山を訪れていた。中腹部にある上嶺山神社前のバス停で降り、潤平のガイドで合格祈願のためのパワースポットを巡る予定である。

「みんな、今日は俺がばっちりガイドするぜ。今日のために寝る間も惜しんで下調べをしたからな」

「そんな暇があるなら勉強しろ受験生」

 胸を張り宣言する潤平に向かって京介は容赦なくツッコみ、潤平に対してだけは辛辣な妹・美波は呆れたように溜息をつき、歌子は苦笑を浮かべていた。

 受験生男子二人と、高校一年女子二人、総勢四人パーティーの登山が始まった。

 潤平は、何を入れているのだか、比較的大きめのリュックを背負い、気合十分やる気満々といった具合だ。美波は白い帽子をかぶり、日焼けを気にしてか長袖長ズボンという装い。対する歌子は七分袖のTシャツにクロップドパンツ。それぞれ動きやすそうな服装をしている。

 上嶺山は初心者向けから上級者向けまで幾つもの登山ルートが整備されている。潤平は女性陣に――というよりはおそらく妹のためだけに――配慮して、比較的距離が短く緩やかな「巡り野コース」というルートを選択していた。山頂までは行かないルートで、標高差は二百メートル程度、岩場が少なく石段が整備されているところが多いので初心者向けだ。同時に、潤平の目的であるパワースポットが点在しているコースでもある。

「きょーすけ、お前もしっかり祈願しろよ、俺の合格を!」

「自分で願えよ」

「駄目だ、一人二つは願えないだろ。俺はもう一つ大事な願い事をする。美波が俺にベタ惚れしてくれますように」

「ふざけんな」

「ふざけないでください」

 京介と美波の罵倒が重なった。

「と、とりあえず行きましょうか。最初は神社に行くんでしょう?」

 今日のメンバーの中で唯一潤平にも優しい良心的存在、歌子が促した。目の前にある上嶺山神社に入っていく。

 短い石段を上り鳥居を潜ると、石畳の参道の先に拝殿が見える。初詣の時期や桜のシーズンには賑わうのだろうが、かんかん照りの真夏ということもあって、訪れている客は少ない。

「拝殿の前に陣取って三十分間祈り続けても文句を言われなそうだな」

 潤平が冗談とも本気ともつかない呟きを漏らすので、京介は先手を打って釘を刺すことにする。

「三分で済ませろよ」

「俺の願いはカップ麺かよ」

 結局、潤平の願いが合格祈願だったのか、愛する妹に係るいかがわしいものだったのかは不明だ。ただ、傍から見てもかなり真剣な様子で願っている様子だったのは解った。

 京介は、初詣の時と同じく、芙蓉がそろそろ命令をちゃんときいてくれるように、と願おうとしたが、逡巡の末にやめた。そっと目を閉じて心の中で唱えたのは、「芙蓉に認められたい」というものだった。

 そのためにはもっと実力をつけなければならないな、と思いながら目を開けた。と、不意に隣で手を合わせる歌子の姿が目に入った。

 その、思いのほか切実な表情に、京介は息を呑んだ。ぎゅっと目を閉じ一心に祈りを捧げる彼女の真剣そのものの表情は、今までに見たことがないほど、切羽詰まったものに見えた。

 やがて、歌子は詰めていた息をそっと吐き出し目を開ける。そして、京介の視線に気づいたらしく顔を上げ、目を合わせると困ったように笑った。

「……歌子、何かあったのか?」

 躊躇いがちに問う。歌子は口を開きかけたが、すでに参拝を終えた潤平と美波が後ろで待っているのを思い出したようで、二人の方をちらりと見て、

「行きましょ。歩きながら話すわ」

 潤平と美波は屈託なく笑っている。潤平がこちらに向かって大きく手を振った。

「おーい、早く行こうぜー!」

 促されるままに、歌子が早足で潤平の元に向かう。京介はそれを追いかけた。

 神社の脇からスタートする登山コースに踏み込むと、青々と茂る木々が覆いかぶさり、強い日差しを柔らかい木漏れ日に変えて注いでいた。細い道は二人並んで歩いて丁度の幅だった。潤平と美波が先を行き、京介と歌子が後ろに続いた。

 潤平と美波が楽しそうに会話を始める。正確には、潤平が満面の笑みで美波に話しかけ、美波は辛辣な台詞を返しているのだが、それはそれで盛り上がっているようだった。

 今なら話せると思ったのか、歌子が前を見たまま切り出した。

「最近ね、紅刃の様子が少し変なの」

「紅刃が? 具合が悪いのか?」

「そういうのとはちょっと違う。何も言わずにふらっと出かけたり、話しかけても上の空だったり。たまに真剣な顔して俯いてて、どうかしたのって聞くと、わざとらしく笑ってごまかそうとする。何か隠してるっていうか、悩んでいるみたいっていうか……でも、私には打ち明けてくれないの」

 京介から見て、紅刃は主人である歌子にベタ惚れで従順すぎるくらい従順、式神の鑑みたいな妖だ。それがそのような態度になっているというのは、隠し事か悩み事、という歌子の推察はあながち間違っていないだろう。

「なにかあるなら相談してくれればいいのに……腹を割って話してもらうのってどうすればいいと思う?」

「それを俺に訊くのか?」

 情けない話だが、京介の式神・芙蓉姫は、紅刃と違って従順とは程遠い。腹を割って話すどころか気に入らなければ相手の腹を掻っ捌くような奴である。上から目線で生意気で、主人をないがしろにしたり気まぐれで協力したり。本心は決して悟らせない。そんな調子なので、残念ながら歌子の参考になるような助言はできそうにない。

 それを察したようで、歌子は苦笑する。

「あはは、ごめん。でも、なんだかんだで芙蓉さんは京介君のこと大事にしてる感じで、そういう関係もアリよね」

 まあ確かに、ここぞという時に頼りになるし、どうしようもないピンチの時は助けてくれるし、京介が傷ついた時は怒ってくれる。式神としてのスタンダードからは外れているが、その規格外ぶりも含めて、京介は芙蓉姫はよきパートナーだと思っている。

「……ほんとは、俺があいつを大事にしたいんだけど」

「え?」

「いや……それより、紅刃の様子が変なのって、いつから?」

「文化祭での一件から、かな。うーん、これは紅刃のプライバシーにかかわるからあんまり詳しくは言えないんだけれど、思いがけず私が紅刃の秘密を知っちゃって……ううん、正確には、秘密を知っていたことを知られちゃって、かな。もしかしたらそれを気にしているのかもしれない。あの時は、お互い納得して大丈夫、ってなったと思ったんだけどなあ……」

 難しいね、と歌子は嘆息する。

「私、頼りないかもしれないけどさ、それでも、もし困ってるなら頼ってほしいし、打ち明けてほしい。でも、契約によって結ばれて、『主従』の枠にはまっている以上は、そういうのって難しいのかしら?」

「それに関しては、俺の話は当てにならないと思うけど。芙蓉は、主従だなんだはお構いなしで、言いたいことは言うしやりたいことはやるし、やりたくないことはやらない。ほんとに自由。うちの場合は主従関係が形骸化してるからな」

「大変そうだけど、ちょっと羨ましいんだよね、そういうの。紅刃も、主従とか堅苦しいこと忘れてくれればいいのにって、思うな。私は小さい頃から紅刃をお兄ちゃんみたいに思って育って来たからなおさら。けど……そういうふうに思うのって、私が『上』だからなのかな」

 従う方はそんな気楽には考えられないのかもしれない、これは絶対的な「上」であるがゆえの余裕なのかもしれない。難しい、と歌子は繰り返した。

 緩やかな坂道が続く登山道は、二十分くらい歩いたところで、少し広い場所に出た。木でできた屋根つきのベンチが設置された休憩所だ。

 はりきって先頭を切って歩いていた潤平が、いち早くベンチにへたり込んだ。

「つ、疲れた……」

 見かけによらず体力があるらしい美波は露骨に呆れた溜息をついていた。

「いくらなんでも、ばてるのが早すぎますよ、兄さん」

「ああ、美波、俺が歩き疲れて限界になったらぜひ肩を貸してくれ」

「その時は容赦なく置き去りにしますのであしからず」

 彼女の場合冗談でなく本当に兄を置き去りにしそうだ。

「だいたいどのくらいまで来てるのかしら」

 歌子が問いかける。兄以外には親切な美波が、鞄から取り出したマップを広げて言う。

「この休憩所がここですから……だいたい半分くらいまで来ているみたいです。この少し先に、『撫子石』や『神立杉』があるようですよ」

 美波が説明したのは、上嶺山巡り野コースにある有名なスポットで、撫でると頭がよくなると言われている石と、「神が立つ場所である」という信仰がある樹齢八百年の大杉だ。潤平の本日の最大の目的の場所であるといってもいい。有名なパワースポットで学業成就を願い、他力本願神頼みでセンター試験を乗り切ろうとしているのである。そんないい加減すぎる受験生の願いを神がきいてくれるかは微妙だ。

 水分を補給して少し回復したらしい潤平が起き上がり問うてくる。

「神立杉に神様いたらさ、きょーすけ、見えるのか?」

「ああ、見えると思うけど」

 土地神を見た経験はある。妖を捉える瞳が、神も見えることは実証済みだ。新参者の土地神が童女姿で見えたということは、はたして樹齢八百年の杉に宿る神はいったいどんな姿なのか。順当に考えると白髪の好々爺みたいな姿だろうか、と京介は想像する。

「もし神様がいたら、俺の合格をぜひ祈っておいてくれ」

「神立杉の神様は学業の神ではなかった気がしますが……」

 ガイドブックを広げながら美波が困ったように肩を竦めた。

「じゃ、いったいどんな神様なんだ?」

 ガイドを買って出ていたはずの潤平が美波に尋ねる。「それでガイドとは呆れますね」と辛辣な台詞を挟んでから美波が答える。

「言い伝えでは、神様は杉のてっぺんに上って周りを遠くまで見回し、人の営みを見守ってくれていたらしいです。ざっくりいうと、平和を祈る神様ということですね」

「平和っていうなら、俺の進路という死活問題についても守備範囲じゃないかな」

 などと潤平がかなり無理のある解釈を呟いた。

 そんな時、

「――――!」

 遠くから叫び声のようなものが聞こえた気がした。登山客が「ヤッホー」とでも叫んでやまびこを楽しんでいるだけなら問題ないが、聞こえた声は何と言っているか不明瞭ではあったものの、声の調子がどことなく切羽詰まったもののように聞こえたのだ。

「何か聞こえなかったか?」

 三人を振り返ると、歌子が力強く頷いた。

「聞こえた。なんか大声で叫んでた。なんか、慌てた感じの」

「そうか? 俺は聞こえなかったけど」

「私も……」

 潤平は訝しげに眉を寄せ、美波も首を傾げる。

 京介と歌子の空耳という可能性もあるが、それ以上に考えられるのは、妖の声だったというパターンだ。それなら、京介たちには聞こえて潤平たちには聞こえない。

「――!」

 また聞こえた。先ほどよりも近づいてきている。そして、だんだん、何を言っているのか鮮明になってきた。

「――どの! 不破殿ー! そこにおられるのは不破殿ではございませぬかー!」

「……」

 名指しで呼ばれてしまった。途端に、聞こえないふりをしたくなった。

 しかし、こちらの複雑な内心などおかまいなし、がさりと木々を揺らして、何者かが飛び出してきた。

 燃えるような赤髪と華やかな花柄の着物が特徴的な若い女性が猛スピードで飛んできて、京介の姿を認めるやタックルをきめてきた。

「不破殿!」

 あまり足場のよくない山道で、いきなり腰に飛びつかれた。思いのほか強い勢いに押されてバランスを崩して押し倒された。

「お、突然和服美女が」

 京介に干渉したことで、潤平たちにもその姿が見えるようになったらしい。いったいどういうことなんだ、と言いたげな顔で、潤平と美波が眉を寄せている。

 見知らぬ和服美女が男子高校生を押し倒している図。

 いったいどういうことなのか、訊きたいのは京介の方である。

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